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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

「大塚周辺に古墳はあったのか」

大塚周辺の上円下方墳?

 前回、八王子市大塚に所在する「日向古墳」と、その所在地である「大塚(丘陵自体が古墳ではないかという言い伝えの残る塚)」について取り上げましたが、昭和59年(1984)に発刊された村下要助著作『生きている八王子地方の歴史』にはなんと!この大塚周辺に存在したという上円下方墳や、「由木大塚西古墳」と呼ばれる前方後円墳についても記されています。
 村下要助氏は地元在住の郷土史家で、同書には、今となっては消滅して見ることのできない、当時残存していたこの地域の古墳や塚について数多く記されています。まだ発掘調査があまり進んでいなかった時代であり、後世に築造された塚や、自然地形を古墳であると誤認されている事例も見られるようなのですが、少なくともこの地域の古墳や塚の存在を詳しく知ることが出来るという点では、大変貴重な書籍です。

 第1章である「古代編」の「由木大塚は、わが国最大の底部幅を持つ円墳」の項では、大塚の丘陵の北側に存在したという上円下方墳について、次のように記されています。

 (前略)北側の下方上円墳も底部幅三、四十メートルに見えるが、惜しいことに昭和六十年頃、道路となって消えるという。西南武蔵特有の葺石はなく、ハニワもないような古墳であり、考古学者の馬鹿にするところであろうが、掘り出して調べなくとも何か調査の方法もあろう。(『生きている八王子地方の歴史』26ページ)

 埋葬施設や周溝等の記述は見られないようですが、底部幅三、四十メートルの上円下方墳が本当に存在したとすれば驚きです。
 古墳の所在地については、巻頭の「由木地区要図」に位置が記されており、戦後の空中写真と照らし合わせることで、おおよその所在地は特定できます。おそらくは、画像の周辺が、上円下方墳の所在地周辺であると思われます。
 この場所は、野猿街道の新道によりなだらかに整地されており、古墳らしき痕跡は全く見ることはできませんが、奥に見える宅地となっている場所は、両隣の敷地よりも高くなっているようです。
 旧地形の痕跡なのかもしれませんが、古墳と関係があるかのどうかは不明です。


大塚北側の塚
 
 画像は、上円下方墳跡地(?)の北西側、野猿街道の旧道沿いに所在する塚です。
 わずかな高まりの上に石造物が建てられています。
 むしろこちらの方が気になってしまったのですが、古墳じゃないかな?


大塚北側の塚

 反対側の、北側から見た塚の様子です。
 塚の名称や由緒などはよくわからなかったのですが、こちらから見ると、いかにも人工的に盛られた塚のように見えます。


大塚北側の塚

 塚上の様子です。
 お堂の中にお地蔵様が2体と「堅牢地神塔」の石碑が祀られています。
 

大塚周辺の上円下方墳?

 上円下方墳跡地(?)から、野猿街道を西に100メートルほどの地点にも、気になる小山がありました。画像ではちょっとわかりにくいのですが、目を凝らしてみると、木々の合間の一番高くなったあたりに祠が祀られているのが見えます。自然地形のようにも見受けられますが、丘陵上に築造された古墳の上に祠が建てられている、なんてことはないのでしょうか。。。


大塚周辺の上円下方墳?

 新道の方から見ると、かなり高さがあるように見えます。
 うーん。やっぱり自然地形でしょうか。。。


大塚周辺の前方後円墳?

 さて、先ほどの上円下方墳に引き続き、『生きている八王子地方の歴史』では「由木大塚西古墳」という名称の、前方後円墳であると想定する古墳について記載されています。
 同署に27ページには上円下方墳の記事に続き、
 その西に、この辺りでいちばん古い形式を取る前方後円墳がある。前方部は戦国初期に人の入るとことろなって、大きく削り取られてはいるが、由緒あるものとみえるので、昔から姿だけは特に残しておくと、今に住む人が言っている。長さ百五、六メートルに計られる四世紀末か五世紀半くらいの出来である。後円部には小祠が祀られており、盗掘にあった様子がない。(『生きている八王子地方の歴史』27ページ)
 そしてさらに、『新編武蔵風土記稿』や『武蔵名勝図会』といった江戸時代の地誌類が、主墳である「大塚」について取り上げていながらも、この前方後円墳を見落としているのは残念である、とも述べています。果たしてこの場所に、前方後円墳が存在したのでしょうか。

