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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

栃木県大田原市「観音塚古墳」―大田原市指定史跡―

栃木県大田原市「観音塚古墳」―大田原市指定史跡―

 那珂川右岸の湯津上地区には「小舟渡古墳群」として「観音塚古墳」(円墳)と「二ツ室塚古墳(前方後円墳)が所在します。今回紹介するのは観音塚古墳です。
 かつては「小舟渡古墳群2号墳」と呼ばれていたこの古墳の規模は、直径約40m、高さ6mという大型の円墳で、基底部には一段の平坦面があり、破壊の少ないこの古墳はさながら林の中に着陸したUFOのごとき趣があります。墳頂部からは鶏の形象埴輪、基底の平坦面からは塚を取り巻くように埴輪列が確認されているといわれ、円筒埴輪は現存します。
 昭和61年(1986)に墳丘の測量調査が実施されており、この測量図から南東に開口する石室の存在が想定されているようですが、これは土砂に埋没してしまったのか、残念ながら見ることはできません。

 現存する円筒埴輪から、古墳の築造は6世紀後半頃と推定されているようです。。。

<参考文献>
塙 静夫『探訪 とちぎの古墳』
有限会社 随想舎『那珂川と八溝の古代文化を歩く』 
栃木県小川町教育委員会『国指定史跡 那須小川古墳群』
現地説明版


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  1. 2017/06/29(木) 00:47:46|
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栃木県大田原市「二ツ室塚古墳」―大田原市指定史跡―

栃木県大田原市「二ツ室塚古墳」

 日本有数の鮎の宝庫といわれる、那珂川右岸の縁辺部に所在するのが「二ツ室塚古墳」です。画像は、この二ツ室塚古墳を西から見たところです。かつては「小舟渡古墳群1号墳」と呼ばれていた古墳で、昭和41年2月15日に大田原市の史跡に指定されている古墳です。前回紹介した「観音塚古墳」から南方約30mほどの地点にあり、観音塚古墳同様に植林された杉の山林の中に所在することから、昼間もなお薄暗いという環境下にあります。
 この古墳は、昭和49年(1974)の栃木県史編さん室により発掘調査が実施されています。規模は全長46.5m、後円部の高さ4.5m、前方部の高さ2.2mの前方後円墳で、葺石は後円部のみに存在しており、後円部造営後に一定の時間を経て前方部が築造されたことがわかっています。通常見られる後円部の横穴式石室の加えて、前方部からも同様の石室が発見され、未盗掘であった前方部の石室内からは数多くの副葬品が出土しています。この出土品や石室の構造から、古墳は6世紀後半から7世紀初頭頃に築造されたものと推定されています。


栃木県大田原市「二ツ室塚古墳」

 画像は、北西から見た二ツ室塚古墳です。左手前が前方部、右奥が後円部という状況です。
 発掘以前のこの古墳は前方部よりも後円部が高く、また前方部の前端があまり開かずに直線的に伸びていることから、古い時期の前方後円墳ではないかとも考えられていたようですが、調査により、前方部西側は農道により削られていることによる形状であることが判明したようです。

 大田原市により設置された説明板には次のように書かれています。

二ツ室塚古墳  大田原市指定史跡
所在地  湯津上村大字小船渡
墳 形  前方後円墳
規 模  全 長  46.5m
     後円部径 22.0m   後円部高さ 4.5m
     前方部幅 16.0m   前方部高さ 2.2m

 この古墳は、昭和49年、栃木県史編さん事業の一環として発掘調査が実施
され、後円部及び前方部の双方に横穴式石室をもつ珍しい古墳であることが
わかりました。
 発見された横穴式石室は、いずれも側壁は河原石を積み重ね、奥壁は1~
2枚の巨石を立てて構築されたものですが、平面形が異なり、後円部の石室
は羽子板状に、前方部の石室は側壁がいくぶん膨らむ「胴張り」という形を
しています。
 後円部の石室はすでに盗掘を受けていたために、鉄鏃がわずかに出土した
だけですが、前方部の石室からは刀類や多量の鉄鏃が出土しました。
 また、平成元年には湯津上村教育委員会による発掘調査も実施され、前方
部前端には幅6mの周溝があることもわかりました。
 この古墳は、出土遺物や石室の形態等から、6世紀後半から7世紀初頭に
かけて築造された古墳とみられています。


