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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

武蔵陵墓地 その3「武藏野陵(むさしののみささぎ、昭和天皇陵)」

武蔵陵墓地 その3「武藏野陵(むさしののみささぎ、昭和天皇陵)」

 画像は、昭和天皇の御陵である「武藏野陵(むさしののみささぎ)」です。
 

武蔵陵墓地 その3「武藏野陵(むさしののみささぎ、昭和天皇陵)」

 歴代の天皇の中でも在位期間が最も長く、また長寿であったのが昭和天皇であるそうです。
 御陵前には「昭和天皇武藏野陵」の石碑が建てられています。



昭和天皇武蔵野陵3

 昭和天皇が崩御された時のことは、よく覚えています。街からは派手なネオンが消えて、国全体が喪に服していました。また、テレビからもCMが消え、またバラエティー番組等も自粛され、様々なお祭りやパレード、イベント等の多くが中止となっていました。(確か、プロ野球の優勝の際のビールかけ等も行われなかった)
 当時まだ若く無知だった私は、天皇の存在について、自分が日本人であることについて考えさせられたように思います。。。


 次回、「武藏野東陵(むさしののひがしのみささぎ)」に続く。。。

<参考文献>
八王子市史編さん委員会『八王子市史 下巻』


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  1. 2017/08/31(木) 10:14:24|
  2. 八王子市の古墳・塚
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武蔵陵墓地 その2「多摩東陵(たまのひがしのみささぎ、貞明皇后陵)」

武蔵陵墓地 その2「多摩東陵(たまのひがしのみささぎ、貞明皇后陵)」

 大正天皇の御陵である「多摩陵(たまのみささぎ)」から70メートルほど東隣に、昭和26年(1951)に崩御された貞明皇后の御陵である「多摩東陵(たまのひがしのみささぎ)」が所在します。


武蔵陵墓地 その2「多摩東陵(たまのひがしのみささぎ、貞明皇后陵)」

 天皇陵は、第30代敏達天皇陵までは前方後円墳で、用明・崇峻・推古天皇陵が方墳、第34代の舒明天皇から第42代の文武天皇までは主に八角形墳が採用されているそうです。八角形墳は、方形の台座状部に八面体の円丘を乗せた特異な形状を呈しており、これは天皇陵特有の形状であると考えられているようです。そして、この伝統が途切れた後、明治天皇の陵墓で上円下方の形状が採用され、大正3年(1914)に崩御された皇后の伏見桃山東稜も上円下方墳です。


武蔵陵墓地 その2「多摩東陵(たまのひがしのみささぎ、貞明皇后陵)」

 貞明皇后は昭和26年(1951)5月17日に崩御されています。
 一般拝所に段がないことを除けば陵の構成は大正天皇陵とほぼ同じという、上円部、下方部ともに三段築成の上円下方墳です。


武蔵陵墓地 その2「多摩東陵(たまのひがしのみささぎ、貞明皇后陵)」

 次回、「武藏野陵(むさしののみささぎ)」に続く。。。

<参考文献>
八王子市史編さん委員会『八王子市史 下巻』


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  1. 2017/08/30(水) 01:45:45|
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武蔵陵墓地 その1「多摩陵(たまのみささぎ、大正天皇陵)」

「武蔵陵墓地」

 昨年の秋、良く晴れたお休みの日に武蔵陵墓地を参拝しました。
 八王子市長房町の武蔵陵墓地には、大正天皇の御陵である「多摩陵(たまのみささぎ)」、貞明皇后の御陵である「多摩東陵(たまのひがしのみささぎ)」、昭和天皇の御陵である「武藏野陵(むさしののみささぎ)」、香淳皇后の御陵である「武藏野東陵(むさしののひがしのみささぎ)」の四陵が造営されています。


「武蔵陵墓地」

 画像の正門を入ると、南側の表参道と北側の北参道に分かれます。まずは表参道を約490メートル歩いた西側の奥、大正天皇の御陵である「多摩陵(たまのみささぎ)」を目指します。


「多摩陵(たまのみささぎ、大正天皇陵)」

 大正天皇は、大正15年(1926)12月25日に崩御されました。翌昭和2年(1927)2月7日に行われた新宿御苑における大喪の儀ののち、翌8日に墓所に埋葬されたそうです。歴代の天皇陵は近畿以西に造営されており、この多摩陵は東国に造られた最初の天皇陵です。


