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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

「亀甲山古墳(西岡第46号古墳)」―国指定史跡―

「亀甲山古墳(西岡第46号古墳)」―国指定史跡―

 「亀甲山古墳(かめのこやまこふん)」は、東京都大田区田園調布1丁目の多摩川台公園内に所在する古墳です。多摩川下流域左岸の舌状台地上に築造されており、昭和3年(1928)には国の史跡に指定されている、荏原台古墳群中最大の前方後円墳です。『東京都遺跡地図』には大田区の遺跡番号35番の古墳として登録されています。

 画像は、多摩川を挟んだ対岸の川崎市側、南西から亀甲山古墳を見たところです。この古墳は、横から見た形が亀に似ていることから「亀甲山古墳」の名称がつけられたといわれています。墳丘上には樹木が生い茂っており、古墳の形状をはっきりと見ることはできないのですが、森の形からうっすらと亀に似ているとされる前方後円墳の形状を見ることが出来ます。
 古墳は、後円部の裾の一部が浄水場建設工事により削平されており、また前方部も一部削平されているほかは、原形をよく留めているようです。


「亀甲山古墳(西岡第46号古墳)」―国指定史跡―

 画像は、亀甲山古墳の後円部を南東から見たところです。手前に見えるのは、大正7年から昭和42年まで、多摩川の水をくみ上げて浄化して周辺地域に水道水を供給していたという「調布浄水場跡」です。浄水場により後円部の裾の一部が削平されています。
 亀甲山古墳については、古くは江戸時代の地誌類に記述を見ることが出来ます。『新編武蔵風土記稿』の下沼部村の亀塚の項には「浅間の西にあり、土人亀塚山といふ、浅間山より少しく高し、されど其事跡をつまびらかにせず、上沼部村亀塚の条合せ見るべし云々、」とあり、上沼部村の亀塚の項には「村の東の方にあり、小山のごとくたてり、又下沼部村にも一所あり、名づけて雌亀雄亀と云、ただかたちの似たるを以て云にや、その故を詳にせず、古くは御放鷹の節御立場になりしこともありと云、百姓弥右衛門の持なり、」と書かれています。同書ではこの亀甲山古墳を「亀塚」、「亀塚山」と記述しており、また宝萊山古墳とこの亀甲山古墳を合わせて「雌亀雄亀」と呼んでいるあたりは、興味深いところです。
 また、『玉川辺亀ノ甲山江右大将様御成記録』という徳川十二代将軍家慶が亀甲山に御上覧された記録が書かれている文献には、亀甲山古墳の名称に「亀ノ甲山」と「ノ」のルビがふられていることから、亀甲山は江戸時代当時から「かめのこやま」と呼ばれていることがわかっています。


「亀甲山古墳(西岡第46号古墳)」―国指定史跡―

 画像は南から見た亀甲山古墳です。右手前が後円部で、左奥が前方部です。わずかにくぶれ部の形状を見ることが出来ます。
 昭和62年(1987)から平成元年(1989)にかけて測量調査が行われており、築造当時の墳丘長は107.25m、後円部径66m、前方部幅49.5m、後円部高11.75m、前方部高7.63m全長107.25m、前方部幅49.5m、同高約7.5m、後円部径66m、同高約10mであることがわかっています。
 発掘作業が行われていないことから出土品がなく、築造された年代は不詳とされていますが、墳丘の平面系が、京都府の天皇の杜古墳や奈良県の佐紀陵山古墳と類似することから、4世紀後半の築造と推定されています。これにより、同じ台地上の北西500mに所在する「宝萊山古墳」(東京都指定史跡、東京都指定史跡)に次いで築造された、当時この地方に勢力があった首長の墓と考えられています。


「亀甲山古墳(西岡第46号古墳)」―国指定史跡―

 墳丘南側のくびれ部付近には、「史跡 亀甲山古墳」と刻まれた石碑と大田区による案内板が立てられています。

国指定 史跡亀甲山古墳
 この古墳は、大田区から世田谷区におよぶ
荏原(台)古墳群中最大の前方後円墳である。
発掘調査は行われておらず詳細は不明である
が、埴輪、葺石等がないことや、その古墳の
形により、五世紀前半頃の築造と考えられ、
当時、この地方に勢力のあった首長の墓と推
定されている。
この前方後円墳は、後円部南端を浄水場建設
工事により削られているものの、比較的よく
原形を保っている。港区芝公園内にある丸山
古墳とならんで、都内の代表的古墳である。
昭和三年、国の史跡に指定されている。
                 大田区



