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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

「田子山富士塚」ー国指定重要有形民俗文化財ー

志木市 田子山富士塚1



 画像は、志木市本町2丁目に所在する「敷島神社」です。

 この神社は、引又地区(現本町)の住民が、江戸後期から地区独自の鎮守として信仰していた村山稲荷と水神社を、もともとこの地にあった浅間社に合祀して、明治41年に創建されています。

 今回紹介するのは、この神社の境内に所在する富士塚、「田子山富士塚」です。


志木市 田子山富士塚2

 敷島神社社殿と境内の様子です。

 社殿の北西側に富士塚が所在します。


志木市 田子山富士塚3

 画像が「田子山富士塚」です。

 この富士塚は、「田子山塚」と呼ばれる古墳ではないかといわれてきた塚の上に高さ約10mの土を盛り、明治5年に完成したという富士塚です。

 学術的な調査は行われていないようなので、もともとの田子山塚が果たして古墳であったかどうかはなんともいえませんが、志木市内には調査により古墳であると断定された塚は存在しないようですし、そういう意味でも貴重な存在です。

 そして今年!
 令和2年3月16日にこの「志木の田子山富士塚」が、国の重要有形民俗文化財に指定されたそうです。ハ(^▽^*) パチパチ♪

 ちなみに画像は国指定の直後、そして新型コロナウイルス感染拡大による緊急事態宣言の直前!

 3月21日に現地を訪れて撮影したものです!


志木市 田子山富士塚4

 南西から見た田子山富士塚です。

 うーん、素晴らしき光景。笑。

 田子山富士築造の発起人は、引又宿で醤油醸造業を営んでいたという高須庄吉です。後に富士講の先達となった人物ですが、この高須庄吉がある日に田子山塚に登った際に発見した、泥にまみれた暦応3年(1340)の十瀧房承海の逆修板碑を発見したことが築造のきっかけであるとといわれています。

 富士塚の規模は、高さ約9m、麓の円周約125m、長径約30m、短径約25mという大きな富士塚です。

 石造遺物の数と種類、細工が他の富士塚と比較しても並はずれて優れており、「富士塚」として県指定第1号、志木市内における県指定文化財としても第1号であったそうです。


志木市 田子山富士塚5

 実はなーんにも考えずにただ思い立って訪れてしまって、閉山日であったことから富士塚に登拝することができませんでした。
 御朱印も、「木花開耶姫命」の田子山富士塚の御朱印と「敷島神社」の御朱印と2種類があるそうなのですが、御朱印もいただけずという体たらくです。

 なんとかもう一度、参拝に訪れたいと思っていますが、いつになることやら。。。


志木市 田子山富士塚6

 志木市立郷土資料館では、令和2年10月21日から11月23日まで、国重要有形民俗文化財指定記念として特別展「志木の田子山富士塚」が開催されています。

 早速見学に立ち寄りました!


志木市 田子山富士塚7

 特別展の様子です。

 実はなーんにも考えずにただ思い立ったまま富士塚を訪れてしまって、閉山日であったことから富士塚に登拝することができませんでした。

 御朱印も、「木花開耶姫命」の田子山富士塚の御朱印と「敷島神社」の御朱印と2種類があるそうなのですが、御朱印もいただけずという体たらくです。

 なんとかもう一度、入山可能日に参拝に訪れたいと思っていますが、いつになることやら。。。

<参考文献>
田子山富士塚保存会『特別展 国重要有形民俗文化財指定記念 志木の田子山富士塚』
田子山富士塚保存会『志木の田子山富士塚』
現地説明板

  1. 2020/10/28(水) 23:16:29|
  2. 埼玉県の古墳・塚
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「針生古墳」ー郡山市指定史跡ー

「針生古墳」1

 画像は、郡山市静町に所在する「静御前堂」です。

 郡山市観光協会による説明板によると、このお堂は里人が静御前の短い命をあわれみ、その霊を祭ったのがこのお堂であると伝えられています。

 この敷地内には「針生古墳」という名称の古墳が1基残されています。


「針生古墳」2

 静御前は、平家滅亡後に頼朝に追われて奥州の藤原秀衡(ふじわらのひでひら)のもとに下った義経を慕って北に向かい、この地までたどり着きましたが、すでに義経は平泉にたったと聞き途方に暮れてついに池に身を投げたというう言い伝えがあるそうです。
 かつぎを捨てた所が「かつぎ沼」(大楠町南原地内)、身を投じた池が「美女池」(大楠町太田地内)であると伝えられています。

 お堂の背後に小さく古墳が見えています。。。


「針生古墳」3

 南西から見たところ。

 お堂の背後に見えるのが「針生古墳」です。


「針生古墳」4

 古墳は直径約13m、高さ3mの円墳です。

 静町を含む大楠地区にはかつては100基を超える古墳があり、一大古墳地帯をなしていたといわれています。出土品も数多く残されているようですが、現在はそのほとんどが破壊され、消滅してしまったようです。

