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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

「哲学堂公園内の塚状地形」

「哲学堂公園」

 「哲学堂公園」は、中野区松が丘1丁目に所在する、一万七千坪の広大な敷地を擁する公園です。この一帯はかつては和田山と呼ばれ、源頼朝が上総国から隅田川を渡って武蔵国へ入り、松橋(現在の板橋)へ陣取った際、和田義盛が陣屋を設けたところともいわれている場所です。哲学館大学(後の東洋大学)学長であった故井上円了博士が、精神修養の公園として明治39年に創設したところで、園内には哲理門、六賢台、宇宙館といった、77場の哲学に由来するさまざまな建物や石造物、通路などが造られています。

 この哲学堂公園周辺には現存する古墳こそ残されていないようですが、かつて存在したと考えられる古墳の伝承が数多く残されています。
 妙正寺川中流域右岸では、中野区松が丘1丁目周辺に「片山東南方高塚古墳群」と称する複数の古墳の存在の伝承があり、隣接する新宿区西落合2丁目の「妙正寺川No.1遺跡」からは、発掘調査により埴輪片が出土しています。また、中野区上高田5丁目の「遠藤山遺跡」からは合計4基の円墳の周溝が検出しています。
 妙正寺川左岸では、中野区沼袋1丁目の沼袋氷川神社境内の小丘から鉄剣が出土したことにより古墳の存在が判明しており、その後方の丘陵上にも小隆起が複数存在したという伝承が残されています。そして、哲学堂公園北東には「四ツ塚」と呼ばれる4基の塚が存在したといわれており、これは「豊島塚」のひとつではないかという説もあるものの、鳥居龍蔵氏はこの四ツ塚を古墳として紹介しており、『中野区史 上巻』でも「江古田一丁目四ツ塚古墳群」の名称で古墳として取り上げています。
 そして、哲学堂公園は、この四ツ塚と妙正寺川の間の丘陵縁辺部から妙正寺川に向かう斜面上に造られていることから、立地的に古墳築造に適した場所ではないかと仮定して、かつて存在した古墳の痕跡や古墳を流用した築山の存在を求めて哲学堂公園を散策してみました。


「哲学堂公園」

 画像は、哲学堂公園内に存在する築山です。77場の哲学に由来するというスポットの内には数えられていないようですが、人工的に築かれた塚ではないかとも考えられる形状で、妙正寺川に面する台地縁辺部に所在します。現地のスタッフの方にこの塚の名称をお聞きしたのですが(たしか「梵天(ぼんてん)××」と呼んでいたように記憶していますが)、正しい名称は忘れてしまいました。。。


「哲学堂公園」

 南東側の、哲学堂公園の外からフェンス越しに見た塚のようすです。塚上に植栽された植込みがあることから、南側からでは塚の全貌は把握し難いのですが、この角度から見ると円形の塚状地形を見ることが出来ます。(古墳じゃないのかな?)


「哲学堂公園」

 塚の頂部のようす。あとから写真で見てみると、塚の頂部の平らな部分は石室の石材で、房州石が置かれているのでは?とも見えるのですが、この日は注意力が散漫で色々見逃してしまいました。。。


「哲学堂公園」

 画像は「三学亭(さんがくてい)」です。三学亭は、日本の神、儒、仏の三道の中で最も著述の多い大家として、神道の「平田篤胤」、儒教の「林羅山」、仏教の「釈凝然」の三人を祀っているそうです。井上円了曰く、「三学は三角と音相通じることから三角の意匠を用いた」としており、形状は徹底した三角尽くしとなっています。三角形の小山の三方に階段が設けられており、山の頂部には三角形の屋根を持つ三本柱の亭子があります。
 ちなみにこの山を下りたところには「尾無毛泉無白(尾に毛無し、泉に白無し)」の石柱があり、この文句は「尿」の字になり、便所を指すのだそうです。(う〜ん、よくわからない)。。。