「亀甲山古墳(西岡第46号古墳)」―国指定史跡―

 西から見た亀甲山古墳の前方部のようすです。ちょうどこのあたりが削られているようです。
 この亀甲山は鎌倉時代の古戦場で、この当時の侍が隠れていた穴が多く存在すると地元の人には言い伝えられているようです。亀甲山古墳の南には「亀塚横穴墓群」が、また西側には「多摩川台公園内横穴墓」などの横穴墓が確認されており、おそらくは侍が隠れていた穴とは、当時開口していたかもしれないこれらの横穴墓であると思われます。ひょっとしたら、合戦を生き延びた侍達が、横穴に隠れて雨風を凌いだというようなことが本当にあったのかもしれません。。。


「亀甲山古墳(西岡第46号古墳)」―国指定史跡―

 亀甲山古墳が国の史跡に指定される昭和3年以前には古墳を覆っているフェンスは無く、自由に散策できたことから、周辺の子供たちの遊び場にもなっていたようです。画像は唯一フェンスが存在しない、墳丘を見ることが出来る場所だったのですが、現在は立ち入り禁止となっているようです。。。
 古墳には盗掘を受けた痕跡がないといわれていますが、いつの日か行われるであろう発掘調査でどんな埋葬品が出土するのか、興味は尽きません。。。

<参考文献>
大田区教育委員会『大田区の埋蔵文化財 第12集』
大田区教育委員会『大田区の史跡名勝天然記念物』
大田区立郷土博物館『大田区古墳ハンドブック―多摩川に流れる古代のロマン』
現地説明版


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  1. 2017/07/31(月) 00:58:52|
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「多摩川台古墳群 旧8号墳(後藤第8号墳・西岡第39号古墳)」

「多摩川台古墳群 旧8号墳(後藤第8号墳・西岡第39号古墳)」

 画像は、かつて古墳ではないかと考えられていた多摩川台公園内のマウンドです。発掘調査以前は「多摩川台古墳群8号墳」と呼ばれており、「後藤第8号墳」、「西岡第39号墳」とも呼称されていました。調査の結果、埋葬施設や周溝等は検出されず、北側の切り通し道路の法面整備に伴い形成された高まりが古墳の墳丘と誤認されたことがわかっています。
 多摩川台古墳群を1号墳から順に見学してきた状況でこのマウンドを見れば、どんな考古学者でも古墳であるとしか考えられない形状と位置をしていると思うのですが、「残土の山」ということで、納得です。笑。
 
<参考文献>
野本孝明「南武蔵 多摩川台古墳群」『武蔵と相模の古墳』
大田区立郷土博物館『大昔の大田区 原始・古代の遺跡ガイドブック』


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  1. 2017/07/29(土) 00:03:27|
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「多摩川台古墳群8号墳(旧第9号墳・後藤第9号墳・西岡第38号古墳)」

「多摩川台古墳群8号墳(旧第9号墳・後藤第9号墳・西岡第38号古墳)」

 画像は、「多摩川台古墳群8号墳」を西から見たところです。
 多摩川台古墳群の築造は前方後円墳である1号墳から始まり、7世紀前後に3→4号墳と5→6号墳と併行して造られ、7世紀第2四半期に7号墳と、ほぼ15年前後で順次築造されているとされており、多摩川台古墳群中最後の7世紀中頃に築造されたのがこの8号墳です。直径16.5m前後の円墳で、列をなす1~7号墳から少し離れた場所に所在しています。
 周溝は幅の狭いU字形をしており、また石室の奥壁が墳丘の中心となっているのは、古墳の所在地の尾根地形が影響していたのではないかと考えられているそうです。