 この古墳は静御前堂の境内にあり、信仰的な意味を持った特殊な位置にあったために破壊されずに残されたものと考えられます。


「針生古墳」5

 北東から見た針生古墳。

 ほぼ原型のまま残されたこの古墳は規模としては大きくないものの、この地域に群集していた古墳の面影を伝えるものとして貴重な存在と考えられています。

 昭和33年5月14日には、郡山市の史跡として指定されています。

 この古墳の南側付近は花輪台といわれ、瓦窯跡の存在が確認されています。
 また、土師器や須恵器なども出土しています。
 

「針生古墳」6

 画像は「蕎麦切りあなざわ」というお蕎麦屋さんです。

 針生古墳に隣接するという立地もさることながら、蕎麦好きのご〜ご〜ひでりんとしては、「この店は絶対に美味いぜ!」と読んで、お昼時に立ち寄りました。(^∇^)ノ
 

「針生古墳」7

 結論として、ここのお蕎麦、バカウマでした。

 色白な細麺で、爽やかな食感。
 最初は、お値段が少々お高めかな〜とも思いましたが、このお味でこの蕎麦の量であれば納得。

 何よりも場所が古墳のお隣ですからね!

 お薦めです。。。

<参考文献>
現地説明板


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  1. 2020/10/23(金) 21:04:29|
  2. 福島県の古墳・塚
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「蝦夷穴横穴群」

「蝦夷穴横穴群」1

 今回は、福島県郡山市に所在する「蝦夷穴横穴群」です。

 この古墳について予備知識は全くなかったのですが、大安場史跡公園の見学の際、ガイダンス施設にてスタッフの方に存在をお聞きして、見学に訪れました。٩(๑❛ᴗ❛๑)۶ ヤッタ~!


「蝦夷穴横穴群」2

 この横穴墓群は古くから知られた存在であったと考えられ、明治37年発行の「田村の誉」には「岩窟の数は凡十三箇所」とあり、蝦夷人の住居であると最近まで言い伝えられてきたそうです。

 平成13年9月には、市道拡張改良工事の際に切土法面の北側崖の部分より、新たに2基の横穴墓が発見され、「13号横穴」、「14号横穴」の発掘調査が実施されています。

 この2基の横穴からは太刀四振、刀子三本、ガラス製小玉四点が出土しています。


「蝦夷穴横穴群」3

 開口する横穴のうちの1基。
 何号墓なのか名称は不明。

 少々崩落が進んでいるようです。。。


「蝦夷穴横穴群」4

 開口する横穴のうちの1基。
 これも何号墓なのか名称は不明。
 新たに発見された2基の横穴墓は、出土した太刀の形態や製作技法から7世紀前半の築造と推定されています。


「蝦夷穴横穴群」5

 古墳の所在地には特に駐車場などは存在しないようですが、古墳の前に路駐してゆっくりと見学することができます。古墳の前には郡山市田村町観光協会による説明板が設置されています。

<参考文献>
現地説明板


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  1. 2020/10/22(木) 23:27:02|
  2. 福島県の古墳・塚
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「大安場古墳と大安場古墳群」ー国指定史跡ー

「大安場史跡公園」

 今回は、郡山市田村町大善寺字大安場に所在する「大安場古墳群」の探訪の記録です。

 大安場古墳群は、前方後方墳である1号墳と4基の円墳で構成される古墳群です。

 1号墳、2号墳を含めた2.3haが平成12年に国史跡に指定されており、また1号墳や頂上に立ち並んでいたと思われる壺などの出土品が、平成15年に福島県の重要文化財に指定されています。

 国指定史跡に指定されている1号墳と2号墳は築造当時の姿に復元されており、平成21年4月4日に「大安場史跡公園」として整備、公開されています。


「大安場古墳(1号墳)」1

 公園内には駐車場も併設されており、車で訪れることができます。

 駐車場から見上げると、すでに前方後方墳である「1号墳」の勇姿が見られます。
 ワクワクしますねー。笑。

 盆地を見下ろす台地の先端に築造されており、葬られた被葬者の権力の大きさを感じることができます。


「大安場古墳(1号墳)」2

 古墳が所在する丘陵先端に向かって階段を登ります。
 木々の合間から顔を覗かせる1号墳です。
 ドキドキする瞬間です。。。


「大安場古墳(1号墳)」3

 これが1号墳である「大安場古墳」です。
 なんと素晴らしき光景。。。

 栃木県那須には「上侍塚古墳」や「下侍塚古墳」といった大型の前方後方墳が、また宮城県名取市には東北地方最大の前方後円墳である「雷神山古墳」があります。岩手県奥州市には最北の前方後円墳である「角塚古墳」があります。
 これに対して、これらの地域を結ぶ福島県中通りには大きな古墳が存在しなかったことから「古墳文化の通り道」と言われてきたそうです。

