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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

「飛鳥山3号墳」

「飛鳥山3号墳」

 「飛鳥山古墳群」は、武蔵野台地の東端部をなす本郷台、JR京浜東北線の王子駅を眼下に臨む崖線上に立地する飛鳥山公園内に所在する、北区の遺跡番号46番の古墳群です。
 この飛鳥山古墳群から南東約2kmの位置には「田端西台通遺跡」が、反対に北東約2kmの位置には「十条台古墳群」が、また、北北東約2.5kmの地点には「赤羽台古墳群」が所在しており、北から「赤羽台古墳群」「十条台古墳群」「飛鳥山古墳群」「田端西台通遺跡」と北区内の台地上に連なる形で崖線上に4つの古墳群が確認されています。

 画像は、飛鳥山公園内にある「飛鳥山碑」を南西から見たところです。この石碑は、八代将軍徳川吉宗が飛鳥山を整備し、遊園として一般庶民に解放したのを記念して元文二年(1737)に建立されたもので、東京都の有形文化財に指定されています。ちょうどこの石碑の後ろ側に所在するのが「飛鳥山3号墳」です。


「飛鳥山3号墳」

 「飛鳥山3号墳」は墳丘や主体部は検出されず、円形の周溝の約4分の1のみが検出されており、規模は推定で内径18.70m、外径27.00mとされています。まるで、検出された周溝を囲むような形状で盛土が存在しますがこれは古墳とは無関係で、公園を造成したときの築山であるようです。この下に古墳の周溝が眠っています。

<参考文献>
東京都北区『北区史 通史編 原始古代』
東京都北区教育委員会郷土博物館建設準備室『飛鳥山遺跡Ⅱ』

  1. 2014/03/30(日) 00:25:08|
  2. 北区/飛鳥山古墳群
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「飛鳥山4号墳」

「飛鳥山4号墳」

 「飛鳥山古墳群」は、武蔵野台地の東端部をなす本郷台、JR京浜東北線の王子駅を眼下に臨む崖線上に立地する飛鳥山公園内に所在する、北区の遺跡番号46番の古墳群です。

 画像は、飛鳥山公園内にある「飛鳥山4号墳」が検出された地点を南西から見たところです。墳丘や主体部は検出されず円形の周溝が検出されており、規模は推定で内径30.00m、外径36.40mとされています。周溝は一部がとぎれて陸橋をもち、また、周溝から墳丘内の主体部に通じる墓道が検出されています。周溝からは土師片が多数出土しており、石室の石材を加工した残片と思われる凝灰岩片が出土しています。古墳時代後期に築造されたと推定されているようです。

 「飛鳥山1号墳」以外の古墳からの遺物の出土はほとんど見られないようですが、江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』には「近キ年飛鳥山ヨリ堀得タリト云、古代ノ制ナリ」とあり、古刀がこの飛鳥山から出土したことが記述されています。掲載されている図には、約60cmほどの錆びた大刀のように描かれており、飛鳥山古墳群の中の1基から出土したものではないかと考えられているそうです。

<参考文献>
東京都北区『北区史 通史編 原始古代』
東京都北区教育委員会『飛鳥山遺跡Ⅲ』

  1. 2014/03/29(土) 00:03:07|
  2. 北区/飛鳥山古墳群
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「飛鳥山6号墳」

「飛鳥山5号墳」

 「飛鳥山古墳群」は、武蔵野台地の東端部をなす本郷台、JR京浜東北線の王子駅を眼下に臨む崖線上に立地する飛鳥山公園内に所在する、北区の遺跡番号46番の古墳群です。

 画像は、飛鳥山公園内にある「飛鳥山6号墳」が検出された地点を南西から見たところです。公園の歩道が交差した舗装された部分が古墳の中心にあたり、円形の周溝の一部が検出されています。墳丘や主体部は検出されず、規模は推定で内径11.00m、外径14.60mとされています。土師器や須恵器が出土しており、古墳時代後期に築造されたと考えられています。残念ながら古墳の痕跡は何も残されていないようです。。。

<参考文献>
東京都北区『北区史 通史編 原始古代』
東京都北区教育委員会『飛鳥山遺跡Ⅲ』

  1. 2014/03/27(木) 23:50:15|
  2. 北区/飛鳥山古墳群
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「飛鳥山公園内の古墳かもしれない塚 その3」

「飛鳥山公園内の古墳かもしれない塚 その3」

 東京都北区にある「飛鳥山公園」にはもう一ヶ所、古墳ではないかと考えられる場所が存在します。
 この周辺は、道路の煉瓦色の歩道の部分のみが発掘調査されており、画像の左下あたりの歩道から古墳の周溝ではないかと考えられる遺構が検出されています。ただし、調査された範囲が限られていたために古墳であると断定はされていないようです。将来、例えば反対側の周溝が検出されるようであれば古墳で決定!ということになると思われますが、現時点では古墳である可能性は高いものの、古墳であるとされていないようです。「飛鳥山6号墳候補地」といったところでしょうか。