「哲学堂公園」

 三学亭の頂部のようすです。もしこの塚が古墳であればかなり改変されているということになりそうですが、古墳を流用したものであるかどうかはよくわかりませんでした。。。


「硯塚」

 画像は、三学亭の麓に立てられている「硯塚(すずりづか)」の石碑です。井上円了が全国を巡遊中、求められて各地で揮毫した際に用いた硯を供養した記念碑で、「筆塚」と対になっているそうです。マウンドは存在せず、この碑のみが存在するようです。


「筆塚」

 画像は「筆塚」です。「硯塚」と対になっているもので、この塚もマウンドは存在せず、丘陵斜面に石碑のみが建てられています。古墳とは無関係であると思われますが、「塚」の文字を見るとやはり気になってしまいます。。。

 公園内にはかなり多くの文化財が存在するのですが、今回はこれらの史跡には目もくれず(笑)、塚状に盛られたマウンドと「塚」と名のつくスポットのみを紹介しました。果たしてこの哲学堂公園内に古墳が存在したのかどうか、今のところその詳細は不明です。。。

<参考文献>
学生社『中野区史跡散歩』
哲学堂公園管理事務所『ガイドマップ哲学堂公園』


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  1. 2017/09/30(土) 00:03:13|
  2. 中野区の古墳・塚
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「遠藤山遺跡(二次調査) 1号墳」

「遠藤山遺跡(二次調査) 1号墳」

 画像は、中野区上高田5丁目の「遠藤山遺跡」の2次調査により検出された「1号墳」の所在地を南西から見たところです。

 この遺跡の第2次発掘調査は、平成26年(2014)に行われており、2基の方形周溝墓とともに1基の古墳の周溝が検出されています。(この古墳の名称は「遠藤山古墳群4号墳」ではなく、2次調査における「1号墳」と命名されているようです。)画像の三井文庫の建物のさらに奥が古墳の所在地となるようです。
 この1号墳は調査が行われた周溝が部分的であり、規模を正確に捉えるほどには検出されていないようですが、推定される外径は14.3m、内径9.5mで、調査当時墳丘がすでに消滅していたことから高さは不明です。


「遠藤山遺跡(二次調査) 1号墳」

 周溝内からは古墳時代後期の円筒埴輪が出土しています。画像は、中野区立歴史民族資料館で開催された館蔵品展「中野の遺跡 新発見伝」で公開されていた埴輪です。
 埴輪は口縁を南側に向けて横になった状態で周溝内から出土しており、ほぼ一個体分がまとまって発見されています。周溝の調査範囲は狭いものであったものの、円筒埴輪は7個体分程度が採集されています。6世紀中葉に埼玉県比企地方で造られたと推定されているようです。

<参考文献>
スターツアメニティー株式会社・中野区教育委員会・共和開発株式会社『遠藤山遺跡Ⅱ』


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  1. 2017/09/28(木) 00:36:22|
  2. 中野区の古墳・塚
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「遠藤山古墳群 1~3号墳」

「遠藤山古墳群 1~3号墳」

 画像は、中野区上高田5丁目の「遠藤山古墳群(遠藤山遺跡)」の所在地を南西から見たところです。

 この遺跡は、杉並区内にある妙正寺池を水源とする妙正寺川右岸の台地上に所在しており、『東京都遺跡地図』には、「遠藤山遺跡」の名称で中野区の遺跡番号57番に登録されています。平成2年(1990)に最初の発掘調査が行われており、縄文時代の炉穴、弥生時代の集落跡、古墳時代前期の住居跡とともに3基の円墳が発見されています。これらの古墳の墳丘は発掘当時にはすでに失われており、古墳の存在は想定されていなかったようですが、周溝が検出されたことによりその存在が確認されています。

