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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

「鹿島北古墳」

「鹿島北古墳」

 画像は、八王子市楢原町に所在する「日枝神社」を北から見たところです。この神社の境内に所在するとされる古墳が「鹿島北古墳」です。『東京都遺跡地図』には、八王子市の遺跡番号1026番の古墳として登録されています。

 この古墳は、北側を川口川に、また南側を浅川により区切られた台地上に存在します。周辺には鹿島神社境内に所在する「鹿島古墳」や「一本松古墳」が残存しており、また現在は開発により消滅してしまった古墳と思われる塚の伝承も残されており、古墳群が展開していたのではないかとも考えられているようです。
 画像中央の鳥居の奥に見えるのが「鹿島北古墳」です。


「鹿島北古墳」

 この鹿島北古墳については、発掘調査が行われていないために埋葬施設や周溝、出土遺物については不明ですが、平成5年には多摩地区所在古墳確認調査団により確認調査が行われており、『多摩地区所在古墳確認調査報告書』には次のように記されています。

墳 丘:直径約3m、高さ約0.7mの地膨れが残る。
主体部:内容不明
備 考:日枝神社の祠が祀られている。
    付近に存在した古墳を合祀したという地元民の話も伝わる。
(『多摩地区所在古墳確認調査報告書』10ページ)



「鹿島北古墳」

 南西から見たから見た鹿島北古墳。
 「高さ約0.7m」という『多摩地区所在古墳確認調査報告書』の記述よりも、さらに削られてほとんど高さは残されていないように見えます。「付近に存在した古墳を合祀した」という伝承も気になるところですが、かつては、多くの古墳が存在したのでしょうか。。。

<参考文献>
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』


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  1. 2018/03/29(木) 00:15:55|
  2. 八王子市の古墳・塚
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「一本松古墳」

「一本松古墳」

 画像は、八王子市楢原町にある「一本松古墳」を南から見たところです。『東京都遺跡地図』には、八王子市の遺跡番号1025番の古墳として登録されています。
 この一本松は、周辺地域では古くから知られた場所で、江戸地代の地誌『新編武蔵風土記稿』には「一本松 村の中程なり、ここに一箇の塚ありて其上に老松孤立するを以此名ありと云、さはいえど一株の松にはあらで、雌木雄木の二本あり、ともに周廻一囲半にあまれる、由来は詳かなら」と記されています。同書にあるようにこの一本松は塚の上にあったといわれており、この塚は古墳ではないかと考えられているようです。
 この場所は、北側を川口川に、また南側を北浅川により区切られた台地上に存在します。南東に300~400メートルほどの地点には「鹿島古墳」や「鹿島北古墳」が所在しており、またその周辺には幾つかの古墳らしき塚の言い伝えもあり、立地的にはこの一本松が古墳である可能性は十分に考えられるところです。
 地元の住民の方に聞いたところでは、古くからあった一本松は倒れて朽ち果ててしまったものの、残されていた古株から新しい松が生えてきたのだそうで、地名の由来となった一本松はかなり成長しているようです。
 

「一本松古墳」

 画像は、古墳の残存部分であると思われる、一本松の根元の塚状のマウンドを西から見たところです。この古墳は発掘調査が行われていないため、塚の性格は明らかにされていないのですが、平成5年度には確認調査が行われており、『多摩地区所在古墳確認調査報告書』には、「道路により削平されているが、墳丘東側が残存。残存する高さは1.0~1.3m、直径は10m前後。」と書かれています。


「一本松古墳」

 北西から見た一本松古墳のようすです。以前訪れた時よりも松が大きく成長していてびっくりしました。


「一本松古墳」

 墳頂部(?)周辺に、埋葬施設の石材なのか葺石なのか、挙大の河原石が見られます。
 ちなみにこの写真は2年くらい前のものなのですが、グーグルマップで現在のようすを見ると、この敷地の周囲を柵が囲っていて立ち入れないようになっているようです。いずれは宅地となって消滅してしまうのかもしれませんね。。。