 この8号墳前に、「多摩川台古墳群」についての東京都教育委員会による説明板が設置されており、次のように書かれていました。

東京都指定史跡
多摩川台古墳群
            所在地 大田区田園調布一丁目六十三番
                同四丁目三番
            指 定 平成十二年三月六日

 多摩川台古墳は、八基からなる古墳時代後期の古墳群である。古
墳群の南側には国指定史跡亀甲山古墳、北側には東京都都指定史跡
宝莱山古墳の二基の大型前方後円墳が古墳時代前期(四世紀)に築
造されている。
 古墳群は、最初に二号墳が六世紀前半に築造され、二号墳を前方
部として利用し、一号墳を後円部とする一基の前方後円墳(全長三
十九メートル)が六世紀後半に築造された。その後、三号墳から八
号墳までの円墳(直径十三~十九メートル)が七世紀中頃まで継続
して築造された。
 発掘調査された古墳の横穴式石室内からは、副葬された直刀や鉄
鏃等の武具類、耳飾りや管玉等の装身具類、馬具の轡、須恵器や土
師器が出土し、墳丘部からは円筒埴輪が発見された。
 本古墳群は、大田区田園調布付近から世田谷区野毛付近に所在し、
昭和初期に五十四基の古墳が確認されていた荏原台古墳群の一支群
にあたる。今日、荏原台古墳群の多くの古墳が都市化の波に埋もれ
てしまっている中で、本古墳群は往時の姿をとどめているだけでな
く、当時の多摩川下流左岸地域の首長墓群の変遷をたどることがで
きる貴重な古墳群である。

平成十三年三月三十一日 設置
                      東京都教育委員会


「多摩川台古墳群8号墳(旧第9号墳・後藤第9号墳・西岡第38号古墳)」

 小金井市の小金井公園内にある「江戸東京たてもの園」には、この「多摩川台8号墳(旧9号墳)」の石室のレプリカが展示されています。凝灰岩を用いた横穴式石室で、金環、小玉、直刀、刀子、須恵器、土師器杯形土器などが出土しています。


「多摩川台古墳群8号墳(旧第9号墳・後藤第9号墳・西岡第38号古墳)」

 かなり前の話ですが、あきる野市の「瀬戸岡古墳群」を見学した際に、瀬戸岡32号墳(旧1号墳)の石室が移設されていることを土地所有者の岸野氏に教えていただいたことから、この石室を見るために江戸東京たてもの園を訪れたのですが、瀬戸岡32号墳の隣に多摩川台8号墳の石室の存在を知った時には気持ちが高ぶったよなあ、と当時を思い出します。。。


「多摩川台古墳群8号墳(旧第9号墳・後藤第9号墳・西岡第38号古墳)」

 多摩川台公園内の古墳展示室には、8号墳から出土した須恵器長頸瓶のレプリカが公開されています。説明板には「横穴式石室の前室から3点、土師器坏形土器1点と共に出土した。そのため、前室では葬送祭祀が行われたのではないかと考えられている。長頸瓶の中には、酒などの飲物でも入れたのであろうか?その姿からフラスコ形瓶とも呼ばれ、2つの半球形を合わせ、側面に孔を開け長い口頸部を接合して作られる。これらの生産地は東海地方に限られるとされ、7世紀前半に始まり、8世紀に続くと考えられている。」と書かれていました。

<参考文献>
西岡秀雄「荏原台地に於ける先史及び原始時代の遺跡遺物」『考古学雑誌 第26巻 第5号』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
野本孝明「南武蔵 多摩川台古墳群」『武蔵と相模の古墳』
大田区立郷土博物館『大田区古墳ハンドブック―多摩川に流れる古代のロマン』
大田区立郷土博物館『大昔の大田区 原始・古代の遺跡ガイドブック』
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  1. 2017/07/28(金) 01:15:21|
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「多摩川台古墳群7号墳(後藤第7号墳・西岡第40号古墳)」

「多摩川台古墳群7号墳(後藤第7号墳・西岡第40号古墳)」

 画像は、大田区田園調布4丁目に所在する「多摩川台古墳群7号墳」を東から見たところです。7号墳は直径18m、高さ3mの円墳で、埋葬施設は両袖式の横穴式石室です。昭和33年(1958)に行われた発掘によりこの横穴式石室は調査されているようですが、盗掘により荒らされており、石室内からの出土品はなかったようです。築造は、7世紀第2四半期の前半と考えられています。