 画像の建物の場所が遠藤山古墳群の所在地です。古墳は中央から右奥に向かって3号墳、2号墳、1号墳の順に、東西に並ぶように存在したようです。
 1号墳は、周溝全体の3分の2が調査されています。周溝外径は南北約15m、内径は12.5mの、陸橋部を持つ円墳で、周溝内からは縄文土器片や弥生土器片が出土しているものの、古墳に付帯する遺物は出土しなかったようです。
 2号墳は周溝全体が検出されており、周溝外径は南北約18.6m、内径は14mの、やはり陸橋部を持つ円墳です。縄文土器や弥生土器の他に、完形の土師器坏形土器1点が出土しています。
 3号墳も周溝全体が検出されており、周溝外径は南北約14.7m、内径は11.7mの陸橋部を持つ円墳であることがわかっています。
 出土した土器から古墳築造時期を推定すると。2号墳が6世紀第1四半期、3号墳が6世紀第Ⅱ四半期後半、遺物の出土のなかった1号墳がこれに先立つものとされ、1号墳⇨2号墳⇨3号墳の順に築造されたと推定されているようです。


「遠藤山古墳群 1~3号墳」

 平成28年(2016)11月から12月にかけて中野区立歴史民族資料館で開催された館蔵品展「中野の遺跡 新発見伝」では、この遠藤山古墳群から出土した遺物が展示されていました。画像はこの展示品のようすです。


「遠藤山古墳群 1~3号墳」

 坏形土器は、陸橋部付近から出土しています。これは、葬送儀礼に使われた土器が転がり落ちたと考えられているようです。中央のものが2号墳から、左右の2個が3号墳から採集されています。


「遠藤山古墳群 1~3号墳」

 1次調査からは2点の円筒埴輪片が出土しています。

<参考文献>
中野区教育委員会・中野区遠藤山遺跡調査会『遠藤山遺跡』


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  1. 2017/09/27(水) 00:35:42|
  2. 中野区の古墳・塚
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「行人塚」(片山東南方高塚古墳群?)

「行人塚」(片山東南方高塚古墳群?)

 画像は、中野区松が丘1丁目の「行人塚」の跡地と思われる地点を南東から見たところです。すでに消滅して存在しない、『東京都遺跡地図』には未登録の塚です。

 この行人塚は、前回紹介した「片山東南方高塚古墳群」に属する古墳だったのではないかとも考えられる塚で、熊沢宗一著『わがさと片山の栞』の23ページには、「原始時代の遺跡として文献に残るものは片山西南方高地の高塚式墳跡と、丘陵西側の横穴式古墳の遺跡とのことであるが、其の所在地に就ては詳かでないが、私の幼少の頃二一二三番地路傍に行人塚とて、小高い塚があったが或は夫れが、高塚式の古墳で有ったかとも思われる。」と書かれています。
 「行人塚」という名称からしてなんらかの伝承が残されているのではないかとも考えましたが、例えば祟りの言い伝えや、出土した遺物等の記録は、この地域の郷土誌からは見つかりませんでした。ただし、東方に所在する「遠藤山遺跡」からは4基の円墳の周溝が検出されており、隣接する新宿区の「妙正寺川No.1遺跡」からは埴輪片が採集されています。この行人塚が、熊沢宗一が指摘するように古墳だった可能性も十分に考えられるところではないでしょうか。
 
 行人塚が所在したとされる旧2123番地にあたる地点は、画像の道路が交差する北西角のクリーニング店のあたりと思われますが、周辺は宅地化が進んでおり、地上に古墳の痕跡は見ることは出来ないようです。。。

<参考文献>
東京都中野区役所『中野区史 上巻』
熊沢宗一『わがさと片山の栞』
妙正寺川No.1遺跡調査会『妙正寺川No.1遺跡』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』


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  1. 2017/09/26(火) 00:20:20|
  2. 中野区の古墳・塚
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「片山東南方高塚古墳群」

