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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

本年最後のごあいさつ

早いもので、もう2017年も終わりです。

今年はバタバタしていて、なかなか行きたい場所に行くことが出来なかった部分もありますが、現地を巡って撮影した写真はたくさん貯まっています。来年前半は取り貯めた写真をどんどん公開して、後半はタイムリーにゆっくり更新するのが目標です。

本年も乱筆乱文にお付き合い頂き、ありがとうございました。

それではみなさま、良いお年を!

琵琶塚古墳

(画像は栃木県小山市の「琵琶塚古墳」です。)

  1. 2017/12/31(日) 23:34:37|
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「稲荷丸古墳」

「稲荷丸古墳」

 画像は、世田谷区上野毛にある「稲荷丸古墳」を南西から見たところです。『東京都遺跡地図』には世田谷区の遺跡番号251番の古墳として登録されています。

 この古墳は、武蔵野段丘の国分寺崖線の縁辺部に所在します。この周辺は「上野毛稲荷塚古墳」や「野毛大塚古墳」、「御岳山古墳」といった多くの古墳が残されていて「野毛古墳群」を形成しています。この古墳群の西端に位置するのがこの稲荷丸古墳ということになるようです。


「稲荷丸古墳」

 墳頂部にはかつては祠が祀られており、そのために石段が設けられています。墳頂部の規模は、南北約14m、東西約10mと広い平坦面となっていて、かなり削平されているようです。径20m前後の円墳と考えられていて、築造時期は遺物などがないためわからないようです。
 以前、現地に設置されていた立て札には「北稲荷丸古墳」と刻まれていたのですが、これは最近「稲荷丸古墳」と修正されたようです。また、墳丘上にも「稲荷丸古墳」と刻まれた石碑が建てられたようです。


「稲荷丸古墳」

 「稲荷丸古墳」の裏面のようす。「この地は隣接する遺跡(稲荷丸北遺跡)の発掘調査により竪穴内点在貝塚を含むなど縄文時代の前期後半の竪穴式住居も見つかり都内では珍しい諸磯期の集落址が確認されている」と刻まれています。
 この古墳は五島美術館の庭園の築山として利用されているため、墳丘の周囲を石仏、灯籠、井戸の石組みといった石造物がめぐっています。一時期は、庭園の工事のために見学することが出来なかったようですが、平成25年(2013)の4月6日より公開されていて、庭園のみなら300円で入場することが出来ます。古墳以外にもなかなか見応えのある庭園です。。。

<参考文献>
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
世田谷区教育委員会・稲荷丸北遺跡第3次調査会『稲荷丸北遺跡Ⅲ』


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  1. 2017/12/30(土) 01:17:58|
  2. 世田谷区/野毛古墳群
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「稲荷丸塚古墳」

「稲荷丸塚古墳」

 画像は、世田谷区上野毛2丁目のにある「稲荷丸塚古墳」を北から見たところです。『東京都遺跡地図』には世田谷区の遺跡番号220番の遺跡として登録されています。

 『東京都遺跡地図』によると、古墳の規模は径8m、高さ2mとされており、「中世か近世の塚」とされているようですが、『世田谷区埋蔵文化財調査年報』などに掲載されている野毛古墳群の周辺地図などの最近の資料では、「稲荷丸塚古墳」という名称で掲載されています。『野毛古墳まつり』の際に、世田谷区の学芸員の先生にお聞きしてみたところでは、この稲荷丸塚は古墳という扱いで良いのではないかというお話でした。

 後の大田区立郷土博物館の館長である西岡秀雄氏は1930年代に荏原台古墳群の調査を行っており、かなり詳細に古墳の分布状況を報告していますが、この稲荷丸塚古墳は把握されなかったようです。当時確認された古墳は(塚も含まれていますが)「西岡第××号古墳」と命名されていましたが、この古墳にはこの名称は付けられていません。この古墳が所在する「上野毛自然公園」はかつては庭園だったようですから、五島美術館の敷地内に所在する「稲荷丸古墳」と同様に、さすがの西岡氏も確認することが出来なかったのかもしれません。
 古墳は現在も、国分寺崖線上の上野毛自然公園内に現状保存されており、いつでも見学することができます。。。

