
府中市の「№4-I遺跡」は、学術的な調査が行われていないために古墳であると断定はされていないものの、古墳ではないかと考えられている遺跡です。画像は、府中市美好町3丁目の古墳の所在地とされる地点を南東から見たところです。
この付近一帯の畑の表面からは土師器や須恵器片が採集されており、以前より遺跡の存在が推測されていたようです。昭和38年(1963)3月にはこの古墳の隣接地にあたる「美好町遺跡」の発掘調査が行われており、竪穴住居址や、粘土と礫からなる礫石の基礎と推定される遺構が検出されています。調査当時、この美好町遺跡の東側に古墳は残存していたようですが、発掘調査等は行われず、現在は消滅しています。『府中市史 上巻』にはこの古墳について「大塚 本屋敷の近くで、もと広大な円墳があった。今は整地されて住宅地になっている。」とあり、当時「大塚」と呼ばれていた古墳はかなり大きな円形の塚であったようすがうかがえます。
『南武武蔵の古墳』や『多摩地区所在古墳確認調査報告書』に掲載されている高倉古墳群の分布図からすると、画像の道路が左に折れ曲がっている左側あたりが古墳の跡地であると思われますが、すでに推定地は住宅地となっており、古墳らしき痕跡は全く残されていないようです。。。
<参考文献>
府中市史編さん委員会『府中市史 上巻』
府中市郷土の森博物館『南武武蔵の古墳』
英太郎・里美悦郎「府中市における遺跡調査史-昭和30年~40年の事例を中心として」『府中市郷土の森紀要 第1号』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』
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- 2016/02/29(月) 02:53:55|
- 府中市/高倉古墳群
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画像は、府中市美好町3丁目にある「浅間神社」を東から見たところです。この神社の敷地内には府中市の遺跡番号「4-G」の遺跡が登録されており、発掘調査が行われていないために古墳であると断定はされていないものの、古墳ではないかと考えられているようです。
江戸時代には屋敷分村の鎮守であったといわれるこの神社については『新編武蔵風土記稿』に記述が見られ、屋敷分村の項に「富士浅間社 除地、四段、小社、持添新田にあり、社地塚の如く平地より築出す、村内の鎮守、例祭九月九日、村持」と書かれています。「社地塚の如く平地より築出す」という表現が微妙な言い回しであるように思いますが、果たしてこの場所に古墳が存在したのでしょうか。

画像が浅間神社境内のようすです。現在でも社殿の場所が一段高くなっているようですが、これが古墳の痕跡といえるかどうかは素人の私には何ともいえないところです。この古墳についての情報は少なく、塚の言い伝えや発掘の記録、出土した遺物等の情報も皆無で、詳しいことはわかりませんでした。

境内の木の根本の部分を見ると、確かにかつてはもう少し地面が高かったのではないかとも思います。埴輪片や土器片などが落ちていないか表面観察をしましたが、それらしき遺物は見当たらないようです。

『南武武蔵の古墳』や『府中市内旧名調査報告書 道・坂・塚・川・堰・橋の名前』、『多摩地区所在古墳確認調査報告書』に掲載されている高倉古墳群の分布図から推測すると、画像の境内末社のあたりが古墳の跡地ではないかと思われるのですが、古墳らしき痕跡は全く存在しないようです。
高倉古墳群のまっただ中に所在する神社ですから古墳が存在した可能性も十分に考えられるとは思いますが、この古墳に関しては今後の調査を待つよりほかないようです。。。
<参考文献>
府中市郷土の森博物館『南武武蔵の古墳』
府中市教育委員会『府中市内旧名調査報告書 道・坂・塚・川・堰・橋の名前』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』
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- 2016/02/28(日) 00:14:06|
- 府中市/高倉古墳群
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府中市の「№4-F遺跡」は、発掘調査が行われていないために古墳であると断定はされていないものの、古墳ではないかと考えられている遺跡です。昭和50年(1975)に行われた立会調査により存在が確認されており、調査当時石室の存在が推定されていたようです。周辺地域では発掘調査により多くの古墳の周溝が密集して検出されていることから、このF遺跡が古墳であった可能性は高いように思われますが、残念ながら開発により墳丘は削平されて消滅しています。
画像は、府中市美好町の古墳の跡地と思われる地点を南東から見たところです。駐車場となっているあたりが古墳の跡地ではないかと思われますが、残念ながら痕跡を見ることは出来ません。。。

府中市美好町から分梅町周辺ではこれまでの発掘調査により古墳と認定されるものが数多く確認されており、高倉古墳群と呼称されています。現在30基前後の古墳が確認されており、今後も新たな古墳の発見が想定されています。