「多摩陵(たまのみささぎ、大正天皇陵)」

 陵形は、四陵ともに上円下方です。
 石段を登るところまでは立ち入りが許されていないので、あまり近付き過ぎてしまうと御陵が見えなくなってしまいます。

 この日は澄み渡る青空と色付く紅葉がとてもきれいでした。。。


「多摩陵(たまのみささぎ、大正天皇陵)」

 多摩陵は、上部は直径15メートルの円形、下部は一辺が27メートルの正方形を呈する上円下方の形状です。上円部、下方部ともに三段築成で、上円三段は多摩川の河原石で葺石されています。


「多摩陵(たまのみささぎ、大正天皇陵)」

 東京都内には、府中市の「武蔵府中熊野神社古墳」と三鷹市の「天文台構内古墳」という2基の上円下方墳が存在します。この墳形と被葬者の関係がとても興味深いところです。。。

 次回に続く。。。

<参考文献>
八王子市史編さん委員会『八王子市史 下巻』


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  1. 2017/08/29(火) 00:05:44|
  2. 八王子市の古墳・塚
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「本村原遺跡C地点」

「本村原遺跡C地点」

 画像は、杉並区和田1丁目に所在する「本村原遺跡C地点」周辺を南西から見たところです。
 この遺跡は古くから古墳時代の遺物包蔵地として知られており、昭和30年(1955)発行の『杉並区史』138ページに掲載されている「区内発見古墳地名表」には「和田本町983附近」の高塚として「東京市町名沿革史・群在という・今なし」とあり、出土遺物として「刀・槍(?)」をあげています。
 この、かつての古墳の存在の可能性が考えられる地域での学術的な調査が行われたのは平成19年(2007)、女子美術大学の校舎の改築に伴う発掘調査により、旧石器時代の炭化物集中部や縄文時代の陥し穴、弥生時代や平安時代の住居跡や近世の遺構・遺物群などが検出されています。そして、このほかに小形の円筒埴輪か形象埴輪の破片3点が出土しています。
 杉並区内で3例目となるこの3点の埴輪片の発見は表土や近世の遺構覆土からであり、残土がほかの場所から流れ込んだ可能性もあることから、古墳の正確な所在地を特定することは困難な状況です。また、報告書が未刊であることから埴輪片の出土した位置もわからないのですが、少なくとも付近に古墳が存在したことは間違いないようです。

 今後の周辺地域の調査により古墳の発見の可能性は高まっているのかもしれませんね。。。

<参考文献>
杉並区立郷土博物館『炉辺閑話 No.40』


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  1. 2017/08/26(土) 00:11:01|
  2. 杉並区の古墳・塚
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「本村原遺跡」

「本村原遺跡」

 「本村原遺跡」は、小沢川(現在は暗渠となっている)に面した低地に広がる微高地上に存在する遺跡で、『東京都遺跡地図』には、杉並区の遺跡番号174番に登録されている遺跡です。
 平成5年(1993)の住宅改築工事に伴う発掘調査により、縄文時代後期のフラスコ状ピットや奈良・平安時代の須恵器破片とともに、円筒埴輪の破片が出土しています。わずかに2点のみではあるものの杉並区内からは初めての検出で、この発見により、周辺地域の高塚古墳の存在が想定されています。

 画像が、杉並区和田1丁目の「本村原遺跡」周辺のようすです。周溝や埋葬施設は未確認であるため、古墳の正確な所在地は不明ですが、埴輪片が出土したのは、基礎工事が行われている敷地のさらに右奥あたりです。
 その後の、平成19年(2007)の女子美術大学の校舎改築に伴う発掘調査により、やはり小形の埴輪片3点が出土していることから、複数の古墳が存在した可能性も有り、杉並区内の古代史を大きく塗り替える発見となるようです。

<参考文献>
杉並区立郷土博物館『杉並の考古展 ―10年間の発掘から交流のあしあとを探る―』


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  1. 2017/08/25(金) 01:14:52|
  2. 杉並区の古墳・塚
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「向田遺跡」

