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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

「白糸台古墳群10号墳」

「白糸台古墳群10号墳」

 画像は、調布市小柳町1丁目の「白糸台古墳群10号墳」の跡地を西から見たところです。

 この古墳は白糸台古墳群の西端にあたり、南側は道路を挟んで府中崖線となっています。1960年代にこの周辺から出土した3本の大刀が昭和46年(1971)に府中市立郷土館に寄贈されており(現在は郷土の森博物館に引き継がれている)、この大刀はこの白糸台10号墳の副葬品であるといわれています。平成13年(2001)に行われた発掘調査により河原石積横穴式石室が検出されており、この石室内から鉄鏃や滑石製の勾玉、丸玉が出土しています。調査区域からは周溝が検出されず、古墳の規模はわからないようです。

 この古墳の墳丘は残存せず、古墳の痕跡は何も残されていないようです。

<参考文献>
府中市教育委員会・府中市遺跡調査会『武蔵国府の調査 34』
府中郷土の森博物館『遺跡の世界 2005』


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  1. 2016/01/31(日) 08:50:43|
  2. 府中市/白糸台古墳群
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「白糸台古墳群7号墳+8号墳+9号墳」

「白糸台古墳群7号墳+8号墳+9号墳」

 画像は、白糸台7号墳、8号墳、9号墳という3基の古墳が確認された、府中市小柳町1丁目の「都市計画道路2・3・1号線地区」を南西から見たところです。画像の中央あたりが9号墳、その左奥が7号墳、右奥が8号墳の跡地となるようです。

 この3基の古墳は、昭和57年(1982)から59年にかけて府中市遺跡調査会により行われた都市計画道路2・3・1号線地区における第177次調査において検出されています。これらの古墳が確認された当時は「小柳町付近の仮称1~3号墳」と呼ばれていましたが、その後、白糸台古墳群に属する古墳として、仮称1号墳が「白糸台7号墳」、仮称2号墳がされています。
 「7号墳」は、墳丘は残存しない周溝のみが検出された古墳で、内径10m、周溝幅0.7~1.2mの円墳です。その後の平成13年(2001)の調査により、古墳の周溝西側にはブリッジを持つ円墳であることがわかっています。「8号墳」も墳丘の残存しない古墳で、規模は内径12.2m、周溝幅0.6~2.0mの、西側にブリッジを持つ円墳です。「9号墳」も墳丘は残存せず、内径10.6m、周溝幅0.6~2.2mの円墳です。3基ともに古墳時代後期の築造と推定されています。

 小柳町1丁目周辺には古墳ではないかと考えられている高塚状の高まりが1基残存しており、さらにもう1基が耕作時に削平されたという話も残されているようです。白糸台古墳群においては今後の調査によりさらに新たな古墳が確認されると考えられているそうですので、楽しみですね。。。

<参考文献>
府中市教育委員会・府中市遺跡調査会『武蔵国府の調査 30』
府中市教育委員会・府中市遺跡調査会『武蔵国府の調査 34』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査団報告書』
府中郷土の森博物館『遺跡の世界 2005』


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  1. 2016/01/29(金) 23:56:20|
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「白糸台古墳群6号墳(瘧塚)」

「白糸台古墳群6号墳(瘧塚)」

 画像は、府中市白糸台6丁目に所在したとされる「白糸台古墳群6号墳」の跡地を南西から見たところです。『東京都遺跡地図』には府中市の遺跡番号23-6の古墳として登録されています。

 この古墳は、戦死者を埋葬した塚であるという言い伝えが残されており、大正時代までは、マラリアに霊験があるといわれて参拝者があったそうです。別名「瘧塚」という名称はそこからついているといわれています。
 平成6年に府中市遺跡調査会による調査が行われ、古墳の周溝が検出されたことにより存在が確認されています。府中市の発掘調査概報によると「古墳W32−SZ1は、円墳の周溝と考えられるものであるが、検出部分からは、規模等を復元することはできなかった。近年はこの南に位置する土手状の土盛りを、瘧塚と呼んでいるが、土盛りの築造年代から、本来はこの古墳の墳丘を瘧塚と呼んでいたものと考えられ、大正時代から昭和初期ぐらいまでは墳丘が遺存したようである。」とあり、この周辺に古墳とは別のマウンドが存在したようですが、現在はこのマウンドも存在しないようです。


