
画像は、北区中十条2丁目にある「富士塚古墳」を東から見たところです。北区の遺跡番号20番の古墳です。
古来、噴煙を上げていた頃の富士山は、火を司る霊山として人々の信仰をあつめていたそうです。江戸時代には富士山への参拝を通じた富士信仰は盛んになり、関東地方を中心に庶民の慣習的な信仰団体である「富士講」が結成されて富士山を参拝するようになりました。やがて、富士山に登拝できない長旅が困難な人々や入山を禁止されていた女性のために各地に富士塚が築造され、大流行しました。この十条富士塚もそのような富士塚のひとつで、江戸時代以降、富士信仰に基づく祭儀を行ってきた場所なのだそうです。
現在でも毎年6月30日と7月1日は祭礼が催されていて、多くの参拝者をあつめているそうです。


この塚は中腹から上は切り立った形に土盛りされています。上記の左の画像のように、鳥居を潜るとかなり急勾配の直線的な石造りの階段があり、頂上に登れるようになっています。階段の両側には溶岩が積み上げられていて、その溶岩の間には多くの石碑が建てられています。この直線的な登山路は一般的な富士塚の築造様式ではなく、本来は正面に「く」の字状か、若しくは電光状に設けるのが一般的で、これは実物の富士山を模しているのだそうです。築造当初は、正面から向かって右下から左上に斜めに上る登山道があったと推定されています。

上記の画像は、下山路を見上げたところです。
この塚の近接地では3基の円墳が確認されていることから、この十条富士塚も古墳を再利用して築造されたと推定されています。この古墳群は、「十条台古墳群」と呼ばれています。
「東京都遺跡地図」のインターネット公開版では、”径18m、高さ5mの円墳”とされています。
<参考文献>
東京都北区教育委員会『十条富士講調査報告書』
大塚初重/監修 祥伝社新書『東京の古墳を歩くーヴィジュアル版』
現地説明板
- 2012/10/16(火) 01:48:39|
- 北区/十条台古墳群
-
| トラックバック:0
-
| コメント:2