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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

「栗原塚」

栗原塚

 「栗原塚」は、世田谷区代田3丁目に所在する塚です。『東京都遺跡地図』には世田谷区の遺跡番号204番の塚として登録されています。

 この栗原塚は、「代田広場」という世田谷区立の公園内に残されています。かつてマウンドが存在したのかどうか不明ですが、現在は公園内の築山のような中に石碑が立てられており、碑には「狐塚之霊?」と刻まれています。
 かつてのこの敷地は「栗原稲荷神社」という広い境内の神社が祀られていました。180坪余りの社有地と墓地があり、150mもある参道が鳥居の前から東に向って延びていたそうです。この神社にはある言い伝えが残されており、世田谷区生活文化部文化課より発行されている『ふるさと世田谷を語る』には次のように書かれています。

(前略)今ではその大半の土地には住宅が建っていて、神社は公園の片隅に祀られているのです。
 この公園の中央には高さ一メートルほどの「狐塚の碑」と書かれた碑が建てられています。これは、昔この辺りが雑木林やスギ、マツ、ヒノキ、キリ、ウメなどの林、竹やぶなどの多かった所で、キツネ、タヌキ、イタチ、ノウサギなどが住みついていた場所であることと関係あるのです。
 これら小動物の中で、キツネは稲荷信仰の神使として稲荷神社では大切に祀られていましたが、その一方で悪さをしたりする動物でもありました。
 明治五年頃、この栗原では、病気になったり、不慮の事故にあったりする人が続出しました。行者にみてもらったところ、これはキツネに取りつかれたためだということになりました。そして行者の祈祷によって、人間に取りついたキツネの魂を引き離して、稲荷神社の境内に封じ込めたのです。狐塚の霊碑は、キツネの霊魂を祀った石碑なのでした。
 今でも地域の有志の人々によって、建碑の明治三十二年三月六日に因んだ毎年三月六日には、交代で供物を捧げ、お参りしているということです。(『ふるさと世田谷を語る』54~55ページ)



栗原塚

 実は私は20年以上も昔、狐に憑かれた人を見たという話を母から聞いたことがあります。それはかなり恐ろしい話で、鳥肌を立てながらその話を聞くとともに、そんなことが実際にあるんだなあと思っていました。「狐憑き」の話は全国各地に見られるようですが、母の話では、狐に憑かれた人は後ろから強く顔を引っ張られたように異様に吊り上がった目で、膝から下を折り曲げて膝で歩きながら「コーンコーン」を鳴きながら室内を徘徊したそうです。これが欧米であれば人に取り憑くのは悪魔(サタン?)となるのでしょうが、日本ではなぜ狐なのでしょうか。

 画像は、塚上に立てられている石碑です。一部が欠損しており判読し難い状況ですが、「狐塚の霊碑」と刻まれています。『東京都遺跡地図』には栗原塚は近世の塚であるとされていますのでどうやら古墳ではないようです。。。

<参考文献>
世田谷区生活文化部文化課『ふるさと世田谷を語る』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』

  1. 2015/04/30(木) 00:25:42|
  2. 世田谷区/その他の古墳・塚
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「あたご山横穴墓」

「あたご山横穴墓」

 「あたご山横穴墓」は、世田谷区奥沢1・7丁目に所在したとされる横穴墓です。『東京都遺跡地図』には世田谷区の遺跡番号120番に登録されている横穴墓です。

 この横穴墓について、『世田谷ふるさとめぐり てくたくぶっく 九品仏コース』に次のように書かれています。


⑧横穴墳(よこあなふん)奥沢1-27
 奥沢台地から吞川に下るあたりは湿地でした。昭和3年(1928)ごろ、この湿地や田や畑を埋立てるため、奥沢台地の東の斜面を切りくずしていました。その時、その斜面に50cm位の穴があきました。工事をする人と地主の和田さんが穴の中に入ったところ中には石をしきつめてあり、二体の人骨が発見されました。それがいつの時代のものかはっきりとはわかりません。現在は元の場所より5m離れたあたりに瓶に人骨をおさめて埋めてあります。(『世田谷ふるさとめぐり てくたくぶっく 九品仏コース』7ページ)