「片山東南方高塚古墳群」

 現在の中野区松が丘1丁目周辺には、かつては複数基の古墳により形成される古墳群が存在したといわれています。杉並区上井草より発する井草川を上流とする妙正寺川の右岸にあたる地域で、『東京都遺跡地図』には未登録となっているようですが、昭和18年(1943)に東京都中野区役所より発行された『中野区史 上巻』にこの古墳群についての記述を見ることが出来ます。
 同書の「遺跡性質一覧表」には、数ヶ所に古墳が存在したとして「片山東南方高塚墳」の名称で取り上げられており、また「遺跡遺物の現況」の項では「片山東南方高塚古墳群」の名称で、「江古田一丁目二一六五番地を中心とし、附近一帯、落合方面に連績せり。」、「遺蹟 高塚墳、哲學堂附近四ツ塚と同様の大さの由。」、「現況 湮滅、但し明治三十七年頃までは散在せし由。」と書かれています。
 記されている「江古田1丁目2165番地」という住所が、当時存在した古墳の1基の所在地なのか、それとも単に複数基存在する古墳の中心地として記載したのかは不明ですが、この番地を古地図で確認すると、かつてのオリエント写真工場の敷地に2161番地が見られることから、おそらくは現在の「妙正寺川公園運動広場」の周辺が古墳の跡地であると考えられます。画像はその妙正寺川公園運動広場を南東から見たところです。


「片山東南方高塚古墳群」

 画像は、妙正寺川公園運動広場を北東から見たところです。埴輪片出土地である、新宿区の「妙正寺川No.1遺跡」に隣接する地域ですが、この場所は一段高くなった台地の縁辺部にあたります。古墳築造のための立地としては、かなり適した場所だったのかもしれません。
 妙正寺川流域に墳丘が残る古墳はすでに1基も存在しないのですが、色々調べてみるととても興味深い地域です。。。

<参考文献>
東京都中野区役所『中野区史 上巻』
妙正寺川No.1遺跡調査会『妙正寺川No.1遺跡』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』


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  1. 2017/09/25(月) 00:06:20|
  2. 中野区の古墳・塚
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「妙正寺川No.1遺跡」(埴輪片出土地)

「妙正寺川No.1遺跡(新宿区立妙正寺川公園)」

 「妙正寺川No.1遺跡」は武蔵野台地の東側、妙正寺川中流域右岸の小原台面の台地下の低湿地に立地します。『東京都遺跡地図』には、新宿区の遺跡番号35番に登録されている遺跡で、現在は「新宿区立妙正寺川公園」として整備されており、南西側にはUR都市機構による集合住宅が建てられています。
 画像は、新宿区西落合2丁目の新宿区立妙正寺川公園を東から見たところです。


「妙正寺川No.1遺跡(新宿区立妙正寺川公園)」

 画像は、妙正寺川公園内のようすです。この妙正寺川No.1遺跡は、昭和59年(1984)に発掘調査が行われ、わずかに2点ながらも埴輪の破片が出土しています。周溝や埋葬施設等の詳細は不明で、周辺の土砂が流入した可能性も考えられることから古墳の正確な所在地は不明ですが、少なくともこの周辺地域に高塚古墳が存在したことは間違いないようです。

 東京都中野区役所より発行された『中野区史 上巻』には、この遺跡に隣接する片山地区に「片山東南方高塚古墳群」の名称で古墳群が存在したという記述があり、また妙正寺川を挟んだ対岸の哲学堂公園にも高地が認められ、この高地上にも「四ツ塚(四ツ塚古墳群)」と呼ばれる4基の塚が存在したといわれており、やはり古墳の可能性が指摘されています。また南方の「遠藤山遺跡」からは4基の円墳の周溝が発掘調査により検出されており、更なる古墳の存在が想定される地域です。この妙正寺川No.1遺跡内に存在した古墳は、片山東南方高塚古墳群に属する古墳だった可能性を感じますが、すべての古墳が消滅してしまった今、真相を知ることは出来ません。
 