 しかしその後、この不思議な形状の山が古墳であることがわかり、1号墳である前方後方墳が「大安場古墳」、そして周囲にある4基の円墳も含めて「大安場古墳群」と命名されます。
 平成6年のことです(意外なほど最近だよ〜…)。


「大安場古墳(1号墳)」4

 北東から見た大安場古墳。右手前が前方部、左奥が後方部です。

 発掘調査は平成8年度から10年度、同14年度から16年度の6回にわたって行われています。
 この調査により1号墳は全長約83メートルと東北地方では最大の前方後方墳で、南に延びる尾根を堀のように切って区画していることや、表面の柔らかい土を取り除いた後にある部分は削り、ある部分は土を積んで形を整えていること、また墳丘は前方部が二段に、また後方部は三段に造られていることなどがわかりました。


「大安場古墳(1号墳)」5

 真横から見ると、前方後方墳の形状がもっとも感じられますね。
 右が前方部、左が後方部です。

 古墳の周囲の伐採から始めて古墳が完成するまでに費やした時間は、ピーク時に1日100人が働いたと仮定して、約200日かかったと推定されるそうです。
 これだけの人と時間を費やして古墳を築造することができる被葬者がどんな人物であったのか、とても興味深いですよね。。。


「大安場古墳(1号墳)」6

 墳丘の北側、前方部側から階段を登って、墳丘の上に登ってみましょう。。。


「大安場古墳(1号墳)」7

 前方部から後方部を見たところです。
 丘陵の形状に合わせて築造されているので、墳丘は左右対称になっていません。
 このあたり、私的には長野の「森将軍塚古墳」を連想してしまいます。。。


「大安場古墳(1号墳)」8

 後方部から前方部を見たところ。

 墳丘頂部に壺のような形状の土器が並べられています。
 円筒埴輪ではないようですし、最初は「なんだろう?」と不思議に思いました。

 これらは「底部穿孔壺」と呼ばれるもので、表面に赤いベンガラが塗られた、丸い胴に二段の長い口がついたものと、幅のある口に細長いミミズのようなものが張り付いているものと二種類が存在するそうです。
 「土器」というよりは「埴輪」に分類されており、古墳に並べるために造られていることから「埴輪壺」とも呼ばれています。

 神聖な場所を区画したり守ったりするために立てられたと考えられています。


「大安場古墳(1号墳)」9

 墳頂部には、説明文が書かれてた石碑とともに、地面に棺が埋葬された場所が記されています。
 幅約2m、長さ約10mの底に粘土を敷いて、そこに長さ約9m、幅約1mの丸太を利用した木簡が納められていたと考えられています。木棺はすでに朽ち果ててなくなっていましたが、木棺の内部跡からは大刀・槍・剣・鎌・鉄斧といった副葬品が出土しています。


「大安場古墳(1号墳)」10

 古墳の主が埋葬されたと考えられる推定位置が記されています。
 人型が記されていると、ちょっと生々しい印象ですね。。。


「大安場古墳(1号墳)」12

 大安場史跡公園ガイダンス施設には、木棺のレプリカが展示されています。
 後方部は、本来の高さから約1.5mほど削り取られていたことから、表土下20〜30cmで木棺を据えた粘土が見えてきたそうです。
 つまりは、あと20〜30cmほども削平されていれば埋葬施設も副葬品も残らなかったと想定され、まさにギリギリ間一髪のところで埋葬施設と副葬品が残されたということになります。


「大安場古墳(1号墳)」13

 副葬品から想定される古墳の被葬者は、大和の王から受けたと考えられる腕輪形石製品を持ち、武力に長けた、農耕を取り仕切った人物と推定されているそうです。
 副葬品の配置などから、埋葬されたのは一人説と二人説があるようですが、真相はわかっていないようです。。。


「大安場古墳(1号墳)」14

 同じく、ガイダンス施設で公開されている「底部穿孔壺」です。


「大安場古墳(1号墳)」11

 大安場古墳の墳頂部から見た、郡山市街地の様子です。
 古墳時代にも、きっと誰かが古墳の上から街を見下ろしていたはず!
 どんな光景が見られたのか、ロマンが広がります。。。
 

「大安場2号墳」

 画像は「大安場古墳群2号墳」。
 直径約15mの円墳で、5世紀後半の築造と推定されています。

 この2号墳の発掘調査は石棺の蓋石を確認したところで終了しており、その後は保存のために埋め戻されれたため、石棺内部の様子や副葬品についてはわかりません。
 墳丘は調査時にはすでに削平されており、古墳であると判別できるほどの高さは残されていなかったようです。