栃木県大田原市「二ツ室塚古墳」

 後円部の石室のようすです。以前は河原石を積み重ねた横穴式石室を見学することができたようですが、現在は土嚢が積まれて塞がれています。東日本大震災で石積が崩落したとお聞きしましたが、これからさらに大地震が来るかもしれないことを考えるとちょっと怖いです。


栃木県大田原市「二ツ室塚古墳」

 画像は、説明板に掲載されていた後円部石室のようすです。


栃木県大田原市「二ツ室塚古墳」

 石室周辺には天井石らしき石材が見られます。
 それにしても、前方後円墳の多くは後円部に石室が造られているようですし、築造当時の感覚としては後円部が前で前方部が後ろだったんじゃないかと思うのですが、やはり真相はわかりませんね。。。


栃木県大田原市「二ツ室塚古墳」

 前方部に存在するという石室も、天井石らしき石材が僅かに露出するのみで内部を見学することは出来ません。発掘調査により内反刀、直刀、刀子、柄、鍔、鉄鏃、留金具などの武具類が出土しており、その後のX線写真撮影からは、鍔の外縁に施された波状唐草文の象嵌が発見されているそうです。。。

<参考文献>
塙 静夫『探訪 とちぎの古墳』
有限会社 随想舎『那珂川と八溝の古代文化を歩く』 
眞保昌弘『塚古墳と那須国造碑 下野の前方後方墳と古代石碑』
栃木県小川町教育委員会『国指定史跡 那須小川古墳群』
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  1. 2017/06/27(火) 00:54:50|
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栃木県大田原市「銭室塚古墳」

栃木県大田原市「銭室塚古墳」

 黒羽の市街から南方に3キロほどの、大田原市北滝地区の那珂川左岸の段丘上に所在するのが「銭室塚古墳」です。昭和52年(1977)5月18日に大田原市の史跡として指定されている古墳で、下段径約26メートル、高さ約2メートル、上段径約18メートル、高さ約2.5メートルの二段築成の円墳です。外面から周溝を確認することはできませんが、かつて周辺の圃場整備が行われた際に幅約5メートル程の周溝が見つかったと伝えられています。6世紀頃の築造と推定されているようです。


栃木県大田原市「銭室塚古墳」

 墳丘上には、大田原市教育委員会による説明板が立てられています。かなり色褪せていて現地では読み難いのですが、次のように書かれています。

            大田原市指定文化財 史 跡 銭 室 塚 古 墳
                                 (昭和52年5月17日指定)
 那珂川左岸段丘上に立地する2段築成の円墳である。直径26m、高さは4.5mあり、ほぼ中段にテラス状の平坦
面を持つ。墳丘表面は、河原石の葺石で覆われている。埴輪等が伴っていた痕跡は見あたらない。また、原形か
らは認められないが、基盤整備時の土の観察から、幅5mほどの周溝が伴っていたといわれている。
 主体部は、南西に面して開口している河原石を乱石積みした両袖型の横穴式石室である。側壁は、わずかに銅
張りを呈し、“持ち送り”もゆるやかである。床面にも河原石を敷きつめていたと思われる。石室の規模は、玄
室長さ6.3m、玄室最大幅2.0m、奥壁幅1.4m、奥壁高さ1.45mを測る。玄室には”ほうだて石”(袖石)が左右に立
ち、その上に“まぐさ(楣)石”がしっかりと載っている、羨道部(墓道)の天井石は外されて墳丘南斜面に1個存
在している。側壁は、土砂に覆われているが、その長さは約3mほどである。
 いつの時期か盗掘を受け、石室内に遺物は見あたらない。ただ、金銀珍宝を埋めた塚と言い伝えられて銭室塚
の名が残っている。
 現在、周囲には他の古墳は認められないが、当時は数基の円墳が群集しており、この古墳もその中のひとつで
あったと思われる。
 周囲の水田には、古墳時代後期に比定できる土器片が散布しており、銭室塚古墳もこの時期に築造されたもの
と推測される。未調査の古墳であるが、円墳ではなく墳形を帆立貝式とみる考え方もある。
                                         大田原市教育委員会

