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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

ぐんま古墳カード その2「保渡田古墳群・八幡塚古墳」

高崎市「保渡田八幡塚古墳」1

 ぐんま古墳カード その2。
 今回は、高崎市井出町所在の「八幡塚古墳」です。

 「保渡田古墳群」には井出二子山古墳・八幡塚古墳・薬師塚古墳という3基の大型前方後円墳が残されています。3世代に渡る有力豪族の墓が5世紀の終わりから6世紀の初めにかけて短期間のうちに隣接して築造されており、保渡田古墳群は昭和60年(1985)に国指定史跡となっています。

 3基の前方後円墳のうち、井出二子山古墳に続いて築造されたのがこの八幡塚古墳です。発掘調査が行われた当時に墳丘が大きく削り取られていたことから、史跡公園の整備にあたり築造時の姿に復元されており、葺石や埴輪がつくられた当時の姿を見ることができます。
 墳丘全体が葺石で復元された姿は壮観ですね。。。

 古墳の規模は全長96mで、墳丘は3段に造られており、その斜面が葺石で飾られています。周囲には内堀、外堀、外周溝が巡り、それらの間に内堤、外堤が設けられています。墓域の長さは約190mにも及ぶそうです。


高崎市「保渡田八幡塚古墳」2

 前方部から後円部を見たところ。
 ズラリと埴輪が並べられています。

 この八幡塚古墳は、とても埴輪様式が充実した古墳で、墳丘のテラスほか、内堤、外堤に密着して配置された円筒埴輪は6,000本と推定されています。これらの埴輪の需要に伴い約18キロ南に離れた藤岡市域には埴輪窯が整備され、上毛野西部の拠点窯として発展したそうです。


高崎市「保渡田八幡塚古墳」3

 後円部から前方部を見たところ。
 さすがに葺石と埴輪を全て復元するとすごい眺めです。

 もし、古墳時代に生まれてこんなお墓を目の当たりにしたら、びっくりするでしょうね。。。


高崎市「保渡田八幡塚古墳」4

 古墳の内掘の中には4カ所の中島が造られました。

 内掘を掘った際に島の部分だけを残し、若干の盛土をして2段に整えられています。周りには円筒埴輪が巡らされ、埦などの土器が多量に出土しています。

 果たしてこの中島がどういった性格のものなのかは明らかになっていないようですが、古墳の祭祀の場であるという説、また近親者や従者の埋葬施設であるという説が考えられているようです。


高崎市「保渡田八幡塚古墳」5

 埋葬施設は後円頂部に2カ所存在します。
 後円部の中心には舟形石棺が据えられており、これが古墳を築いた豪族本人の棺であると考えられています。そして、その脇には竪穴式石槨も発見されています。

 古墳の後円部内が展示施設となっており、展示されている舟形石棺を見ることができます。


高崎市「保渡田八幡塚古墳」6

 この古墳も私が古墳散策を趣味とするきっかけになった古墳の一つです。
 最初はあくまで旅行のついでという感じで、長野からの帰りがけに立ち寄ったのですが、この八幡塚古墳を最初に見たときはそりゃもう震えるほど感動しました。笑。
 それまで、古墳を築造した当時の姿など想像もしたことがありませんでしたしね。


 八幡塚古墳のカードは、同じ敷地内に併設されている「かみつけの里博物館」で入手できます。


高崎市「保渡田八幡塚古墳」7

 これが「保渡田八幡塚古墳」のカード。
 「人物・動物埴輪群像」がピックアップされた写真です!

 この埴輪配列区は、内堤の上に円筒埴輪による区画が造られており、その中に54体ほどの形象埴輪が置かれていたというもので、椅子に座った人々のグループ、立ち姿の人々のグループ、狩をする人と動物、整列する人や動物のグループなどいくつもの場面が見られ、様々な儀礼の様子を表したものであると考えられているそうです。

<参考文献>
若狭徹『前方後円墳と東国社会』
群馬県『ぐんま古墳探訪』
現地説明板


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  1. 2020/09/28(月) 18:14:22|
  2. ぐんま古墳カード
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ぐんま古墳カード その1 「簗瀬二子塚古墳」ー安中市指定史跡ー

 今年の8月1日(土)から、「ぐんま古墳カード」第2弾の配布がスタートしました。

 カードは、「百舌鳥・古市古墳群」の世界遺産登録を記念し、また東日本最大の古墳大国である群馬県をPRするためということで、県内12か所の古墳カードが制作されています。

 百舌鳥・古市古墳群で配布されている「もず・ふるカード」と同じデザイン、そして、ぐんまオリジナルデザインの2種類が発行されており、つまり現在、第1弾と第2弾で計24古墳で48枚の古墳カードが存在するということになります。

 というわけで、今回から大脱線!24回連続企画!