 東京都内で、こうした豊かな自然の中でゆっくりと古墳散策が出来る場所は限られていますし、のんびりと歩くことの出来る多摩川台公園は私の好きな場所のひとつです。

<参考文献>
野本孝明「南武蔵 多摩川台古墳群」『武蔵と相模の古墳』
大田区立郷土博物館『大昔の大田区 原始・古代の遺跡ガイドブック』


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  1. 2017/07/27(木) 01:54:41|
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「多摩川台古墳群6号墳(後藤第6号墳・西岡第41号古墳)」

「多摩川台古墳群6号墳(後藤第6号墳・西岡第41号古墳)」

 画像は、大田区田園調布4丁目に所在する「多摩川台古墳群6号墳」を東から見たところです。直径19.6mの円墳で、高さは2.8m以上と推定されています。周溝は確認されなかったようですが、5号墳の周溝が6号墳の墳端部の整形時に削平されていることから、5号墳→6号墳の順に築造されたことがわかっています。
 この古墳は、保存のために発掘が行われていないことから、副葬品等の出土品の詳細はわからないようです。


「多摩川台古墳群6号墳(後藤第6号墳・西岡第41号古墳)」

 5号墳、6号墳、7号墳の3基の古墳の中心点を結び、その直線に石室の方向を交差させると、それぞれほぼ垂直に交わります。これは3基の古墳が計画的に築造されたことを物語っているようです。4号墳と5号墳の間隔はほかに比較して広く取られおり、また埴輪の有無も合わせて考えると、1~4号墳、5~7号墳という二つのグループの形成が想定されているようです。

<参考文献>
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
野本孝明「南武蔵 多摩川台古墳群」『武蔵と相模の古墳』
大田区立郷土博物館『大田区古墳ハンドブック―多摩川に流れる古代のロマン』
大田区立郷土博物館『大昔の大田区 原始・古代の遺跡ガイドブック』


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  1. 2017/07/25(火) 00:16:01|
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「多摩川台古墳群5号墳(後藤第5号墳・西岡第42号古墳)」

「多摩川台古墳群5号墳(後藤第5号墳・西岡第42号古墳)」

 画像は、大田区田園調布4丁目に所在する「多摩川台古墳群5号墳」を南西から見たところです。
 この古墳は、直径20.1m、高さ3.25mの円墳です。昭和33年(1958)に明治大学考古学研究室と東京都武蔵野郷土館による発掘調査が行われており、切石積の横穴式石室が調査されています。大刀4、刀子3、鉄鏃62、轡1、小玉221、管玉5、勾玉4、棗玉2、切子玉1が出土しており、6世紀末から7世紀初頭の築造と考えられています。


「多摩川台古墳群5号墳(後藤第5号墳・西岡第42号古墳)」

「多摩川台古墳群5号墳(後藤第5号墳・西岡第42号古墳)」

 多摩川台公園内の古墳展示室には、5号墳からの出土品のレプリカが公開されています。

<参考文献>
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
野本孝明「南武蔵 多摩川台古墳群」『武蔵と相模の古墳』
大田区立郷土博物館『大田区古墳ハンドブック―多摩川に流れる古代のロマン』
大田区立郷土博物館『大昔の大田区 原始・古代の遺跡ガイドブック』

  1. 2017/07/24(月) 00:20:18|
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「多摩川台古墳群4号墳(後藤第4号墳・西岡第43号古墳)」

「多摩川台古墳群4号墳(後藤第4号墳・西岡第43号古墳)」「多摩川台古墳群4号墳(後藤第4号墳・西岡第43号古墳)」

 画像は、大田区田園調布1丁目に所在する「多摩川台古墳群4号墳」を南から見たところです。この古墳は、直径18m、高さ3mの円墳で、昭和62~63年(1987~88)に大田区教育委員会により行われた範囲確認調査により調査された横穴式石室から大刀3、鍔2、刀子1、鉄鏃3、轡片、金環1が出土しています。この4号墳は、3号墳築造後の7世紀第1四半期に造られたと考えられています。また、この4号墳と3号墳には埴輪が存在することがわかっているようです。