「向田遺跡」

 中野区弥生町6丁目全域から南台5丁目にかけて存在するのが「向田遺跡」です。この遺跡の北側には善福寺池を湧水とする善福寺川が流れ、また南側から東側にかけて井の頭池を湧水とする神田川が流れ、向田遺跡の北東で合流しています。この河川に挟まれた舌状台地上からは古くから弥生土器が出土することが知られており、「弥生町」の町名の由来ともなっているそうです。
 平成18年(2006)には向田遺跡の二次調査が行われており、2基の円墳の周溝が検出されています。画像の右側あたりが1号墳、そのさらに右奥が2号墳の跡地となるようですが、住宅地として開発が進んだ地域での発掘調査によって確認された古墳ですので、当然痕跡はなく、跡地には集合住宅らしき建物が建てられています。


「向田遺跡」

 画像の道路を登り切った突き当たりのあたりが2基の古墳の跡地です。1号墳の周溝外径は推定約16.1m、内径約12.8mの円墳で、2号墳は推定約14.1m、内径約9.6mのブリッジ付きの円墳で、2号墳の周溝からはほぼ完形の坏が2点出土しています。この2基の古墳は、周溝外側の最短間隔が約90cmとかなりの近距離にあり、覆土のロームや黒褐色土の堆積の仕方が似ていることからほぼ同時期に築造されたものと考えられており、古墳の年代は5世紀末と推定されているようです。
 古墳の築造には、直線的な崖線沿いよりも河口周辺や半島状に突き出た舌状台地の先端あたりが特に一等地として好まれたのではないかと考えていますが、この2基の古墳は舌状台地の根本のあたりに築造されていますので、特にここから北東側(舌状台地の先端あたり)から未発見の古墳が発見される可能性は高いかもしれません。。。


善福寺川と神田川の合流地点

 善福寺川と神田川の合流地点です。
 この2つの川は私にとっては身近な河川なのですが、「ああ、ここで善福寺川は終わりなんだ?」と意味なく感傷的な感じです。。。。

<参考文献>
比田井克仁『伝説と史実のはざま―郷土史と考古学』
中野区教育委員会『向田遺跡Ⅱ 発掘調査報告書』


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  1. 2017/08/24(木) 00:03:55|
  2. 中野区の古墳・塚
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「一本松の庚申塚」

「一本松の庚申塚」

 これまで、その多くは失われてしまったであろう東京都内の古墳を追いかけてきました。かつては多数の古墳が群集する形で存在した「古墳群」も、そのすべてが削平されて失われたが故に、現在ではその存在の想定すらされない地域もどうやら数多く存在するようです。近年の考古学的な調査の進展により、古代の東京について少しずつ解明されてきているようですが、やはり把握されている古墳は一部であり、一説には都内には5.000基ほどの古墳が存在したのではないかともいわれているようですが、実際に歩いてみた感覚では6〜7,000基から多ければ10,000基近く存在したのではないかとも思えます。(あくまで素人考えで私に考古学的な背景はありません。)
 そんな中、「大塚」、「丸山」、「摺鉢山」、「二子山」といった地名が残る場所は、その由来が気になるところですし、「××塚」といった塚の所在地は、実際に訪れてこの目で確かめたくなってしまいます。

 とういうわけで、今回紹介するのは中野区南台4丁目に所在する「一本松の庚申塚」です。
 この塚が古墳であるなどという文献はまったく存在せず、また周辺に古墳の存在もない中、この庚申塚が古墳跡であるとは私も考えません。しかし、北西数百メートルほどの善福寺川と神田川に挟まれた舌状台地上に所在する「向田遺跡」からは2基の円墳が検出されているという中、この遺跡と神田川を挟んで対岸に位置する一本松の庚申塚が古墳であるか、もしくは古墳が存在し得る地域ではないのかと、妄想しながら周辺を散策するのもまた楽しいものなのです。。。

 画像は、一本松の庚申塚を南から見たところです。敷地内には中野区教育委員会により説明板が立てられており、次のように書かれています。

   一本松の庚申塚
 この庚申塚は、地元の言い伝えによれば、
明和年間(一七六四~一七七一)に雑色村
(現在の南台地域の旧村名)の人たちが共同
で庚申塔と地蔵尊を祀ったことにはじまる
といわれています。
 また『中野町誌』には、数百年前、西国
の武士で原田七左衛門、同彦左衛門、増川
八左衛門の三名がこの地で亡くなったので、
その供養のために塚がつくられたという言
い伝えが記されています。
 第二次世界大戦の空襲で罹災し、原形を
失いましたが、昭和二十五年(一九五〇)に
地域の人々の手で再建されました。

