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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

大室古墳群(大室谷支群)その3

「242号墳」

 さてさて、引き続き、大室古墳群のエントランスゾーンの紹介です。
 画像は「242号墳」。墳丘上部が削平され、天井石を失った横穴式石室が露出していたそうですが発掘調査の後に整備され、石室を埋め戻して墳丘が復元されています。直径約10mの円墳で7世紀前半の築造とされています。
 握りこぶしほどの小さな石が多く使われているのがこの古墳の特徴であるそうです。


「27号墳」

 「27号墳」は古墳時代後期に築造されたとされる、直径約12mの円墳です。耕作により墳丘の半分は削平されていたそうで、露出した横穴式石室の裏側は崩落して土砂で埋まっていたそうです。現在石室は埋め戻され、墳丘端部の石列が復元されています。


「29号墳」

 画像は「29号墳」です。この古墳は墳丘、埋葬施設ともに原形をとどめず、墳形や規模ともに不明とされています。発掘調査により埴輪が確認されており、5世紀後半から6世紀前半に築造された積石塚古墳であると判明しています。


「241号墳」

 「241号墳」は6世紀前半に築造されたとされる直径約14mの円墳です。埋葬施設は「合掌形石室」で、天井石が失われていましたが復元されています。墳丘上からは埴輪、土師器、須恵器、石室からは剣菱形杏葉や環状雲珠などの馬具、鉄鏃、ガラス玉が出土しているそうです。


「241号墳」

 画像が、復元された241号墳の合掌形石室の天井石です。
 屋根形に石が組み合わされているのが特徴的ですね。


「240号墳」

 「240号墳」は7世紀後半に築造されたとされる直径約13mの円墳です。この古墳も、整備前には墳丘や石室の羨道部が改変されて失われていたため、この状況を生かして土石混合墳の墳丘断面が観察できるように整備されています。


「240号墳」

 画像が「240号墳」の石室内部のようすです。


「239号墳」

 画像は「239号墳」です。この古墳は上円下方墳や方墳の可能性も考えられていましたが、発掘調査により6世紀後半に築造された直径約15mの円墳とされています。ただし、斜面下方の石列が八角形に近く、多角形墳の可能性も考えられているそうです。


「239号墳」

 239号墳の石室内部です。奥壁に「239」と書かれていますが、これは昭和24年の分布調査時に書かれてものであるそうです。時代を感じますね。


「238号墳」

 画像は「238号墳」です。これも土石混合墳で、墳丘は復元されています。規模不明の円墳で、7世紀前半の築造と推定されています。


 さらに次回へ続く。。。

  1. 2015/05/30(土) 23:14:17|
  2. 長野県の古墳
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大室古墳群(大室谷支群)その2

 少年時代の2年間を長野市で過ごした私にとって、長野は私の第二の故郷とも言える場所です。その後、信州の蕎麦の魅力に魅かれ、東京で暮らす今でも気が向いた時に美味しい蕎麦屋を求めて信州を訪れます。この日はあまり冒険はせず、「うずら屋」や「そばの実」といった戸隠の名店で蕎麦を堪能したあと、この「大室古墳群」を訪れました。(戸隠の蕎麦は「ぼっち盛り」というこの地方独特の盛りつけで蕎麦が出てくるのですが、これがまた病み付きになるのです。)

「D号墳」

 さて、前回に引き続き、今回も長野県松代町にある「大室古墳群」を紹介します。まずは「D号墳」です。石のみで造られた積石塚で、直径約12mの円墳です。石室最下段の石を立ててその上に石を平積みして壁面が構築されているという、特殊な横穴式石室であることが判っていますが、破壊が著しく石室は埋め戻されており見ることは出来ません。積石墳丘は復元されています。


「E号墳」

 続いて「E号墳」です。直径約10mの円墳ですが、耕作により墳丘はすでに失われ、残存するのは横穴式石室の羨道の一部と現出の床面のみという古墳です。鉄鏃、刀子、耳環といった遺物が出土しています。