「大安場3号墳」

 「3号墳」は発掘調査が行われていないため、詳細はわかりません。
 全体の半分ほどしか残されていないようです。


「大安場4号墳」

 「4号墳」です。
 高まりの一部しか残されていない古墳ですが、調査により周溝が検出されており、円墳であると考えられています。


「大安場5号墳」

 「5号墳」は、4号墳の調査の際に周溝が検出されて存在が判明したという古墳で、墳丘がすでに削平されていることから表面観察により古墳を判別することはできません。
 直径約12mの円墳であるようです。


 私はこの大安場古墳群の見学のために、初めて福島県を訪れました。
 空気のきれいな、とっても素敵なところです。

 この旅の途中でとんでもなく美味い蕎麦を食することになるのですが、それはまたいずれ。。。

<参考文献>
郡山市教育委員会『大安場古墳と郡山の古墳時代』
現地説明板


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  1. 2020/10/20(火) 23:20:28|
  2. 福島県の古墳・塚
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ぐんま古墳カード その12「塚廻り古墳群第4号古墳」ー群馬県指定史跡ー

太田市「塚廻古墳群4号墳」1

 ぐんま古墳カードその12。
 第一弾の最終回である今回は、太田市龍舞町に所在する「塚廻古墳群4号墳」です。

 昭和51年度に行われた土地改良事業に伴う発掘調査の際に偶然に水田下から発見された7基の古墳のうちの1基で、調査後にその重要性から群馬県の史跡として指定され、古墳公園として整備されて保存、公開されています。


太田市「塚廻古墳群4号墳」2

 これが「塚廻り古墳群第4号古墳」で、北から見たところです。

 カード化された古墳は大型の前方後円墳が多いようなのですが、この古墳は小型の帆立貝式古墳で、墳丘の全長は22.5m、円丘部の直径17.7m、造り出し部は幅8.7m、長さ4.8m、周囲には幅4.5mの堀を持っています。


太田市「塚廻古墳群4号墳」3

 南西から見た塚廻古墳群4号墳。

 この小さな帆立貝式古墳がたった12枚しかない「ぐんま古墳カード」の仲間入りをしたのは理由があります。

 この第4号古墳の墳丘部には、円筒埴輪のほか、家形埴輪、楯形埴輪、大刀など多くの埴輪が配置されていました。特に造り出し部には円筒埴輪のほか、馬や人物などの形象埴輪が配置されていました。西端には四体の女子像が配置され、その東部には椅子に座った男子、ひざまづく男子など七体の男子像が配置され、その北部には飾り馬と馬子が配置されていました。

 これらの埴輪は表情も豊かで造形が非常に優れており、また出土位置もほぼ明確であり、この第4号古墳出土の埴輪類を含め「上野塚廻り古墳群出土埴輪」として国の重要文化財に指定されています。

 つまり、埴輪配列は築造されたときのまま、正確に復元されているということになるわけです。ちなみに埴輪は、群馬県立歴史博物館や群馬県埋蔵文化財調査センターに保管・展示されているそうです。


太田市「塚廻古墳群4号墳」4

 第4号墳の造り出し部の様子です。

 群馬県は、関東有数の古墳県として知られていますが、実は日本一のハニワ県でもあるそうです。巨大古墳のみならず、中小のかなり多くの古墳にも埴輪が立て巡らされています。

 埴輪を持つ古墳が多いということは当然ながら埴輪の生産数も多くなってくるわけで、藤岡市や太田市では埴輪窯跡が数多く見つかっているようですし、埼玉県本庄市周辺で生産された埴輪も上毛野地域入ってきているようです。

 実際に、群馬県内では各地域の郷土資料館に素晴らしい埴輪が展示されていますし、数多くの埴輪を生産する中で、技術的にも芸術的にも飛び抜けてくるような埴輪職人が少なからず存在したのかもしれませんね。。。

 いや、才能以前に、数をこなすということはとっても大事ですねー。。。


太田市「塚廻古墳群4号墳」5

 墳丘上の家形埴輪と楯形埴輪です。

 広がる田園風景の中に存在するこの史跡公園がとても安らぎます。

 好きだなー。。。


太田市「塚廻古墳群4号墳」6

 これが「塚廻り古墳群第4号古墳」のぐんま古墳カードです!