<参考文献>
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』


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  1. 2017/12/29(金) 01:05:49|
  2. 世田谷区/野毛古墳群
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「上野毛稲荷塚古墳(西岡5号墳)」―世田谷区指定史跡―

「上野毛稲荷塚古墳(西岡5号墳)」―世田谷区指定史跡―

 「上野毛稲荷塚古墳」は、世田谷区上野毛2丁目に所在する古墳です。『東京都遺跡地図』には世田谷区の遺跡番号115番の古墳(前方後円墳)として登録されています。

 この古墳は多摩川に面した国分寺崖線上に立地しています。この周辺では5世紀を中心とする南武蔵の首長墳が連続して築造されており、多摩川に向かって突き出るような形で連続して存在する舌状台地上に、点々と古墳が造られています。
 江戸時代の地誌、『新編武蔵風土記稿』の上野毛村の項には「四ツ塚 村ノ東ヨリノ北ノ方、道ノ傍ニ塚四アリ。高サ何レモ三尺バカリナリ。モシ古墳ニヤ。其事蹟ヲ伝ヘザレバ詳ニセズ。人誤テ此塚ヘ手ヲフルレバ大ニ祟アリト云。此地ノ字ヲ四ツ塚トイヘリ。」とあり、この上野毛稲荷塚古墳(西岡5号墳)も含めて、周辺にかつて存在したと考えられる多くの古墳について記されています。

 また、その後の1930年代に行われた、西岡秀雄氏による荏原台古墳群の分布調査の際にこの古墳は把握されており、この上野毛稲荷塚古墳は「西岡5号墳」の名称で広告されています。この調査結果が掲載されている『考古学雑誌』には次のように紹介されています。

第五號古墳
(所在位置)舊地名 東京都荏原郡玉川村大字上野毛
      新地名 東京市世田谷區玉川上野毛町田中氏所有地
(型式) 圓型墳
(現況其の他) 原形を保ち立派な稲荷祠が其の墳上にある。未發掘と聞くも詳細不明である。高さ約五米。
(『考古学雑誌 第26巻 第5号』309ページ)



「上野毛稲荷塚古墳(西岡5号墳)」―世田谷区指定史跡―

 画像が、現在の上野毛稲荷塚古墳のようすです。この古墳は、平成7年(1995)に第1次調査が実施されており、この調査により主体部が粘土槨であることが判明し、墳形については前方後円墳の可能性が指摘されています。規模は、墳丘長20数メートル、高さ3mと推定され、この調査後に上野毛稲荷塚古墳と名称が変更されています。さらに平成21年(2009)2月~3月にかけて第2次調査が行われており、主体部には粘土槨、割竹形木棺が採用されていることが確認されています。築造は4世紀後半と推定されているようです。
 墳形は円墳の可能性が残るものの、現時点では前方後円墳と考えられており、後円部の直径は21mとされています。葺石や埴輪の痕跡はなく、野毛大塚古墳以前に築造されたと推定されています。


「上野毛稲荷塚古墳(西岡5号墳)」―世田谷区指定史跡―

 1930年代の分布調査時に確認されていた、墳丘上にあったとされる「稲荷祠」は墳丘の裾のあたりに移されているようです。現在も地元の人に丁寧に祀られているようすが伺えます。
 この古墳は平成9年4月に世田谷区に寄付されているそうですが、普段は入口の扉が施錠されていて敷地内を見学することは出来ません。このあたりは防犯上の都合もあり、なかなか難しいようです。
 入口付近に、世田谷区教育委員会による説明板が設置されています。

<参考文献>
西岡秀雄「荏原台地に於ける先史及び原始時代の遺跡遺物」『考古学雑誌 第26巻 第5号』
世田谷区史編さん室『世田谷区史料 第8集 考古編』
東京都教育委員会『都心部の遺跡』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
下山照夫『史料に見る江戸時代の世田谷』
世田谷区教育委員会『1995年度 世田谷区埋蔵文化財調査年報』
世田谷区教育委員会『2008年度 世田谷区埋蔵文化財調査年報』


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  1. 2017/12/28(木) 23:33:27|
  2. 世田谷区/野毛古墳群
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「スクモ塚古墳(西岡6号墳・狐塚古墳)」