 ちなみに画像中央の、道路脇の盛り上がった部分が前回掲載した「飛鳥山公園内の古墳かもしれない塚 その2」になるのですが、古墳ではないかと考えられたこの周囲からは古墳らしき遺構は検出されなかったそうで、予想もしなかった場所から周溝であると思われる遺構が発見されているのが面白いところです。
 飛鳥山公園内や旧渋沢邸内にはまだ未発掘の多くの場所が残されていますので、今後新たな古墳が発見される可能性も大きいかもしれません。。。

<参考文献>
東京都北区教育委員会『飛鳥山遺跡Ⅲ』

  1. 2014/03/26(水) 01:06:37|
  2. 北区/飛鳥山古墳群
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「飛鳥山公園内の古墳かもしれない塚 その2」

「飛鳥山公園内の古墳かもしれない塚 その2」

 「飛鳥山古墳群」は、武蔵野台地の東端部をなす本郷台、JR京浜東北線の王子駅を眼下に臨む崖線上に立地する飛鳥山公園内に所在する、北区の遺跡番号46番の古墳群です。この古墳群は長径200m、短径100mの範囲の中に5基の古墳が確認されており、唯一墳丘の残されている1号墳のほかに2~5号墳の周溝が検出されています。
 また、さらにもう一ヶ所、古墳の可能性が考えられている塚状地形が存在しています。画像がその塚を南から見たところです。


「飛鳥山公園内の古墳かもしれない塚 その2」

「飛鳥山公園内の古墳かもしれない塚 その2」

 この塚は東側を道路によって削られているものの、良好な状態で残されているようです。墳頂部には何かが祀られていたそうですが、何が祀られていたかメモを取り忘れてしまって不明です。墳丘には石段らしきものが残されており、石室材を流用したかのようにも見えますが墳丘そのものは未調査であるそうなので詳細は判りません。


「飛鳥山公園内の古墳かもしれない塚 その2」

 削られている道路の歩道の部分が発掘されていますが、古墳の周溝のような遺構は何も検出されなかったそうです。塚の所在地は旧渋沢邸内ということもあり、後世に土が盛られた築山である可能性も考えられるようです。
 素人目にはまるで古墳のように見えるのですが、真相はいかがなものでしょうか。。。

  1. 2014/03/24(月) 01:17:11|
  2. 北区/飛鳥山古墳群
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「飛鳥山公園内の古墳かもしれない塚 その1」

「飛鳥山公園内の古墳かもしれない塚 その1」

 「飛鳥山古墳群」は、武蔵野台地の東端部をなす本郷台、JR京浜東北線の王子駅を眼下に臨む崖線上に立地する飛鳥山公園内に所在する、北区の遺跡番号46番の古墳群です。この古墳群は長径200m、短径100mの範囲の中に5基の古墳が確認されており、唯一墳丘の残されている1号墳のほかに2~5号墳の周溝が検出されています。


「飛鳥山公園内の古墳かもしれない塚 その1」

 画像は鳥山公園の旧渋沢邸内に所在する築山を東から見たところで、古墳である可能性も考えられているそうです。この築山はまだ未調査であるため、現時点では古墳であるか否かはわからないようです。ちなみにこの旧渋沢邸内にはもう一ヶ所、古墳ではないかと考えられた築山が存在していてこちらは調査されたそうですが、周溝や出土品等は発見されず、古墳ではないことが判明しているそうです。


「飛鳥山公園内の古墳かもしれない塚 その1」

 飛鳥山公園内にはこんな築山も存在しますが、これは古墳とは関係ないようです。。。

<参考文献>
東京都北区『北区史 通史編 原始古代』

  1. 2014/03/16(日) 00:00:07|
  2. 北区/飛鳥山古墳群
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「梶原塚」

「梶原塚推定地」

 画像は、「梶原塚」があったとされる北区堀船3丁目にある「王子ポンプ所」を南西から見たところです。

 この「梶原塚」については、江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』や『江戸名所図会』のほか『夢跡集』、『埋木花』といった多くの文献に記述がみられるようです。これらによると、この地はかつて太田道灌の子孫で戦国時代の武将である梶原政景の屋敷があり、政景の死後祀られたのがこの「梶原塚」であるといわれています。『武蔵演路』という古文書には、洪水で崩れた梶原塚を村人が修復したと記されており、かつては五六畝もあった塚は縮小して二三畝となり、塚には松の木が植えられていたとされています。
 その後、明治37年(1904)の火工廠貯炭場の拡張により塚は崩され、塚にあった石仏や塔は近くにある「福性寺」に移されています。