「妙正寺川No.1遺跡(新宿区立妙正寺川公園)」

 公園内には、さまざまなスポーツを楽しむ若者たちの姿が見られ、また池の畔では日光浴をするカメさんの姿が見られます。古墳の痕跡らしき光景はなく、説明板等も特に見当らないようです。


妙正寺川

 画像が、杉並区内にある妙正寺池を水源とする妙正寺川です。中野区北部を蛇行しながら東に流れ、新宿区下落合で主流となる神田川に合流します。画像の左側が妙正寺川No.1遺跡である妙正寺川公園で、対岸である画像右側には哲学堂公園が所在します。

<参考文献>
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
東京都中野区役所『中野区史 上巻』
妙正寺川No.1遺跡遺跡調査会『妙正寺川No.1遺跡』


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  1. 2017/09/23(土) 23:44:32|
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「荒木町遺跡(埴輪片出土地)」

「荒木町遺跡(埴輪片出土地)」

 画像は、新宿区荒木町の「荒木町遺跡」の調査地点周辺を南から見たところです。
 『東京都遺跡地図』には、新宿区の遺跡番号49番に登録されている遺跡です。

 この遺跡は武蔵野台地の東端部にあたり、神田川と目黒川に挟まれた淀橋台上に位置しています。旧江戸城から約3kmほどに位置しており、四谷見附と四谷大木戸を東西に結ぶ四谷大通りに近く、江戸時代にはこの附近は繁華な地域であったと考えられる場所で、かなり早くから開発の進んだ地域です。
 古墳時代の遺物は、わずかに1点ながらも円筒埴輪の胴部の破片が出土しています。周溝や埋葬施設等の詳細は不明で、周辺の土砂が流入した可能性も考えられることから古墳の正確な所在地は不明ですが、北東に200mほどに位置する「三栄町遺跡・新宿区立新宿歴史博物館地点」からも円筒埴輪片が出土していることから、古墳群の存在も考えられているようです。

<参考文献>
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
宗教法人 解脱会・新宿区荒木町遺跡調査団『荒木町遺跡Ⅱ』


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  1. 2017/09/22(金) 01:14:13|
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「三栄町遺跡」(埴輪片出土地)

「三栄町遺跡(埴輪片出土地)」

 「三栄町遺跡」は武蔵野台地の東端部にあたる、神田川と目黒川に挟まれた淀橋台上に位置している遺跡です。旧石器時代、縄文時代から近世までの複合遺跡で、『東京都遺跡地図』には新宿区の遺跡番号49番に登録されています。

 この三栄町遺跡について、『下戸塚遺跡Ⅳ』には「新宿区立新宿歴史博物館地点において円筒埴輪片が確認されている」とあり、『新宿区史』にもこの遺跡を「古墳?」と書かれているのですが、三栄町遺跡関係の発掘調査報告書には出土した埴輪についての記述が見つからず、詳細は不明です。西側に隣接する「荒木町遺跡」からも円筒埴輪片が確認されていることから、三栄町遺跡からの埴輪片出土が事実であれば、複数基の古墳の存在が想定されます。

 画像は、新宿区三栄町の「新宿区立新宿歴史博物館」を西から見たところです。
 この地域のどこかに古墳が存在したのでしょうか。博物館の学芸員の方にもお聞きしてみたのですが、三栄町遺跡からの埴輪出土の真相はわかりませんでした。。。

<参考文献>
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
東京都建設局・財団法人新宿生涯学習財団『下戸塚遺跡Ⅳ』


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  1. 2017/09/21(木) 01:12:04|
  2. 新宿区の古墳・塚
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「東大久保富士」

「東大久保富士」

 画像は、新宿区東大久保2丁目にある西向天神社を西から見たところです。正式には大久保の天満宮と称するこの神社は、安貞2年(1282)に、京都栂尾の明恵上人(1173~1232)が東国に五大尊寺を開こうとして、菅原道真自作の尊像を持って下向し、翌年当地の村人と計って祠堂を建てて鎮守としたことにはじまるといわれています。古来より東大久保村の鎮守社であり、社殿が西を向いていることから西向天神と呼ばれています。
 この神社の境内には「東大久保富士」と呼ばれる富士塚が所在します。