干支の庚申(六〇日に一回めぐってくる)の夜、人間が眠
っている間に体内に巣くう三戸という虫がぬけ出して天に
昇り、帝釈天にその人の罪を訴え、生命を縮めるという。
 庚申信仰は、長命安楽を願って、三戸の虫に罪を訴えら
れないようにする、いわゆる民間信仰で中国の道教の守庚
申に由来するものです。
 特に江戸時代に盛んに行われ、青面金剛や、庚申に因ん
だ猿、庚申の文字などを刻んだ塔が建てられました。
 平成二年十一月
           中野区教育委員会



「一本松の庚申塚」

 説明板とともに建てられている「庚申塚」の石碑です。
 この庚申塚の横には一本松があり、地元の人びとには触ると祟りがあると恐れられていたといわれています。。。

<参考文献>
中野区教育委員会『中野区の史跡』
現地説明版


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  1. 2017/08/23(水) 01:45:45|
  2. 中野区の古墳・塚
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「九段坂上貝塚」

「九段坂上貝塚」

 「九段坂上貝塚」は千代田区の遺跡番号9番に登録されている遺跡で、麹町台地の縁辺部に所在します。この遺跡内ではこれまでに試掘とあわせて5ヶ所の発掘調査が行われており、円筒埴輪の破片が検出されていることから古墳の存在が想定されている地域です。画像はこの「九段坂上貝塚」の所在地を南西から見たところです。

 これまで代田区内で発見された古墳は「富士見二丁目1号墳」1基のみですが、ほかにこの「九段坂上貝塚」や「一ツ橋二丁目遺跡」など旧平川流域の遺跡から円筒埴輪片が採集されており、古墳の存在が想定されています。「九段坂上貝塚」で採集された埴輪片は6世紀前半、「一ツ橋二丁目遺跡」の埴輪片は6世紀半ばから後半のものであるとされており、「富士見二丁目1号墳」→「九段坂上」→「一ツ橋二丁目」の順に古墳が築造されたと考えられているようです。


「九段坂上貝塚」

 千代田区立日比谷図書文化館には、九段坂上貝塚より出土したという円筒埴輪の破片が展示されています。(館内は撮影禁止とされていますが、文化財事務室にて許可を得て撮影させていただきました)


「九段坂上貝塚」

 九段坂上貝塚の南東には「牛ヶ淵貝塚」があります。当時の軍人会館の基礎工事の際に、人類学・民族学者の鳥居龍蔵氏の調査により貝殻や土器が採集されたもので、現在の九段会館の敷地内には「貝塚碑」が残されています。
 画像ではわかり難いのですが、貝塚碑の台座の右側には「軍人会館建設工事ノ際地下八尺ノ處ヨリ掘出シタルモノナリ 昭和九年五月」と刻まれています。かつては、この中に出土した遺物が納めてあり、台座の窓からガラス越しに見ることが出来たようですが、残念ながら遺物は戦後に失われ、ガラス窓の中には草が生い茂ってしまっています。

 九段会館とともに、この貝塚碑も良い形で保存されることを願います。。。

<参考文献>
『九段坂上貝塚遺跡』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』


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  1. 2017/08/21(月) 00:56:49|
  2. 千代田区の古墳・塚
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「金子塚」

「金子塚」

 画像は、千代田区平河町1丁目に所在する「平川天満宮」を東から見たところです。
 
 この神社の御祭神は菅原朝臣道真公で、境内の由緒畧記によると、江戸平河城主太田道灌公が城内の北坂梅林坂上に文明10年(1478)、江戸の守護神として創祀されたとされています。
 この「平川天満宮」の周辺には「金子塚」と呼ばれる塚が存在したといわれています。この塚は、享保17年に刊行された江戸時代の地誌『江戸砂子』(江戸市中の地名や寺社、名所などが図解入りで説明されている)に記述が見られ、人類学・民族学者の鳥居龍蔵氏は、昭和2年(1927)に刊行した著書『上代の東京と其周囲』の中でこの金子塚を紹介しています。鳥居氏は、『江戸砂子』に掲載された史跡の中のいくつかの塚を、古代に築造された古墳ではないかと推測しており、同書の「江戸砂子に見えたる古墳」の項で麹町の「金子塚」について次のように記述しています。