画像は府中市美好町の個人宅地内に祀られている神明様の祠ですが、この屋敷神にも古墳の言い伝えが残されています。このお屋敷の南の畑の中央にはかつて一坪程の塚があり、第二次大戦終戦前に桑畑を普通の畑にした際に塚も平らにしたそうですが、その後不幸が続き、祈禱師の話に依り古戦場の霊供養を決意し、昭和38年(1963)、土地の神として祀ったといわれています。
お屋敷の南には、今回紹介したF遺跡のほかに高倉25号墳も発掘調査により確認されています。未確認の古墳の存在も想定できる地域ですので、F遺跡か25号墳のどちらかがこの言い伝えの塚であると断定は出来ないと思いますが、こうした言い伝えが残されていることからも、この地域に多くの古墳が存在したことがうかがえるのではないかと思います。
江戸時代の地誌である『新編武蔵風土記稿』には、この地域における、分倍河原の合戦の戦死者を祀ったという伝承の残る塚として「首塚」と「胴塚」を紹介しています。首塚に関しては所在が確認されており、近年の調査により周溝が検出されて古墳であることがわかっていますが、胴塚に関しては所在地がわからなくなっています。この祠が古戦場の霊の供養のために立てられたという由来から考えると、削平された塚が胴塚と呼ばれた塚であった可能性も考えられるのではないかと思いますが、所在がわからなくなっていることは残念です。。。
<参考文献>
府中市郷土の森博物館『南武武蔵の古墳』
府中市史談会「府中市内屋敷神調査報告」『府中市郷土館紀要 第8号』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』
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- 2016/02/27(土) 03:58:52|
- 府中市/高倉古墳群
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「№4-A遺跡」は、発掘調査等で確認されていない、言い伝えにのみ残されている古墳の推定地です。昭和3年(1928)から4年頃に行われた南武鉄道(現在のJR南武線)の敷設工事の際に出土したといわれる5振りの鉄刀と2つの鍔が現存しているものの、出土地点については、分倍河原駅からその西方の1号跨線橋までの間に存在した塚であるという言い伝えが残されているのみで、正確な位置はわからなくなっているようです。この場所の南武線は切り通しとなっており、またその周辺は宅地化が進んでいるため塚の痕跡を地上に見ることは出来ません。ただし、明治の地籍図には線路沿いの地点に不正形の芝地があり、この場所は画像の線路の中央左側あたりになるようですが、確認は不可能で、これも候補地の一つに過ぎないようです。
この塚の推定地は高倉古墳群中でも特に古墳が密集した地域にあり、南武鉄道の敷設工事に際しても複数の古墳が破壊されたといわれており、またこの付近で数度にわたる遺物の出土があったともいわれています。現在30基前後が確認されている高倉古墳群ですが、今後の調査が楽しみな地域であると思います。
出土した鉄刀の鍔は防錆処理のためのX線透過検査の結果、見事なハート形の象嵌文様が確認され、現在は府中市の有形文化財に指定されているそうです。
<参考文献>
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』
深澤靖幸「高倉古墳群出土の銀象嵌装大刀」『府中郷土の森紀要 第11号』
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- 2016/02/26(金) 03:38:02|
- 府中市/高倉古墳群
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御嶽塚古墳群は、JR南武線西府駅南側の府中崖線上に広がる、府中市西端に存在する古墳群です。東西約600m、南北約100mの範囲に分布しており、西端は国立市の「下谷保古墳群」につながると考えられています。当初は「高倉古墳群」の一部であるとされていましたが、古墳の分布に違いが見られることや高倉古墳群との間に小規模な開析谷が入り込んでいることから、現在は別々の古墳群とされています。
「御嶽塚21号墳」は武蔵国府関連遺跡の第1443次調査により確認された古墳です。この当時すでに墳丘は消滅して存在しなかった古墳ですが、調査により周溝が検出されており、推定内径14mほどの周囲に幅約1.5〜2mの周溝が巡る円墳であると考えられています。主体部は検出されていないため詳細不明で、周溝からは土師器の台付甕や壺などが出土しています。
画像は、府中市西府1丁目に残されている「府中崖線」を南西の市川緑道側から見たところです。この地区はニセアカシア、ケヤキ、シラカシといった崖線の自然樹林が保存されており、この崖沿いに多摩川の水や沿線の湧水を集めて流れる市川沿いには緑道が整備されています。この崖線沿いの立川段丘上に存在するのが「御嶽塚古墳群」で、この崖線から80mほど北の地点が御嶽塚21号墳の所在地ということになります。