「白糸台古墳群6号墳(瘧塚)」

 跡地には現在も祠が祀られています。元々この位置に祀られていたものか、それともかつては墳丘上に祀られていたのか、詳しいことはわかりませんでした。
 この神様だけはこの地の歴史をずっと見守り続けているのでしょうか。。。

<参考文献>
府中市立郷土館 編「道・坂・塚・川・?・橋の名前」『府中市立郷土館紀要別冊 府中市内旧名調査報告書』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査団報告書』
府中市教育委員会・府中市遺跡調査会『武蔵国府の調査 35』


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  1. 2016/01/28(木) 00:24:36|
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「白糸台古墳群4号墳・5号墳」

「白糸台古墳群4号墳・5号墳」

 「白糸台古墳群4号墳」と「同5号墳」は、平成4年(1992)6月から9月にかけて行われた調査により確認された古墳です。『東京都遺跡地図』には4号墳が府中市の遺跡番号23-4番に、5号墳が23-5番に登録されています。

 白糸台4号墳は墳丘や周溝は検出されなかったため規模はわからないようですが、河原石積横穴式石室が検出されています。画像はこの白糸台4号墳の石室の跡地を北東から見たところです。主体部は奥壁が2段分と、西側側壁の奥壁寄りの石が残されていたのみですが、玄室中央部から歯と骨片が検出されています。流入土からは埴輪が出土しており、他に10世紀後半と考えられる土師質土器の坏や陶器の皿が出土していることから、10世紀後半頃に石室が開けられたのではないかと推測されているようです。


「白糸台古墳群4号墳・5号墳」

 白糸台5号墳も、河原石積横穴式石室が検出されているものの、墳丘や周溝は検出されなかったため規模はわからないようです。画像は5号墳の石室の跡地にあたる地点のようすですがすでに痕跡はなく、説明板等も立てられていないようです。
 かなり近い位置にあるこの4号墳と5号墳の南方からはその後の調査により白糸台12号墳も発見されており、古墳がかなり密集していた地域であるようです。今後新たな古墳が確認される可能性も高いのではないでしょうか。。。

<参考文献>
府中市教育委員会・府中市遺跡調査会『武蔵国府の調査 34』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査団報告書』
府中郷土の森博物館『遺跡の世界 2005』


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  1. 2016/01/26(火) 23:43:09|
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「白糸台古墳群3号墳」

白糸台古墳群3号墳

 画像は、府中市白糸台5丁目の「白糸台古墳群3号墳」の跡地を南西から見たところです。『東京都遺跡地図』には「白糸台古墳群」が府中市の遺跡番号23番の古墳群として登録されています。

 この白糸台3号墳は、昭和52年(1977)と54年に府中市遺跡調査会により行われた調査により古墳の周溝が検出されています。規模は内径16.8mの周囲に幅1.0m、深さ72~92cmの周溝が廻る円墳で、土師器の破片が出土しています。
 この古墳はまず昭和51・52年に行われた武蔵野台道路地区の調査により周溝の一部が検出され、その後、昭和54年の仮称小杉ビル地区の調査により残る周溝の大部分が検出されています。画像の、コンビニエンスストアのあるビルから手前の道路にかけて古墳が存在したようですが、残念ながら地上に古墳の痕跡は何も残されていないようです。

 府中市内の墳丘が残る古墳はわずかで、多くは近年の発掘調査により周溝や埋葬施設が検出された古墳ですが、急速に宅地化が進む中で、こうした別々の調査区から時間を経て古墳の全体像が把握されるという事例は増えてきているようです。これも東京らしい現象かもしれませんね。。。

<参考文献>
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』
府中市教育委員会・府中市遺跡調査会『武蔵国府の調査Ⅺ』


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  1. 2016/01/24(日) 09:36:28|
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「白糸台古墳群2号墳」

「白糸台古墳群2号墳」

 「白糸台古墳群」は、京王線多摩霊園駅東南方から調布市境にかけて府中崖線に沿う立川段丘上に存在する古墳群で、調布市側に展開する飛田給古墳群とは一連の古墳群であると考えられています。