「スクモ塚古墳(西岡6号墳・狐塚古墳)」

 「スクモ塚(西岡6号)」は、世田谷区野毛3丁目に所在したとされる古墳です。『東京都遺跡地図』には世田谷区の遺跡番号128番の古墳(円墳)として登録されています。

 江戸時代の地誌、『新編武蔵風土記稿』には「字小金沢ニアリ。大塚ヨリハ北ノ方ナリ。是モソノ故ヲ詳ニセズ。」と記載されており、この古墳は江戸時代にはすでに知られていたようです。
 その後、1930年代には当時大田区立郷土博物館の館長を努める西岡秀雄氏により荏原台古墳群の分布調査が行われており、当時の記録によるとこのスクモ塚は「西岡6号墳」の名称で次のように紹介されています。

第六號古墳(俗稱)『狐塚』
(所在位置)舊地名 東京都荏原郡玉川村大字下野毛字大原
      新地名 東京市世田谷區玉川野毛町渡邊熊次郎氏所有地
(型式) 圓型墳
(現況其の他) 畑中にあり封土の周圍多少崩壊し、土器片の露出散落を見るも未發掘のものである。貝殻が表面にあつたとも云ふ。高さ約二米。
(『考古学雑誌 第26巻 第5号』309~310ページ)



「スクモ塚古墳(西岡6号墳・狐塚古墳)」

 その後、この古墳の正確な跡地はわからなくなっていたようですが、平成23年(2011)5月~6月にかけて行われた発掘調査により周溝が検出され、正確な古墳の跡地が確認されています。周溝外周径は約34m、墳丘径は約20mと推定されており、埴輪片の他、土師器、須恵器、縄文土器、石器などが出土しています。
 画像は、野毛古墳まつりで公開されていた、発掘調査により出土したスクモ塚古墳の埴輪片です。古墳の築造は、6世紀後半と考えられているようです。


「スクモ塚古墳(西岡6号墳・狐塚古墳)」

 発掘調査報告書と照らし合わせてみて、じゃあこの地点は古墳の残存部分ではないのか!と独りで気持ちを高ぶらせた場所がこの謎の三角地帯です。(笑)。いや、あくまで墳丘は削平されて存在しないわけなのですが、この場所にも墳丘がかかっていたと思われますので、一応「跡地」ということで。。。

<参考文献>
西岡秀雄「荏原台地に於ける先史及び原始時代の遺跡遺物」『考古学雑誌 第26巻 第5号』
東京都教育委員会『都心部の遺跡』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
世田谷区教育委員会『2011年度 世田谷区埋蔵文化財調査年報』


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  1. 2017/12/27(水) 20:29:54|
  2. 世田谷区/野毛古墳群
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「西岡7号墳」

「慶元寺古墳群 7号墳」

 「西岡7号墳」は、世田谷区野毛2丁目に所在したとされる古墳です。『東京都遺跡地図』には世田谷区の遺跡番号129番の古墳(円墳)として登録されています。

 後に大田区立郷土博物館の館長を努めることになる西岡秀雄氏は、1930年代に荏原台古墳群の詳細な分布調査を行っており、この西岡7号墳も把握されているようです。この調査結果が掲載されている『考古学雑誌』には次のように書かれています。

第七號古墳
(所在位置)舊地名 東京都荏原郡玉川村大字下野毛字大原
      新地名 東京市世田谷區玉川野毛町
(型式)圓型墳
(現況其の他)以前は畑中に高さ約二米ばかり其の形を留めしも、現在は全く原形なく、其の位置すら多少不明になり、直接切崩しに従事した者に聞くも、床石と思はれるものが出たと云ふのみにて其の他の出土品等に関しては要領を得ない。(『考古学雑誌 第26巻 第5号』310ページ)


 この当時、すでに原形を留めないほど崩されていた西岡7号墳はすでに埋葬施設も破壊され、その床石のみが残されていた、という状況なのでしょうか?
 その後、昭和57~59年(1982~1984)に東京都教育委員会により実施された東京都心部遺跡分布調査の際にもこの古墳は取り上げられており、『都心部の遺跡』には次のように書かれています。