画像は、東京の名湧水57選にも選ばれている「西府町湧水」です。かつての府中市は、崖線(ハケ)から湧き出る湧水が良質で豊富な土地でしたが、今ではこの西府町湧水が唯一の湧水であるようです。古墳が築造された古代から続く貴重な湧水かも知れませんし、大切にしたい風景ですね。。。
<参考文献>
府中市教育委員会・府中市遺跡調査会『武蔵国府の調査 43』
現地説明版
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- 2016/02/25(木) 00:22:01|
- 府中市/御嶽塚古墳群
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御嶽塚古墳群は、JR南武線西府駅南側の府中崖線上に広がる、府中市西端に存在する古墳群です。東西約600m、南北約100mの範囲に分布しており、西端は国立市の「下谷保古墳群」につながると考えられています。当初は「高倉古墳群」の一部であるとされていましたが、古墳の分布に違いが見られることや高倉古墳群との間に小規模な開析谷が入り込んでいることから、現在は別々の古墳群とされています。
「御嶽塚19号墳」は武蔵国府関連遺跡の第1374次調査により確認されています。墳丘は既に消滅して存在しなかった古墳ですが調査により周溝が検出されており、推定内径18mほどの周囲に幅約3m深さ約70cmの周溝が巡る円墳であると推定されています。主体部は検出されていないため詳細不明で、周溝からは土師器の丹塗りの坏や刷毛目のつく甕などが出土しています。
画像は府中市西府町1丁目の御嶽塚19号墳の跡地を南東から見たところです。画像の道路の右側あたりが19号墳の跡地となるようですが、やはりこの古墳も地上に痕跡を見ることはできないようです。。。
<参考文献>
府中市教育委員会・府中市遺跡調査会『武蔵国府の調査 41』
府中市教育委員会・府中市遺跡調査会『武蔵国府関連遺跡調査報告 40』
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- 2016/02/24(水) 01:00:32|
- 府中市/御嶽塚古墳群
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御嶽塚古墳群は、JR南武線西府駅南側の府中崖線上に広がる、府中市西端に存在する古墳群です。東西約600m、南北約100mの範囲に分布しており、西端は国立市の「下谷保古墳群」につながると考えられています。当初は「高倉古墳群」の一部であるとされていましたが、古墳の分布に違いが見られることや高倉古墳群との間に小規模な開析谷が入り込んでいることから、現在は別々の古墳群とされています。
「御嶽塚18号墳」は、武蔵国府関連遺跡の西府・本宿町地域に位置する、JR南武線西府駅西北西約430mに地点で確認された古墳です。古墳の東側の一部が検出され、周溝の約4分の3ほどが調査されています。規模は墳丘径9mの周囲を幅2mほどの周溝が廻る円墳と推定されており、周溝内からは古墳に伴う遺物は検出されなかったものの縄文土器が出土しています。
画像中央の道路から右側の建物にかけてが古墳の跡地であると思われますが、残念ながら古墳の痕跡を見ることは出来ませんでした。。。
<参考文献>
府中市教育委員会・府中市遺跡調査会『武蔵国府の調査 39』
府中市教育委員会・府中市遺跡調査会『武蔵国府関連遺跡調査報告 40』
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- 2016/02/23(火) 02:28:09|
- 府中市/御嶽塚古墳群
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御嶽塚古墳群は、JR南武線西府駅南側の府中崖線上に広がる、府中市西端に存在する古墳群です。東西約600m、南北約100mの範囲に分布しており、西端は国立市の「下谷保古墳群」につながると考えられています。当初は「高倉古墳群」の一部であるとされていましたが、古墳の分布に違いが見られることや高倉古墳群との間に小規模な開析谷が入り込んでいることから、現在は別々の古墳群とされています。
「御嶽塚17号墳」は、府中市府中第五小学校校庭整備に伴う第1315次調査により周溝が検出された古墳です。墳丘は削平されており、周溝の位置部が検出されたのみで規模は不明で、主体部についても未調査であるため詳細のわからない古墳です。画像の、府中第五小学校の敷地の北方角のバックネットのあたりが古墳の跡地であると思われますが、痕跡は何も残されていないようです。
この周辺地域に存在したといわれる多くの古墳や塚については江戸時代の地誌類にも記されており、住吉町3丁目にある正光院所蔵の絵図には「べったら塚」、「鎧塚」、「正光院塚」といった塚が描かれていたそうです。この絵図は現在所在不明となっており、塚の正確な位置はわからなくなっているようですが、いずれもこの第五小学校周辺のハケ上(府中崖線縁辺)に存在したようです。延宝6年(1678)の検地帳には「べったら塚」という小字名が見え、また他に「大塚」などの小字名もあるようです。また戦後まで残されていたといわれている「正光院塚」については猿渡盛厚著『武蔵府中物語』に記述が見られ、当時道路普請のために発掘が行われて刀剣類が沢山出たものの、その刀剣類は所在不明であることが書かれています。また『武蔵名勝図会』には、現在の御嶽塚の周辺に高さ1丈4、5尺の「堂塚」が所在したことが書かれています。