 とりあえず、第1弾で発行された12箇所の古墳はこれで終了です。

 次回、すぐに第2弾に移行しないで、他県の古墳に寄り道しようかなあ。

 迷うなあ。。。

<参考文献>
上毛新聞社『群馬の古墳物語〈上巻〉』
現地説明板


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  1. 2020/10/17(土) 23:53:59|
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ぐんま古墳カード その11「太田天神山古墳」

太田市「天神山古墳」1

 ぐんま古墳カード、その11。
 今回は、太田市内ケ島町に所在する「太田天神山古墳」です。

 ここまでカード化された古墳の中でもっとも大きな古墳、そして東日本でももっとも大きな古墳です。

 別名男体山とも呼ばれるこの太田天神山古墳の規模は、墳丘長が210m、後円部直径120m、後円部の高さ16.8m、前方部前端幅126m、同高さ12mという、巨大前方後円墳です。

 これほど大きな古墳が市街地にあると、全貌を捉える写真を撮ることはなかなか難しいのですが、この古墳の南側に東武鉄道の線路を渡る大きな陸橋があり、そこから古墳の全貌を捉えることができました。٩(๑❛ᴗ❛๑)۶ ヤッタ~!

 古墳時代の群馬県が豊かな土地であったことを知ることができる、素晴らしい古墳です!


太田市「天神山古墳」2

 墳丘南側のくびれ部のあたりには鳥居が建てられており、その横には太田市教育委員会による説明板が設置されています。

 周囲には二重の周堀が巡らされ、墓域は長さ364m、幅288mに及びます。

 墳丘は三段築造で、表面には渡良瀬川系の河原石による葺石が存在します。


太田市「天神山古墳」3

 くびれ部にある神社。

 訪れた日にご近所にお住まいの旦那さまにお聞きしたのですが、戦時中に行われた米軍機による空襲の際、太田市街地を狙って落とされた爆弾が強い風に流されて、天神山古墳の周辺にまで到達したそうです。

 墳丘上が少々ボコボコしているのはこの爆弾によるものかもしれないそうですが、戦争をすると(特に負けると)遺跡や文化財もみんな壊されてしまうし、やっぱり戦争はいかんですよ。。。


太田市「天神山古墳」4

 後円部から前方部を見たところです。

 太田天神山古墳の被葬者は後円部の中心部の直下に埋葬されているといわれ、かつては後円部頂部から前方部に向かって下ったあたりに大きな石棺の破片が見られたのですが、これは江戸時代に掘り出された石棺が転げ落ちたもので、現在は保護のために埋められているそうです。

 元文三年1783に作成された絵図によると、長さが3メートル近い長持形石棺で、これは5世紀の畿内の最有力前方後円墳に限って採用された石棺形式で、ヤマト王権の有力者層の石棺であるとされています。


太田市「天神山古墳」5

 右奥が前方部、左手前が後円部です。


太田市「天神山古墳」6

 太田天神山古墳のぐんま古墳カードは、太田市世良田町の「新田荘歴史資料館」にて配布されています。

 新田荘遺跡を構成する、隣接する「長楽寺」「東照宮」の貴重な文化財をはじめとして、古墳や埴輪などの資料も保管、展示されています。


太田市「天神山古墳」7

 撮影が禁止だったことから内部の写真はありませんが、古墳時代の展示も多く見られました。

 資料館前には「新田義貞公之像」が建てられています。


太田市「天神山古墳」8

 「長楽寺遺跡」からは、発掘調査により古墳時代の住居跡30軒のほか、古墳5基が確認されています。

 このうち1号墳は直径約18メートルの円墳で、墳丘が失われていたために高さは不明ですが、全周する周溝と遺骸が埋葬された石槨が検出されています。

 新田荘歴史資料館の建物の前に、石槨の原位置が記されています。


太田市「天神山古墳」9

 これが「太田天神山古墳」のぐんま古墳カード!
 この巨大古墳の内堀が宅地化されずに残されているのが素晴らしいですが、後円部の先端が前橋館林線の道路によって削られているのは残念なところですね。
 道路、少しぐらいカーブしていてもいいじゃん?とも思いますが、地元で暮らしたらそうもいかないですよね。きっと。。。

<参考文献>
上毛新聞社『群馬の古墳物語〈上巻〉』
現地説明板


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  1. 2020/10/16(金) 19:17:21|
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ぐんま古墳カード その10「大室古墳群・前二子古墳」ー国指定史跡ー

前橋市「前二子古墳」1

 ぐんま古墳カード、その10。
 今回は、前橋市西大室町に所在する「前二子古墳」です。

 画像は北西から見た前二子古墳です。
 左奥が前方部、右点前が後円部という状況です。

 この一帯は「大室公園」という広大な史跡公園として整備されており、公園内には「前二子古墳」、「中二子古墳」、「後二子古墳」、「小二子古墳」があり、国の史跡として指定されています。
 このうち、前二子古墳は古墳群中最初に造られた前方後円墳で、墳丘長93.7m、後円部の高さ13.6m、周堀と外周溝を含めると全長148mという、かなり大型の前方後円墳です。