 画像は、府中市白糸台5丁目の「白糸台古墳群2号墳」の跡地を南西から見たところです。『東京都遺跡地図』には府中市の遺跡番号23-2番の古墳として登録されています。
 この古墳は、昭和52年(1977)に行われた都市計画道路2•2•12号線築造に伴う調査により確認されています。1号墳の北東27mに位置しており、1号墳同様に調査当時には墳丘は残存せず、埋葬施設も検出されなかったようです。規模は内径約10.5m、外径約15.1mのブリッジ付円墳で、周溝内からは多くの土師器が出土しています。

 切り通しとなっている道路の部分は台地ごと削られていて何も残されていないようですが、側道の横にわずかに存在する緑地に周溝が保存されているのでしょうか。残念ながら地上に古墳の痕跡は何も残されていないようです。。。


「白糸台古墳群2号墳」


<参考文献>
府中市教育委員会・府中市遺跡調査会『武蔵国府関連遺跡調査抄報 Ⅰ』
府中市教育委員会・府中市遺跡調査会『武蔵国府の調査 Ⅳ』


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  1. 2016/01/22(金) 23:58:59|
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「白糸台古墳群1号墳」

「白糸台古墳群1号墳」

 「白糸台古墳群」は、京王線多摩霊園駅東南方から調布市境にかけて府中崖線に沿う立川段丘上に存在する古墳群で、調布市側に展開する飛田給古墳群とは一連の古墳群であると考えられています。

 画像は、府中市白糸台5丁目の「白糸台古墳群1号墳」の跡地を南西から見たところです。『東京都遺跡地図』には府中市の遺跡番号23-1番の古墳として登録されています。
 この古墳は、昭和51年(1976)から53年にかけて行われた都市計画道路2•2•12号線築造に伴う調査により確認されています。規模は内径約9.3m、外径約12.8mの、南東部に陸橋部を持つブリッジ付の円墳です。鉄鏃や鉄製品、土師器や須恵器の細片などが出土しています。以前は封土と考えられる高まりが残されていたという地元の古老の証言もあり、京王線の建設工事の際に削平されたという話もあるようですが、調査当時には墳丘は残存せず、埋葬施設も検出されなかったようです。

 古墳の跡地は道路の切り通しとなっており、痕跡なく消滅しているようです。。。

<参考文献>
府中市教育委員会・府中市遺跡調査会『武蔵国府関連遺跡調査抄報 Ⅰ』
府中市教育委員会・府中市遺跡調査会『武蔵国府の調査 Ⅳ』


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  1. 2016/01/21(木) 09:21:39|
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「府中市№23-C遺跡(襲山、襲塚)」

「府中市№23-C遺跡(襲山、襲塚)」

 画像は、府中市白糸台5丁目に所在したとされる「府中市№23-C遺跡」の跡地周辺を東から見たところです。

 この塚は多摩地区所在古墳確認調査団により行われた平成6年度の調査により把握されており、この調査結果が収録された『多摩地区所在古墳確認調査団報告書』には東西3m、南北7m、高さ1,5mという規模とともに「残存」と書かれていることからこの調査当時にはマウンドが残されていたようなのですが、跡地とされる周辺を散策してもそれらしき塚は存在せず、画像の畑の奥の中央に見えるわずかな地膨れが塚の痕跡であるのか、発掘調査等が行われていないため詳細はわかりません。また、以前はこの塚の上に3基の石塔が立てられていたようですが、この石塔も現在は失われて見ることは出来ません。古墳である可能性が考えられている塚であるようですが、最新の『東京都遺跡地図情報インターネット提供サービス』には府中市の遺跡番号”№23-C”番の”時代不明の塚?”として登録されています。

 白糸台古墳群は府中市の東端に位置しており、府中崖線上の立川段丘面縁辺部に所在する古墳群です。さらに東方には調布市の飛田給古墳群が隣接しており、飛田給古墳群と府中市白糸台古墳群は主体部や墳丘の規模、構造等がほぼ共通しており、行政区分は異なるものの一連の古墳群であると考えられています。飛田給古墳群を形成する古墳が密集して存在していることからこの白糸台古墳群も含めてかなり大きな古墳群だったのではないかと考えられており、隣接する幼稚園の敷地内からも2基の古墳の周溝が検出されています。この「府中市№23-C遺跡」が古墳であった可能性も考えられるところですが、それは今後の調査の進展を待たなければなりません。。。