残存する古墳は御嶽塚古墳1基のみという御嶽塚古墳群ですが、古くは名称のある塚も数多く見られることから、かつてはかなりの數の古墳が存在していたことがうかがえます。今後新たな古墳の発見も考えられ、更なる調査の進展が楽しみな地域であると思います。
<参考文献>
猿渡盛厚『武蔵府中物語 第八編』
府中市教育委員会『府中市内旧名調査報告書 道・坂・塚・川・堰・橋の名前』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』
府中市教育委員会・府中市遺跡調査会『武蔵国府の調査 39』
府中市教育委員会・府中市遺跡調査会『武蔵国府関連遺跡調査報告 40』
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- 2016/02/21(日) 01:02:06|
- 府中市/御嶽塚古墳群
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御嶽塚古墳群は、JR南武線西府駅南側の府中崖線上に広がる、府中市西端に存在する古墳群です。東西約600m、南北約100mの範囲に分布しており、西端は国立市の「下谷保古墳群」につながると考えられています。当初は「高倉古墳群」の一部であるとされていましたが、古墳の分布に違いが見られることや高倉古墳群との間に小規模な開析谷が入り込んでいることから、現在は別々の古墳群とされています。
「御嶽塚16号墳」は、JR南武線北側に位置する区画整理事業のための1295・1337・1340次調査において検出された古墳です。墳丘は削平されていたものの円形を呈する周溝全体の約70%程度が調査されており、埴輪片3,000点のほか、土師器の甕2点、出土しています。規模は内径推定約15.8mの円墳であると推定されています。須恵器の埦1点と坏16点、須恵器の瓶1点などが出土しています。
駅周辺には以前は多くの畑地が残されていたのですが、近年は開発が進み、駅前にはロータリーが造られて大きなマンションも立ち始めています。画像のJR西府駅の駅舎の場所が古墳の跡地となるようですが、すでに古墳の痕跡を見ることはできません。

この御嶽塚16号墳から出土した円筒埴輪は、府中市郷土の森博物館と武蔵府中熊野神社古墳展示館にて見学することができます。画像の埴輪は府中市郷土の森博物館に展示されているもので、武蔵府中熊野神社古墳展示館ではこの埴輪について次のように解説されていました。
御嶽塚16号墳出土埴輪
御嶽塚16号墳に伴う埴輪片約2700点は、人物埴輪の一部と見られる形象埴輪の破片1点と、朝顔形を含む円筒埴輪の破片でした。破片を接合した結果、4個の円筒埴輪が復元できました。
円筒埴輪は、2条の凸帯で区切られた3段の構成です。2段目に一対の透孔が設けられています。外面には、斜めにハケメがつけられています。3段目に、上下に蛇行するヘラ記号がつけられたものもあります。
形態的特徴は、埼玉県の出土資料に類似しています。このことから北武蔵の埴輪工人が関与していると考えられ、制作された時期は、6世紀前半頃と想定しています。<参考文献>
府中市教育委員会・府中市遺跡調査会『武蔵国府関連遺跡調査報告 40』
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- 2016/02/20(土) 01:41:52|
- 府中市/御嶽塚古墳群
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御嶽塚古墳群は、JR南武線西府駅南側の府中崖線上に広がる、府中市西端に存在する古墳群です。東西約600m、南北約100mの範囲に分布しており、西端は国立市の「下谷保古墳群」につながると考えられています。当初は「高倉古墳群」の一部であるとされていましたが、古墳の分布に違いが見られることや高倉古墳群との間に小規模な開析谷が入り込んでいることから、現在は別々の古墳群とされています。
「御嶽塚15号墳」は、JR南武線北側に位置する区画整理事業のための1295次調査において検出された古墳です。周溝の北東部分(周溝全体の4分の1ほど)が検出されており、規模は内径推定約14.2mで、周囲に幅4.38m、深さ60cmの周溝が廻る円墳であると推定されています。須恵器の埦1点と陶器1点が出土しています。
画像の、JR南武線西府駅の敷地から奥の歩道のあたりにかけて古墳が存在したようですが、すでに痕跡は何も残されていないようです。西府駅は「武蔵府中熊野神社古墳」や「御嶽塚古墳」などを見学しに何度か利用しましたが、まさか知らずに古墳の上を歩いていたとは夢にも思いませんでした(笑)。。。
<参考文献>
府中市教育委員会・府中市遺跡調査会『武蔵国府関連遺跡調査報告 40』
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- 2016/02/19(金) 11:00:14|
- 府中市/御嶽塚古墳群
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