「一本松公園」

 古墳の南東には、「一本松公園」と命名された公園があり、まるで古墳を再現したかのような築山があります。
 私は、この頃はまだタバコを吸っていて、当時はここでゆっくりと一服したことを思い出します。

 この古墳の二度目の訪問の際に、お向かいの民家の旦那さんと、なんとなく立ち話になったのですが。「つい一ヶ月程前にもこの場所に車を止めて写真を撮っていた人がいた。」なんておっしゃっていました。古墳の現地説明会なんかに参加しても、最近はすごく人が多かったりしますし、古墳巡りを趣味とするような人も増えてきているのかもしれませんね。。。

<参考文献>
八王子市史編さん委員会『八王子市史 下巻』
八王子市教育委員会『八王子市遺跡地図』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
多摩地域史研究会『多摩川流域の古墳』


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  1. 2018/03/28(水) 08:32:08|
  2. 八王子市の古墳・塚
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「川口古墳」

「川口古墳」

 画像は、八王子市川口町に所在したとされる「川口古墳」の跡地周辺を南東から見たところです。『東京都遺跡地図』には八王子市の遺跡番号31番の遺跡として登録されています。

 この古墳は、北側の川口川と南側の北浅川により区切られた川口丘陵上に所在します。土地所有者の耕作中に発見され、八王子市教育委員会に届けられたことにより、昭和32年(1957)8月25日から28日にかけて、甲野勇氏の指導により都立南多摩高校地歴部によって発掘されています。発掘当時にはすでに耕作により墳丘が削平されており、石室の一部は露出していたといわれています。石室の長さは推定約3.5m、奥壁の幅が約1mで、玄室と羨道の区別が明確ではなく、やや台形に近い長方形の石室だったようです。これは、あきる野市に所在する「瀬戸岡古墳群」とまったく同じ様式の古墳だそうで、8世紀に入ってから築造された積石塚と考えられているようです。主体部からは小刀2点のほか、鉄鏃などが出土しています。

 この古墳の所在地については『八王子市史 下巻』に「秋川街道と都道の交差点(現在の楢原町交差点)から西に200メートル、秋川街道の南側10メートル」とあり、『東京都遺跡地図』や『八王子市遺跡地図』、『多摩地区所在古墳確認調査報告書』の分布図すべてに、同じ場所に古墳のマークが記されています。画像の崖上の奥が古墳の跡地です。
 現在の川口古墳の所在地には工場が建てられています。実は2度目の探訪の際に土地所有者を訪ねてみたのですが、やはり古墳は工場建設の際に完全に消滅してしまったということでした。地中に周溝等が残存する可能性は残されているのかもしれませんが、少なくとも地上に古墳の痕跡は何も残されていないようです。(工場内の、大きなタイヤが数個積まれている場所が古墳の跡地だと教えていただきましたが、写真は撮りませんでした。。。)


「川口古墳」

 画像は、以前に掲載した崖の下の正体不明のマウンドです。最初にこの場所を訪れた際には古墳の所在地がわからず、崖線上をかなり長時間周辺をウロウロすることになりました。地元の通りがかりの男性にお聞きして、「古墳かどうかはわからないが、畑の奥にそれらしい土盛りがある…」と案内していただいたのが画像のマウンドです。
 ちなみに、八王子市郷土資料館より発行された『多摩の古墳』の60ページには、「川口古墳の所在地」としてこの場所の写真が掲載されています。最初に訪れた日にこの本を持参していたことから、このマウンドが古墳で間違いないと思い込んでしまったわけですが、北浅川沿いの古墳はすべて段丘上の縁辺部に所在しており、この川口古墳の所在地のみが崖下であることにはやはり違和感を感じて、その後も機会を見つけて調べていました。
 ではこのマウンドは一体なんだろうということになりますが、耕作の際に生じた単なる残土の山なのかもしれませんが、真相はわかりません。。。

<参考文献>
八王子市史編さん委員会『八王子市史 下巻』
川口地区社教郷土史研究会十周年記念誌編集委員会『川口の郷土史』
八王子市教育委員会『八王子市遺跡地図』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
八王子市郷土資料館『多摩の古墳』


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  1. 2018/03/26(月) 23:52:27|
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「八王子市№30遺跡」