「B号墳」

 画像は「B号墳」です。7世紀に築造されたとされる直径約7mの円墳で、これも積石塚古墳です。横穴式石室が確認されていますが天井石が失われるなど破壊が著しく、石室は埋め戻されています。積石墳丘は復元されたものだそうです。
 背後に見えるのは、左が「A号墳」、右が「26号墳」です。かなり多くの古墳が密集しているのがわかります。


「C号墳」

 画像は「C号墳」です。規模は直径約8mと小形の円墳で、石と土による土石混合墳であると考えられています。殆ど原形はとどめていないため、むしろ背後にある古墳のほうが目立ってしまいますね。
 背後に見えるのは左からD号墳、E号墳、B号墳、26号墳です。


「A号墳」

 画像は「A号墳」。この古墳は隣接する26号墳の一部ではないかと考えられていましたが、発掘調査により独立した古墳であることがわかっています。26号墳がこの古墳の上に重なっていることから26号墳に先行して造られたと考えられています。破壊が進んでいて規模は不明ですが円墳であると判明しており、6世紀後半から7世紀前半の築造と推定されています。


「26号墳」

 続いて「26号墳」です。直径約14mの円墳で、7世紀後半の築造とされています。整備前には墳丘の一部が失われており、現出の天井石は一石のみが石室内に崩落していたそうです。現在は墳丘が復元され、石室を観察できるように整備されています。


26号墳

 26号墳の埋葬施設を上から見たところ。胴張形の横穴式石室です。


「無名墳」

 これは名称のわからない「無名墳」。26号墳の近くにあるかなり小形の古墳で、現地で配られている見学マップにも未掲載で、説明板も設置されていません。石室が開口していますので古墳であると思われますが、かなり目立たない可哀想な古墳です。。。


「ハ号墳」

 画像は「ハ号墳」。7世紀に築造されたとされる直径約8mの円墳ですが、墳丘や横穴式石室の上部は改変されて失われており、復元は行われずに現状保存されています。もはや木の根元にしか見えませんね。。。


続く。。。

  1. 2015/05/29(金) 00:52:25|
  2. 長野県の古墳
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大室古墳群(大室谷支群)その1

「大室古墳群」

 あきる野市や八王子市等、東京多摩地区の古墳を巡っていて知ったのが「積石塚」です。積石塚とは土ではなく石を積み上げて墳丘を造った墳墓で、高句麗からの渡来人と何らかの関係があるのではないかともいわれています。東京都内ではあきる野市に所在する「瀬戸岡古墳群」が有名で、周辺地域にも多くの積石塚が存在したようですが、残念ながら良い状態で残されている古墳は皆無に等しい状況で、一度本場の積み石塚を見に行きたいと考えていました。そんなわけで、今回は番外編として、長野市松代町大室地区を中心に分布する「大室古墳群」を紹介しようと思います。
 この古墳群は500基を超える東日本では最大規模の古墳群で、大部分が積石塚です。大室谷支群(241基)、北山支群(22基)、霞城支群(16基)、北谷支群(208基)、金井山支群(18基)の5つの支群からなり、一部は国史跡に指定されています。このうち、大室谷支群入口のエリアは「エントランスゾーン」として発掘調査や整備工事が順次行われており、24基の古墳が公開されています。


「大室古墳群 244号墳(将軍塚)」

 この史跡公園の入口を入るとまず視界に飛び込んでくるのが「244号墳(将軍塚)」です。古墳の周囲には大室古墳群中で唯一周溝を備えており、周溝を含む復元径は約30mの円墳です。
 おっさんのハゲ頭にもにた風貌が刺激的ですね。(私もおっさんですが。。。)


「大室古墳群 244号墳(将軍塚)」

 この古墳は古墳群中最大規模とされ、両袖形の横穴式石室も全長12mを測ります。


「大室古墳群 243号墳」

 画像は「243号墳」です。整備前には墳丘の約半分は失われて横穴式石室が露出していたそうですが、現在は復元されて公開されています。直径12mの円墳で6世紀後半の築造と推定されています。