 画像は、同書に掲載されている「由木大塚西古墳」の唯一の写真です。
 モノクロの小さな写真ですので、全体像を把握するには少々厳しいところですが、少なくとも古墳の可能性を感じさせる高まりが存在したことは間違いないようです。自然地形であったとしても、確かに前方後円墳と誤認しかねない地形かもしれません。


大塚周辺の前方後円墳?
出典:国土地理院ウェブサイト(https://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=188949&isDetail=true)

 画像は、国土地理院ウェブサイトより公開されている、昭和23年(1948)6月9日に米軍により撮影された由木大塚西古墳の所在地と考えられる地点の空中写真です。わかりやすいように跡地周辺を切り取っています。
 『生きている八王子地方の歴史』にある、多摩市の稲荷塚古墳から1800メートルほど西側、という記述のみを頼りに、戦後の空中写真で見つけることができた形状です。画像の中央に前方後円墳らしき木立を見ることが出来ます。
 この空中写真からすると、南側が前方部、北側が後円部である前方後円墳のようにも見受けられますが、後円部側の形状が崩れていてはっきりとしません。おそらくは、古墳の西側に、かつて曲がりくねっていた大栗川が流れていたものと思われますので、これが古墳であれば旧大栗川右岸に築造された前方後円墳、ということになります。


大塚周辺の前方後円墳?

 「由木大塚西古墳」の跡地周辺の様子です。
 画像は前方部から後円部を見たところ、という状況です。
 現在は宅地化が進み、古墳らしき痕跡は見られないようなのですが、この道路の左右両側はどちらも高低差があって、この場所だけ一段高く盛り上がっています。おそらくは、かつての地形は南から北に向かって半島状に突き出た舌状台地という状況で、その台地上に前方後円墳が存在したのか、それともこの盛り上がった地形そのものが古墳の痕跡なのか、はたまた単なる自然地形だったのか、とてもとても興味深い場所です。


大塚周辺の前方後円墳?

 この地区の北側、もしこの地形が前方後円墳であれば後円部の先端にあたる場所に、土手状に盛り上がった小道が存在します。宅地造成の際に削り残された旧地形の残存部分かな?とも思える、気になる形状です。


大塚周辺の前方後円墳?

 土手状の小道を30メートルほど進んで振り返ったところです。
 南側から北を見た状況ですが、西側(画像の左側)と比べてかなり高低差があることがわかります。
 ちなみに反対側の、舌状台地の東側にも同様の高低差が見られます。
 う〜ん。古墳、あったんでしょうかね、ここに。。。


大塚周辺の前方後円墳?

 実は、一番楽しみにしていたのはこの地点です。
 「由木大塚西古墳」から北北西に400メートルほどの、やはり丘陵斜面にあたる場所です。
 画像は由木大塚西古墳の空中写真と同じ、国土地理院ウェブサイトより公開されている、昭和23年(1948)6月9日に米軍により撮影されたものです。これもわかりやすいように跡地周辺を切り取っています。
 やはり、前方後円形の木立が見られ、さらにはその周囲が、周溝の痕跡か?とも思えるような地形となっています。。。


大塚周辺の前方後円墳?

 前方後円形の木立は、だいたいこの奥あたり。。
 丘陵斜面の台地縁辺部、という形状でしょうか。
 周辺は宅地化が進んでいて、やはり地形は大きく変わっているようです。


大塚周辺の前方後円墳?

 小さな石段があったので、登ってみました。


大塚周辺の前方後円墳?

 ここがおそらく、前方後円形の木立の場所と思われます。
 周囲よりも一段高く盛り上がっていて、もしこの場所が古墳であれば、「残存」と呼んでも良いのではないかという印象ですが、埴輪片や葺石、石材といった古墳の痕跡らしきものも見見当たらないようです。。。


大塚周辺の前方後円墳?

 かなり古い墓石が立ち並ぶ墓所が見られます。
 むむむ。怪しい、という感じ。笑。

 結論として、古墳であると断定できる場所を突き止めることはできませんでしたが、『新編武蔵風土記稿』や『武蔵名勝図会』等の江戸時代の地誌類を調べると、この大栗川流域にはかなりの数の塚について記されています。少なくとも現在知られているよりはずっと多くの古墳が存在したのかもしれませんが、それが解明されるのは、まだまだずっと先のことかもしれませんね。。。

<参考文献>
村下要助『生きている八王子地方の歴史』


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  1. 2019/08/10(土) 23:33:44|
  2. 八王子市の古墳・塚
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