「八王子市№30遺跡」

 『東京都遺跡地図』には、八王子市川口町調井に「八王子市№30遺跡」という名称の古墳が登録されています。八王子市の遺跡番号30番の古墳です。画像は、この古墳の跡地周辺を東から見たところです。

 この古墳は、多摩地区所在古墳確認調査団により行われた分布調査により把握されているようですが、平成7年(1995)に発刊された『多摩地区所在古墳確認調査報告書』によると、墳丘は「消滅」、主体部も『消滅?」とされており、詳細の全くわからない古墳です。東京都遺跡地図の分布図を参考に訪れてみたのが画像なのですが、多摩川の支流である北浅川左岸の台地縁辺部にあたるこの場所の西方150mほどの地点には「調井古墳」があり、立地的には古墳の存在の可能性は十分に考えられる場所です。

 『東京都遺跡地図』と『八王子市遺跡地図』ではこの古墳の位置に微妙なズレがあるのですが、画像は『東京都遺跡地図』に記された周辺のようすです。左側は崖になっていて、右側の古墳の跡地とされる周辺は宅地と道路となっているため、古墳自体の痕跡は残されていないように見受けられるのですが。。。


「八王子市№30遺跡」

 古墳の跡地とされる民家と道路の際のあたりには、古墳の石室の石材ではないかと勘ぐりたくなるような石が置かれています。何とも気になる存在ですが、古墳との関係は不明です。。。

<参考文献>
八王子市教育委員会『八王子市遺跡地図』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』


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  1. 2018/03/24(土) 08:40:29|
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「調井古墳」

「調井古墳」

 画像は、八王子市川口町の「調井(ととのい)古墳」を南から見たところです。『東京都遺跡地図』には八王子市の遺跡番号29番に登録されている古墳です。

 八王子市内の古墳は、多摩地区所在古墳確認調査団により行われた分布調査により把握されています。平成7年(1995)に発刊された『多摩地区所在古墳確認調査報告書』には、この調井古墳について次のように書かれています。

占地状況:丘陵斜面
墳  丘:東西2m、南北3m、高さ0.5mの地膨れ程度に残存
主体部:石室の一部と推定される石材が露出。
(『多摩地区所在古墳確認調査報告書』8ページ)


 これが古墳であるならば、かつては丘陵斜面に築かれていたのではないかと考えられますが、現在は宅地建設のために切り崩され、現在は埋葬施設の断面ではないかと考えられる石組みが露出しています。(古墳は、個人所有の敷地内に存在しますので、見学には許可が必要です。)


「調井古墳」

 遺構の周囲の覆土は崩落が進んでいると考えられ、周辺には石材と考えられる河原石が落下して散乱しています。
 この遺構も早急な調査と保護が必要なのではないかと思われますが、今のところは現状保存という状況です。。。


「調井古墳」

 訪れた当日、この土地の所有者(かもしれない?)に色々お話を聞くことが出来ました。氏曰く、この埋葬施設らしきの石組みの直下の土が焼土となっていることがとても不思議だ、ということをおっしゃっていたのですが、なるほど確かに石組み直下が、かなり深い位置まで白い焼土となっています。古墳の石室のさらに地中の土がどうなっているのか、私はこれまで考えたこともなかったのでこれにはとてもびっくりしましたが、なかなか興味深い事例であるように思います。今後の調査の進展が待たれるところです。
 過去に調井古墳周辺の畑を耕作している際には、同じような石組みの遺構の存在が想定される、鍬の入らない場所が何ヶ所か存在したということもお聞きしました。さらには、調井古墳のさらに西側のスーパーの裏手あたりの台地縁辺部では、かつて古墳が掘り起こされたという伝承も存在するようです。ひょっとしたら周辺には複数の未発掘の古墳が残されており、今後の調査により発見されるという可能性も考えられるかもしれません。

 この古墳には二度も訪れて、時間を割いてお話を聞かせていただきました。
 楽しい時間をありがとうございました。。。

<参考文献>
八王子市教育委員会『八王子市遺跡地図』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』


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  1. 2018/03/23(金) 00:02:15|
  2. 八王子市の古墳・塚
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「南浅間(浅間塚2号古墳)」