 「ぐんま古墳カード 大特集」ということで、古墳とカード化されたぐんま古墳カードを紹介してみようと思います!


安中市「簗瀬二子塚古墳」1

 最初の古墳は、安中市「簗瀬二子塚古墳」です。

 碓氷川左岸の中位段丘縁辺部に位置する、前方部が西側、後円部が東側を向いた前方後円墳で、周溝を含めた全長は140m、墳丘長80m、後円部の直径は48m、高さ8.8m、前方部の幅63m、高さ6.8mという、安中市を代表する古墳です。

 墳丘第1段、第2段法面および後円部法面前方部側に河原石による葺石が施されています。くびれ部で前方部から後円部の接続面が確認できることから、2段目法面では後円部が先に構築され、次に前方部が構築されたと考えられています。

安中市「簗瀬二子塚古墳」2

 前方部から後円部を見たところです。

 この簗瀬二子塚古墳は、東日本で最も早い時期に横穴式石室をとりいれた古墳なのだそうです。埴輪は、前方部から後円部南側にかけての1段目基壇面、後円部の前方部側斜面の壇頂から出土しています。

 埴輪列は円筒埴輪と朝顔型埴輪などが隙間なく並んでいたことがわかっており、形象埴輪は盾、家、馬、人物などが出土しています。


安中市「簗瀬二子塚古墳」3

 後円部から前方部を見たところ。

 かなり良好に残されている古墳ですね。。。


安中市「簗瀬二子塚古墳」4

 この古墳は明治11年(1878)、明治天皇の北陸、東海御巡幸の際に沿道の古蹟調べが行われて、この二子塚が古墳であると認定されたそうです。そして翌明治12年4月4日、古墳の所有者である小森谷啓作は隣家の小森谷子之吉と共に簗瀬二子塚古墳発掘して、石室を開口させました。

 石室内からは多くの副葬品が出土して、これらは小森谷柳造、啓作父子によって小森谷家の家宝として保管されました。
 その後、古墳は大切に保存され、開口した4月4日を記念日として、近年まで墳丘上の神明社で毎年祭祀が行われてきたそうです。


「簗瀬八幡平の首塚」1

 簗瀬二子塚古墳の南西側にあるのが「簗瀬八幡平の首塚」です。

 この塚は元々は古墳であるようなのですが、とても興味深い歴史を持つ首塚です。

 安中市教育委員会による説明板の全文を掲載しようと思います。

簗瀬八幡平の首塚
安中市指定史跡 昭和34年10月9日指定

 この首塚は、碓氷川北岸の河岸段丘上に位置する旧原市町12号墳(円墳)の墳丘に幅1メートル、長さ2メートルの穴を掘り、そこにおよそ150体分の頭蓋骨を埋めてあったものである。
 この首塚は、昭和6年3月10日に墓参りに来た小学生によって偶然発見された。その後、昭和27年12月に東京大学人類学教室鈴木尚博士によって調査された。調査の結果、古墳の石室の外側に約150個分に相当する頭骨が山と積まれ、その上を天明3年(1783)の火山灰がおおっていることがわかった。不思議なことには頭骨には下顎がなく、四肢骨も発見されていないところから多分どこか別の場所に埋葬されていたものをここに仮葬したものと推定される。これらの頭骨を人類学的に研究したところ、今の日本人にくらべて長頭・短顔・広鼻で鼻の付根が低く、中世の日本人の特徴を示している。これらの人骨には刺創もあるところから考えて恐らく戦国時代に近くの城が陥落する際の犠牲者と考えられるが、当時遺体をまとめて埋葬したものを、江戸時代中期又はそれ以前に村民によって偶然発見され、ここに改葬されたものと思われる。
 この首塚がいつ誰によって造られたかを示す史料は残されていないが、永禄4年(1561)に武田信玄がこの付近帯に八幡平陣城を築き、安中城と松井田城の間を分断した。当時松井田城主安中忠政、安中城主安中忠成親子は、箕輪城主長野氏に属し、武田信玄との戦いを交えていた。
 この首塚は安中市の中世を物語る遺跡であり、首塚で出土した人骨は貴重な人類学上の資料である。
               安中市教育委員会