「大室古墳群 243号墳」

 墳丘内部のようすです。石室の奥壁近くでは壁の石を抜き取った盗掘坑が開いていたそうですが、この盗掘坑からも横穴式石室が覗けるように整備されています。
 

「大室古墳群 23号墳」

 「23号墳」は北側を走る高速道路用地内に所在したため、発掘調査の後に移築、復元された古墳です。18m×13mの円墳で、7世紀前半の築造と推定されています。


「大室古墳群 23号墳」

 埋葬施設は両袖形の横穴式石室で、奥壁の一枚石はなんと、重さが5tもあったそうです。


「大室古墳群 245号墳」

 画像の「245号墳」は破壊が進み、墳丘の規模や形態については詳細の判らない古墳です。「死人塚(しびとづか)」とも呼ばれ、墳丘上には石祠が祀られています。


「大室古墳群 246号墳」

 画像は「246号墳」です。整備前には墳丘はほぼ失われ、奥壁がない状態で石室が露出していたそうです。このため、墳丘内に埋まっている土留めのための3重の列石を見えるように整備され、築造途中の古墳を再現しているそうです。
 埋葬施設は両袖形の横穴式石室で、規模は直径約12mの円墳です。墳丘内からは底に穴をあけた壺形土器が出土しています。

 この大室古墳群を訪れたのは昨年の4月下旬頃だったのですが、この日は晴天に恵まれてなかなかの古墳日和でした。笑。
 エントランスゾーンは綺麗に整備されておりゆっくりと見学できますが、広い敷地内に屋根はなくかなり暑くなるので、夏の炎天下は避けて春に訪れるのがお薦めです。信州は避暑地というイメージがありますが、盆地であるために意外と暑いのです。。。

  1. 2015/05/27(水) 02:25:54|
  2. 長野県の古墳
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「2号墳(草花古墳群13号墳?)」

「2号墳(草花古墳群13号墳?)」

 「草花古墳群」は、東京都あきる野市草花地内に所在する古墳群です。昭和13年に東京都旧跡に指定された「草花石器時代住居跡」と含む「あきる野市No.63遺跡(草花遺跡)」と重複する重複する状態で存在する古墳群で、『東京都遺跡地図』には現在11基の古墳が登録されています。平成15年から18年にかけて行われた都道秋多3・4・6号線の拡張整備工事ではさらに新たな2基の古墳が検出されています。

 画像は、「2号墳」の所在地を西から見たところです。この歩道から道路にかけてが古墳の所在地となるようです。この古墳からは墳丘や主体部は検出されず、周溝のみが調査されており、外径20m、内径12m前後の規模であると推定されています。東北方向に7mの地点にもう1基の古墳が位置しています。集溝内からは杯が出土しており、形状から1号墳に比べてやや後出の遺物であるようです。
 この古墳の周溝内の土坑からは馬歯が出土しており、馬と関わりのある被葬者であったのではないかと考えられているようです。。。

<参考文献>
秋多3・4・6号線草花地区調査団『草花遺跡』

  1. 2015/05/24(日) 22:01:45|
  2. あきる野市/草花古墳群
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「1号墳(草花古墳群12号墳?)」

「1号墳(草花古墳群12号墳?)」

 「草花古墳群」は、東京都あきる野市草花地内に所在する古墳群です。昭和13年に東京都旧跡に指定された「草花石器時代住居跡」と含む「あきる野市No.63遺跡(草花遺跡)」と重複する重複する状態で存在する古墳群で、『東京都遺跡地図』には現在11基の古墳が登録されています。平成15年から18年にかけて行われた都道秋多3・4・6号線の拡張整備工事ではさらに新たな2基の古墳が検出されています。

 画像は、「1号墳」の所在地を西から見たところです。この歩道から道路にかけてが古墳の所在地となるようです。この古墳からは墳丘や主体部は検出されず、周溝のみが調査されており、外径20m、内径12m前後の規模であると推定されています。周溝内からは土師器や須恵器が出土しており、この出土遺物から6世紀末から7世紀初頭の地区層と考えられているようです。。。

<参考文献>
秋多3・4・6号線草花地区調査団『草花遺跡』

  1. 2015/05/23(土) 01:37:40|
  2. あきる野市/草花古墳群
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「あきる野市№59-1古墳(草花古墳群1号墳)」