前橋市「前二子古墳」2

 上毛野国の先祖とされる豊城入彦命の墓ではないかと古くから言い伝えられており、この伝承の存在により古墳は大切に保存されてきたようです。明治11年(1878)3月に村人により石室が開かれた際には多くの副葬品が発見され、記録に残されています。

 その後、昭和60年ごろから大室公園の大規模な整備のための動きが始動し、平成4年からこの前二子古墳の発掘調査が実施されることとなります。


前橋市「前二子古墳」3

 最初にこの古墳を訪れた10年ほど前の写真。

 古墳の上半身は青々と草が生えているのに対して、下半身は草が刈られて茶色く枯れた色となっているという独特なツートーンカラーとなっています。なぜかこの風貌が個性的に思えて、頭にインプットされていました。

 カード収集のために今年の夏に訪れた際に、「あれ?こんな古墳だったかな?」と違和感を感じたのですが、草の刈り取り状況の違いだったのですね。。。


前橋市「前二子古墳」4

 石室内部も公開されており、見学することができます。

 かなり細くて長い石室です。


前橋市「前二子古墳」5

 石室はベンガラで赤く塗られており、複数の副葬品が復元的に並べてあります。

 発掘調査により、石室奥部の壁面の二カ所に差し込まれている鉤状の鉄製品が発見されており、さらに四カ所で鉤状の鉄製品が差し込まれている痕跡が発見されています。これは、高崎の「綿貫観音山古墳」や「八幡観音塚古墳」、さらには奈良県の「藤ノ木古墳」でも見つかっているそうです。

 遺体の上に天蓋を吊るすか、周りに幔幕状の布を吊り下げて巡らすためのフックであった可能性が指摘されています。


前橋市「前二子古墳」6

 これが「前二子古墳」のぐんま古墳カードです!

 やはり、草が刈り取られている箇所と刈り取られていない箇所があるのか?と思われるのですが、ツートーンカラーで下半分が刈り取られている風貌が好きだな〜?個人的には。。。

<参考文献>
上毛新聞社『群馬の古墳物語〈上巻〉』
現地説明板


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  1. 2020/10/14(水) 23:53:37|
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ぐんま古墳カード その9「総社古墳群・蛇穴山古墳」ー国指定史跡ー

前橋市「蛇穴山古墳」1

 ぐんま古墳カード、その9。
 今回は、前橋市総社町に所在する「蛇穴山古墳」です。

 「総社古墳群」の中で最も後期である7世紀末に築かれた古墳で、発掘調査により一辺が約40メートルの方墳であることがわかっています。宝塔山古墳に続いて築造されたこの蛇穴山古墳は、宝塔山古墳と比べるとかなり小型化していますが、同時期に造られた古墳の中ではかなり大きい部類に入る古墳です。


前橋市「蛇穴山古墳」2

 南から見た蛇穴山古墳。

 横穴式石室が開口しています。


 ちなみに、真冬に訪れた時には墳丘上の草がきれいに刈られていて、古墳の形状をはっきりと見ることができたのですが、やはり真夏は草ボウボウですね。

 雑草の生命力は凄まじいですからね。。。


前橋市「蛇穴山古墳」3

 『史跡 蛇穴山古墳』と刻まれた石柱と、解説文が刻まれた石碑が設置されています。
 説明文は次のように書かれています。

 史跡 蛇穴山古墳

 一辺の長さ約四〇mの方墳であ
る。埋葬主体部は横穴式石室であ
るが、羨道を欠き、玄門と玄室と
からなる特殊な形をとっている。
玄門の前には、羨道の痕跡ともみ
られる構造とハの字形にひらく前
庭がある。石室は天井、奥壁、左
右壁ともにみごとに加工した各一
枚の巨石で構成されている。天井
石、奥壁などの縁はL字形に切り
込んで壁の石と組み合わせている。
精巧な細工をほどこした玄門とと
もに、当時の石材加工技術の優秀
さを物語っている。石室の規模は
玄室長(西)三m、同幅二・六m
同高さ一・八mである。
 隣接する宝塔山古墳とともに、
県内古墳の最終末期に造られたも
ので、八世紀初頭の頃に位置づけ
られよう。



前橋市「蛇穴山古墳」4

 蛇穴山のみならず、「蛇塚」等々、蛇にまつわる名称を持つ古墳もこれまで少なからず見てきましたが、この古墳の名称の由来は、他の古墳とは少々異なるようです。
 この古墳の横穴式石室は近世に弁天様の祠として再利用されており、その際に奥壁の中心に古代インドのサンスクリット文字で弁天のイニシャルが刻まれており、これが蛇のように見えることから「蛇穴山」と呼ばれるようになったそうです。(実はこの話は、撮影した石碑の説明文を帰宅してから読んで知ったので、不覚にも石室内では奥壁をあまりよく観察しませんでした。残念。。。)