<参考文献>
府中市立郷土館 編「道・坂・塚・川・?・橋の名前」『府中市立郷土館紀要別冊 府中市内旧名調査報告書』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』


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  1. 2016/01/20(水) 00:28:23|
  2. 府中市/白糸台古墳群
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「府中市№23-B遺跡」

「府中市№23-B遺跡」

 画像は、府中市白糸台5丁目に所在する「諏訪神社」を南から見たところです。『東京都遺跡地図情報インターネット提供サービス』によると、この神社の本殿北側には「府中市№23-B遺跡」が登録されています。古墳である可能性が考えられている塚であるようですが発掘調査等が行われていないため詳細はわからず、東京都遺跡地図には築造された時代は”不明”とあり、また種別の項でも”その他(塚)?”とされています。


「府中市№23-B遺跡」

 この塚は多摩地区所在古墳確認調査団により行われた平成6年度の調査により把握されており、この調査結果が収録された『多摩地区所在古墳確認調査団報告書』には東西8m、南北3m、高さ1,2mという規模とともに「残存」とあり、”諏訪神社の社の裏に高まりが残る”とも書かれていますので、この調査当時にはマウンドが残されていたようなのです。
 画像は塚の跡地とされる諏訪神社本殿裏側を東から見たところです。おそらくは画像中央の神輿庫のあたりかその手前の駐車場のあたりが塚の跡地と思われますが、現在塚は完全に消滅しており、痕跡を見ることはできません。
 ちなみにこの塚跡から南東に300mほどの地点からは「白糸台6号墳」が検出されており、そのさらに南東には「飛田給古墳群」が形成されています。また西方100mほどの地点からも2基の古墳の周溝が確認されています。調布市側の飛田給古墳群からこの白糸台古墳群にかけてかなりの数の古墳が密集していることが想定されており、この「府中市№23-B遺跡」が古墳であった可能性も大いに考えられるところですが、真相は今後の調査を待たなければならないようです。。。


「府中市№23-B遺跡」

 この諏訪神社は「はけた坂」と呼ばれる坂道を上がったところに所在します。府中崖線を「ハケ」と呼ぶことからつけられた名称であるようですが、調布市から府中市、国立市から立川市にかけての古墳のほとんどはこの府中崖線上に存在しますので、ハケという言葉には敏感になってしまいます。
 府中市内にはこうした説明板のつけられた石柱や石碑が数多く設置されており、文化的な街だなと思います。かつては国府の置かれたところですから、歴史の重みを感じてしまいますね。

<参考文献>
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』


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  1. 2016/01/19(火) 01:38:44|
  2. 府中市/白糸台古墳群
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「府中市 №23-A遺跡」

「府中市№23-A遺跡」

 画像は、府中市白糸台3丁目に所在する「府中市№23-A遺跡」を北西から見たところです。

 この塚は多摩地区所在古墳確認調査団により行われた平成6年度の調査により確認されており、この調査結果が収録された『多摩地区所在古墳確認調査団報告書』には「一部残存」とされています。現状の規模は東西7m、南北4.8m、高さ0.7mで、主体部については”内容不明”で、塚である可能性も指摘されています。また、最新の『東京都遺跡地図情報インターネット提供サービス』には府中市の遺跡番号24-A番の塚として登録されており、築造された時代は”不明”とあり、また種別の項でも”その他(塚)?”とされています。


「府中市№23-A遺跡」

 画像は少し角度を変えて、南西から見た№23-A遺跡です。周囲の敷地が駐車場として利用されていることから、この塚が古墳であれば地中に周溝などが残されている可能性は高いように思いますが、発掘調査が行われていないために詳細はわかリません。古墳が密集する府中崖線縁辺部からは若干の距離があるこの№23-A遺跡が古墳であるのか塚であるのか、真相を知るには今後の調査を待たなければならないようです。。。


「府中市№23-A遺跡」

 画像は東から見た№23-A遺跡です。入り口に石段が設けられており、周囲より若干高くなっているようすが確認できます。塚の上には鳥居が立てられており、その奥にはお稲荷さんが祀られています。

<参考文献>
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』


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  1. 2016/01/18(月) 01:35:26|
  2. 府中市/白糸台古墳群
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