
気がつけばなんと、記事番号が1000番に達していました。
今回は1000番記念ということで、ちょっと画像が大きめ。
画像は、川崎市高津区梶ケ谷3丁目に所在する「西福寺古墳」を南から見たところです。
地元の人にはかなり知られた古墳ですね。
高津区の№68遺跡として登録されているこの古墳は、現在は「梶ヶ谷第3公園」内に整備、保存されており、昭和45年に川崎市重要史跡に指定。その後、昭和55年(1870)には神奈川県の史跡として指定されています。
公園内には、川崎市教育委員会による説明板が設置されており、次のように書かれています。
西福寺古墳
西福寺古墳は、矢上川左岸に築かれた高塚古墳群の中にあって、規模が
大きく、保存状態も極めて良好です。
昭和五七(一九八二)年、古墳の景観整備の一環で行われた発掘調査
の結果、この古墳が築かれたのは、六世紀中頃から後半と考えられ、直径
約三十五メートル、高さ約五・五メートルの円墳で、墳丘の周囲には
幅六~七・五メートル、深さ約八十センチの溝(コンクリートブロックで
舗装されている部分)がめぐらされていたことがわかりました。
また出土した埴輪の中には、水鳥を模した埴輪の頭部も発見されてい
ます。
現在の西福寺古墳は、その成果に基づいて復元・整備をされたもので、
昭和五五年(一九八〇)九月一六日、神奈川県史跡に指定されています。
平成十一年(一九九九)三月 川崎市教育委員会
古墳の保護のため、植え込みの中に入らないようにお願いします。

史跡公園は、シーンと静まり返って誰もいないような場所も少なくないのですが、西福寺古墳が保存されているこの梶ヶ谷第3公園はいつも子供達が楽しそうに遊んでいて、とても雰囲気の良い公園です。
訪れた当日は墳丘上にも登ってみたのですが(子供らが古墳の上を全力で走り回っていたし)、見学を終えて写真も撮り終えて、最後に説明板を読んだところ、「古墳の保護のため植え込みの中に入るな」と書いてあるのを見て「げ」となりました。
墳頂部には三角点が設置されているのみで、特に古墳に関係するものは見られません。かなりバシャバシャと撮影しまくってしまったのですが、公開は控えておこうと思います。。。
この古墳は、一部の埴輪収集家により盗掘が行われており、昭和57年(1982)の調査の際には、墳麓のいたるところに盗掘の跡が残されていたそうです。
以前、栃木県内の古墳の現地説明会で、とある古墳の発掘現場で完形の埴輪の盗難事件が起きたというお話を学芸員の方にお聞きしたことがありますが、現代でもそんな事件が起きるのかとびっくりしました。(いや、犯罪だよという以前に、バチが当たりますよきっと)
貴重な文化財ですからね。大切にしたいものです。。。
<参考文献>
川崎市教育委員会「川崎市内の高塚古墳について」『川崎市文化財調査集録 第24集』
現地説明版
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- 2019/07/04(木) 23:56:01|
- 川崎市の古墳・塚
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