「多摩川台古墳群4号墳(後藤第4号墳・西岡第43号古墳)」

「多摩川台古墳群4号墳(後藤第4号墳・西岡第43号古墳)」

 画像は、多摩川台公園内の古墳展示室に展示されている鍔と金環です。。。

<参考文献>
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
野本孝明「南武蔵 多摩川台古墳群」『武蔵と相模の古墳』
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  1. 2017/07/23(日) 00:02:18|
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「多摩川台古墳群3号墳(後藤第3号墳・西岡第44号古墳)」

「多摩川台古墳群3号墳(後藤第3号墳・西岡第44号古墳)」

 画像は、大田区田園調布1丁目に所在する「多摩川台古墳群3号墳」を南から見たところです。
 この3号墳は、隣接する4号墳と合わせて、全長44mの前方後円墳ではないかとも考えられていたようですが、昭和62~63年(1987~88)に大田区教育委員会により行われた範囲確認調査の際に両墳が接続部から周溝が検出され、別々の円墳であることがわかっています。古墳の規模は、直径13~14m、高さ3mで、埋葬施設は切石積横穴式石室が確認されています。この石室開口部前より出土した土師器坏形土器により、古墳は6世紀末から7世紀初頭の築造と考えられているようです。


「多摩川台古墳群3号墳(後藤第3号墳・西岡第44号古墳)」

 3号墳前には多摩川台古墳群の案内板が設置されており、1号墳から4号墳までの解説と古墳の分布図を見ることが出来ます。


「多摩川台古墳群3号墳(後藤第3号墳・西岡第44号古墳)」

 多摩川台公園内の古墳展示室には、土師器坏形土器のレプリカが公開されています。

<参考文献>
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
野本孝明「南武蔵 多摩川台古墳群」『武蔵と相模の古墳』
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  1. 2017/07/22(土) 00:56:40|
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「多摩川台古墳群1号墳(後藤第1号墳・西岡第45号古墳)」+「多摩川台古墳群2号墳(後藤第2号墳・西岡第45号古墳)」

「多摩川台古墳群1号墳(後藤第1号墳・西岡第45号古墳)」+「多摩川台古墳群2号墳(後藤第2号墳・西岡第45号古墳)」

 「多摩川台古墳群」は、「田園調布古墳群」に属する古墳群で、多摩川下流域左岸の段丘上に位置しています。現在は、大田区田園調布1丁目から同4丁目にかけての大田区立多摩川台公園内に整備、保存のうえで公開されており、いつでも見学することができます。
 この古墳群は、古くは江戸時代末期の『寛永三年四月二日玉川辺亀ノ甲山江右大将様御成記録』の絵図に、富士山(浅間神社古墳)や亀山(亀甲山古墳)とともに半分ほどが描かれているようです。その後、西岡秀雄氏の分布調査や東京府史蹟名勝天然記念物調査により8基が把握されており、1、2、4~7号墳の6基の測量調査が行われています。

 画像は、「多摩川台古墳群1号墳」と「同2号墳」を南東から見たところです。この古墳は前方後円墳であることが確認されており、画像の右手前が後円部(1号墳)、左奥が前方部(2号墳)です。