 画像が「横穴墳」の石柱です。ゴミ収集の場所になってしまっているのは残念なところですが、今生きている人の生活を考えるとこれも仕方のないところなのでしょうか。。。

<参考文献>
玉川石標を守る会『世田谷ふるさとめぐり てくたくぶっく 九品仏コース』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』

  1. 2015/04/28(火) 01:01:22|
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「愛宕塚」

「愛宕塚」

 「愛宕塚」は、世田谷区奥沢1丁目に所在したとされる古墳です。『東京都遺跡地図』には未登録の古墳です。

 この古墳について、『世田谷ふるさとめぐり てくたくぶっく 九品仏コース』に次のように書かれています。


⑨愛宕塚(あたごづか)奥沢1-27
 奥沢台地の東南にあり、その下は涌水がありたんぼや畑が広がっていて、その向こうに吞川があります。村の人びとはこのこんもりと高くなったところを愛宕山と呼んでいました。塚の上にはツゲ、ツバキ、ヒイラギなどの大木が茂っていました。この塚の下から横穴墳の人骨が出たことなどから、古墳であろうと思われますが今では人家が建てられているので調べようがありません。塚の高さは奥沢台地で一番高いところでした。(『世田谷ふるさとめぐり てくたくぶっく 九品仏コース』7~8ページ)


 この『てくたくぶっく』とは、「てくてく歩いて拓本をとろう」という意味なのだそうで、世田谷区各地の名所・旧跡には拓本をとるための石柱が立てられており、「玉川の郷土を知る会」より地域ごとに全5巻発行されたA6版の小冊子には石柱の場所が記された地図や、解説が書かれています。一ヶ所1ページごとに拓本を取るページがあり、1冊すべての拓本をとると記念品がもらえるそうです。この愛宕塚のような言い伝えでのみ残されている消滅古墳がこういう形で取り上げられているのはなかなか良い企画だと思います。

 画像が「愛宕塚」の石柱です。この石柱はてくたくぶっくに書かれているように奥沢台地の一番高いあたりにあり、かなり近い位置に古墳が所在したように思いますが、正確な古墳の跡地まではわかりませんでした。。。

<参考文献>
玉川石標を守る会『世田谷ふるさとめぐり てくたくぶっく 九品仏コース』

  1. 2015/04/27(月) 00:19:40|
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「天神山古墳」

「天神山古墳」

 画像は、世田谷区野毛1丁目にある「天神山古墳」を北東から見たところです。『東京都遺跡地図』には、世田谷区の遺跡番号119番の古墳として登録されています。

 この古墳は北側が道路に、東側が宅地に、南側が駐車場に、そして西側が郵便局と四方を削平されており、かなり小さく削られた状態で残されています。一見、郵便局内の築山のようなので、古墳だといわれなければわからないかもしれません。『東京都遺跡地図』では円墳とされており周溝が確認されているとの記述があるのですが、発掘調査等が行われているのか詳細はわかりませんでした。
 この古墳は『新編武蔵風土記稿』等の江戸時代の地誌類には記述が見られません。また、は、1930年代に当時大田区立郷土博物館の館長を努める西岡秀雄氏により行われた「荏原台古墳群」の分布調査の際にもこの天神山古墳は把握されていなかったようです。当時はそれほど有名な古墳ではなかったのかも知れません。


世田谷区 119 天神山古墳

 画像は南側の駐車場の側から見たところです。北側の道路は切り通しとなっているのでかなり高さがあるように見えるのですが、こちらから見るとそれほど高さが残されていないことがわかります。
 このマウンドの内部には果たして埋葬施設が残されているのでしょうか。。。


「天神山古墳」

 この土地の所有者には、発掘すると「当主の生命と引き替え」になるとの先祖代々の言い伝えがあり、また「樹枝は自宅内で燃やしてはならない」との言い伝えもあり、発掘調査などの依頼を受けても断っていたそうです。しかしその後、土留め工事我必要になったので職人が祠の周辺を掘り起こしたところ、埋葬施設らしき物が見えだしたので慌てて埋め戻したのだそうです。その後、新酒を奉納してお祓いをしたにも関わらず、工事に関わった3名は高熱と身体中の湿疹に苦しんだといわれています。
 墳頂部には祠が大切に祀られています。。。