「南浅間(浅間塚2号古墳)」

 画像は、八王子市川口町にある「南浅間(浅間塚2号古墳)』を北東から見たところです。

 この塚は、前回紹介した「北浅間」と対をなすように、北浅川左岸の河岸段丘上に所在します。ほぼ原形を留めた状態で残されているであろうと思われるこの塚は、北浅間同様に学術的な調査が行われたという記録はなく、『東京都遺跡地図』にも未登録で、『多摩地区所在古墳確認調査報告書』や『八王子市遺跡地図』等にも記載されていないという、地元の人のみに知られる無名の塚です。この塚も、昔の浅間信仰の跡で、浅間塚ではないかという説、あるいはのろし塚や旗塚ではないかという説、そして一部には古墳ではないかとする説もあるようですが、出土品が存在しないことから真相はわからないままです。

 困惑させられるのは、北浅間には足のような突出部が四隅に存在したのに対して、この南浅間には2箇所に足のような突出部が存在することです。「北浅間」が四隅突出墳を連想させられるとすれば、この「南浅間」は双方中円墳を連想します。地元八王子の郷土史研究家である村下要助氏は、北浅間、南浅間ともに古墳ではないかとしているようですが、双方中円墳は全国的にも数例が知られるのみです。もしこの南浅間が双方中円墳で、八王子市内に双方中円墳と四隅突出墳が並んで存在するということになれば、それこそ世紀の大発見ではないかと思うのですが、真相やいかにという感じですね。。。


「南浅間(浅間塚2号古墳)」

 画像は、突出する足のような部分を接写したものです。落ち葉が積もっていてわかりにくいのですが、左奥の墳丘から右手前に足が伸びています。
 この塚についても、地元八王子の美山出身の村田貫二氏が測量調査を行っており、昭和57年にこの測量図と保護要請書を八王子市教育委員会に提出しています。北浅間に比べるとこの南浅間は一回り大きい印象で、北浅間の高さ3.75メートルに対して、南浅間は高さ約6メートルほどもあるようです。東西に延びる突出部は、やはりわずかに曲がっているのが特色で、特に西側の突出部は、足の途中にさらに足が突出しているような変な形をしています。

 北浅川流域左岸は終末期の古墳と考えられる小円墳が点在している地域です。その上流に四隅突出墳と双方中円墳が存在するとなればもちろん大発見であると思われますが、この2基が古墳ではなく後世の塚だったとしても、この形状はかなり興味深いところです。今後、きちんと詳しい調査が行われるとともに、開発により破壊されてしまうことのないようにきちんと保護されると良いなと思います。。。


「南浅間(浅間塚2号古墳)」

 ちなみに夏に訪れるとこんな状況です。
 やっぱり古墳を見学するなら、下草が枯れて形状を確認しやすい冬がオススメですよね。
 この塚は、地元の川口町では知る人ぞ知る存在で、地域の史跡巡りなどの企画でこの南浅間や北浅間が見学のコースに入ることもあるようですが、全国的には全く無名の存在であるようです。私は、おいせぬ台の山中にひっそりと佇む2基の塚を目にした時に、いずれ調査が行われて整備される日が来るまでは静かにしているのが良いのではないかと感じて、2年くらい公開するのをためらっていたのですが…、うん、やっぱり公開してしまいました。笑。
 八王子市内には、私の知らない古墳や塚が密かに存在するのではないかと思っています。まだまだ今後も探索の日々ですね。。。

<参考文献>
川口地区社教郷土史研究会『川口の郷土史』
高沢寿民『史話 武州多摩郡川口 』
八王子市川口郷土史研究会『郷土史』


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  1. 2018/03/22(木) 01:31:53|
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「北浅間(浅間塚1号古墳)」

浅間塚(浅間塚1号古墳・北浅間)