118 西岡7号墳
世田谷区 129  世田谷区野毛2-22
①台地縁辺
②宅地
③湮滅
④円墳
⑦67・121
⑧(第8図)
(①占地状況 ②現況 ③遺存状況 ④墳形 ⑤主体部 ⑥副葬品 ⑦文献 ⑧所見、備考)



「慶元寺古墳群 7号墳」

 戦前には痕跡が残されていたといわれる7号墳ですが、昭和の終わりには完全に消滅してしまったようです。
 『都心部の遺跡』や『東京都遺跡地図』の分布図、また、発掘調査報告所等に掲載されている分布地図を参考にすると、古墳の所在地は画像の送電線の鉄塔のあたりか、もしくはその奥の民家のあたりかと思われるのですが、古墳の痕跡はまったくなく、正確な所在地がどこになるのかよくわかりません。
 送電線の鉄塔の土台の部分に弧を描くような円形の地形が見られることから、まさかこれが西岡7号墳の残存部分か?と心躍りましたが、深呼吸してから考えてみて、そんなわけはないだろうという結論に至りました。冷静にならないと、円形の盛り土がすべて古墳に見えてしまいます。笑。

<参考文献>
西岡秀雄「荏原台地に於ける先史及び原始時代の遺跡遺物」『考古学雑誌 第26巻 第5号』
東京都教育委員会『都心部の遺跡』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』


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  1. 2017/12/26(火) 23:21:36|
  2. 世田谷区/野毛古墳群
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野毛古墳群 その2 「下野毛根遺跡・野毛4,5,6,9,10,11号墳」

「野毛4号墳」+「野毛5号墳」

 「野毛大塚古墳」の南側、世田谷区野毛1丁目から同2丁目にかけての一帯からは、発掘調査により多くの古墳が確認されています。これらの古墳は「野毛××号墳」と命名されており、「下野毛遺跡」と「下野毛根遺跡」の2つの遺跡内に存在します。今回は、前回紹介した「下野毛遺跡」からは一段下がった一帯に所在する「下野毛根遺跡」に該当する、6基の古墳を取り上げようと思います。

 まずは、「野毛4号墳」と「同5号墳」の跡地周辺のようすです。
 手前に4号墳、その右奥に5号墳が所在したようです。
 「野毛4号墳」は、中小規模の円墳が群集する「下野毛根遺跡」の中では最大規模の円墳です。平成3年(1991)から翌4年にかけて行われた共同住宅建設に伴う事前調査により周溝が検出されています。墳丘径約19mの円墳で、幅約3mの周溝が巡っています。
 「野毛5号墳」は、下野毛根遺跡の第1次調査により周溝が検出されており、その後平成16年(2004)に行われた集合住宅建築に伴う事前発掘調査(第3次)によりこの続きが確認されています。墳丘径は約11mの円墳で、遺物は埴輪、土師器片、粘土岩製磨石が少量出土しています。古墳の築造時期は、覆土の状況や出土遺物から、5世紀末から6世紀中頃と推定されているようです。


「野毛4号墳」の円筒埴輪

 画像は、野毛4号墳から出土した円筒埴輪です。2016年10月16日に行われた野毛古墳祭りで公開されていたものです。4号墳は、下野毛根遺跡中唯一埴輪が立てられていた古墳で、築造された時期は6世紀中頃と考えられているようです。


「野毛6号墳」

 「野毛6号墳」の跡地周辺のようすです。この一帯ではもはやわずかとなってしまった農地が残されています。地中に周溝を含めた埋蔵文化財が残されている可能性は高いかもしれませんね。。。


「野毛9号墳」

 「野毛9号墳」は、平成14年(2002)に行われた個人住宅建築に伴う事前発掘調査により確認された古墳です。墳丘がすでに削平されていたことから、試掘調査実施前には存在が想定されていなかった古墳です。周溝の約7分の1が調査されており、墳丘径21.6m、周溝の幅3.2mの円墳とされています。周溝底面から約45cm浮いた状態で完形の土師器埦が出土しており、この土師器を古墳築造後しばらく時間をおいてからの周溝内祭祀と考えて、6世紀第1四半期に築造された古墳と推定されているようです。