<参考文献>
世田谷区生活文化部文化・交流課『ふるさと世田谷を語る 野毛・上野毛』
東京都教育委員会『1985 都心部の遺跡』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』

  1. 2015/04/26(日) 00:11:24|
  2. 世田谷区/野毛古墳群
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「狐塚古墳(西岡12号墳)」(東京都指定史跡)

世田谷区 136 狐塚古墳(西岡12号墳)1

 画像は、世田谷区尾山台2丁目に所在する「狐塚古墳」を南西から見たところです。『東京都遺跡地図』には、世田谷区の遺跡番号138番として登録されている古墳です。

 狐塚古墳は、多摩川下流域左岸の武蔵野台地上に分布する「野毛古墳群」を構成する古墳の中の1基です。この周辺の地形は多摩川に向かって突き出る舌状台地と小支谷が交互に連続しており、この舌状台地上に首長墓とされる大形の古墳が5〜6世紀にかけて点々と造られています。
 この周辺の古墳について江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』を調べてみると、舌状台地上に並ぶ「八幡塚古墳」、「御岳山古墳」、「野毛大塚古墳」といった首長墓については記述が見られるのに対して、この狐塚古墳は記載が見られないようですが(見落としていなければ)このあたりは興味深いところです。
 その後、1930年代には当時大田区立郷土博物館の館長を努める西岡秀雄氏により行われた荏原台古墳群の分布調査により把握されています。当時の記録によるとこの狐塚古墳は「西岡12号墳」の名称で次のように紹介されています。


第十二號古墳(俗稱)狐塚 
(所在位置)舊地名 東京都荏原郡玉川村大字尾山
      新地名 東京市世田谷區玉川尾山町
(型式)圓型墳
(採集者氏名及び出土品等)
 西岡 秀雄・・・・土器破片 昭和七年
(現況其の他)封土の一部が田園都市會社の土地開墾の爲切り取られ前記土器破片を出したが、中心内部は未發掘である。現在墳上を見晴臺となし上部の一本松の下にはベンチの設けさへあり、又小さな稲荷祠がある。高さ約六米。
(『考古学雑誌 第26巻 第5号』312ページ)




世田谷区 136 狐塚古墳(西岡12号墳)2

 画像は狐塚古墳を北東から見たところです。この場所はこれまで「世田谷区立尾山台クラブ広場」として公開されていましたが、平成27年3月31日より「世田谷区立狐塚古墳緑地」として施行されており、敷地内は新たに整備されています。敷地の北西側とこの北東側に造られていた墳丘に登る階段かなり急で狭かったのですが、かなり登りやすく造り直されたようです。入口にも新しく「世田谷区立狐塚古墳緑地」のプレートが設置されています。
 墳丘は、東側と西側は切り通しの道路となっており、南側と北側は宅地により削られています。つまりは、この周辺で元の高さが残されているのはこの古墳の地点のみ!ということになると思われますが、ちょっとビックリしてしまいますね。


世田谷区 136 狐塚古墳(西岡12号墳)3

 画像は墳頂部を北東から見たところです。周囲は全て削平されているため周溝は確認されていませんが、幅8m、深さ2m前後の周溝が存在したと考えられており、規模は径約30m、高さ約4.6mの円墳であったと推定されています。ただし、野毛地域の首長墓は、野毛大塚古墳を始めとして天慶塚古墳、八幡塚古墳、御岳山古墳と、連続して帆立貝形もしくは造出付円墳という墳形が採用されていることから、この狐塚古墳も同様の墳形である可能性が考えられていますが、方形部の存在を確認することは、区画整理による削平のため不可能であるようです。