栃木県大田原市「銭室塚古墳」

 墳丘南側に横穴式石室が開口していますが、入り口は土砂に埋没しており、残念ながら内部を観察することは出来ません。。。


栃木県大田原市「銭室塚古墳」

 墳丘南斜面に外された羨道部の天井石が置かれています。


栃木県大田原市「銭室塚古墳」

 墳丘の裾部と斜面部には河原石による葺石(ふきいし)が見られます。
 真夏の、青々とした稲穂の中に浮かぶ古墳の写真を撮りたいと思うのですが、なかなか機会に恵まれません。。。

<参考文献>
塙 静夫『探訪 とちぎの古墳』
有限会社 随想舎『那珂川と八溝の古代文化を歩く』 
栃木県小川町教育委員会『国指定史跡 那須小川古墳群』
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  1. 2017/06/25(日) 22:19:23|
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栃木県那須郡那珂川町「川崎古墳」―那珂川町指定史跡―

栃木県那須郡那珂川町「川崎古墳」

 「川崎古墳」は、栃木県那須郡那珂川町の武茂川と那珂川の合流地点近くに位置する古墳です。北に「北向田古墳群」、東に「三枚畑古墳群」があり、川崎古墳はこの中心的位置にある古墳です。馬頭から小川方面へ向かう国道293号線が大きく右にカーブする左手の細い道を下ると、やがて木彫りの「川崎古墳」の標識が見えてきますが、この奥の民家の敷地内に古墳は所在します。


栃木県那須郡那珂川町「川崎古墳」

 画像が、「川崎古墳」を北西から見たところです。右手前が前方部、左奥が後円部です。
 敷地内に設置されている那珂川町教育委員会による説明板には次のように書かれています。

    川 崎 古 墳
 川崎古墳は、馬頭町大字久那瀬字川崎に所在し、那珂川とその支
流武茂川の合流点近くの低段丘上に築造された古墳時代後期の前方
後円墳です。この周辺には、北側に北向田古墳群、その東側の丘陵
には唐の御所横穴墓(国指定史跡)を中心とする和兄・北向田横穴
墓群、東側の台地上には三枚畑古墳群などがあり、川崎古墳はその
中心的存在をなしています。
 本墳は前方部を西に向けて造られ、全長は約四九メートル、後円
部の径は約二一メートル、後円部の高さは約四・五メートル、前方
部と後円部の頂部間は約二四メートルで、前方部が約一メートル程
低くなっています。前方部幅は三〇~三五メートルと推定され、墳
丘全体に葺石が施されています。
 本墳を特に著名ならしめているのは巨大な横穴式石室で、後円部
中央から南に向かって開口し、羨道は欠損していますが玄室部は良
く遺存しています。自然石を巧みに積み上げて造ったもので、天井
と玄室奥壁には巨大な石が使われています。玄室の規模は全長が約
八・二メートル、幅は奥壁側で約一・七メートル、玄室側で約一・
六メートル、最大幅三メートルで胴張りの強い両袖型の横穴式石室
です。今のところ開口している横穴式石室では栃木県内最大級の規
模を有し、那須地方はもとより、県内でも貴重な古墳の一つです。
 昭和六三年に石室内の精査を目的に国士館大学教授大川 清文学
博士の指導で調査を行い、ガラス小玉・耳環などの装飾品、鉄鏃・
鞘尻・留金具・飾り弓金具などの鉄製品、須恵器などが出土しまし
た。このほか古銭・カワラケ・陶磁器など中世期の遺物も出土して
おり、石室は割合早い時期に開口していたようです。
                     那珂川町教育委員会



栃木県那須郡那珂川町「川崎古墳」

 画像が石室内のようすです。この古墳は、耳環の組み合わせから、少なくとも数次の追葬が想定されており、遺物の年代は6世紀後半から7世紀前半で、古墳の築造は6世紀後半の比較的新しい時期であると推定されています。そして、15世紀後半頃に石室内の主な副葬品が持ち去られ、明治期には民家の建設により墳丘が削られ、羨道部分が破壊されたと考えられているようです。


栃木県那須郡那珂川町「川崎古墳」

 石室の入り口周辺には石材らしき石が残されています。破壊された羨道部分の石材でしょうか。
 近年の調査では、古墳の周囲には幅約15メートルの堀が廻っていることや、削り出しによる長方形土壇上に前方後円墳が築かれていること、また前方部にも石室が存在することがわかっており、この石室は盗掘の形跡は認められていないようです。