「簗瀬八幡平の首塚」2

 石室の外側に頭骨が山と積まれていたという状況はとても気になるのですが、覆土を取り除いて頭骨と一緒に埋め戻したような状況なのでしょうかね???
 とても興味深いです。。。

 墳丘上のお堂の中には、今も頭蓋骨が安置されているそうです。。。


「簗瀬八幡平の首塚」3

 北西から見た簗瀬八幡平の首塚。
 こちらから見ると、古墳らしく見えますね。

 2017年に発行された『群馬県古墳総覧』で確認しましたが、「簗瀬首塚古墳」の名称で安中市の84番に登録されている古墳で、直径約24mの円墳であるようです。


ぐんま古墳カード「簗瀬二子塚古墳」

 これが「簗瀬二子塚古墳」のぐんま古墳カードです!

 右側が「もず・ふるカード」と同じデザインのカードで、左側がぐんまオリジナルデザインのカードです。

 ちなみに、カード化された24古墳の中では安中市唯一の古墳です。。。

 少なくとも、関東でこのような企画を実行できるのは群馬県のみではないかと思いますが、ほとんどの古墳で駐車場が完備されて古墳自体もよく整備されている状況は、さすがはぐんまという感じですね。。。


 ちなみに古墳カードは、現地で写真を撮る方法と、アプリを使って集める方法があります。おっさんである私はアプリがあまり得意ではないので、写真を撮る方法を選びました。笑。

 古墳を背景に記念撮影をして指定された資料館でその写真を見せると、カードを入手することができます。

<参考文献>
安中市学習の森ふるさと学習館『簗瀬二子塚古墳の世界』
群馬県教育委員会『群馬県古墳総覧』


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  1. 2020/09/27(日) 21:39:54|
  2. ぐんま古墳カード
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「秋葉神社」

宇都宮市「秋葉神社」1

 さて、今回は、宇都宮市西刑部町に所在する「秋葉神社」です。
 前回取り上げた「成願寺」から南西に100メートルほどに位置する神社で、成願寺の塚状地形に古墳の可能性があるならば、この秋葉神社だって怪しいじゃないかと感じた、古墳かもしれないと思わせる高まりです。ヽ(^◇^*)/


宇都宮市「秋葉神社」3

 これが秋葉神社社殿の様子です。
 社殿の土台の部分が高まりとなっているのがわかるでしょうか。。。


宇都宮市「秋葉神社」2

 お堂には、昭和十三年と十五年の奉納額が飾られていました。
 ちなみに鳥居には平成四年と刻まれています。
 これ以外に、神社についての詳細はわかりませんでした。。。


宇都宮市「秋葉神社」4

 マウンドを南から見たところ。
 それほど大きなマウンドではなく、パッと見は径約5m、高さ約1mと行ったところ。
 印象としては小円墳というところしょうか。


宇都宮市「秋葉神社」5

 北から見たところ。
 この周辺には中世から近世にかけての塚も多く存在しますし、果たしてこれが古墳であるか塚であるかは、調査が行われないとなんとも言えませんね。。。

<参考文献>


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  1. 2020/09/25(金) 23:36:43|
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「成願寺境内古墳(仮称)」

「成願寺境内古墳(仮称)」1

 画像は、宇都宮市西刑部町に所在する「成願寺」です。
 医王山薬王院と号し、本尊は胎蔵界大日如来で、天平神護元年(765)に勝道上人によって創建されたといわれているお寺です。
 このお寺の境内に古墳らしき塚が存在するということで、見学に訪れました。