前橋市「蛇穴山古墳」5

 石室内の様子です。
 羨道が省略されていますので、すぐに玄室へと入ることとなります。

 牛伏砂岩製の大きな切石が中央に見られますが、これは棺を安置するための棺台と考えられています。

 この「蛇穴山古墳」を同じ時間帯に男性二人で見学しされていた方々がいて、どうやら私と同様にカード収集のために古墳を巡られていたようなのですが、この蛇穴山古墳の後、総社歴史資料館→三津屋古墳→南下E号古墳→埋蔵文化財調査センター→井出二子山古墳→八幡塚古墳→かみつけの里博物館→観音塚古墳→観音塚考古資料館→簗瀬二子塚古墳→安中市学習の森ふるさと学習館まで、す~~~っと同じコースを同じタイミングで巡っていて、すべての場所ですれ違いました。

 「効率よく巡ろうと考えれば自然とこのコースを組みますよね?」という感じですごく親近感を持ちました。笑。

 思えばメール交換ぐらいしておけばよかったのに、私はいい年こいてシャイでそういうのが全然ダメなんですね〜。。。


前橋市「蛇穴山古墳」6

 これが、「蛇穴山古墳」のぐんま古墳カードです!

 蛇穴山古墳のカードを配布しているのが古墳のすぐ隣にある「総社歴史資料館」ですので、古墳と2ショットで写真を撮ってそのまま資料館にいけば、すぐにカードをいただけます。

 このカードを見るまで、古墳に桜が植えられているのは知りませんでしたが、次に来る機会があるなら桜の開花の時期ですね、これは。

<参考文献>
上毛新聞社『群馬の古墳物語〈上巻〉』
前橋市教育委員会事務局文化財保護課『東国の雄 総社古墳群』
現地説明板


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  1. 2020/10/12(月) 23:59:21|
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ぐんま古墳カード その8「三津屋古墳」ー群馬県指定史跡ー

吉岡町「三津屋古墳」1

 ぐんま古墳カード、その6。
 今回は、吉岡町に所在する「三津屋古墳」です。

 この古墳は、全国的にも極めて希少であるとされる(正)八角形墳です。

 かつてのこの古墳は南下りの高まりが認められるという状況で、古墳の可能性も考えられるものの断定できるほどでもなかったようです。

 その後、平成5年に行われた発掘調査の結果、この高まりは自然地形ではなく古墳であることが判明、また墳丘表面に施されている葺石が通常のものと大きく異なり、正八角系を呈するものであることがわかってきたそうです。


吉岡町「三津屋古墳」2

 墳丘は二段築成で周溝を持っています。

 規模は墳丘対角間で23.8m、残存する高さは4.5mで、八角系の一辺の大きさは、下段で約9m、上段で約6mを有します。墳丘の企画設計にあたっては唐尺が使用されたことが推測されています。

 石室は破壊されていたようですが、奥壁石や側壁根石の抜き取り状況から、一部切石を用いた自然石乱石積の横穴式石室であったことが推測されています。残念ながら副葬品は何も発見できなかったようです。


吉岡町「三津屋古墳」3

 ああ。なんと美しい八角形墳。
 復元されているとはいえ、惚れ惚れしますね。

 古墳は、7世紀後半の築造と推定されています。

 大和の八角形墳は7世紀中頃前後から8世紀初めにかけての歴代の天皇の古墳であることから、この時期は天皇の古墳のみが八角形を採用されたことが指摘されています。

 この吉岡町の八角形墳である三津屋古墳の被葬者がどんな人物であったのか、とても興味深いところですが、まだ正しい解釈はわからない、というのが真相であるようです。


吉岡町「三津屋古墳」4

 古墳の内部は見学施設として整備されており、石室根石状況や土層断面が発掘調査時のまま展示されています。


「群馬県埋蔵文化財調査センター発掘情報館」

 「三津屋古墳」のカードが配布されているのは、となり町の渋川市北橘町に所在する「群馬県埋蔵文化財調査センター発掘情報館」にて配布されています。

 ここも、群馬県内の各市町村の郷土資料館同様、見所がたくさんです。


吉岡町「三津屋古墳」6

 画像は、「甲(よろい)を着た古墳人と3人の被災者」と称して公開されていたレプリカです。

 甲を着た古墳人は身長164cmの40代の男性で、膝立ちの状態で上半身が前方左側へ倒れ込んだと考えられています。頭蓋骨の形質分析や歯根のストロンチウム同位体比分析から、近畿から北九州古墳人の渡来系統で、西からの移住者である可能性が考えれているそうです。
 また、筋肉を動かす時に骨に残された筋付着部の発達度の観察から、馬に乗ることが多かったのではないかと推定されているそうです。

