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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

「無名塚」

「無名塚」

 板橋区南町の画像の周辺にもかつて塚があったといわれています。『東京都遺跡地図』には未登録の年代不詳の塚です。形状は方形だったと‎いわれており、東京都内の方形の塚というと青梅市や立川市、日野市にある「富士塚」や港区にある「亀塚」を連想させますが、塚は崩されて消滅していますので詳細はわかりません。


「無名塚」

 この敷地の角の所には宝永5年(1708)造立の「南町庚申堂」があり、「庚申通り」という商店街の名の起こりになっています。中丸村の入口の辻にあるため、「大辻の庚申塔」とも呼ばれているそうです。
 この日も、この庚申堂にお参りしている町の人の姿を見かけました。地元の人に大切に祀られているようです。

<参考文献>
板橋史談会『板橋史談 第43・44合併号』
板橋区教育委員会『文化財シリーズ第81集 いたばしの地名』
板橋まち博友の会『板橋の史跡を訪ねる』


  1. 2013/11/28(木) 02:13:21|
  2. 板橋区/その他の古墳・塚
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「狐塚」

熊野町の「狐塚」

 画像は、板橋区熊野町の「狐塚」が所在したとされる推定地を南から見たところです。『東京都遺跡地図』には未登録の、言い伝えとしてのみ残されている年代不詳の塚です。

 狐塚は、大正13~14年の区画整理により消滅しています。高さ約9尺、面積約17坪ほどもあり、円墳の形をした周囲には溝が巡っていたそうで、冑のカケラや甕、柄のついた古鏡などが出土しているといわれていますが、残念ながら遺物は散逸して残されていないようです。墓石らしい切石がいくつかあったといわれており、古墳であった可能性も否定できないように思うのですが、豊島泰経と太田道灌との間で行われた江古田・沼袋原の合戦で亡くなった武士を葬った豊島塚ではないかとも考えられているようです。

 場所は国道254号沿いにあり開発され尽くしているため、塚の痕跡は何も見当たりませんでした。この周辺にはさらに〜3の高塚があったといわれておりますが、狐塚と同じく大正13~14年の区画整理により崩されているようです。

<参考文献>
板橋史談会『板橋史談 第43・44合併号』
板橋区教育委員会『文化財シリーズ第81集 いたばしの地名』

  1. 2013/11/26(火) 02:26:53|
  2. 板橋区/その他の古墳・塚
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「狐塚」

「狐塚」

 画像は、板橋区富士見町の「狐塚」が所在したとされる推定地を西から見たところです。『東京都遺跡地図』には未登録の塚です。塚は昭和の初め頃までは残されていたそうですが、その後崩されて現在は言い伝えとしてのみ残されている伝説の塚です。

 千年ほども前のある秋の暮れ頃、諸国を巡っていた偉いお坊さんが、この周辺で日が暮れてしまったために野宿をすることになったそうです。ところが、野狐たちの鳴き声で眠る事も出来ません。そこで、狐の声をしずめるお経を唱えたところ、鳴き声はピタリと止んでしまいました。そして翌朝目を覚ますと、驚いた事に何匹もの狐がまわりに死んでいたそうです。かわいそうに思ったお坊さんは、狐の亡がらを埋めて葬ってあげたのだそうです。これが今も残る「狐塚」の言い伝えです。

 板橋区教育委員会から発行されている『いたばしの昔ばなし』によると、板橋区内には他に、赤塚の「二塚」や「荒れ塚」、中台の「一夜塚」、大和町の「狐塚」、小豆沢の「魚藍塚」や「首塚」、南常盤台の「ねこ塚」や「馬塚」、東新町の「狐塚」、桜川の「地蔵塚」、熊野町の「高塚」、向原の「馬塚」、南町の「法眼塚」、小茂根の「ねこ塚」、志村の「熊野塚」、桜川の「安弘塚」など、数多くの塚の言い伝えが残されているようです。

<参考文献>
板橋区教育委員会『文化財シリーズ第25集 いたばしの昔ばなし』
板橋区教育委員会『いたばしの地名』

  1. 2013/11/23(土) 23:43:27|
  2. 板橋区/その他の古墳・塚
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「姥塚」