栃木県那須郡那珂川町「川崎古墳」

 那珂川町の「栃木県立なす風土記の丘資料館」には、川崎古墳の横穴式石室に使用された石材の一部が展示されています。

<参考文献>
塙 静夫『探訪 とちぎの古墳』
有限会社 随想舎『那珂川と八溝の古代文化を歩く』 
栃木県小川町教育委員会『国指定史跡 那須小川古墳群』
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  1. 2017/06/23(金) 03:04:20|
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栃木県那須郡那珂川町「北向田古墳群」

栃木県那須郡那珂川町「北向田古墳群」

 「北向田古墳群」は、栃木県那須郡那珂川町の那珂川左岸段丘上に分布する古墳群です。8基の古墳の所在が知られており、現在7基が現存します。
 画像は1号墳の跡地周辺のようすです。昭和38年(1963)に調査が行われた後に消滅した古墳です。当時を知るご近所の農家の方にお聞きしたところでは、発掘された墳丘から河原石を積んだ石室が露出した場面が子供ながらにとても興味深かったとおっしゃっていました。。。


栃木県那須郡那珂川町「北向田古墳群」

 画像は2号墳を北から見たところです。現状の規模は東西、南北ともに一辺が10mの方形を呈しており、高さ2mです。個人の宅地内に残存しており、原形は留めていないようです。
 この周辺地域の明治時代の地籍図を確認すると、「あお地」と呼ばれる除外地が記載されており、このうちの多くは古墳であった可能性が指摘されています。すでに消滅した1号墳や残存する3~7号墳の位置にもあお地が見られ、北向田地区南端の1~7号墳の所在範囲に限っても16~17か所のあお地を確認することが出来ます。
 この周辺地域は、昭和50年代に行われた圃場整備による整地によりかつての地形は失われており、重機を使用した整地により数基の古墳が消滅したともいわれています。ちなみに2号墳と3号墳の間にも3~4か所のあお地が見られることから、かつてはかなり多くの古墳が存在したようです。


栃木県那須郡那珂川町「北向田古墳群」

 画像は、3号墳を西から見たところです。古墳群中唯一、形象埴輪や円筒埴輪が採集されている古墳で、現存規模は東西、南北ともに一辺が10m、高さ1.8mで、墳形は不明です。


栃木県那須郡那珂川町「北向田古墳群」

 画像が、北西から見た4号墳です。現存規模は東西、南北ともに一辺が17m、高さ3.5mで、現状の墳形は方形を呈しています。墳丘上には葺石を見ることが出来ます。


栃木県那須郡那珂川町「北向田古墳群」

 画像は、5号墳を西から見たところです。現存規模は東西4m、南北10m、高さは2mで、墳形は不明です。


栃木県那須郡那珂川町「北向田古墳群」

 画像は西から見た5号墳です。農道により大きく変形しているようです。


北向田6号墳1

 画像は、6号墳を西から見たところです。現存規模は東西11m、南北17.5m、高さは2.5mで、墳形は不明です。


北向田6号墳2

 画像は西から見た6号墳です。こちらも農道により墳丘の東側がざっくりと削られています。


北向田7号墳

 画像は、7号墳の跡地のようすです。この古墳は、東京電力による送電線の鉄塔建設に伴う発掘調査が行われています。規模は径約16mの円墳で、葺石が葺かれていた可能性が高く、埴輪は存在しなかったようです。埋葬施設は河原石積みの横穴式石室で、すでに盗掘にあっていたものの、太刀、小刀、刀子の破片、金銅製の耳環、碧玉、水晶、瑪瑙製の勾玉、小玉などが出土しています。


北向田8号墳

 画像は、8号墳を西から見たところです。地元では古くより「狐塚」とも呼ばれている古墳で、残存する古墳群中最大規模のこの古墳は、東西15m、南北23m、高さ約4mを測り、方墳ではないかと考えられています。墳丘上には葺石が認められるようです。
 明治時代の地籍図に見られる「あお地」は、この8号墳の所在する久那瀬地区にも存在するようです。8号墳は現在よりも若干大きく記載されており、その周囲には数ヶ所のあお地が存在します。そして、さらに東方300mの地点には直径30m、高さ5mほどの「大塚」と呼ばれる古墳が存在したといわれ、やはりこの場所にあお地が見られるようです。
 明治41年頃の北向田小学校の資料には、この大塚について「大塚=北向田小字大塚ニアリ高サ三間、周囲五十間表面ハ芝ヲ以テ蔽ハル」とあり、またこの周辺の古墳について「塚=?小字塚下ニアリ大塚ニ比し稍小形ナレドモ基数現時十七」と書かれており、この当時の北向田古墳群には計18基の古墳(らしき塚?)が存在したようです。

