古墳なう

ご〜ご〜ひでりんの古墳探訪記

「あきる野市№106遺跡」

「あきる野市№106遺跡」

 「あきる野市№106遺跡」は、あきる野市引田に所在したとされる古墳です。『東京都遺跡地図』にはあきる野市の遺跡番号106番の古墳として登録されています。この古墳は、多摩川の支流である秋川左岸の段丘縁辺部に位置しており、『多摩地区所在古墳確認調査報告書』には「目の前が水田で、水田との比高差は約1.5m。」と記されています。

 この「あきる野市№106遺跡」は、昭和45年(1970)の宅地造成中に遺物が検出されたことにより行われた緊急調査により確認された古墳です。発掘調査により土師器甕や板碑、宝塔印塔、古銭、腐敗した人骨などが出土しており、平安時代から江戸時代中期にわたって墳墓として再利用されたことがわかっているという古墳です。『多摩のあゆみ』第36号には、この古墳の調査を行った山上茂樹氏のコラムが掲載されており、同書71ページの「山上茂樹翁ききがきノート」には次のように書かれています。

 (前略)秋留台地一帯には古墳が各地に散在する。昭和45年に引田で発見されたものもそのひとつ。真照寺南の田のふちにあり、もとは大宮神社の地所だったが、ひさしく宮地となっていた。宅地造成中に「どうも異様なにおいがするから来てくれ」といわれ、私もたち合うことになった。請け負った人たちも考古に興味があったらしく一日中手伝ってくれた。掘ってゆくと、板碑は出る、骨は出るの大騒ぎ。たしかににおいもする。寛永通宝が十数枚も出て、江戸中期以降の新しい墓と判断した。約二メートル下が水田という低湿地なので、水が腐っていたらしかった。ところがさらに掘りおこすと、石積みにあたった。瀬戸岡と同形式の古墳だった。奈良時代の古墳の上に、さらに江戸の墓地が重なった という面白い遺跡だった。(「山上茂樹翁ききがきノート」『多摩のあゆみ』第36号 71ページ)

 画像は「あきる野市№106遺跡」跡地周辺を南から見たところです。『多摩地区所在古墳確認調査報告書』にあるように、古墳の跡地の南側には現在も水田が広がっており、比高差も約1.5mあまりと地形は古墳の発掘当時とそれほど変わっていないように見えます。


あきる野市 106 №106遺跡(引田の古墳)03

 古墳の所在地周辺は宅地化が進んでいます。『多摩地区所在古墳確認調査報告書』でも、墳丘、主体部ともに「消滅」とされているこの古墳を見ることは残念ながらできないようです。


「あきる野市№106遺跡」

 古墳の所在地周辺の民家の敷地内で見かけた石積みです。もしや、古墳の石材として使用された河原石の残骸では?とも考えましたが、真相はわかりません。。。

<参考文献>
山上茂樹「山上茂樹翁ききがきノート」『多摩のあゆみ 第36号』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』


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  1. 2017/03/14(火) 10:46:10|
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「山田古墳」

「山田古墳」

 「山田古墳」は、あきる野市山田に所在する古墳で、『東京都遺跡地図』にはあきる野市の遺跡番号36番の古墳として登録されています。この古墳は、昭和47年(1972)に宅地造成の際に発見された古墳で、当時都立五日市高等学校の生徒と多摩考古学研究会の佐々木蔵之助氏らによって発掘調査が行われています。昭和51年(1976)に発行された『五日市町史』に、この調査の詳しい経緯が記されています。

 (前略)この古墳は前方の地所を削って宅地化する際、ブルドーザーにより不用意に破壊され、廃土は即刻道路工事の埋め土にリレー式で捨てられてしまったため、これが古墳であったことの発見は、ずっと後のことであった。古墳は北側最奧の奥壁の部分が辛うじて残り、これが露呈していたために確認されたもので、遺物はなにもなく、調査は残された奥壁の部分と、北側外周に周溝の存在有無を確かめることで終わった。
 石室の側壁となる積石は左右とも内側にせり出しの方法がとられ、一〇度前後の傾斜のアーチ型となっている。この積石は二重に組まれ、間隙は小石により補強されている。石室は半地下で、奥壁(鏡石)は巨大な一枚岩、幅一メートル余、高さ一・七メートル、断面は長方形と考えられる人為的な形成がなされたもので、材質は五日市近辺産出の、小仏層中にみられる粘板岩を用いてあった。石室を作るためには幅四メートルの堀下げを行い、中に二重の石垣を含めて幅二メートル、胴張りの内法約一メートル、高さ一・七メートルの石室を構成していて、奥壁の面は西南面より一六度西にふれていた。この地は秋川河岸段丘の縁に近く、礫層の堆積土のため、周溝についてはその存在は不確かで、恐らく水 はけのよい場所なので、設けられなかったのかもしれない。
 これらを総合するに、石室の大きさからして、当地方の積石塚古墳のうちでは大きく立派な古墳の一つであったことを想像してよいであろう。(『五日市町史』54~55ページ)