「姥塚」

 画像は、板橋区高島平2丁目にあったとされる「姥塚」の推定地を南東から見たところです。『東京都遺跡地図』には未登録の塚です。
 姥塚は、徳丸村辻山下の西台村との境にあったとされる塚です。かつて荒川がこの台地の裾あたりまで流れていた頃、志村城攻略の時に馬が沈んで渡れずに死んでしまったそうで、そこで後年塚を築いて供養したという言い伝えがあるそうです。塚の規模は40坪ほどもあったそうで、昭和10年の耕地整理で塚を崩した際には出土品は何もなかったそうです。

 この姥塚の向かい側(画像の右側)は「離塚」があったといわれている地点です。これは徳丸の辻山と呼ばれる台地の先端部分が決壊して出来た塚状の小山で、古墳などの人工的な塚ではなかったようですが、この地点を『goo地図』の昭和22年の古地図で見てみると、姥塚が前方部、離塚が後円部という感じで、まるで前方後円墳のような形状に見えます。この地域での前方後円墳の存在の可能性は極めて低いように思いますが、ちょっとびっくりします。


「姥塚」

 塚に立てられていたとされる出羽三山の石祠は、北野神社の境内に移されて祀られています。

<参考文献>
いたばしまち博友の会『板橋の史跡を訪ねる』
板橋区教育委員会『文化財シリーズ第81集 いたばしの地名』
板橋史談会『武州板橋誌(板橋史談 第56号~第59号)』

  1. 2013/11/20(水) 03:42:55|
  2. 板橋区/その他の古墳・塚
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「弁天塚」

「弁天塚」

 画像は、板橋区高島平6丁目にあったとされる「弁天塚」の推定地を南西から見たところです。新高島平駅前のトラックターミナルの正面で入口付近、都営三田線の高架の直下にあたります。
 
 この周辺は太古の昔は海だったそうで、周辺地域からは貝塚が見つかっています。海が退いてからは低湿地帯であり、また荒川の氾濫原でもあったそうで、「徳丸ヶ原」と呼ばれていました。幕末頃には徳川幕府の砲術場となり、天保12年(1841)に高島秋帆により日本最初の洋式砲術調練が行われています。その記念碑が大正11年、本陣となった弁天塚に建てられています。
 その後、徳丸ヶ原は開墾されて一帯が田んぼとなっていました。goo地図の昭和22年の古写真で見ると、田んぼの中にぽつんと残る弁天塚の姿を見る事が出来ます。広大な田圃の中に浮ぶ弁天塚は、かなり目立つ存在だったのではないでしょうか。その後、昭和41年から日本住宅公団による造成と区画整理が始まり、昭和45年には弁天塚も崩されてしまいます。
 
 板橋区史編纂のために昭和27年(1952)から翌年にかけて行われた実地調査により、「古墳らしきもの」まで含めたという25基の塚が昭和29年に発行された旧板橋区史の古墳表に掲載されていますが、この時期にはまだ存在したはずの「弁天塚」はこの古墳表には掲載されておりませんので(『東京都遺跡地図』にも未登録となっています)、弁天塚は古墳ではないと考えられていたのではないかと思われます。


「弁天塚」

 「徳丸ケ原」は昭和30年3月に東京都の旧跡に指定されており、塚の上に建てられていた「徳丸原遺跡」の碑は高島平8丁目の徳丸ケ原公園に移設されて保存されています。公園には、東京都教育委員会による説明板が立てられています。


「弁天塚」

 「徳丸原遺跡」の碑には次のように書かれています。


此より北荒川に至る南北一千米突東西約二千米突の地域は古の所謂徳丸原なり天保十二年五月高嶋四郎太夫先生が幕府の命を承けて門人百餘人を指揮し始めて洋式の歩砲兵隊操練等を行ひし處とす
大正十一年六月
   高島秋帆先生紀功碑建設首唱者

<参考文献>
いたばしまち博友の会『板橋の史跡を訪ねる』
板橋区教育委員会『文化財シリーズ第81集 いたばしの地名』
板橋区立郷土資料館『高島平 その自然・歴史・人』
板橋史談会『いたばし区史研究 第4号』

  1. 2013/11/17(日) 01:54:36|
  2. 板橋区/その他の古墳・塚
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「釈迦塚」