「東大久保富士」

 画像が、西から見た東大久保富士です。境内西南隅の、崖に面した斜面の突端に築かれており、ボク石で固められています。塚は、崖の斜面をボク石で覆って富士塚の延長としており、崖の下から見上げると、高さ約10メートルほどの巨大な富士塚の姿を見ることが出来ます。四谷谷町丸谷講により、天保13年(1843)に築造された富士塚です。


「東大久保富士」

 富士塚から北方に少し離れたところに、大正15年造立の「浅間神社」と刻まれた石碑と「富士山一合目」と刻まれた石碑があり、その奥にボク石で洞窟(胎内)が造られています。こんなに離れた位置に胎内が造られている富士塚はちょっとめずらしいのではないでしょうか。
 それにしても、斜面に横穴が空いているとすべて横穴式石室か横穴墓に見えてしまいます。困ったものです。。。


「東大久保富士」

 境内から見た東大久保富士です。この位置から見た塚が本来の大きさで、高さ2メートルほどの富士塚を見ることが出来ます。
 新宿区内では、「高田富士」や「上落合富士」が、いずれも築造当時に古墳を流用する形で富士塚が築かれています。この東大久保富士も台地の縁辺部に築かれていることから、古墳流用の可能性はないものかと考えて見学に訪れてみましたが、どうやら古墳とは無関係だったかもしれません。。。

<参考文献>
羽賀善次郎『新宿の散歩道 その歴史を訪ねて』
(財)日本常民文化研究所『富士講と富士塚 ―東京・神奈川―』
新宿歴史博物館『ガイドブック新宿区の文化財 史跡(西部編)』
現地説明版


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  1. 2017/09/19(火) 00:39:16|
  2. 新宿区の古墳・塚
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「成子天神社の富士塚(鳴子富士)」―新宿区登録文化財 史跡ー

「成子天神社の富士塚(鳴子富士)」―新宿区登録文化財 史跡ー

 画像は、新宿区西新宿8丁目の「成子天神社」を南から見たところです。
 延喜3年(903)の創建というこの神社の祭神は菅原道真で、その後の建久8年(1197)に源頼朝が社殿を造営、寛文元年(1661)に現在地に移り、柏木、成子地区の鎮守となっていました。
 この神社の境内には、新宿区の登録文化財・史跡となっている富士塚が所在します。


「成子天神社の富士塚(鳴子富士)」―新宿区登録文化財 史跡ー

 成子天神社境内と社殿のようすです。西新宿の超高層ビル群のすぐ北側、青梅街道沿いに所在するこの神社は近年の再開発により社殿やその他の施設が建て替えられており、「パークタワー西新宿エムズポート」なる超高層住宅が神社と一体となっているという、まさに現代の神社という印象です。(実際、神社の境内に高層ビルが建てられているというのは初めて見ました。)
 画像の社殿の左奥に、目指す富士塚が所在します。


「成子天神社の富士塚(鳴子富士)」―新宿区登録文化財 史跡ー

 画像が「成子天神社の富士塚」です。「鳴子富士」とも呼ばれるこの富士塚は、元々は「天神山」と呼ばれる小山で、大正9年(1920)に、この年が富士山の御縁年といわれる庚申の年であったことから、これを記念して丸藤成子元同行が富士塚に改造したとされ、大正12年(1923)の関東大震災では山が崩れ、同13年に大修築竣成式が行われています。
 東京府豊多摩郡より大正5年(1916)に発行された『東京府豐多摩郡史』には、富士塚に改造される以前の天神山に関する記述が見られ、「成子神社」の項には「社殿の西北に一山あり」とあり、「天神山」の項には「成子神社境内の一圓を云ふ、杉の間に梅樹を栽す、花の頃には淸香風に送られて森に滿ち、雅人の來り訪ふもの多し、此地眺望に富み武藏野平原を越えて芙蓉峯を仰ぐべし、春空霞むころ秋氣澄むころ皆佳ならざる無し。」と書かれています。