 いや、ホントに、調査や分析によりそんなことまでわかるのかと心底驚きですよね。。。


吉岡町「三津屋古墳」5

 これが、「三津屋古墳」のぐんま古墳カードです。

 まだ芝が張られていない、おそらくは整備直後の撮影でしょうか。

 八角形の形状がキレイにわかる、上空からの写真が素晴らしいです。。。

<参考文献>
上毛新聞社『群馬の古墳物語〈下巻〉』
現地説明板


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  1. 2020/10/10(土) 23:03:20|
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ぐんま古墳カード その7「七輿山古墳」

藤岡市「七輿山古墳」1

 ぐんま古墳カード、その6。
 今回は、藤岡市上落合に所在する「七輿山古墳」です。

 この七輿山古墳は、全長146m、後円部径87m、前方部幅106m、前方部と後円部の高さは16mという、三段築成の巨大前方後円墳です。

 全長146mという実際の規模以上に、体感的には太田市の「天神山古墳」とさほど変わらないのではないかというくらいに、壮大に感じられる古墳です。
 同じ白石古墳群には、墳丘長約140メートルという「白石稲荷山古墳」が存在しますが、こちらは5世紀前半の前方後円墳で、6世紀前半に造られたとされるこの七輿山古墳とは時期的に開きがあります。つまり七輿山古墳はこの地域に突如として突出した規模を持って築造された古墳といえます。

 ちなみに、名古屋市の「断夫山古墳」は、同じ時期に同じように突如として築造された前方後円墳で、こちらは継体天皇に娘を嫁がせた尾張氏の本拠地ということになるようです。七輿山古墳の存在も、これまでの流れに抗して新しく政権を奪取した継体天皇の政治的な基盤がこの群馬にもあった、ということを物語っている可能性も考えられているようです。。。


藤岡市「七輿山古墳」2

 この七輿山古墳は、以前にこの『古墳なう』で一度取り上げています。
 この時に、桜の咲き乱れる墳丘の写真をたっぷりと紹介していますし、今回は周辺施設の様子を取り上げておこうと思います。

【このブログの過去の関連記事】
http://gogohiderin.blog.fc2.com/blog-entry-989.html(2019年05月08日号 「七輿山古墳」)


藤岡市「七輿山古墳」3

 古墳の北側には「七輿の門」が整備されています。
 広い駐車場も整備されており、便益施設にはトイレや展示室も備えられています。
 古墳の整備、という点では群馬県は関東では最も先進的かもしれませんね。。。


藤岡市「七輿山古墳」4

 展示室内部の様子です。
 藤岡市内の文化財の紹介や、七輿山古墳以外の主要古墳の説明板も設置されており、また白石丘陵公園の散策のためのガイダンスも行われています。


藤岡市「七輿山古墳」5

 展示室内の説明板です。

 白石古墳群は主要古墳以外にも多くの古墳が残存しており、じっくりと散策すると1日では廻りきれないくらいです。

 もし次回、ぐんま古墳カードの第3弾が造られるとしたら、藤岡市では皇子塚古墳でしょうか?
 それとも喜蔵塚古墳かな? ワクo(^o^)oワク


藤岡市「七輿山古墳」6

 画像は、七輿山古墳に隣接する「ドライブイン七輿」です。

 レトロ自販機の聖地と呼ばれている場所で、古墳見学の際には是非とも立ち寄ってほしいスポットです。笑。


藤岡市「七輿山古墳」7

 うどんやトースト、ハンバーガーといった、昭和40年代から50年代に開発された食品自動調理販売機が所狭しと並んでいます。今となってはこれらの自販機は絶滅寸前と言われていますが、確かに最近はあまり見かけなくなってしまいましたね。
 私は、太田や伊勢崎あたりで何度か見かけて、似た感じの店に立ち寄りました。
 群馬県内で比較的多く見かける気がしますが、気のせいかな。。。


藤岡市「七輿山古墳」8

 私は今回は店内では食せず、「ななこしラーメン」なる生麺タイプのインスタントラーメンを購入しました。鶏ガラ仕込のしょうゆ味で、なかなかのお味です。
 ていうか、「ドライブインななこし」名義のラーメンの存在に感動ですね。。。


藤岡市「七輿山古墳」9

 「七輿山古墳」のぐんま古墳カードです。

 桜が咲き乱れる七輿山の写真が使われていて、「やっぱり!」と嬉しくなりました。笑。

<参考文献>
上毛新聞社『群馬の古墳物語〈下巻〉』
現地説明板


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  1. 2020/10/07(水) 23:46:26|
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