 「北浅間」は、八王子市川口町に所在する塚です。この塚は、おいせぬ台と呼ばれる、北浅川左岸の河岸段丘上、川口小学校裏手の丘陵を登った雑木林の中に所在します。ほぼ原形を留めた状態で残されているであろうと思われるこの塚は、一部に盗掘跡ではないかと考えられる窪みが見られるものの学術的な調査が行われたという記録はなく、『東京都遺跡地図』にも未登録で、『多摩地区所在古墳確認調査報告書』や『八王子市遺跡地図』等にも記載されていないという、地元の人のみに知られるという無名の塚です。(ちなみに『東京都遺跡地図』は、登録の仕方についての方針が区市町村によって違うらしく、これは見る者にとっては非常にわかりにくいのですが、八王子市はこういった現存しながらも未登録の塚が少なくないようです。)

 八王子市立川口小学校の裏手を北西方面に進んだ、おいせぬ台の山中に北浅間は存在します。画像の山道をまっすぐに進んだ奥が浅間塚の所在地です。早速、登ってみましょう。


浅間塚(浅間塚1号古墳・北浅間)

 画像が、南東から見た「北浅間(浅間塚1号古墳)」です。

 『八王子市史 下巻』に掲載されている「八王子市内古墳分布一覧表」には、「川口町古墳」という名称で、「川口町川口小学校裏 丘陵上 円墳? 1基」と記されており、これがこの北浅間ではないかと思われるのですが、塚の性格などの詳細まではわかりません。地元の郷土史家の間では、昔の浅間信仰の跡で、浅間塚ではないかという説、あるいはのろし塚や旗塚ではないかという説、そして一部には古墳ではないかとする説もあるようです。

 興味深いのは、この塚には、足のような突出部が四隅に存在することです。地元八王子の郷土史研究家である村下要助氏は、この四隅の突出部の存在から、塚は古墳であると断言しているようです。村下氏は、前島己基氏著作の『郷土考古学ノート』や季刊『考古学』といった論文が持論を裏付けるものであるとしているようですが(これらの文献には出雲地方を中心に多く見られる「四隅突出墳」について述べられています)、学術的な調査が行われていないことから塚の性格は不明のままです。ちなみにこの塚の所在する川口町周辺にも出雲の大国主命を祭神とする社は多く、古代にこの地域に出雲族が勢力を扶殖していたといわれています。


浅間塚(浅間塚1号古墳・北浅間)

 画像は、四隅に突出する足のような部分を接写したものです。このような突出部は四方に存在します。
 この塚については、地元八王子の美山出身の村田貫二氏が測量調査を行っており、昭和57年にこの測量図と保護要請書を八王子市教育委員会に提出しています。(村田氏は、少年時代からこの塚に興味を抱き、その後、小学校在職中の帰省の際にもこの塚を訪れていたそうです。)この資料によると、塚は直径約20メートルほどで、足のような突出部は約7.6メートルほどです。南北に伸びる突出部は直線的であるのに対して、東西に延びる突出部はわずかに曲がっているのが特色です。


浅間塚(浅間塚1号古墳・北浅間)

 墳頂部のようすです。写真ではよくわからないのですが、盗掘孔ではないかと考えられるわずかな窪みが見られます。


浅間塚(浅間塚1号古墳・北浅間)

 これも写真ではわかりにくいのですが、塚の北東側に存在する、陪塚ではないかとされる小さな塚上のマウンドです。測量調査を行った村田氏によると、石郭の一部ではないかとされる石片が見られ、以前は今よりも4~50センチほど高かったようです。
 この北浅間が四隅突出墳であれば、世紀の大発見ではないかと思われるのですが、これは今後の調査の進展を待たなければならないようです。
 果たして、北浅間の正体やいかに!