世田谷区 136 狐塚古墳(西岡12号墳)4

 「狐塚古墳」の名称はかつて稲荷祠が祀られていたことから名付けられたといわれており、墳丘上には祠の痕跡が残されています。この稲荷祠台座の下部付近には、地中レーザー探査により幅約3.5mの掘り込みがとらえられていて、粘土槨の主体部が手つかずのまま保存されている可能性が高いそうです。


世田谷区 136 狐塚古墳(西岡12号墳)5

 画像は、整備前の古墳の墳端部のようすです。『野毛古墳まつり』の「古墳群散策」に参加した際の画像で、学芸員の先生が古墳について解説しているとことです。唯一南東側に残されている、円形の墳端部の形状を見ることが出来ます。
 周囲は全て削平されているため周溝は確認されていませんが、幅8m、深さ2m前後の周溝が存在したと考えられており、規模は径約30m、高さ約4.6mの円墳であったと推定されています。ただし、野毛地域の首長墓は、野毛大塚古墳を始めとして天慶塚古墳、八幡塚古墳、御岳山古墳と、連続して帆立貝形もしくは造出付円墳という墳形が採用されていることから、この狐塚古墳も同様の墳形である可能性が考えられていますが、方形部の存在を確認することは、区画整理による削平のため不可能であるようです。


世田谷区 136 狐塚古墳(西岡12号墳)6

 こちらは、現在の南東側の墳端部を同じ角度から見たところです。整備されたことにより、ちょっとわかり難くなってしまったかもしれませんね。
 この古墳に葺石は存在しないようですが、墳頂部表土から埴輪片が出土していて、築造は5世紀末から6世紀初頭と推定されています。


世田谷区 136 狐塚古墳(西岡12号墳)7

 敷地内には、狐塚古墳についての説明板が設置されています。


世田谷区 136 狐塚古墳(西岡12号墳)8

 この古墳の上に祀られていた稲荷祠は、現在は八幡塚古墳の墳丘上に移設されています。

<参考文献>
西岡秀雄「荏原台地に於ける先史及び原始時代の遺跡遺物」『考古学雑誌 第26巻 第5号』
東京都教育委員会『都心部の遺跡』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
世田谷区教育委員会『2006年度 世田谷区埋蔵文化財調査年報』
世田谷区教育委員会『2012年度 世田谷区埋蔵文化財調査年報』
現地説明版

  1. 2015/04/25(土) 04:21:52|
  2. 世田谷区/野毛古墳群
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「等々力渓谷横穴墓群」(東京都指定史跡)

等々力渓谷3号横穴(東京都指定史跡)

 環状八号線沿いに立てられている「都史跡 等々力渓谷三号横穴」の石碑のところから、等々力渓谷の斜面を降りていくと、左側に「等々力渓谷3号横穴」が公開されています。この横穴墓は、世田谷区等々力1丁目に所在する横穴墓で、『東京都遺跡地図』には「等々力渓谷横穴墓群」として世田谷区の遺跡番号130番に登録されており、「等々力渓谷3号横穴」が昭和50年2月6日に東京都の史跡に指定されています。


「等々力渓谷横穴墓群」(東京都指定史跡)

 画像が、「等々力渓谷3号横穴」を西から見たところです。この横穴古墳の周辺には支谷を挟んだ舌状台地上に「野毛大塚古墳」、「御岳山古墳」、「狐塚古墳」、「八幡塚古墳」といった首長墓が続いており、野毛古墳群と呼称されています。また、さらに東側には「田園調布古墳群」が続いています。これらの首長墓が造られた後、古墳時代終末期にあたる7~8世紀にかけて造られたのがこの横穴墓です。
 この横穴群を最初に記録に残しているのは西岡秀雄氏で、1933年以前にこの3号横穴の南側にある2基の横穴を発見していました。しかし、詳しい記録はないまま不明になっていたそうです。その後、1960年の整地工事の際に2基の横穴が発見され、発掘調査されました。1号横穴は玄室に隔石があり、2体の人骨と刀子、耳環を出土。2号横穴は石棺と羨門があり、2体の人骨と横瓶、平瓶、鉢、小刀などが出土したそうです。
 そしてその後、1974年にこの3号横穴が発見された後に調査されました。墓の内部は奥行き13mあり玄室(げんしつ)と羨道(せんどう)で構成されていて、切石でふさがれた玄室の床には川原石が敷かれて、3体の人骨と1対の耳環(イヤリング)と時が副葬されていたそうです。