「野毛10号墳」

 画像は「野毛10号墳」の跡地周辺のようすです。『東京都遺跡地図』には世田谷区の遺跡番号327番に登録されている古墳で、外径約30mと、この周辺の古墳の中では大型の円墳です。


「野毛11号墳」

 画像は、世田谷区野毛1丁目の「野毛11号墳」の跡地周辺を南から見たところです。この古墳は、平成21年(2009)12月に行われた宅地開発に伴う下野毛根遺跡第5次調査により発見された古墳で、『東京都遺跡地図』には世田谷区の遺跡番号330番に登録されています。
 この古墳の墳丘は完全に消滅していたことから、埋葬施設や埴輪、葺石等の存在は不明です。墳丘径は16.8m、周溝を入れた外径は約21.6mの円墳と推定されているようです。

 例えば、周辺一帯が農地だった昭和の初め頃であれば、なにか痕跡を見つけることも出来たのかもしれませんが、開発が進んだ現在では、古墳の面影はまったく残されていないようですようです。。。

<参考文献>
『1991年度 世田谷区埋蔵文化財調査年報』
『1999年度 世田谷区埋蔵文化財調査年報』
『2002年度 世田谷区埋蔵文化財調査年報』
『2004年度 世田谷区埋蔵文化財調査年報』
『2009年度 世田谷区埋蔵文化財調査年報』


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  1. 2017/12/24(日) 23:04:35|
  2. 世田谷区/野毛古墳群
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野毛古墳群 その1 「下野毛遺跡・野毛2,3,7,8,12,13号墳)」

 「野毛大塚古墳」の南側、世田谷区野毛1丁目から同2丁目にかけての一帯からは、発掘調査により多くの古墳が確認されています。これらの古墳は「野毛××号墳」と命名されており、「下野毛遺跡」と「下野毛根遺跡」の2つの遺跡内に存在します。このうちの、下野毛遺跡は世田谷区の南側、多摩川中流域左岸の国分寺崖線上に立地しています。標高は約33メートル前後で、上用賀付近に源流がある矢沢川によって形成された台地上に位置しています。昭和30年に第一次調査が行われ、その後16次にわたって発掘調査が行われています。

「野毛2号墳」

 画像は、世田谷区野毛2丁目の「野毛2号墳」の跡地周辺を西から見たところです。『東京都遺跡地図』には世田谷区の遺跡番号307番に登録されている古墳で、野毛大塚古墳の南西側に並ぶ帆立貝形古墳です。
 この古墳は、平成2年(1990)から翌年にかけて行われた共同住宅建築に伴う事前調査(下野毛遺跡第6次調査)により周溝の一部が検出され、この時点では直径16メートルの円墳ではないかと推定されていました。この調査では周溝の底面を掘り込んで埴輪を組み合わせてお棺に再利用したという「埴輪棺」が出土しています。また、埴輪は円筒埴輪のみが出土しており、この埴輪の生産地は、粘土の蛍光X線分析から群馬県藤岡市の本郷埴輪窯で生産されたと推定されているそうです。


「野毛2号墳」

 古墳はその後、平成29年6月24日から10月3日に掛けて行われた下野毛遺跡第16次調査のA区から周溝の続きが発見されています。この調査により、それまで円墳ではないかと考えられていた野毛2号墳は、帆立貝形古墳であることが判明しています。


「野毛2号墳」

 画像が、第6次調査で出土したという円筒埴輪です。平成29年10月28日に行われた現場見学会において公開されていたものです。


「野毛2号墳」

 下野毛遺跡第16次調査は来年の3月30日まで続くようです。
 果たして、さらなる未発見の古墳が発見されることになるのか、楽しみですね。


「野毛13号墳」

 この第16次調査B区の北側からは方形に廻る溝が検出されており、この溝は土の様相から古墳時代のものであり、方墳の可能性が高いと考えられています。野毛古墳群では13基目の古墳であり、「野毛13号墳」と命名されています。画像はこの野毛13号墳を南西から見たところです。


「野毛13号墳」

 角度を変えて、南東から見た野毛13号墳です。平成29年10月28日に行われた現場見学会で公開された際の古墳のようすです。この古墳の墳丘は完全に消滅していたことから主体部は検出されず、また埴輪や葺石の存在も不明であるようです。