「釈迦塚」

 画像は、板橋区四葉1丁目にある「旧薬師堂跡」を東から見たところです。

 この場所にもかつて塚があったといわれています。釈迦如来の石仏が立てられていたため「釈迦塚」と呼ばれていたそうです。残念ながら現在は跡形もなく消滅しており、古墳であったのか塚であったのか詳細は不明です。
 『東京都遺跡地図』には板橋区内に数多くの古墳や塚が登録されており、また言い伝えなどに残る塚も含めるとかなりの数に上ります。その多くは残念ながら開発のために消滅していますが、こうして跡地を巡ってみるとどこも台地の縁辺や最も高い地点に位置しており、それぞれの塚に意味があるのだと思います。釈迦塚の跡地も台地上に位置しており、また近辺では古墳の周溝が発見されていますので、古墳であった可能性も高いのかもしれませんね。

 ここには明治40年(1907)まで薬師堂があったそうですが、老朽化のため取り壊されて付近にある「四葉観音堂」に合併されているそうです。現在は墓地の入口に仮堂があり、そこに釈迦如来の石仏が安置されています。

<参考文献>
板橋史談会『武州板橋誌(板橋史談 第56号~第59号)』
板橋区教育委員会『文化財シリーズ第76集 まち博ガイドブック(下赤塚・成増・徳丸・高島平)』
板橋区教育委員会『文化財シリーズ第81集 いたばしの地名』

  1. 2013/11/14(木) 02:58:53|
  2. 板橋区/その他の古墳・塚
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「地蔵塚」

「地蔵塚」

 画像は、板橋区赤塚7丁目にある「元塚地蔵尊」を西から見たところです。

 この付近にかつて「地蔵塚」と呼ばれる小さな塚があり、この地蔵尊はそこに建てられていたそうです。塚は残念ながら赤塚中央通りが造られるにあたって崩されているため、古墳であったかどうか詳細は不明です。塚に祀られていた元禄12年(1699)造立の地蔵尊や丸彫りの庚申塔(嘉永2年=1849)が、前身の地蔵は松月院に、庚申塔は大堂に移されて残されています。

 この地蔵尊について、次のようなお話があるようです。

 かつて徳栄氏の父信栄氏が交通事故にあい、ムチ打症になり首がまわらなくなった時、その治療をしてくれた人から「お宅に地蔵様がなかったか。今その地蔵様は首がなくて困っていらっしゃる」という話を聞きました。早速松月院に行ってみますと、なるほど首が欠けて立てかけてありました。首を新たに作り直したところ、信栄氏の首も快方に向ったといいます。(『文化財シリーズ第76集 まち博ガイドブック下赤塚・成増・徳丸・高島平地区編』8ページ)


「地蔵塚」

 お地蔵様が移されたとされている松月院でお聞きしたところでは、画像のいずれかのお地蔵様が「首欠け地蔵」なのではないか、とのことです。ちなみに右から2番目のお地蔵様は「塩地蔵」と呼ばれていて、お供えの塩を舐めると歯が治ると言われているそうです。


「地蔵塚」

 画像が大堂に立てられている庚申塔です。どれが大堂の庚申塔かは判明せず。八幡神社の古墳にばかり気を取られていて、庚申塔の画像はこれ一枚なのですが、もう少し詳しく先に調べてから見学に行けば良かったなあと思います。。。

<参考文献>
板橋区教育委員会『文化財シリーズ第76集 まち博ガイドブック(下赤塚・成増・徳丸・高島平)』
板橋区教育委員会『文化財シリーズ第81集 いたばしの地名』

  1. 2013/11/11(月) 04:05:57|
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「千本塚」

「千本塚」

 板橋区大谷口‎1丁目のちょうど五叉路になっているあたりに「千本塚」という名の塚があったとされています。『東京都遺跡地図』には未登録の塚です。

 塚はすでに崩されて消滅しており存在しませんが、塚のところに建てられていたと云われる「雨乞い地蔵尊」が現存しています。この地蔵尊は雨乞いに霊験あらたかであったそうで、昭和2年に復元され、板橋区向原1丁目の側のマンションの一角に残されています。
 見学に訪れた際に、通りがかりの少年がお賽銭をおいてお参りをしているのを見かけました。地元の人にも大切に祀られているのだと思います。


「千本塚」


 ちなみに千本塚の「千本」の語源は、千本の卒塔婆を立てて死者の霊を弔った所とか、千本の樹木の多く生えている様子をいうとあるそうです。
 お地蔵様には「千本塚地蔵尊」と書かれていました。。。

<参考文献>
板橋まち博友の会『板橋の史跡を訪ねる』
板橋区教育委員会『いたばしの地名』

  1. 2013/11/04(月) 00:25:52|
  2. 板橋区/その他の古墳・塚
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