 以下、次回の「南浅間」に続く。。。

<参考文献>
川口地区社教郷土史研究会『川口の郷土史』
高沢寿民『史話 武州多摩郡川口 』
八王子市川口郷土史研究会『郷土史』


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  1. 2018/03/20(火) 08:54:58|
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「胴塚(珍宝塚)」

「胴塚(珍宝塚)」

 さて、今回は、八王子市弐分方町の「報恩寺」の跡地とされる場所を訪ねてみたときの記録です。

 弐分方町新井の山の中腹には由井宗弘氏の居館があったといわれており、その館址を含むところには、真言宗宝生寺末である「由井山報恩寺」が創建されたといわれています。『八王子事典』によると、報恩寺の創建は天正二年(1574)で、中期開山は良弁上人、明治元年(1880)に宝生寺に合併されて廃寺となり、現在は、跡地に観音堂が建てられています。
 実は気になったのが小山祐三著『元八王子の歴史散歩資料』に書かれている、この地域に関する記述で、同書には「報恩寺跡の背後の丘上に、由井氏の館址といわれる平坦地があり、胴塚とも珍宝塚とか呼ばれている塚があるが、その由来は知られていない。」と、この丘陵上に存在する塚について記されています。この塚が一体何者であるかこの目で確かめたくて、この報恩寺の跡地を訪れてみました。
 画像の一本道をまっすぐに進んで突き当たったあたりが、報恩寺の跡地とされる場所です。胴塚(珍宝塚?)は残されているのでしょうか。


「胴塚(珍宝塚)」

 画像が、報恩寺跡地に建てられたという観音堂です。
 江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』には当時の報恩寺に関する記述があり、同書によると、本堂は六間半に七間、観音堂は二間四方、除地は二反四畝であったと記されています。現在の観音堂は、昭和29年(1954)に再建されたもので、堂内にあった本尊と諸仏像は廃寺の際にすべて行方不明となっており、現存する、宝生寺より貰い受けた不動明王坐像のほか、聖観音立像・如意輪観音坐像などが観音堂内に残されているそうです。


「胴塚(珍宝塚)」

 この、現在の観音堂の場所がわずかに塚状に盛り上がっているようにも見えることから、ひょっとしたらこの場所が胴塚の跡地であろうか?とも想像しましたが、真相はよくわかりません。。。


「胴塚(珍宝塚)」

 観音堂の北側の比較的平坦な場所です。このあたりにも塚は見当たらないようです。
 この丘を登っていくと南側には神明神社が、更に登った南西側には不断院というお寺があります。


「胴塚(珍宝塚)」

 丘を登ってみたところ、丘陵頂部周辺のようすです。
 やはり塚は見当たらないようです。。。


「胴塚(珍宝塚)」


 観音堂の北西奥は墓地となっています。
 『元八王子の歴史散歩資料』によると、報恩寺が廃寺となった後も墓地は残り、宝生寺が菩提寺となっているようです。やはりこの場所にも塚らしき痕跡は見当たらないようです。
 結局、塚らしき痕跡は発見できず。この日はこれで諦めて帰ってきてしまいました。

 「胴塚」という名称からして、かつての八王子城と関係するような、おそらくは古墳ではなく中世以降の塚なのではないかと想定できますが、学術的な調査が行われていない(と考えられる)ことから、塚の性格まではわかりません。ちなみにこの観音堂の北方数百メートルほどの丘陵頂部には、「北浅間」、「南浅間」と呼ばれる、古墳ではないかともいわれている塚が2基、残存しています。北浅川を挟んだ対岸に所在するこの胴塚も、開発の手の及んでいない山中が所在地ということで、良い形で残されているのではないかと期待しましたが、この日はうまく出会うことはできませんでした。
 この塚に関しては、もう少し深追いしても良かったのではないかと心残りがあり、残存の可能性も捨てきれていないのですが、あらためて訪れる機会があれば、隣接する「不断院」なども訪ねてみようと思っています。 

<参考文献>
小山祐三『元八王子の歴史散歩資料』


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  1. 2018/03/18(日) 00:26:37|
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「傾城塚(お女郎塚)」

「傾城塚(お女郎塚)」

 「傾城塚」は、八王子市元八王子2丁目の町会公会堂前に所在する塚です。『東京都遺跡地図』には未登録となっているようですが、おそらくは古墳とは無関係の中世の塚で、塚にまつわる多くの言い伝えが残されているようです。