<参考文献>
馬頭町教育委員会『北向田7号墳』
有限会社 随想舎『那珂川と八溝の古代文化を歩く』 


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  1. 2017/06/21(水) 01:37:32|
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栃木県那須郡那珂川町 「首長原古墳(しゅちょっぱらこふん)」

栃木県那須郡那珂川町「首長原古墳(しゅちょっぱらこふん)」

 画像は、那珂川町三輪字七所原に所在する「首長原古墳」を南から見たところです。直径17メートルの円墳で、個人の墓地となっているこの古墳は土地所有者の協力により史跡公園として整備され、横穴式石室が公開されています。この古墳の周湟は2重に廻っており、これは極めて稀な事例であるようです。
 周辺にはほかに6基の古墳が存在したとされ、首長原古墳と合わせて「七所原古墳群」と呼ばれています。昭和28年(1953)には、このうちの「東山古墳(通称宝塚古墳)」のトレンチ調査も行われているようですが、その後の食料増産により削平され、首長原古墳1基のみが残存しています。この7基の古墳の存在が「七所原」の地名の由来ではないかとも考えられているようです。


栃木県那須郡那珂川町「首長原古墳(しゅちょっぱらこふん)」

 画像は、首長原古墳の開口した石室付近のようすです。
 那珂川町教育委員会により設置された案内標識には次のように書かれていました。

首長原古墳

首長原古墳について
 この古墳は那珂川町三輪字七所原にあり、那珂川により形成された中位の河岸段丘上面である小川
面の東端に位置しています。周辺には7基の古墳からなる七所原古墳群があったことがわかっていま
すが、残念ながら本墳を除き消滅してしまいました。
 昭和10年代、平成4年の発掘調査により横穴式石室内から豊富な副葬品が出土したことから史跡
保護の機運が高まり、地権者の快諾を得て、保存整備を実施しました。
 首長原古墳は以前より、前後2つの塚の存在から全長約40mの前方後円墳ではないかと考えられ
ていましたが、周囲の削平により確認することができませんでした。しかし、墳丘斜面には川原石に
よる葺石がみられ、石室をもつ墳丘は直径17mの円形墳であることがわかりました。周堀は墳丘裾
をめぐる二重の周堀が確認され、県内でも極めてまれなものです。
 石室は全長5m、幅1.7m、高さ1.7mあり、その構造から無袖式川原石小口積みの横穴式石室と
呼ばれ、この裏側には川原石による裏込めがみられます。石室には天井石と呼ぶ大きな石の蓋があり
ますが、入口部の1枚を除き、全て崩れていました。奥壁の基底部には鏡石と呼ばれる大きな石が横
に3枚置かれ、床面には礫を敷き詰め、入口付近には石室のうちと外を区画する石列がみられます。
 石室入口には閉塞石が天井部まで積み込まれ、厳重に閉じていたことがわかります。石室へと通じ
る墓道は削平により石室付近のみしか確認できませんでしたが、この墓道は階段状となることが推定
されます。
 出土遺物としては石室内から大刀、鉄鏃、刀子、耳環、銅釧、勾玉、管玉、切子玉、ガラス玉など
の副葬品が多数出土し、これらは出土状況や閉塞石の状態から複数の埋葬者の副葬品と考えられます。
また、墳頂からは祭祀に使用された土師器や須恵器の甕が発見されました。
 首長原古墳はこれらの出土遺物や石室の形態から那須地域に見られる横穴式石室でも比較的古い様
相をもつものと考えられ、時期的には6世紀後半(今から約1,450年前)の豪族の墓と推定されます。

整備の概要
石 室 側壁、奥壁、裏込め部、床面、天井石は樹脂により補強し、崩落した天井石は擬石により復
    元しています。
墓 道 削平部を復元し、樹脂により表面を補強しました。
墳 丘 直径17mの円形墳丘を盛土により復元し、墳丘には本来葺石がみられますが、古墳保護の
    ため表土上に張り芝を行っています。また、周辺の削平による旧地表面との差を解消するた
    め墳丘よりゆるやかな傾斜により、景観を調整しています。
                                    那珂川町教育委員会