「成願寺境内古墳(仮称)」2

 境内には巨大なイチョウの大木が。

 このイチョウは「旭町の大イチョウ」とともに巨木として有名で、宇都宮市の天然記念物に指定されています。イチョウの原産は中国で、神社や寺院に多く植えられていることから中国からの文化の伝来とともに日本に渡ってきたといわれています。

 個人的に、私が通った小学校はイチョウの木が校木で、校庭に植えられたイチョウの葉が秋になると黄色く染まってとても印象的でした。イチョウを見ると小学校の校庭を思い出します。笑。。。


「成願寺境内古墳(仮称)」3

 成願寺が所在する西刑部町は、宇都宮市南東部に位置しており、町の中央を江川が南流しています。

 この河川流域である西刑部町一帯は、平安時代の『和名抄』に記されている「刑部郷」に否定される地であるといわれます。

 地内には東山道が通っていました。


「成願寺境内古墳(仮称)」4

 画像が、古墳ではないかとされる塚状地形です。

 塙静夫氏は著書『うつのみや歴史探訪』のなかで、この塚状地形を「成願寺境内古墳」と仮称して、径10mあまりの円墳であるとしています。

 はたして、古墳なのかな。。。


「成願寺境内古墳(仮称)」5

 『宇都宮市遺跡分布地図』で確認したところでは、この地点に古墳の登録は存在しないようですが、成願寺の北方約300mほどの地点には清水内古墳が、北方約800mほどには前方後円墳である「飯塚古墳」が所在します。

 この、成願寺境内の塚が古墳である可能性も十分に考えられそうですが、真相やいかに!という感じですね。


「成願寺境内古墳(仮称)」6

 塚の東側は1/3か1/4ほどが削られています。

 版築の様子が見られないか観察しましたが、よくわかりませんでした。。。


「成願寺境内古墳(仮称)」7

 先ほどの塚状地形が古墳であるならば、この梵鐘の場所も元々古墳だった場所を流用したのではないかとも感じます。

 もちろん自然地形かもしれませんし、真相はわかりませんが、どうだろう。。。


「成願寺境内古墳(仮称)」8

 西側から見たところ。

 こうして石垣などで固められていない盛土の部分が残っていると、古墳跡っぽく見えますよね。

 古墳なのかな。。。

<参考文献>
塙静夫『うつのみや歴史探訪』
宇都宮市教育委員会『宇都宮市遺跡分布地図』


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  1. 2020/09/24(木) 21:38:12|
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「清水内古墳」

「清水内古墳」2

 画像は、宇都宮市西刑部町に所在する「清水内古墳」を南西から見たところです。

 古くは「飯塚山古墳」と呼ばれていた古墳で、現在は清水内古墳の名称で、栃木県の遺跡番号4350番、宇都宮市の遺跡番号274番に登録されています。

 古墳は、南北に伸びる丘陵の東端近くに位置しています。

 現状の規模は径約21m、高さ約3mで、円墳状を呈しているものの前方後円墳の可能性も指摘されているようですが、学術的な調査が行われていないため、詳細はわかりません。


「清水内古墳」1

 私がこの古墳とニアミスをするのはなぜかいつも真夏で、墳丘上はいつも鬱蒼とした深い藪となっています。

 墳丘南側には石段が設けられており、墳頂部には祠が祀られている様子がうかがえるのですが、いつも参拝の願い叶わず。残存する古墳の形状もよくわからないままです。

 やはり、古墳の見学はした草が枯れる冬が適しているなあと改めて思ってしまいます。


 それにしても!

 宇都宮市教育委員会発行の『宇都宮市遺跡分布地図』は、遺跡分布地図のページでは遺跡名とともに「県の遺跡番号」のみを記載しているのですが、巻末の遺跡一覧表では「市の遺跡番号」の順に記載しているので、これが見づらいことこのうえない!一体誰が編集するとこうなっちゃうんだよ!と問いただしたくなります。

 宇都宮市の遺跡分布地図なんだから、遺跡分布地図のページも市の遺跡番号で統一するか、両方掲載すればよかったと思うのですけどね。

<参考文献>
宇都宮市教育委員会『宇都宮の遺跡』
宇都宮市教育委員会『宇都宮市遺跡分布地図』


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  1. 2020/09/23(水) 19:59:09|
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「南原古墳」と「下桑島西原古墳群」