「草花古墳群1号墳」

 「草花古墳群」は、秋留台地の北面に流れる平井川の北岸、草花丘陵を北面にした草花台地に所在します。『秋川市史』によると、草花には48塚があったという古老の言い伝えが残されており、明治の初年頃までは多くの古墳が残されていたことは確かなようですが、そのほとんどは開墾等や後の宅地造成により消滅しています。現在『東京都遺跡地図』に登録されている古墳は11基のみですが、近年には新たに2基の古墳の周溝が検出されており、この一帯にはかなり多くの古墳が存在したと推測されています。

 画像は、「草花古墳群1号墳」が所在したとされる周辺を南から見たところです。『東京都遺跡地図』にはあきる野市の遺跡番号59-1番の古墳として登録されています。
 『多摩地区所在古墳確認調査報告書』によると、この周辺が宅地化される以前に畑の中に1mあまりの石が7個ほど地表面に遺存しており、地元の人たちには古墳であると語られていたそうですが、宅地造成工事により破壊されて消滅したといわれています。画像中央の道路の左側あたりがかつての古墳の所在地となるようですが残念ながら古墳の痕跡は見当たらないようです。
 同書には「未調査だが地中に残っている可能性がある。」とも書かれていますので、今後の調査により周溝等が発見される可能性は残されているのかもしれません。。。

<参考文献>
秋川市史編纂委員会『秋川市史』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』

  1. 2015/05/22(金) 02:43:29|
  2. あきる野市/草花古墳群
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「あきる野市№59-2古墳(草花古墳群2号墳)」

「草花古墳群2号墳」

 「草花古墳群2号墳」は、あきる野市草花1492番地附近に所在したとされる古墳です。『東京都遺跡地図』にはあきる野市の遺跡番号59-2番の古墳として登録されています。
 この古墳について『多摩地区所在古墳確認調査報告書』には次のように書かれています。


3-2.(草花古墳群)
遺跡地図番号…秋川・五日市(あきる野)59-2
所在地…………秋川市草花1492付近
占地状況………台地
墳丘……………消滅。
主体部…………石室?
出土遺物………蔵骨器?
周溝……………未調査だが地中に残っている可能性がある。
(『多摩地区所在古墳確認調査報告書』50~51ページ)


 この2号墳もすでに正確な跡地はわからなくなっているようです。近年発行されている「草花遺跡・草花古墳群」等の調査報告書に掲載されている遺跡分布図を参考にすると(東京都遺跡地図のインターネット公開版では地図に記されている位置はおよその目安にしかならないが、近年のあきる野市の報告書に掲載されている古墳の位置はかなり正確に記されているようです)おそらく画像の畑地の中か、この画像を撮影する為に私が立っている駐車場となっている辺りが古墳の推定地となるようですが、残念ながら古墳の痕跡は残されていません。
 訪れた日にこの畑で作業をしている方にお話を伺えました。実はこの場所で立ち話にお付き合いいただいた方がなんとあの「土の巨人」と呼ばれた塩野半十郎氏の親戚の方で、私は塩野氏の本や記録を色々読んでいましたのでとにかくびっくり!という感じで、色々と面白いお話も聞かせていただきました。あれだけの偉業を成し遂げている方ですがかなり変わった人でもあったそうで、草花周辺の畑地は記録に残っている以上にかなり掘り尽くしているそうです。この畑も殆ど塩野氏が発掘したとのことで、「30年以上も前からこの畑を所有しているが、古墳の痕跡らしきものは見当たらなかった」と話していましたので、やはりこの場所ではなく駐車場のあたりが古墳の跡地なのかもしれませんね。
 大きな土器が出土することはないものの、畑仕事をしていると小さな土器片はいまでも毎日のように見かけるそうです。


「草花古墳群2号墳」

 おそらく左奥の駐車場あたりが古墳の推定地。


「草花古墳群2号墳」

 画像は2号墳の推定地とされる箇所からかなり近距離に存在するマウンドです。2年前に訪れた際には3号墳のときと同様に「あれ?ある?」という感じで、おかしいなとは思いつつもこれが古墳だと決め込んで写真を撮りまくりました。笑。
 帰宅してからやはり変だなと思い調べてみたのですが、少なくとも2号墳ではないようなのですが、なんの塚なのかはわからない正体不明のマウンドです。。。


