
画像は、現在の西東京市芝久保町2丁目、旧田無市に所在する富士塚、「北芝久保富士」を北東から見たところです。『東京都遺跡地図』には未登録につかです。
田無で富士講がいつ成立したのかはわかっていないようですが、田無の富士講は丸嘉講で、六つの組のうちの一つである田無組の講中に入っていたそうです。

塚を近くで見たところ。
かつての北芝久保富士は現在よりも高く盛り上げて造られていたようですが、現在は高さ1mほどの小さな塚となっています。

富士講中は先達に引率されて富士山に大勢で登拝して祈願をしましたが、実際に登拝できない人は近くの富士塚に参拝して、家内安全を祈願すれば富士登山したのと同じ後利益があるとされました。この北芝久保富士の塚の上にも、石造の祠が祀られています。

この富士塚は、実はサイクリング中に偶然に見つけて「おお!田無にも古墳状の塚があるじゃないか!」とワクワクしました。笑。
これまで何十年も生きてきて、盛り上げた土を見てワクワクするというおっさんが出来上がっているわけですが、とりあえず安上がりだし、まあいっか、と思う今日このごろです。。。
<参考文献>
田無市史編さん委員会『田無市史 第四巻 民俗編』
人気ブログランキングへ
- 2019/08/29(木) 23:06:59|
- 西東京市•東久留米市の塚
-
| トラックバック:0
-
| コメント:2
こんにちは。
北関東にも富士塚はありますが、関東南部と比べると
ぐっと少ない気がします。山岳信仰や、講の一種なん
でしょうが、やはり富士山が見える地域で盛んだったの
でしょうか?こちらは庚申塚ですね。小さな古墳が利用
されてる庚申塚も中にはありますね。
- 2019/09/01(日) 10:34:32 |
- URL |
- 形名 #-
- [ 編集 ]
形名さま、こんばんは。
そういえば、私の地元である栃木でも富士塚は見かけませんね?最近は、気が向いたときにゆっくり地元の古墳を巡っていますが、富士塚は一度も出会っていないです。
東京や神奈川、埼玉に多いと聞いたことがありますし、形名さまがおっしゃる通り、富士山が見える地域で盛んだったのかもしれません。。。
「庚申塚」いいですね!
都内にも、庚申塚と名のつくものはかなりありますが、高まりが残されているものはわずかで、古墳だったのかどうかわからないものばかりです。。。
- 2019/09/02(月) 00:42:34 |
- URL |
- ご〜ご〜ひでりん #G67hs.TE
- [ 編集 ]