「南原古墳」と「下桑島西原古墳群」1

 今回は、宇都宮市下桑島町に現存する「南原古墳」と「下桑島西原古墳群」の探訪の記録です。
 下桑島西原古墳群は前方後円墳1基、円墳2基により構成される古墳群で、栃木県の遺跡番号3385番、宇都宮市の遺跡番号268番に登録されています。


「南原古墳」と「下桑島西原古墳群」2

 画像は、東から見た「南原古墳」です。
 かつては「下桑島町飛地古墳」という名称で登録されていた古墳です。
 水田で作業をしていた方に道をお聞きして、ようやく古墳にたどり着くことができました。
 
 この古墳は、現在は墳丘の一部が残存しており円墳状を呈していることから、かつては円墳であると考えられていたようですが、平成元年から平成3年にかけて行われた発掘調査により前方後円墳であることがわかっています。

 前方部を西に向ける全長約35mほどの前方後円墳で、残存する後円部も現地表面から約2mとあまり高さもないようです。前方部側の周溝は浅く、また後円部側の周溝は深く掘られており、明らかに前方部と後円部を意識して造られています。


「南原古墳」と「下桑島西原古墳群」3

 西から見た南原古墳です。
 真夏に訪れてしまったことから雑草が生い茂っており、墳丘の形状は遠方からでは全く確認することができません。本来であれば画像の手前に前方部が伸びていたはずですが、残念ながら見ることはできません。


「南原古墳」と「下桑島西原古墳群」4

 墳丘上の様子です。
 祠が祀られています。

 行われた発掘調査では、後円部にあたる墳丘の残存部分が調査区域外にあたり、埋葬施設は確認されなかったようですが、周溝内からは土坑が3基確認されています。


「南原古墳」と「下桑島西原古墳群」5

 祠の様子です。
 水田で作業をしていた方も、一度古墳の様子を見にきてお参りしたとおっしゃっていました。


「南原古墳」と「下桑島西原古墳群」6

 画像の敷地内からは、南原古墳以外に2基の円墳の周溝が確認されています。
 1号墳は、周溝を含めた直径が南北方向に23.4m、東西方向に22.4mと南北方向に若干長い円墳です。
 2号墳は1号墳の南に約30mに位置しており、周溝を含めた直径は南北方向に26.5m、東西方向に27.5mです。この2号墳からは円筒埴輪、人物と馬の形象埴輪が出土しています。

 そして聞き取り調査の結果、さらに少なくとも他に2基の未確認の古墳の存在が想定され、1基は河原石を使用した石室を持ち、石室内からは直刀が出土したと伝えられているそうです。
 古墳群の構成は3基にとどまらないようです。。。

 この古墳群を含む周辺地域に存在する多数の古墳群は全て後期古墳と考えられ、また周辺の集落遺跡に関しても古墳時代後期の集落が目立つことから、この下桑島西原古墳群は、新たなる道具と技術の導入により、未開拓地であったこの地を開墾した人々の墓域の一部であると考えられています。

<参考文献>
宇都宮市教育委員会『宇都宮の遺跡』
宇都宮市教育委員会『下桑島西原古墳群』
宇都宮市教育委員会『宇都宮市遺跡分布地図』


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  1. 2020/09/22(火) 23:48:51|
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「大塚神社古墳群付近の正体不明の塚」

宇都宮市「大塚神社古墳近くの塚」1

 画像は、宇都宮市下栗町の、大塚神社南方200mほどの地点に存在する正体不明の塚です。

 平成29年発行の『宇都宮市遺跡分布地図』や昭和58年発行の『宇都宮の遺跡』を見ると、宇都宮市は中世から近世にかけての塚も遺跡としてしっかりと登録されているようなのですが、実際に探訪して歩いてみると、しばしばこうした未登録の塚に出会います。


宇都宮市「大塚神社古墳近くの塚」2

 近くで見た塚の様子です。

 素人目に直径約2m、高さは50cmといったところでしょうか。

 古墳にしてはサイズが小さすぎる印象ですが、田んぼの中で次第に周囲を削られて小さくなってしまった可能性を考えると、古墳であった可能性も考えられるのかもしれません。


宇都宮市「大塚神社古墳近くの塚」3

 どんな形状が見たくて、稲が刈り取られた冬に訪れてみました。

 塚はバッチリ健在です。.゚+.(・∀・)゚+.