次に麹町の所では「金子塚」と題し 金子十郎家忠の墳、古鹿子曰、麹町門外、越後守光長卿のやしきの内にあり、今は知れず。と記せり然らば平河天神前の邊か
 と書いて居る。此の當時にもう既に金子塚といふものが無くなつて、何處にあるか分らないが、兎に角此のあたりに金子塚といふものがあつたことは、是れに依つて知ることが出来る。」(『上代の東京と其周囲』36~37ページ)



「金子塚」

 平川天満宮境内のようすです。少なくとも境内には古墳らしきマウンドは残されていないようです。
 この平川天満宮は、徳川幕府に特別な格式で待遇され、紀州藩徳川家、彦根藩井伊家の祈願所でもあったそうです。画像の銅鳥居は天保15年に周辺の人びとにより奉納されたもので、千代田区の有形文化財に指定されています。ほかに、千代田区の有形民俗文化財に指定されている常夜燈や狛犬、百度石などを見ることが出来ます。


「金子塚」

 画像は、平川天満宮境内に所在する「筆塚」で、左に見えるのが、千代田区の有形民俗文化財に指定されている「力石」です。多くの神社で、保存されている力石をみかけますが、この力石はかなり大きなもので、中央に「天龍石」、右端に「十店助次郎持之」、左端に「同新助」と刻まれています。
 どうも、こういった場所で「塚」の文字を見ると過剰に反応してしまうのですが、筆塚に関しては古墳とは無関係であるようです。


「金子塚」

 『江戸砂子』の記述からすると、「金子塚」の所在地は千代田区平河町1丁目から隼町のあたりではないかと推測できるのですが、江戸時代にはすでに消滅していたとされるこの「金子塚」の痕跡を現代に見ることは残念ながら出来ないようです。
 画像は門前のようすで、左側が平川天満宮です。塚が古墳だったとすれば、坂を上がり切った頂部のあたりに存在したのではないかと妄想してしまいますが、金子塚の正確な所在地を突き止めることはできませんでした。

<参考文献>
鳥居龍蔵「江戸砂子に見えたる古墳」『上代の東京と其周囲』
現地説明版


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  1. 2017/08/13(日) 04:24:34|
  2. 千代田区の古墳・塚
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「日比谷公園内埴輪像」

「日比谷公園内埴輪像」

 さて、今回は番外編です。

 前回紹介した「平河町二丁目遺跡」を調べてみたものの真相はわからず、がっかりしながら日比谷図書文化館を後にしたわけですが、久しぶりに日比谷公園をぶらぶらしてから帰ろうと歩いていて見つけたのが、画像の二体の人物埴輪と家形埴輪です。全く存在を知らなかったので、なぜここに埴輪が?とビックリしました。

 この埴輪の前に設置されている石碑には
 贈 東京都立日比谷公園と宮崎県立平和台公園が姉妹公園として結ばれたことを記念し その喜びをこめて この「はにわ」像二体を東京都のみなさまに贈ります 宮崎県には特別史跡西都原古墳群をはじめ たくさんの古墳がありますが その古い宮崎をしのぶため造られたのがはにわ園で 第18回オリンピック東京大会の聖火リレー起点になった平和台公園の中にあります 昭和40年8月21日 宮崎県知事 黒木 博
 とあり、別の説明板には
 昭和40年(1965年)8月21日に、東京都立日比谷公園と宮崎県立平和台公園が、姉妹公園として結ばれたことを記念し、特別史跡西都原古墳群をはじめ、多数の古墳のある宮崎県より「はにわ」像二体が東京都に送られました。
 と書かれています。
 なるほど、という感じですが、果たしてこれが発掘調査により採集された実物なのか、それともレプリカなのかは何も書かれていないため不明ですが、はにわ”像”というからにはレプリカなのでしょうね、多分。そもそも貴重な完形の人物埴輪が雨ざらしになっているはずはないし。。。


「日比谷公園内埴輪像」

 ネットで調べたところでは、2014年冬の大雪の際に雪の重みで折れた枝が埴輪に直撃して、家形埴輪は粉々に、また右側の人物埴輪も一部が破壊されているようです。左側の年月を感じる埴輪に比べて右側の2体がキレイなのは、修理されたか、それとも新しいものと交換されたか、というところでしょうか。

 公園内には見どころはたくさんあるのですけどね。私にはここが最大のスポットです。。。


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  1. 2017/08/12(土) 00:16:09|
  2. 千代田区の古墳・塚
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