 画像が「山田古墳」の所在地周辺のようすです。道路右側の区画のどこかに古墳が存在したものと思われますが、周辺は宅地化が進み、古墳の痕跡を見つけることはできません。思えば、民家の敷地内に残されている可能性は考えられるのでピンポンしてみればよかったかもしれないのですが、この古墳に関してはなぜかあまり深追いをしませんでした。。。

<参考文献>
五日市町編さん委員会『五日市町史』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』


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  1. 2017/03/13(月) 00:06:53|
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「舘谷古墳群」

「舘谷古墳群」

 画像は、あきる野市館谷みとうがいどにある「八幡神社」を東からみたところです。祭神は応神天皇であるこの八幡神社は、寛文2年(1663)の検地帳に「御除地畑五畝六歩八幡免正光寺持」とあるのみで、起源や由来は不詳とされています。この神社の周辺にはかつて古墳が存在したといわれており、『東京都遺跡地図』には「舘谷古墳群」の名称であきる野市の遺跡番号22番の古墳として登録されています。


「舘谷古墳群」

 『多摩地区所在古墳確認調査報告書』によると、この周辺には3基の古墳が存在したとされており、このうちの1基について昭和37年(1962)に行われた発掘調査の詳しい経緯が、昭和51年(1976)に発行された『五日市町史』に記されています。

 五日市の古墳に関してはあまり世間に知られていないが、この古墳は八幡神社脇にあったもので、昭和三十七年頃、当時考古学に関心の深かった来住野重康(故人)が、国立音楽大学教授甲野勇氏(故人)に連絡、学習院大学生の手によって発掘調査が行われた。現場は八幡神社前庭境内に隣接、一段下がった雑木林の中で、おびただしい積石を排除すると、南北に構成された積石石槨の一部が「コ」の字型に残っていることがはっきりした。途中大きな石が順序不動に出てきたが、これらは秋川から運ばれてきたもので、付近に存在するものではなく、羨道部分や蓋石に使われたものであろうとされ、ほとんど破壊された遺跡で、出土品は既になかった。指導に立合われた甲野教授や玉川大学の大谷勀氏の 言 では、「中世、八幡神社の創建当時破壊され、これらの大石が、神社の石段などに利用されたのではないか」とのことであった。ただし、この古墳も瀬戸岡古墳に類する、積石塚古墳出会ったことは残された部分で明瞭であった。(『五日市町史』54ページ)


「舘谷古墳群」

 『五日市町史』にある、古墳の所在地とされる「八幡神社前庭境内に隣接、一段下がった雑木林」を当時の空中写真等で確認すると、おそらくは神社境内の南側あたりではないかと考えられます。
 画像は、八幡神社の境内南側の一段下がった一帯のようです。すでに周辺地域は開発が進み、住宅地となっています。画像の左側はすぐに崖になっていて、多摩川の支流である秋川が西に向かって流れています。


「舘谷古墳群」

 画像は、先ほどの八幡神社南側の住宅地周辺を段丘下から見上げてみたところです。おそらくはこの台地縁辺部周辺に古墳は存在したのではないかと思われます。


「舘谷古墳群」

 周辺地域で唯一宅地化されていない空地が存在します。八幡神社南側の台地縁辺部にあたり、古墳の所在地として一番怪しい場所なのですが、地中に痕跡が残されている可能性は高そうです。


「舘谷古墳群」

 空地には微妙なマウンドが存在するようです。地膨れ程度の僅かな盛土ですが、発掘調査後に埋め戻された埋葬施設が残されている可能性はないのでしょうか。。。


「舘谷古墳群」

 空地のすぐ横のカフェに、とても思わせぶりな置き物が2体、置かれています。なにか古墳と関係があるのでしょうか。。。


「舘谷古墳群」

 画像が「秋川」です。画像左側の段丘上が舘谷古墳群の所在地となります。

<参考文献>
秋川市史編纂委員会『五日市町史』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』


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  1. 2017/03/12(日) 10:02:49|
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「御堂上古墳群 4号古墳」

「御堂上古墳群 4号古墳」

 「御堂上古墳群 4号墳」は、あきる野市草花上御堂に所在するとされる古墳です。『東京都遺跡地図』にはあきる野市の遺跡番号47-4番の古墳として登録されています。

 この古墳は、平成4年(1992)に多摩地区所在古墳確認調査団により行われた確認調査、分布調査により把握されています。その後、平成7年(1995)に発行された『多摩地区所在古墳確認調査報告書』にはこの古墳について次のように書かれています。