栃木県那須郡那珂川町「首長原古墳(しゅちょっぱらこふん)」

 画像は石室内部のようすです。
 墳丘と石室は復元されているようですが、葺石は復元されなかったようです。
 最近の私は腰に不安があり、また肩が痛かったりもするので、狭い石室内に無理矢理入ってみることはしなくなったのですが、石室内のきれいな写真を撮りたかったなと少し後悔。でも、石室内で動けなくなったら怖いし、地震がきても怖いし。。。


栃木県那須郡那珂川町「首長原古墳(しゅちょっぱらこふん)」

 西から見た首長原古墳。墳丘上は墓地となっています。。。
 
<参考文献>
塙 静夫『探訪 とちぎの古墳』
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  1. 2017/06/19(月) 03:06:17|
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栃木県那須郡那珂川町 「駒形大塚古墳」―国指定史跡―

「駒形大塚古墳」―国指定史跡―

 「駒形大塚古墳」は、栃木県那須郡那珂川町小川那珂川の支流である権津川に沿う段丘上に所在する前方後方墳で、画像はこの駒形大塚を西から見たところです。昭和54年(1979)には「那須小川古墳群」として、「吉田温泉神社古墳群」、「那須八幡塚古墳群」とともに一括して国の史跡に指定されているこの駒形大塚は、全長60.5m、後方部の高さ8mを測り、前方部は削平されているものの前期古墳の出現期に見られる撥形であることがわかっています。古墳の周囲は「駒形大塚公園」として整備されており、敷地内には那珂川町教育委員会による説明板が設置されています。

 国指定史跡 駒形大塚古墳
        昭和五十四年三月三日指定
 本古墳は北から南に伸びる段位と直角に築
造された。西向きの前方後方墳である。前方
部の墳丘を失っているが、昭和四十九年十一
月に発掘調査され、墳形と内部主体が明らか
になる。
 前方部は西側裾の先端が八の字形に前開き
する古式な形で、全長は六十四メートルであ
る。現存する後方部墳頂下一・五メートルの
ところに設けられた主体は、木炭でとりかこ
まれた内面朱塗りの木棺であり、画文帯龍虎
鏡、銅鏃、蕨手状の素環頭刀子、鉄直刀、鉄
剣、鉃斧、鉄鉋とガラス小玉など、古い時期
の副葬品である。かつ、後方墳頂下浅く、古
い土師高坏、壺などの葬祭器が出土している
など、外形、内容とも極めて重要な古式な前
方後方墳である。
 小川町は、本古墳とともに、那須八幡塚古
墳、吉田温泉神社古墳の三基の古式な前方後
方墳が存在することから、四世紀に下野では
最も早く開発され、永く繁栄した様子がうか
が割れるところである。
    昭和六十年三月一日
           那珂川町教育委員会


 後方部の西側(画像手前)には前方部の名残と思われる高まりが残されているのですが、これは原形を留めるものではないようです。


「駒形大塚古墳」―国指定史跡―

 北から見た駒形大塚古墳です。右側が前方部、左側が後方部です。
 那珂川に注ぐ権津川は、古くから氾濫河川として知られているようですが、川沿いの谷地が肥沃な沖積地であったことから古墳時代には農耕地として拓かれていたそうです。この恵まれた農耕地を背景に、地域で最初に築かれた大形前方後方墳が、この駒形大塚古墳であるとされています。


「駒形大塚古墳」―国指定史跡―

 残存する後方部は東西30メートル、南北28メートルを測り、墳丘には葺石が確認されています。墳頂部には頌徳碑と祠、鳥居が建てられており、このため若干の削平が見られるようです。


「駒形大塚古墳」―国指定史跡―

 画像は、南東から見た春の駒形大塚古墳です。手前に見えるのが、昭和54年3月13日建立の「史跡 駒形大塚古墳」の石碑です。季節の変化により全く違う姿を見せてくれるのも、古墳の見どころかもしれません。。。


「駒形大塚古墳」―国指定史跡―

 駒形大塚古墳の周辺にはかつては7基以上の古墳が存在していたといわれていますが、そのほとんどは消滅、現在は2基の小円墳が残されるのみです。画像は「駒方大塚古墳陪墳2号」を南から見たところです。陪塚とは、規模の大きな古墳の周囲に築かれている、規模のより小さな古墳を指し、陪冢(ばいちょう)とも陪墳とも呼ばれるもので、近親者や従臣を葬った墓であると考えられていました。この小円墳は、現在でも「陪墳」の名称で呼ばれており、那珂川町の史跡として指定されています。