 この富士塚周辺には「百八塚」の伝承が残されており、この百八塚は古墳だったのではないかという説もあるようです。新宿区内では、「富塚古墳」が「高田富士」に、また「大塚古墳」が「上落合富士」に改変されたという事例も存在しますが、元々の小山であった「天神山」が百八塚の1基だったという可能性は、また古墳だったという可能性は考えられないのでしょうか。。。


「成子天神社の富士塚(鳴子富士)」―新宿区登録文化財 史跡ー

 富士塚の登山口に立てられている「成子富士浅間神社竣成記念碑」です。4月1日に起工して百二十有余日の日子と千五百人の人工を費し、8月1日竣成、同年7日に盛大なる遷宮山開き大祭を挙行した旨の碑文が刻まれているそうです。(この碑文は石碑の裏側に刻まれていたかもしれないのですが、裏面を見るのは忘れてしまいました。)
 新宿区教育委員会による説明板には次のように書かれています。

新宿区登録文化財 史跡
成子天神社の富士塚
         所 在 地:新宿区西新宿八丁目十四番十号
         登録年月日:平成ニ年六月一日
 大正九年(一九二〇)八月に、成子天神社境内にあった天神山と
いう小山に富士山の溶岩を配して築かれたもので、区内で最後に
築かれた富士塚です。高さは約十二メートルあり、区内では最大
規模となっています。塚の北側には浅間神社の小祠があります。
 富士塚は、江戸時代中期より、江戸庶民の間で盛んになった
富士信仰の遺跡です。同業者を中心に富士講が組織され、神社の
境内に模造富士を築いて崇拝しました。
成子天神社の富士塚は、柏木・角筈地域(現在の北新宿・西新宿)
の人々を中心に組織された丸藤成子講が奉祀していたもので、最
盛期には約二〇〇名の講員がいましたが、現在は活動していませ
ん。
  平成二十六年十ニ月
                     新宿区教育委員会



「成子天神社の富士塚(鳴子富士)」―新宿区登録文化財 史跡ー

 この富士塚はいつでも登拝できるようです。さっそく登ってみます。


「成子天神社の富士塚(鳴子富士)」―新宿区登録文化財 史跡ー

 最初は緩やかな斜面なのですが、だんだんと急坂になっていきます。


「成子天神社の富士塚(鳴子富士)」―新宿区登録文化財 史跡ー

 手すりがあるわけではないので、足下に気をつけないと。。。


「成子天神社の富士塚(鳴子富士)」―新宿区登録文化財 史跡ー

 見上げてみると、いつの間にか頂上が頭上に見えています。


「成子天神社の富士塚(鳴子富士)」―新宿区登録文化財 史跡ー

 小さい子供、高齢者、身体の不自由な人は登頂禁止のようです。


「成子天神社の富士塚(鳴子富士)」―新宿区登録文化財 史跡ー

 最後、登山道はかなり急斜面となります。
 確かに、写真を撮るのに夢中になって足を踏み外すと落ちてしまいそうです。


「成子天神社の富士塚(鳴子富士)」―新宿区登録文化財 史跡ー

 到着!頂上のようすです。周りの風景がとても新宿らしい、都会の富士塚という感じですね。
 富士塚に改造されたといわれる天神山が古墳だったかどうかは、結局わかりませんでした。。。

<参考文献>
東京府豊多摩郡『東京府豐多摩郡史』
(財)日本常民文化研究所『富士講と富士塚 ―東京・神奈川―』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
新宿歴史博物館『ガイドブック新宿区の文化財 史跡(西部編)』
現地説明版


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  1. 2017/09/18(月) 00:12:03|
  2. 新宿区の古墳・塚
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