「野毛13号墳」

 上空から見た野毛13号墳のようす。現場見学会で公開されていた写真です。
 これまでに確認されていた、野毛大塚古墳を除く11基の古墳はすべて円墳であると考えられてきましたが、第16次調査で検出されたA区の2号墳は帆立貝形古墳、B区の13号墳は方墳と、大発見が続いているようです。続けて行われるC区の調査ではどんな発見が待っているのか、とても楽しみです。。。


「野毛3号墳」

 画像は、世田谷区野毛2丁目の「野毛3号墳」の跡地周辺のようすです。『東京都遺跡地図』には世田谷区の遺跡番号308番に登録されている古墳です。
 この古墳は、平成3年(1991)に行われた共同住宅建築に伴う事前調査(下野毛遺跡第7次調査)により主体部が検出されており、過去の試掘調査により検出された周溝と考えられる落ち込みと位置から、墳丘規模は外径約28mの、墳形は不明であるものの円墳と考えられているようです。
 主体部は礫槨で、組み合わせ式の箱形木棺が推定されており、規模は長径167cm、短径31cm、高さ26cm以上を測ります。


「野毛7号墳」

 画像は「野毛7号墳」の跡地周辺のようすです。7号墳の跡地は画像のさらに奥の方ですね。
 この古墳は、平成10年(1998)の個人住宅建設の伴う事前発掘調査により周溝の一部が検出され、墳丘径は推定で約19.6m、周溝を含めた外径は22.6mの円墳であることが判っています。ブリッジを持つ可能性が高く、時期を特定できる遺物は出土していないものの、築造は覆土から5世紀末から6世紀初頭と推定されています。


「野毛8号墳」

 「野毛8号墳」は、平成11年(1999)から翌12年にかけて行われた個人住宅建設に伴う事前発掘調査により確認された古墳です。調査当時にすでに墳丘は削平されて遺存せず、周溝の全体の約6分の1が検出されています。
 墳丘径は推定で約22.5m、周溝を含めた外径は29mの円墳であることが判っています。ブリッジを持つ可能性が高く、時期を特定できる遺物は出土していないものの、築造は覆土から5世紀から6世紀初頭と推定されているようです。


「野毛12号墳」

 「野毛12号墳」の跡地のようすです。発掘調査が終わった後しばらくは、画像のように更地となっていたのですが、その後宅地化が進み、現在の景観は大きく変わっているようです。

 以下、次回に続く。。。

<参考文献>
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
『1990年度 世田谷区埋蔵文化財調査年報』
『1991年度 世田谷区埋蔵文化財調査年報』
『1998年度 世田谷区埋蔵文化財調査年報』
 世田谷区教育委員会・東京都スポーツ文化事業団・東京都埋蔵文化財センター『下野毛遺跡 発掘現場見学会資料』


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  1. 2017/12/23(土) 21:14:57|
  2. 世田谷区/野毛古墳群
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「玉川神社古墳」

「玉川神社古墳」

 画像は、世田谷区瀬田4丁目にある「瀬田玉川神社」を東から見たところです。永禄2年(1559)10月の創立ともいわれるこの玉川神社の祭神は大己貴命(おおあなむちのみこと)、日本武尊(やまとたけるのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)です。この神社の社殿は古墳の上に鎮座しているといわれており、『東京都遺跡地図』には「玉川神社古墳」の名称で、世田谷区の遺跡番号108番の遺跡として登録されています。


「玉川神社古墳」

 この古墳は、昭和58年に東京都教育委員会により行われた東京都心部遺跡分布調査により把握されており、昭和60年(1985)に発行された『都心部の遺跡』には次のように書かれていました。

113 瀬田玉川神社古墳
世田谷区 108  世田谷区瀬田4-10
①台地上
②神社
③一部残存
④円墳?(径32m)
⑤不明
⑥直刀(明治43年出土伝)
⑧社殿西下に50cm程度の墳丘の一部が残る。従来、塚とされていたが古墳と確認。
(①占地状況 ②現況 ③遺存状況 ④墳形 ⑤主体部 ⑥副葬品 ⑦文献 ⑧所見、備考)