駒形大塚倍墳三号

 画像は「駒方大塚古墳陪墳3号」を南から見たところです。この古墳も、陪墳2号とともに昭和47年(1972)9月29日に那珂川町の史跡として指定されており、標柱が立てられています。陪墳2号、3号ともに方墳ではないかと考えられているようです。

<参考文献>
塙 静夫『探訪 とちぎの古墳』
有限会社 随想舎『那珂川と八溝の古代文化を歩く』 
栃木県小川町教育委員会『国指定史跡 那須小川古墳群』
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  1. 2017/06/16(金) 00:43:59|
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栃木県那須郡那須町 「舟戸古墳群」

栃木県那須郡那須町「舟戸古墳群」

 「舟戸古墳群」は、栃木県那須郡那須町に所在する古墳群です。那珂川と余笹川の合流地点のすぐ西側にあるこの古墳群は那珂川流域最北端の古墳群であり、栃木県最北端の古墳群でもあります。現在3基の高まりが残されており、北から2号墳、1号墳、3号墳と呼ばれています。「那須町史跡 ハッケトンヤ縄文式遺跡及び船戸古墳群」と刻まれた石碑の横には説明板が設置されており、次のように書かれていました。

  ハッケトンヤ縄文式遺跡および船戸の古墳群
 ハッケトンヤ遺跡は、余笹川と那珂川の合流地点内側に位置し、丘陵の突端部で現在の黒川発電
所の崖の上あたりにあります。ハッケトンヤとは地名で、急な崖の上を意味する古語であるといわ
れています。
 この遺跡は、縄文時代中期(約5000年前)以降の代表的な遺跡であり、面積は約30gです。遺
物としては、打製石斧・磨製石斧・石鏃・石皿・土器片等が多数発見され、加曽利EⅡ式と同Ⅲ式
のものが多く見られます。ここは平地からの高さが20mあり日当たりもよく、また那珂川と余笹
川にはさまれ狩猟、漁猟のための自然条件が大変よい場所です。

 舟戸古墳群の主墳である前方後円墳は、帆立貝式と呼ばれるもので、前方部が通常のものより
も短く、全長は約10m、高さは約3mあります。この古墳は、東に開口して羨道があり、横穴式
石室をもち、共に那珂川の安山岩を利用して内側を築いています、明治のころ、人骨粉と直刀二
振りが出土したと伝えられていますが、確かではありません。
 いくつかある円墳は、主墳よりも小振りですが規模からみてこの地方の小豪族のものと思われ
ます。被葬者やそれらの人々の居住地については不明です。
 那珂川水系に多い古墳群のうち最北端のものであり、関東最北端の古墳群でもあります。
                                   那須町教育委員会


栃木県那須郡那須町「舟戸古墳群」

 東から見た舟戸古墳群全体のようすです。画像の中央左寄りに見えるのが1号墳。右側が2号墳。左端に見えるのが3号墳です。画像右側の崖の上に「ハッケトンヤ縄文式遺跡」が所在します。



栃木県那須郡那須町「舟戸古墳群」

 画像は、北東から見た舟戸古墳群です。右手前が2号墳。中央の奥に見えるのが1号墳。左に僅かに見えるのが3号墳です。


栃木県那須郡那須町「舟戸古墳群」

 画像が、北東から見た「舟戸古墳群1号墳」です。3基の古墳の中央にある主墳です。


栃木県那須郡那須町「舟戸古墳群」

 同じく、南西から見た舟戸古墳群1号墳です。帆立貝式の前方後円墳であると考えられており、画像手前の長さ5メートル、高さ1メートル程の高まりが前方部であるとされています。埋葬施設は、河原石を積んだ横穴式石室が確認されているようです。墳丘にある窪みにトタンが被せられており、ここから石室を見ることが出来るのかもしれませんが、無理はしませんでした。。。


栃木県那須郡那須町「舟戸古墳群」

 同じく南西から見た舟戸古墳群1号墳です。墳丘裾部に見えるのは葺石でしょうか。。。


栃木県那須郡那須町「舟戸古墳群」

 画像は、南西から見た「舟戸古墳群2号墳」です。墳丘の北側が大きく削平されているようです。『那珂川と八溝の古代文化を歩く』 には「現地形からみて古墳でない可能性もある」と書かれています。