「多摩川台古墳群1号墳(後藤第1号墳・西岡第45号古墳)」+「多摩川台古墳群2号墳(後藤第2号墳・西岡第45号古墳)」

 この古墳の墳形については、これまで様々な説があったようです。昭和11年(1936)の後藤守一氏はこの古墳は「連続円墳と見るを穏当と思う」として「1号墳」、「2号墳」と命名していますが、同年の西岡秀雄氏の分布調査では「雙型墳である」として「第45号墳」と命名しています。その後、昭和33年(1958)の明治大学考古学研究室による学術調査の際には諸星政得氏他により「独立の円墳」とされ、昭和55年(1980)の大田区教育委員会は「前方後円墳と見た方が良い」、昭和57年(1982)の東京都教育委員会は「前方後円墳の可能性も推定される」と、墳形は明確ではなかったようです。
 その後、昭和62年(1987)から五カ年計画で実施された大田区教育委員会による範囲確認調査により1号墳と2号墳の間にくびれ部が検出され、前方後円墳であることが確認されています。
 この古墳は、まず竪穴式礫槨を埋葬施設とする第2号墳が造られ、その後この盛土と周溝を削平し、第1号墳を後円部、第2号墳を後円部とする前方後円墳が築造された事がわかっており、規模は全長30m、前方部幅17m、後円部径19,5m、高さ約5mで、前方部先端の一方が剣先形になる片剣菱形前方部の古墳です。
 同じ田園調布古墳群に属する「観音塚古墳」も、「田園調布赤坂古墳」を破壊した上に墳丘が築造されたことがわかっているようですが、元々あった古墳を壊してまで新しい古墳を造るというのは如何なる理由があってのものか、とても気になるところですね。


「多摩川台古墳群1号墳(後藤第1号墳・西岡第45号古墳)」+「多摩川台古墳群2号墳(後藤第2号墳・西岡第45号古墳)」

 多摩川台公園内には古墳展示室が開室されています。
 画像は、多摩川台古墳群1号墳の円筒埴輪のレプリカです。

<参考文献>
東京都教育委員会『都心部の遺跡』
野本孝明「南武蔵 多摩川台古墳群」『武蔵と相模の古墳』
大田区立郷土博物館『大田区古墳ハンドブック―多摩川に流れる古代のロマン』
大田区立郷土博物館『大昔の大田区 原始・古代の遺跡ガイドブック』


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  1. 2017/07/20(木) 01:20:56|
  2. 大田区/田園調布古墳群
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「宝莱山古墳(蓬莱塚・将軍塚・西岡第37号古墳・松平氏邸前方後円墳)」―東京都指定史跡―

「宝莱山古墳(蓬莱塚・将軍塚・西岡第37号古墳・松平氏邸前方後円墳)」―東京都指定史跡―

 「宝莱山古墳」は、大田区田園調布4丁目に所在する前方後円墳です。『東京都遺跡地図』には大田区の遺跡番号38番の古墳として登録されています。画像は、この宝莱山古墳を南西から見たところです。

 この古墳は、古くは「蓬莱塚」、「将軍塚」とも呼ばれ、西岡秀雄氏により行われた荏原台古墳群の分布調査の際には「西岡第37号古墳」と命名されています。多摩川流域では、亀甲山と並ぶ最大級の前方後円墳です。
 昭和8年(1933)には、当時外交官だった松平氏がこの敷地を買い求め、R・ライトの設計といわれる鉄筋コンクリート造の邸宅を鞍部に建築しています。この際、墳丘北側には車寄せが設けられていました。また、昭和9年(1934)には宅地造成工事により、後円部のおよそ3分の2が削平されています。この際、細合公一、西岡秀雄両氏により埋葬施設である粘土槨が調査され、多くの副葬品が出土しています。四獣鏡や紡錘車形碧玉製品といった出土品の存在が宝莱山古墳の被葬者の強い政治力を物語っており、荏原郡を治めた首長の墓ではないかと考えられているようです。
 その後、平成7年(1995)には古墳の範囲確認調査が行われ、全長97m、後円部径52m、後円部高さ11m、前方部長45m、前方部幅36m、前方部高さ8mという規模が確認されています。この確認調査では、残された前方部にも埋葬施設のあることが推定されているようです。宝莱山古墳は、翌平成8年に都の旧跡から史跡に変更され、現在は大田区により多摩川台公園の拡張部として整備され、公開されています。
 

「宝莱山古墳(蓬莱塚・将軍塚・西岡第37号古墳・松平氏邸前方後円墳)」―東京都指定史跡―

 画像は、南から見た宝莱山古墳です。この角度から見るのが、前方後円墳らしい形状が確認できるのではないかと思います。右手前が前方部、左奥が後円部です。左奥の先は、残念ながら後円部の先端3分の2ほどは存在しません。。。
 敷地内には、設東京都教育委員会と大田区により複数の説明板が設置されています。この説明板には次のように書かれていました。