「玉川神社古墳」

 画像が、『都心部の遺跡』にある、社殿の西下に残存する50cm程度の墳丘の一部と思われる箇所です。確かに古墳の基底部らしく円形に残されており、この弧を描く曲線からすると、かなり大きな古墳であることが伺えます。『東京都遺跡地図』ではこの古墳は径32mの円墳とされていますが、これは、後円部直径約30mの「八幡塚古墳」や径約30mの「狐塚古墳」とほぼ同等の規模ということになります。ひょっっとすると帆立貝形もしくは造出付円墳という可能性も考えられるのかもしれませんね。。。


「玉川神社古墳」

 画像は、残存する墳丘を別角度から見たところです。はっきりと弧を描いている形状を見ることが出来ます。


「玉川神社古墳」

 拝殿の後ろ側にある境内社のようすです。この場所も墳丘上ということになると思われます。
 江戸時代の地誌である『新編武蔵風土記稿』には「熊野社 村ノ西南ノ方、ワヅカニ高キ塚上ニアリ。スナハチ二子街道ナリ。小祠、西向ニテ本村慈眼寺ノ持ナリ。」と記載されています。おそらくは、江戸時代にはすでに墳丘はかなり削られていたのかもしれません。
 世田谷区内に残存する古墳の中では数少ない未調査の古墳ですが、今後の学術的な調査が待たれる重要な古墳ではないでしょうか。。。

<参考文献>
東京都世田谷区教育委員会『せたがや 社寺と史跡(その二)』
東京都教育委員会『都心部の遺跡』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』


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  1. 2017/12/22(金) 21:49:41|
  2. 世田谷区/砧古墳群その他
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「弁天塚・天神塚」

「弁天塚・天神塚」

 世田谷区岡本2丁目の、静嘉堂文庫の敷地内に所在するのが「弁天塚・天神塚」という2基の塚です。
 『東京都遺跡地図』には、世田谷区の遺跡番号199番の”時代不明の塚”として登録されており、画像はこの2基の塚を北西から見たところです。

 この塚に関しては詳しい記載のある文献は見つからず、詳細がわかりません。発掘調査が行われたという記録もなく、弁天塚と天神塚というからには塚上に弁天様や天神様が祀られているのかな?という想像は出来るものの、実際に現地を訪れてみても、塚上は樹木が生い茂っていてようすをうかがうことはできませんでした。
 塚は、静嘉堂文庫敷地内の噴水池の前、岩崎家霊堂の北西側に築山となって残されているのですが、静嘉堂文庫でお聞きしたところでは、この築山は古墳ではないかと考えられてはいるものの特に遺物の出土等の伝承もなく、「弁天塚」、「天神塚」という名称の存在も把握していなかったということです。したがって、左右に並ぶ2基のマウンドのどちらが弁天塚で、どちらが天神塚であるのかもわかりませんでした。


「弁天塚・天神塚」

 画像は南西側のマウンドです。以外と高さが残されているのがわかります。
 世田谷区の学芸員の先生にお聞きしたところでは、この2基の塚は古墳ではないかと考えており、さらに、元々は1基の前方後円墳だったのはないかという可能性も指摘されておられました。確かに現地で観察すると2基の塚は繋がっているようにも見えますが、築山としてかなり改変されているため、真相はわかりません。


「弁天塚・天神塚」

 画像は北東側のマウンドです。
 塚上には「せたがや百景」の石碑が設置されており、「73 岡本静嘉堂文庫 静嘉堂文庫は、岩崎弥太郎・小弥太父子2代によって集められた和漢の古典籍と古美術品とを集蔵し、大正13年建築の文庫と平成4年竣工の美術館とから成る。多摩川を望む丘陵の上に立ち、深い樹林に包まれて四季おりおりの景観に恵まれている。」と、塚ではなく静嘉堂文庫について記されています。
 現地でその形状を観察した印象や立地的に考えても、やはり前方後円墳なのではないかと期待したい塚ですが、いずれは行われるであろう発掘調査を待つよりほかに詳細を知る術はないようです。。。

<参考文献>
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』


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  1. 2017/12/21(木) 23:29:09|
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