「等々力渓谷横穴墓群」(東京都指定史跡)

 3号横穴内部のようすです。以前は、いつもガラスが汚れているうえに長い間照明設備が壊れていて内部がよく見えなかったのですが、昨年ついに改修されて内部を観察することが出来るようになりました。ガラス窓で覆われていた前面は中央部分に隙間が空けられていているので、湿気でガラスに水滴がつくこともなく、隙間からキレイに撮影できました。


「等々力渓谷横穴墓群」(東京都指定史跡)

 1号墓と2号墓は一部が盛土の下に残されており、標識が立てられています。

 この横穴墓はいつでも見学することができますが、真夏の見学はヤブ蚊の大群に襲われますので、決して立ち止まってはいけません。やっぱり古墳の見学は秋から冬がお薦めですね。笑。

<参考文献>
世田谷区史編さん室『世田谷区史料 第8集 考古編』
東京都教育委員会『1985 都心部の遺跡』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』

  1. 2015/04/24(金) 01:29:48|
  2. 世田谷区/野毛古墳群
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「西岡9号墳」

「西岡9号墳」

 「西岡9号墳」は、世田谷区等々力2丁目に所在したとされる古墳です。『東京都遺跡地図』には世田谷区の遺跡番号133番の古墳(円墳)として登録されています。

 この古墳は、1930年代に、当時大田区立郷土博物館の館長を努める西岡秀雄氏により行われた荏原台古墳群の分布調査により把握されています。当時の記録によるとこの古墳は「西岡9号墳」の名称で次のように紹介されています。

第九號古墳
(所在位置)舊地名 東京都荏原郡玉川村大字等々力字原
      新地名 東京市世田谷區玉川等々力町一丁目 豊田喜作氏所有地
(型式) 圓型墳
(現況其の他) 不完全ながら其の原形を保ち、上部に石祠があり、未發掘と聞くも詳細不明である。高さ約二•五米。
(『考古学雑誌 第26巻 第5号』310~311ページ)


 その後、昭和57~59年(1982~1984)に東京都教育委員会により実施された東京都心部遺跡分布調査の際にもこの古墳は取り上げられています。『都心部の遺跡』には次のように書かれています。

121 西岡9号墳
世田谷区 133  世田谷区等々力町1-22
①台地縁辺
②宅地
③湮滅
④円墳
⑦67・121
⑧塚の可能性も推定される
(①占地状況 ②現況 ③遺存状況 ④墳形 ⑤主体部 ⑥副葬品 ⑦文献 ⑧所見、備考)


 画像は、9号墳の推定地を南南東から見たところです。色々な史料から判断するとこの道路の左側あたりが古墳の推定地となるようですが、周辺は完全に宅地化されており、まったく所在はわかりません。ただし、左側に並ぶ宅地内に祠(らしきもの)が祀られているお家があり、西岡秀雄氏による資料に「上部に石祠があり」との記述があることからしても、この周辺が古墳の推定地ではないかと思われますが、発掘調査等は行われていないようなので詳細はわかりません。。。
 ただし、昭和33年に発行された『荏原地域文化財総合調査報告』に掲載されている世田谷区の「遺跡地名表」によると旧番地で玉川野毛町170番地附近と185番地附近の2箇所に古墳が存在したとあり、このいずれかが西岡7号墳である、という記述を見ることが出来ます。やはりこの周辺に多くの古墳が存在したことは間違いないようです。

<参考文献>
西岡秀雄「荏原台地に於ける先史及び原始時代の遺跡遺物」『考古学雑誌 第26巻 第5号』
東京都教育委員会「荏原地区における考古学上の調査」『荏原地域文化財総合調査報告』
東京都教育委員会『都心部の遺跡』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』