宇都宮市「大塚神社古墳近くの塚」4

 南から見たところ。
 祠が祀られている様子が見られます。

 うーん。まあ古墳ではないかもしれませんけどね。。。

 全く詳細がわからなかったので、何かわかったら密かに追記しようと思います。。。


宇都宮市「大塚神社古墳近くの塚~十一面観音堂」

 下栗町の十一面観音堂。

 ここだってもしかしたら古墳跡かもしれません。
 いや、もちろん気のせいかもしれませんが。。。

<参考文献>
宇都宮市教育委員会『宇都宮の遺跡』
宇都宮市教育委員会『宇都宮市遺跡分布地図』


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  1. 2020/09/20(日) 20:47:48|
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「大塚神社古墳群」

宇都宮市「大塚神社古墳」1

 今回は、宇都宮市下栗町に所在する「大塚神社古墳群」の探訪の記録です。
 栃木県の遺跡番号3307番、宇都宮市の遺跡番号262番に登録されている古墳で、大塚神社の境内地と山林に2基の円墳が所在するということで、見学に訪れました。

 まずは画像の地点。

 「大塚神社 下栗二丁目 公民館 入口」と刻まれた石碑が建てられています。
 ここが大塚神社の入り口となるようですが、ひょっとしたら昔はここに鳥居が建てられていて、ここから先が参道だったのかな?

 実は、この入り口とされる周辺も興味深い地形で盛りだくさんです。笑。


宇都宮市「大塚神社古墳」3

 「大塚神社」の石碑の東側には少々小高くなった墓地が存在します。

 古墳跡ということはないのかな?
 興味深い地形です。。。


宇都宮市「大塚神社古墳」2

 反対側。西側にも祠が祀られた場所があって、わずかに小高くなっています。

 塚状地形のすべてが古墳であるとはもちろん限らないわけですが。。。
 でもやっぱり気なってしまいますね。笑。。。


宇都宮市「大塚神社古墳」4

 大塚神社です。
 一の鳥居と二の鳥居がすごい至近距離に建っているので、ひょっとしたら一の鳥居は入り口の石碑の場所に立っていたのかなあと妄想しましたが、真相は不明。

 祭神は大日孁貴命、境内社に大杉神社、稲荷神社、雷電神社が祀られています。

 鳥居の奥に、社殿の土台となった古墳が見られます。


宇都宮市「大塚神社古墳」5

 境内の様子です。
 3月の終わり頃、緊急事態宣言が発令される直前に「桜と古墳」をテーマに訪れたのですが、満開にはちょっとだけ早かったかも。。。

 境内では少年たちがサッカーを楽しんでいましたが、私が写真を撮る間だけさりげなく休憩してくれました。ありがとう。。。


宇都宮市「大塚神社古墳」6

 これが古墳です。「1号墳」ということになるのでしょうか。


宇都宮市「大塚神社古墳」7

 宇都宮市教育委員会より発行された『宇都宮の遺跡』では、現存径16m、高さ2.5mの「円墳」とされていますが、社殿の西側の庚申塔が祀られた場所がやはり小高くなっており、南西側からこの庚申塚を含めて見ると、まるで前方後円墳のようにも感じられます。。。


宇都宮市「大塚神社古墳」8

 『宇都宮の遺跡』には、社殿の北方約20mの地点にもう1基、古墳の存在が記されています。
 径11m、高さ1.5mほどの小円墳で、北側を道路に削り取られていたようですが、こちらは残念ながら消滅してしまったようです。

<参考文献>
宇都宮市教育委員会『宇都宮の遺跡』
宇都宮市教育委員会『宇都宮市遺跡分布地図』


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  1. 2020/09/19(土) 22:48:39|
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「下栗念仏塚古墳(天神社)」