「福性寺」

 画像が、北区堀船3丁目にある「福性寺」です。梶原塚は、このお寺に移されています。


「梶原塚の宝篋印塔」

 画像が「福性寺」の本堂前に移された現在の梶原塚で、中央に見えるのが「宝篋印塔」です。天保2年(1831)に再興されたもので、明治37年(1904)に福性寺に移転されています。『復刻版 堀船郷土史』によると、梶原塚は荒川の水辺にあり、塚を取り囲むように宝篋印塔や数基の石碑が立ち並び、周囲には数本の大樹や竹、雑草が生い茂っていて足を踏み入れる人はいなかったそうです。また、『補遺 隅田川とその両岸(下巻)』には土地の古老の話として「当時荒川の水辺に近く土饅頭があり、それを取り囲んで宝篋印塔や石碑が数基並び、周囲には大樹が数本空を突いて高く茂り、下は竹や雑草でおおわれていた。また明治の中頃には大きな胡桃の木があり実の熟する季節には付近の子供達がその実を拾って楽しんだ」と書かれています。
 この宝篋印塔を移す際には塔の下から古銭や馬の骨らしきものとともに蛇が出てきたと云われており、塚を壊した人はその後、病気になったり死んだりしたために、蛇の祟りではないかと地元の人々の話題になったそうです。


「梶原塚の碑」

 現在の梶原塚には『当所地名発祥之処』と記された石碑が立てられています。

 この周辺はかつては「梶原」という地名で呼ばれていたそうで、読売新聞東京北工場の周囲に巡る「堀船周回ロード」に建てられている説明板には、この梶原塚とその地名の由来について次のように書かれていました。

   『堀船』の名の由来

 堀船の名は, 堀之内村と船方村とが合併してできたものである。 江
戸時代から明治22年まで, このあたりは梶原堀之内村であった。 しか
し、昭和7年に東隣の船方村と合併して堀船という地名になった。
 足利時代末に、太田道灌の孫であり、太田資正(三楽斎道誉)の子
である梶原政景が今のポンプ場(堀船3丁目の下水道局王子ポンプ場)
あたりに屋敷を構えたと言われている。その屋敷の内=堀の内という
ことで、梶原堀之内村と呼ばれていた。梶原の姓は、永禄元年(1558)、
古河公方義氏の元服の時に太刀役を務め、梶原の姓を与えられたとい
う説(『異本小田原記』)と、同4年、長尾景虎が上杉姓と関東管領
を譲られた拝賀の時に与えられたとする説(『北条記』)がある。
(永禄5年の政景の初見史料では、すでに梶原を名乗っている。)
 梶原政景は、下総国の土豪で柿岡城主であり、「弓矢打物達者にて、
鬼にも神にも逢ふべき器量」で、和歌、手跡・早歌・乱舞・馬上・鞠
など、諸芸にも秀でていたという(『異本小田原記』)。福性寺の本堂
前に「地名発祥梶原塚」という標石があり、梶原塚と呼ばれている。
 船方村は、豊島の7つの村の1つで、江戸時代に船の組み仲間とし
て有名な船頭の一族がこのあたりに住んでいたと言われている。
 町の名前が堀船になっても、梶原という呼び方はこの地に住む人の
愛着や郷愁からか、梶原○○○と呼ばれるところも多いようである。

【参考】東京都北区立堀船小学校創立70周年記念「わたしたちの堀船」
                        平成3年12月7日


「梶原塚」「梶原塚」

 ほかに、文政9年(1826)銘の地蔵や如意輪観音石仏も保存されています。
 『新修 北区史』ではこの「梶原塚」について「塚は5、6畝の広さをもち、梶原氏の墳墓といわれているが古墳文化時代のものであろう」としています。古銭や馬の骨が出土しているという伝承からすると古墳ではなく塚であった可能性も考えられるかと思いますが、今となっては詳細はわかりません。


「復刻版 掘船郷土史」

 画像は、福性寺でいただいた『復刻版 堀船郷土史』で、表紙には『江戸名所図会』に描かれた梶原塚が載せられています。地蔵や石仏は見えますが、宝篋印塔は見えないようです。
 訪れた日には福性寺の方から声をかけていただき、ありがとうございました。いただいた資料はとても参考になりました!

<参考文献>
東京都北区役所『新修 北区史』
名著出版『北区の歴史』
東京都北区教育委員会『北区の昔がたり』
芳洲書院『補遺 隅田川とその両岸(下巻)』
真言宗豊山派 福性寺『復刻版 堀船郷土史』
現地説明版

  1. 2014/03/02(日) 01:54:28|
  2. 北区/その他の古墳・塚
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