  1. 2015/04/23(木) 10:12:20|
  2. 世田谷区/野毛古墳群
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「御岳山古墳(西岡10号墳)」(東京都指定史跡)

「御岳山古墳(西岡10号墳)」(東京都指定史跡)

 画像は世田谷区等々力1丁目にある「御岳山古墳(西岡10号墳)」を西から見たところです。『東京都遺跡地図』には世田谷区の遺跡番号134番に登録されており、昭和55年2月21日には東京都の史跡として指定されている古墳です。

 この古墳について、古くは江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』に記述があり、小山村の項には「大塚 字堂ノ上ニアリ。事跡ツマビラカナラズ。」と書かれています。
 昭和25年(1950)には学習院大学により発掘調査が行われており、木棺を粘土で覆った粘土槨からは鉄剣や鉄鏃、短甲が出土しています。また、内行花文を文様とする七鈴鏡が出土しており、これは東京都指定有形文化財に指定されています。この七鈴鏡は上毛野国(群馬県)を中心とする北関東に多く出土しているもので、この地域では大変珍しいようです。腰に鈴鏡を下げた巫女の埴輪が出土しているそうで、古墳時代には巫女がこのような鈴鏡を身につけて祭祀を行っていたのではないかと考えられているそうです。ちなみにこの古墳は大正時代にも一度発掘されていますが、このどちらかの発掘調査を徳川さんという方が行われていて、この方はあの徳川氏の末裔なのだと聞きました(確か)。
 その後の調査により、河原石による葺石や埴輪を伴う全長57m、現在高mの帆立貝型前方後円墳であることがわかっています。築造時期は5世紀後半から6世紀中葉と推定されています。

 面白いのは、野毛古墳群において同じように盟主墳であると思われる「野毛大塚古墳」や「天慶塚古墳」がすべて、前方部が同じ方向である多摩川の方を向いていることです。「狐塚古墳」も、もし前方部が存在したなら多摩川の方を向いていると思われます。なぜか「八幡塚古墳」だけが横っちょのほうを向いているということになりますが、これには何か理由があるのでしょうか。。。


世田谷区 134 御岳山古墳(西岡10号墳)

 この古墳は以前は開放されていていつでも見学できたのですが、現在は満願寺によって管理されており、無断で入る事は出来ません。私は、昨年10月に世田谷区の玉川野毛町公園で行われた『野毛古墳まつり』の「古墳群散策」に参加して見学することが出来ました。
 入り口には東京都教育委員会による説明板が立てられています。また、墳頂部に向かう道には数多くの石仏が建てられていて、道路からでも一部を見ることが出来ます。


「御岳山古墳(西岡10号墳)」(東京都指定史跡)

 墳頂部には蔵王権現の祠が祀られています。まだ複数の埋葬施設が存在する可能性があるそうで、この辺りは今後の調査が楽しみなところです。


〈以下追記〉

世田谷区 134 御岳山古墳(西岡10号墳)

 画像は、御岳山古墳から現在の「八幡塚古墳」に移設されたといわれている御嶽神社の祠です。ここには天慶塚から移設された天慶の祠や狐塚古墳から移設された稲荷社なども祀られています。さながら野毛の古墳の神様総出演!という感じですね。

<参考文献>
世田谷区教育委員会・放射3号線世田谷地区遺跡調査会『御岳山古墳 Ⅰ』
世田谷区教育委員会1994『1992年度 世田谷区埋蔵文化財調査年報』
下山照夫『史料に見る江戸時代の世田谷』
雄山閣『東京の古墳を考える』
現地説明版

  1. 2015/04/21(火) 00:39:56|
  2. 世田谷区/野毛古墳群
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「等々力根1号墳」

「等々力根1号墳」

 「等々力根1号墳」は、世田谷区等々力1丁目に所在した古墳です。『東京都遺跡地図』には世田谷区の遺跡番号303番の古墳として登録されています。画像はこの古墳の跡地を西から見たところです。