栃木県那須郡那須町「舟戸古墳群」

 同じく、南から見た舟戸古墳群2号墳です。


栃木県那須郡那須町「舟戸古墳群」

 東から見た「舟戸古墳群3号墳」です。1号墳よりも、こちらの3号墳のほうが前方後円墳らしき形状に見えます。。。


栃木県那須郡那須町「舟戸古墳群」

 南から見た舟戸古墳群3号墳です。1号墳同様に、墳丘にある窪みにトタンが被せられています。この下に石室が開口しているのかもしれません。。。

<参考文献>
有限会社 随想舎『那珂川と八溝の古代文化を歩く』 
現地説明版


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  1. 2017/06/14(水) 03:30:52|
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「庚申塚」

「庚申塚」

 国立市内にはかつては3ヶ所に庚申塚が存在したようですが、下谷保の東方の原と石神の市役所通りに存在したという2ヶ所は開発により消滅しており、唯一残されているのが、画像の国立市西3丁目に所在する庚申塚です。国立市立国立第二中学校の北側を走る旧江戸街道の道沿いにあり、土で盛ったマウンドは存在しないようですが、現在も庚申塔が祀られています。
 現地に設置されている、国立市教育委員会による説明板には次のように書かれています。

 庚 申 塚
 庚申塚は、悪疫を防ぎ、長寿を招くという中
国の庚申信仰に基づいて造られたものです。
 中国の道教では、六十日ごとにめぐってくる
庚申(かのえさる)の日は、人間に体内にいる三
尸の虫が、人の眠りに乗じて天帝にその罪悪を
告げ、人の寿命を縮めるという教えがあり、そ
の夜は眠らずに過ごすという風習が生まれまし
た。これを庚申待といいます。
 日本にも庚申信仰は古くから伝わっていまし
たが、江戸時代に入ると、庶民の間に庚申塔造
立や庚申待の風習が広まりました。
 この庚申塚は、かつての江戸街道に面して造
られており、今でも十月二十六日には庚申待の
行事が行われています。
 平成二年三月
             国立市教育委員会


「庚申塚」

 古代に築造された古墳を流用して造られた庚申塚も存在する中、下谷保古墳群など多くの古墳が築造された立川段丘縁辺部からさほど遠くない位置に所在する、この庚申塚を見学に訪れたわけですが、古墳とは無関係であるようです。
 庚申塚の名称はかつては古い道などに残されていたようですが、同じ敷地内のアパート名にも平仮名で「こおしん荘」と命名されているあたりが、いい味を出しているようです。。。

<参考文献>
原田重久『わが町国立』
くにたち中央図書館『くにたちしらべ NO.15』


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  1. 2017/06/06(火) 03:14:28|
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「谷保古墳」

「谷保古墳」

 「下谷保古墳群」は、青柳に点在する「青柳古墳群」よりも一段高い立川段丘縁辺部に、東西700m、南北150mの範囲で分布する古墳群です。これまでに、発掘調査により下谷保1~10号墳までの10基が古墳として確認されており、さらに古墳ではないかと推測される遺構も存在しているようです。
 今回紹介するのは「谷保古墳」です。『東京都遺跡地図』には国立市の遺跡番号23-5番の遺跡として登録されている古墳で、画像はこの谷保古墳を西から見たところです。発掘調査が行われていないため、埋葬施設や周溝の詳細は不明で、また埴輪や葺石の存在もわからないようですが、古墳ではないかと考えられている遺構で、国立市谷保の民家の敷地内に残されています。平成6年(1994)には多摩地区所在古墳確認調査団により測量調査が行われており、東西径約16m、南北径約14m、高さは約1.8mで、墳丘の東側がコンクリートの壁により裾部が削平、また残る三方は住宅により囲まれているものの、比較的良好な状況で残存しているようです。
 

「谷保古墳」

 鳥居をくぐると、墳丘の中腹には石段が設けられており、この石段を登ると墳頂部には祠が祀られています。


「谷保古墳」

 墳頂部のようすです。
 当日は、土地の所有者に声をかけて見学させていただきました。ありがとうございました!

<参考文献>
原田重久『わが町国立』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』


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  1. 2017/06/02(金) 01:20:24|
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