「草花古墳群2号墳」

 塚上には「戦役記念碑」なる石碑が立てられています。

<参考文献>
秋川市史編纂委員会『秋川市史』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』

  1. 2015/05/20(水) 03:34:22|
  2. あきる野市/草花古墳群
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「あきる野市№59-3(古墳草花古墳群3号墳)」

「草花古墳群3号墳」

 「草花古墳群3号墳」は、あきる野市草花717番地附近に所在したとされる古墳です。『東京都遺跡地図』にはあきる野市の遺跡番号59-3番の古墳として登録されています。

 「草花古墳群」は、秋留台地の北面に流れる平井川の北岸、草花丘陵を北面にした草花台地に所在します。草花古墳群3号墳はこの台地の縁辺にあり、かつてこの古墳の残形が塩野半十郎氏によって発見されています。『秋川市史』にはこの古墳について、「遺構はその大半を破壊され、消滅していたが、長さ約2メートル、深さ約1メートルの石室の部分が遺存していて、横甕が出土したが、その全容を知る資料は得られなかった。恐らく、この地帯を開墾の折に破壊されたものと思われる。」と書かれています。
 その後、平成4年には多摩地区所在古墳確認調査団により確認調査が行われていますが、『多摩地区所在古墳確認調査報告書』にはこの古墳について次のように書かれています。

3-3.(草花古墳群)
遺跡地図番号…秋川・五日市(あきる野)59-3
所在地…………秋川市草花717付近
占地状況………台地縁辺
墳丘……………消滅。
主体部…………以前、長さ2m、深さ1mの石室の一部が発見された。都道165号線沿いの栗林の中に存在していたと思われるが、今回の分布調査ではその痕跡を確認することはできなかった。
出土遺物………石室が発見された際に横瓶?が出土した
(『多摩地区所在古墳確認調査報告書』51ページ)

 多摩地区所在古墳確認調査報告書の記述からするとこの古墳の所在地はわからなくなっているようなのですが、『秋川市史』の記述からおおよその所在地を推定することが出来ると考えました。前回紹介した「草花前の古墳」が存在したとされる祠はこの3号墳から50メートル南西に所在するということですので、逆に祠から北東に50メートルのあたりが3号墳の所在地であると推定したわけです。
 画像は、3号墳の跡地と推定した場所を2年前に訪れたときのもので、祠から北東に50メートルの地点でみられた積石です。『多摩地区所在古墳確認調査報告書』には、平成4年の調査で痕跡を確認できなかったと記載されていますので、訪れた時の印象は「あれ?ある?」という感じでびっくりしましたが、考えてみるとこんなに目立つ積石を調査団が見落とすようにも思えませんし、本当にこれが古墳かなあと半信半疑でした。形状は、日野市に所在する「西平山古墳群」に残存する古墳や、同じ草花古墳群の中では8号墳にもよく似ています。
 画像は、3号墳の跡地と推定した場所を2年前に訪れたときのもので、祠から北東に50メートルの地点でみられた積石です。『多摩地区所在古墳確認調査報告書』には、平成4年の調査で痕跡を確認できなかったと記載されていますので、訪れた時の印象は「あれ?ある?」という感じでびっくりしましたが、考えてみるとこんなに目立つ積石を調査団が見落とすようにも思えませんし、本当にこれが古墳かなあと半信半疑でした。形状は、日野市に所在する「西平山古墳群」に残存する古墳や、同じ草花古墳群の中では8号墳にもよく似ています。


「草花古墳群3号墳」

「草花古墳群3号墳」

 さて、今年に入ってから現地を訪れてみると驚いたことに積石はすっかり撤去されて影も形もありません。上記の2枚の写真は、積み石があった2013年2月のものと2015年3月の同じ地点を同じ角度で西から見比べてみたものです。調べてみると北側を走っている都市計画道路秋多3・4・6号線は平成3年度から整備が進められており、2年前よりも拡幅されています。この際に歩道の部分の発掘調査が行われていますが、特に周溝等の古墳の遺構は検出されず、どうやら以前見られた積石は古墳ではなかったようです。
 では、3号墳の所在地はどこになるのかということになりますが、『秋川市史』や『多摩地区所在古墳確認調査報告書』には草花718番地とあり、近年発行されている調査報告書の遺跡分布図にもこの地点に3号墳が登録されていることから、西側の宅地となっているあたりが古墳の所在地ということになりそうです。
 『秋川市史』には、4号墳から20メートル離れたところに3号墳、3号墳から50メートル離れたところに祠のある未登録古墳が所在すると書かれているのですが、結論としてはこの記述が間違いで、4号墳から50メートル離れて3号墳、そこから20メートル離れて未登録古墳、というのが正解であると思われます。私も私で早とちりをして、古墳でもない積石の写真を一生懸命撮っていたということになるようです。。。。。