 まだ八王子城があった頃、この周辺は横山原と呼ばれる城下町の一角で、東側の地域には大善寺と極楽寺があったといわれているようです。かつては、画像の桜の木のあたりが塚になっていて、八王子城落城の際に寄手が逃げ遅れた遊女たちを切り捨てたことから、その供養のために造られた塚であるという言い伝えがあり、地元の人にはこの塚は「傾城塚」、または「お女郎塚」と呼ばれていたようです。


「傾城塚(お女郎塚)」

 以前、この塚は発掘されたことがあり、多くの石器や土器が出土したといわれています。一説には、この一帯が石器時代の包蔵地であったといわれ、耕作の邪魔になったものをここに集めていて塚になってしまったものであるが、それが城山話に結びつけられてしまったものでないかともいわれているようです。
 いずれにせよ、発掘の学術的な記録は残されていないようなので、塚の性格まではわからないようです。


「傾城塚(お女郎塚)」

 塚上の桜に木の根元には庚申塔が祀られており、これにより桜の木は「おさるの木」と呼ばれているそうです。
 庚申塔は江戸時代の享保五年(1720)十月銘の青面金剛像で、合掌六手の笠付日月一鬼三猿が彫られている、高さ40cmほどの石像です。
 隣には、天保三年(1832)秋葉山大権現鎮守御宝前、中郷講中と彫られた火袋部分の欠陷した燈篭の台と思われる石像物も置かれています。
 かつてはもっと高さのある塚だったようですが、周辺は開発による宅地化が進んでおり、また塚の周囲はアスファルトで舗装された道路となっていることから、現在は塚状の盛り上がりはほとんど見られないようです。。。

<参考文献>
小山祐三『元八王子の歴史散歩資料』


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  1. 2018/03/15(木) 23:10:31|
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「供養塚」

「供養塚」

 画像は、八王子市上壱分方町に所在する「供養塚」を南から見たところです。

 現在の陣馬街道に程近い、旧街道沿いに所在するこの塚の周辺は供養ノ原と呼ばれており、塚にはいくつかの言い伝えが残されているようです。
 一説には、天正18年6月23日、合戦により戦死した武士を集めて供養したところではないかともいわれ、また安永6年(1437)、この年に天変地変が多く、城山落城後百八十五年経過しており、何か村の異変で犠牲者を供養したものではないかという説もあり、この供養塚の真の由来はわからないようです。
 古くはマウンドが存在したものの消滅してしまったものか、それとも最初からマウンドは存在しなかったのか真相はわかりませんが、現在は平坦な地に石碑が残されています。


「供養塚」

 右側は安永10年(1777)銘のある庚申塔(文字塔55センチ笠は別のものがのせられている)で、その左に文政10年(1827)銘の馬頭観音、その左は首なしの地蔵(年代不詳)、一番左が安永6年(1777)の地蔵尊。全面の右側は庚申塔で、左側は首なしの地蔵です。
 八王子市内には、数多くの史跡が元々あった場所に多く残されていて、古墳とは無関係ではあるものの、庚申塚や供養塚等、「××塚」と呼ばれる塚も多く存在します。痕跡の残る塚に関しては、時間の許す限り見学してみましたが、この供養塚は古墳とは無関係であるようです。。。


八王子市 未登録 供養塚4図書塚

 供養塚から南東に数分ほどの、現在の陣馬街道沿いには「図書塚公園」があり、この公園の一角にはこの名称の由来となった「図書塚」があります。
 明治から昭和初期にかけてこの地域の教員を務めた平井鉄太郎氏は、私財を投じて良書を集め、青少年の教育に役立てようとしていました。しかし、昭和20年の第二次世界大戦による八王子空襲で家とともに大量の蔵書もすべて灰燼に帰してしまったそうです。この図書塚公園は平井氏の旧居跡といわれており、図書塚の下には焼けてしまった書籍が埋められているそうです。


八王子市 未登録 供養塚5図書塚碑

 小さな塚の上には「図書塚の碑」が建てられており、この石碑には「平井鉄太郎先生 万巻の書は戦火に失せたりされど愛は朽ちず」と刻まれています。。。

<参考文献>
井上幸太郎『元八王子の歴史』
小山祐三『元八王子の歴史散歩資料』


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  1. 2018/03/14(水) 00:41:51|
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