宇都宮市「下栗念仏塚古墳」1

 画像は、宇都宮市下栗町に所在する「下栗念仏塚古墳」です。
 栃木県の遺跡番号3293番、宇都宮市の遺跡番号474番に要録されている古墳です。


宇都宮市「下栗念仏塚古墳」2

 北西から見た下栗念仏塚古墳です。

 以前は田園の中にぽっかりと残る小円墳という印象で、墳丘上が藪になっていて、その中に祠が祀られているという状況でしたが、4~5年ほど前に整備が行われて古墳の周囲に塀が設けられて鳥居も建てられ、整備されました。

 前回紹介した「下栗大塚古墳」とともに「下栗大塚古墳群」を構成しています。。。


宇都宮市「下栗念仏塚古墳」3

 鳥居の神額には「天神社」と書かれていました。

 整備された際に土が盛られたりしたのかな?
 かなりキレイに墳丘が残されているように感じます。


宇都宮市「下栗念仏塚古墳」4

 境内の様子です。

 古墳は径7m、高さ2mほどの小円墳です。葺石は存在しないように見えますが、発掘調査が行われていないことから埋葬施設や周溝などの詳細は不明で、築造年代もわかりませんでした。。。


宇都宮市「下栗念仏塚古墳」5

 墳丘上に祀られた祠です。
 真新しい綺麗な祠です。

<参考文献>
宇都宮市教育委員会『宇都宮の遺跡』
宇都宮市教育委員会『宇都宮市遺跡分布地図』


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  1. 2020/09/18(金) 21:47:37|
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「下栗大塚古墳」

宇都宮市「下栗大塚古墳」1

 「下栗大塚古墳」は、宇都宮市下栗町に所在する古墳です。
  栃木県の遺跡番号3305番、宇都宮市の遺跡番号261番に登録されている古墳で、平成7年には宇都宮市の史跡として指定されています。

 田川右岸の沖積台地上に築かれた二段築成の円墳です。
 現状の規模は直径43.5m、高さは6.5mという大型円墳で、葺石や埴輪は確認されていないようです。発掘調査が行われていないことから築造された年代は不明ですが、古墳時代後期の築造と考えられているようです。


宇都宮市「下栗大塚古墳」2

 この古墳は、田んぼの中に大きなのがボコッと残されているので、遠くからでも一目でわかります。
 地図とにらめっこしなくてもすぐ見つかるのが素晴らしいですね。笑。

 墳丘北側には桜の木が植えられていて、春はとても綺麗です。


宇都宮市「下栗大塚古墳」3

 東から見た下栗大塚古墳です。

 丸山稲荷大明神の鳥居と石碑が建てられています。

 二段築成の様子がはっきりとわかりますね。。。

 墳丘はかなり良好に残されているようですが、南側にわずかな崩れが見られることから埋葬施設は南側に開口する横穴式石室であると推定されています。


宇都宮市「下栗大塚古墳」4

 ちょと角度を変えてみたところ。
 以前は、墳丘の裾部に鳥居が建てられていたようですが、現在は二段築成の平坦面に建てられています。


宇都宮市「下栗大塚古墳」5

 石段の下から見上げると古墳の大きさが実感できますよね。
 これからハアハア言いながら登ります。笑。

 宇都宮市教育委員会による説明板が設置されており、次のように書かれていました。

宇都宮市指定史跡
下栗大塚古墳
                   平成七年三月二十二日指定
       墳型 円墳
       規模 直径四三・五m 高さ六・五m
 この下栗大塚古墳は、田川の低地に築かれた円墳である。
墳丘は二段になっており、中段に幅四~五mの平坦面がめぐっている。
 埋葬施設は不明であるが、墳丘南側に横穴式石室が設けられている
可能性が高い。大型の円墳であり、埴輪が確認されていないことから、
古墳時代終末期(七世紀)に築かれたものと考えられる。
              宇都宮市教育委員会 平成十八年八月



宇都宮市「下栗大塚古墳」6

 墳丘頂部の様子です。
 平坦地は少なく、あまり削平を受けていないように感じます。
 丸山稲荷大明神の祠が祀られています。

<参考文献>
塙静夫『探訪 とちぎの古墳』
塙静夫『うつのみや歴史探訪』
宇都宮市教育委員会『宇都宮の遺跡』
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  1. 2020/09/17(木) 20:27:04|
  2. 宇都宮市の古墳・塚
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