 この古墳の墳丘はすでに失われており、道路の発掘調査により周溝のみが検出されています。墳丘径20~30mのブリッジ付円墳と推定されており、出土した遺物から古墳時代後期の6世紀前半の築造と考えられています。
 この古墳の北側約30m、同じ舌状台地の上位面には首長墓である「御岳山古墳」が所在しますが、この等々力根1号墳の発見により、台地の高い位置に存在する首長墓の下位面に、下の階層に属していた小豪族の小形の古墳が2段構造をもって形成されるものと考えられているようです。これを裏付けるように、同じ野毛古墳群中の「天慶塚古墳(西岡15号墳)」の下位面には「西岡16号墳」と「同17号墳」が所在したとされていますし、「野毛大塚古墳」の下位面には「野毛1号墳」から「同11号墳」まで11基もの小円墳が検出されています。
 「狐塚古墳」や「八幡塚古墳」といった首長墓の周辺にも、やはり多くの小古墳が展開していたのか気になるところですが、今後の調査が待たれるところです。。。

<参考文献>
世田谷区教育委員会『等々力根遺跡Ⅰ』

  1. 2015/04/19(日) 23:50:57|
  2. 世田谷区/野毛古墳群
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「大日塚古墳(西岡11号墳)」

「大日塚古墳(西岡11号墳)」

 「大日塚古墳」は、世田谷区等々力1丁目に所在したとされる古墳です。『東京都遺跡地図』には世田谷区の遺跡番号135番の古墳(円墳)として登録されています。

 この古墳は1930年代、当時大田区立郷土博物館の館長を努める西岡秀雄氏により行われた荏原台古墳群の分布調査により把握されています。当時の記録によるとこの大日塚は「西岡11号墳」の名称で次のように紹介されています。

第十一號古墳(俗稱)大日様
(所在位置)舊地名 東京都荏原郡玉川村大字等々力字根
      新地名 東京市世田谷區玉川等々力町
(型式)圓型墳
(現況其の他)雑木林中にあり,殆ど其の原形を失つてゐるが、上部に稲荷祠がある。詳細不明なり。高さ約一・五米。
(『考古学雑誌 第26巻 第5号』312ページ)


 当時まだ雑木林の中に残っていたというこの大日塚古墳はその後調査もされないまま宅地化により消滅し、正確な跡地はわからなくなってしまっています。昭和57~59年(1982~1984)に東京都教育委員会により実施された東京都心部遺跡分布調査の際にもこの古墳は把握されており、『都心部の遺跡』には次のように書かれています。

123 大日塚(西岡11号墳)
世田谷区 135  世田谷区等々力1-26付近
①台地上
②宅地
③湮滅
⑧(第9図)
④円墳
(①占地状況 ②現況 ③遺存状況 ④墳形 ⑤主体部 ⑥副葬品 ⑦文献 ⑧所見、備考)


 画像は、世田谷区等々力1丁目にある「大日如来尊」を南から見たところです。この地点が大日塚の跡地であるとする書籍を見かけたこともあるのですが(図書館でコピーしなかったので何の本かは忘れてしまった)これはおそらく誤りではないかと思います。大日塚の墳丘上には稲荷祠が建てられていたそうですので、墳丘を削平した際に祠を移したというような事なのかもしれません。。。


「大日塚古墳(西岡11号墳)」

 画像の道路の右側あたりが、『東京都遺跡地図』の第9図に記されている地点です。周辺は宅地化されており、古墳の痕跡を見つけることはできません。「スクモ塚古墳」や「尾山北原塚古墳」のように、近年の発掘調査により周溝や遺物が検出されという事もありますので、今後の調査に期待したいところです。


「大日塚古墳(西岡11号墳)」

 近隣には画像のように屋敷稲荷が祀られている邸宅も見られます。すべての祠が塚上に祀られていたというわけではありませんが、こうして古墳の推定地付近に鳥居や祠を見かけると、怪しい!と思ってしまいます。。。

<参考文献>
西岡秀雄「荏原台地に於ける先史及び原始時代の遺跡遺物」『考古学雑誌 第26巻 第5号』
東京都教育委員会『都心部の遺跡』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』

  1. 2015/04/18(土) 22:17:55|
  2. 世田谷区/野毛古墳群
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