東京都指定史跡
宝莱山古墳

所在地 大田区田園調布四―四
指 定 大正十五年四月
(平成八年三月十八日種別変更)

 宝莱山古墳は、多摩川下流域左岸の台地上、標高三十七・五メートル付近に築造された全長約九十七メートルの前方後円墳で、四世紀に築かれたこの地域最古のものである。前方部は東南に向き、この地域最大規模を誇る全長約百七メートルの亀甲山古墳の前方部と向き合う位置に造られている。
 昭和九年に後円部が土取り工事で削平された際に、粘土槨の埋葬施設が発見され、四獣鏡、紡錘車形碧玉製品、玉類、剣などの武器類が出土している。
 平成七年の公園整備びともなう確認調査において、前方部にも埋葬施設のあることが確認され前方部の先端が「撥状」に広がる形をとることが明らかにされた。墳丘は、前方部二段、後円部三段に築かれ、墳丘の周囲は削り出しによる一段のテラスが設けられている。この古墳は、多摩川流域の古墳時代を解明する上で重要である。
平成十年三月 建設
東京都教育委員会


東京都指定史跡宝來山古墳
 宝來山古墳は、多摩川下流域左岸の台地上、大田区立多摩川台公園西端の標高三十七・五メートル付近に築造された前方後円墳である。この古墳は、国史跡亀甲山古墳に次ぐ第二位の規模をもつ、全長約九十七メートルの四世紀に築かれたこの地域最古の前方後円墳である。前方部は東南に向き、この地域最大規模を誇る全長約百七メートルの亀甲山古墳の前方部と向き合う位置に造られている。
 昭和九年に後円部が土取り工事で削平された際に、粘土槨の埋葬施設が発見され、倣製四獣鏡、紡錘車形碧玉製品、玉類、剣、槍等が出土している。現在、この出土品は、慶応義塾大学と大田区立郷土博物館に展示・保管されている。また、この出土品のレプリカは、多摩川台公園内の古墳展示室に展示されている。
 平成七年の公園整備にともなう確認調査において、前方部にも埋葬施設のあることが推定され、前方部の先端が「撥状」に広がる形をとり、前方部南側の墳丘裾から台地の際まで張り出していることが明らかにされた。墳丘は、前方部二段、後円部三段に築かれ、墳丘の周囲は削り出しによる一段のテラスが設けられている。この古墳は、多摩川流域の古墳時代を解明する上で重要な遺跡として、平成八年三月十八日付けで、東京都指定史跡に指定された。
大田区


「宝莱山古墳(蓬莱塚・将軍塚・西岡第37号古墳・松平氏邸前方後円墳)」―東京都指定史跡―

 画像は、古墳西側の宅地となっている周辺のようすです。削平された後円部の形状がそのまま道路の形状として残されています。弧を描いている道路の右側が、かつての宝莱山古墳の後円部となるようです。
 

「宝莱山古墳(蓬莱塚・将軍塚・西岡第37号古墳・松平氏邸前方後円墳)」―東京都指定史跡―

 多摩川台公園内の古墳展示室には、宝莱山古墳の出土品のレプリカが公開されています。


37 大田区 西岡37号墳(宝莱山古墳)5

 ちなみに夏の宝莱山古墳はこんな状況。一枚目の画像とほぼ同じ位置から撮影しています。
 古墳をゆっくり観察するにはやはり冬がベストだなと思うわけですが、そもそもここまで暑いと一歩も外に出る気になれません。秋の終わり頃までは、撮り貯めた画像を地道に公開しようと思っています。。。

<参考文献>
西岡秀雄「荏原台地に於ける先史及び原始時代の遺跡遺物」『考古学雑誌 第26巻 第5号』
穴沢咊光・西岡秀雄「田園調布宝来山古墳の研究」『史誌』第15号
東京都指定史跡宝莱山古墳調査会『宝莱山古墳』
大田区立郷土博物館『大昔の大田区 原始・古代の遺跡ガイドブック』
現地説明版


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  1. 2017/07/18(火) 00:08:06|
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