<参考文献>
秋川市史編纂委員会『秋川市史』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』

  1. 2015/05/18(月) 02:56:28|
  2. あきる野市/草花古墳群
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「あきる野市草花の未登録古墳」

「草花前の古墳」

 「草花古墳群」は、秋留台地の北面に流れる平井川の北岸、草花丘陵を北面にした草花台地に所在します。かつては48塚があったという言い伝えも残されているこの草花古墳群には『東京都遺跡地図』に現在11基の古墳が登録されており、また近年には新たな2基の古墳の周溝も検出されていますが、『秋川市史』には他に東京都遺跡地図には未登録の古墳についての記述も見ることが出来ます。『秋川市史』の369ページには「この地点(草花古墳群3号墳)から、また僅か50メートル南西、草花718の所にも祠が祀ってあり、人頭大の石が数個残っている。ここにも古墳があったと語られ、明治~大正時代に、盗掘され、破壊消滅してしまったといわれている。」と、伝承として残る古墳について書かれています。
 さて、この古墳が所在したとされる草花718番地を実際に訪れてみると、秋川市史にある、今もかわらず祀られている祠を見ることが出来ます。

「草花前の古墳」

 祠の左手(北側)には画像のようにわずかに盛り上がった塚状の地形が見られます。祠の後ろ側は駐車場として整地されているため、この駐車場の周辺が古墳の所在地である場合、古墳は消滅している可能性が高いように思いますが、このマウンドは気になる存在です。。。

<参考文献>
秋川市史編纂委員会『秋川市史』

  1. 2015/05/17(日) 00:40:53|
  2. あきる野市/草花古墳群
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「あきる野市№59-4(古墳草花古墳群4号墳)」

「草花古墳群4号墳」

 「草花古墳群5号墳」は、あきる野市草花に所在したとされる古墳です。『東京都遺跡地図』にはあきる野市の遺跡番号59-4番の古墳として登録されています。

 『東京都遺跡地図』や、草花遺跡における埋蔵文化財の調査報告書等に掲載されている遺跡地図を参考にすると、この坂道を登りきったあたりの、草花台地縁辺が古墳の跡地であると思われます。この4号墳は平成4年に行われた確認調査の際には把握されており、平成7年(1995)に発行された『多摩地区所在古墳確認調査報告書』には次のように書かれています。


3-4.(草花古墳群)
遺跡地図番号…秋川・五日市(あきる野)59-4
所在地…………秋川市草花728付近
占地状況………台地縁辺。
墳丘……………消滅。
主体部…………石室の構築材と思われる1m程の石が畑の中に露出していたとされているが、詳細は不明。
(『多摩地区所在古墳確認調査報告書』51ページ)


 この調査報告書によると、「石室の構築材と思われる1m程の石が畑の中に露出していた」というのはこの時点ですでに伝承であり、正確な地点はわからなくなっているようです。実際にこの場所を訪れてみても周辺は宅地化されており、露出した石材を見ることは出来ません。


「草花古墳群4号墳」

 画像は「草花古墳群9号墳」の回にも紹介した、畑地の隅に大きな石がいくつか置かれている場所です。この地点は4号墳の跡地からもかなり近い距離にあり、ひょっとして畑の中に露出していたといわれる「石室の構築材と思われる1m程の石」と何か関係があるのではないかとも考えたのですが、これも残念ながら詳細はわかりませんでした。。。

<参考文献>
秋川市史編纂委員会『秋川市史』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』

  1. 2015/05/16(土) 11:46:18|
  2. あきる野市/草花古墳群
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