 1-4 (御堂上古墳群)
遺跡地図番号:秋川・五日市(あきる野)47-4
所在地:秋川市草花上御堂
占地状況:平井川左岸の段丘崖下
墳丘:消滅。林の中に石が円形状に残っている。
主体部:内容不明。
備考:古墳か否か不明。
(『多摩地区所在古墳確認調査報告書』50ページ)


 この4号古墳は、あきる野市立御堂中学校北側の段丘崖下の、御堂中学校側のフェンスと崖の間のわずかな敷地の林の中に所在するものと思われます。画像の崖際のあたりが古墳の所在地であると思われますが、この場所も冬に訪れても藪の中で、円形に残された石がどこに存在するのかさっぱりわかりません。『東京都遺跡地図』には「古墳(円墳) 径9.8m [古]葺石?」と規模についても明記されており、径9.8mといえばかなり大きな痕跡であるはずなのですが、残念ながら痕跡を見ることはできませんでした。この古墳だけ崖下に存在するということには違和感を感じるのですが、古墳は消滅してしまったのでしょうか。

 農作業をしていた地元の古老の男性からお聞きしたところでは、この4号古墳の東側、現在のあきる野市立多西小学校の南側から南西側あたりの畑からは、未確認の古墳が発見されたようなこともあったそうですが、こういった古墳のほとんどは埋め戻されていて正確な所在地はわからなくなっているそうです。このお話からすると、東方に所在する「北小宮古墳」から4基の御堂上古墳群まで連続する古墳群が形成されていたのではないかと推測されます。この周辺も宅地化が進んでいるようですが、今後、調査が行われることがあれば、未確認古墳発見の可能性は高そうです。。。

<参考文献>
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』


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  1. 2017/03/11(土) 20:26:08|
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「御堂上古墳群 3号古墳」

「御堂上古墳群 3号古墳」

 画像は、「御堂上古墳群(みどううえこふんぐん) 3号古墳」を南から見たところです。あきる野市草花に所在する古墳で、『東京都遺跡地図』にはあきる野市の遺跡番号47-3番の古墳として登録されています。

 昭和58年(1983)に秋川市より発行された『秋川市史』にはこの古墳について「(前略)台地の南には、深さ10メートルの谷をはさんで平井川によって切り取られた様相を示す。独立した台地の一部が残っており、あたかも、その景観はさながら前方後円墳のごとき残形を偲ばせ、平井川面に張り出している。この古墳状の自然地形を利用して、その頂部の雑木林には、円墳状の古墳が所在しており、葺き石と思われる石が所々に露出している。現況での古墳の大きさは、東西約14.8メートル、南北14.5メートル、高さ1.4メートルをはかり、標高は海抜154.3メートルであり、直下の平井川との比高差は約14メートルである。」と書かれています。

 その後、平成4年(1992)には多摩地区所在古墳確認調査団により確認調査、分布調査が行われています。平成7年(1995)に発行された『多摩地区所在古墳確認調査報告書』には次のように書かれています。

遺跡地図番号:秋川・五日市(あきる野)47-3
所在地:秋川市草花2776付近
占地状況:台地(平井川左岸の段丘突端部だが、北側に深さ約10mの谷が存在するために独立丘
     の様になっている。)
墳丘:雑木林の中に円墳上の墳丘が残存。径約14m、高さ約1.4m。墳丘上には葺石と思われ
   る石が見られる。
主体部:内容不明
(『多摩地区所在古墳確認調査報告書』49~50ページ)



「御堂上古墳群 3号古墳」

 画像は、御堂上古墳群3号古墳を東から見たところです。古墳はちょうど小宮久保会館の北側の丘陵上にあり、素人目に見てもこのマウンドは自然地形ではなく、人工的に造られた盛り土のように感じられます。段丘突端部に存在するため南側から見るとかなり大きな古墳に見えますが、地元の人にお聞きしたところでは、平井川は何度も氾濫していて周辺の崖が崩れたこともあったそうです。古墳を大きく見せるために計算して造られたようにも感じられますが、築造当時はこの段丘がもっと南に張り出していてその台地上に造られていたという可能性もあり得るように思います。
 古墳の形状は、『秋川市史』にあるように、南に後円部、北に前方部という前方後円墳のようにも感じられるのですが、この地域の前方後円墳の存在は考え難いところですし、やはり円墳なのでしょうか。表面観察したところでは、確かに葺き石と思われる河原石が見られるのですが、積石塚である可能性も考えられるように思います。
 私が最初に訪れたのは真夏でしたが、古墳の周囲は物凄い藪で、しかも蜘蛛の巣だらけでとても近寄る気になりません。画像は冬の終り頃に撮影した画像ですが、冬でもすごい藪で、墳丘全体を把握できるような写真を撮ることが出来なかったのが残念なところです。

<参考文献>
秋川市史編纂委員会『秋川市史』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』


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  1. 2017/03/09(木) 23:27:05|
  2. 御堂上古墳群
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