
画像は、狛江市中和泉3丁目にある「兜塚古墳」を西から見たところです。
『東京都遺跡地図』には、狛江市の遺跡番号55番として登録されている古墳です。
この古墳は、昭和35年(1960)に調査にが行われており、径37m、高さ5mの規模の円墳と考えられていました。その後、昭和51年(1976)の調査では、東西径34m、南北系36m、高さ5mであるとされており、この26年間で墳丘は若干小さくなっているようです。
その後、さらに詳細な調査が行われ、周溝外端まで含めた規模は径約70mとされています。ただし、墳丘南東側の等高線が西側に屈曲することから、帆立貝型前方後円墳の可能性もあるようです。
「兜塚」という古墳の名称からして、帆立貝型前方後円墳という墳形が現実的なのではないかと思われるのですが、このあたりは、今後の調査の進展により、さらにはっきりしてくると思われます。

この古墳は、昭和50年(1975)2月に「東京都指定史跡」に指定され、狛江市により公有化が進められました。周辺は閑静な住宅街として開発が進み、その一角に残されたこの古墳は史跡公園として整備、保存のうえ公開されています。
ちなみに、公園の入り口の扉はいつも閉じられているようですが、施錠されているわけではなく、いつでも自由に見学して構わないそうです。
早速、公園内に入ってみましょう。

公園を入って左側(西側)には、「都史跡 兜塚古墳」と刻まれた石碑と、狛江市教育委員会により説明板が設置されています。
説明板には次のように書かれています。
東京都指定史跡
兜塚古墳
所在地:狛江市中和泉三ー七四九
指 定:昭和五〇年二月六日
兜塚古墳は、昭和六二年(一九八七)と平成七
年(一九九五)に行われた確認調査により、墳丘
の残存径約四三m、周溝外端までの規模約七〇
m、高さ約四mの円墳と考えられます。周溝の一
部の状況から、円墳ではなく帆立貝形の古墳の
可能性も指摘されています。墳丘の本格的な調
査を実施していないため主体部などは良くわかっ
ていませんが、土師器や円筒埴輪が出土してい
ます。円筒埴輪の年代から六世紀前半の築造年
代が考えられています。
兜塚を含む狛江古墳群は南武蔵で最大規模の
古墳群と推定されていますが、墳丘の形状を留
めているのは僅かで、本古墳は良好な状態で遺
存している貴重な古墳といえます。狛江古墳群
では二ヵ所の主体部が発掘調査され、神人歌舞
画像鏡、鉄製刀身、玉類、金銅製馬具などが出土
した亀塚古墳が有名です。亀塚古墳は五世紀後
半から六世紀初頭ころの狛江古墳群の盟主墳と
考えられますが、兜塚古墳は亀塚古墳の次世代
の盟主墳と考えられています。
平成二二年三月 建設
東京都教育委員会
画像は、兜塚古墳を北西から見たところです。
狛江市内に残存する古墳の中では、おそらく一番保存状態の良い古墳です。
どの角度から見てもきちんと円形に見えるという円墳が、東京都内では少ないのです(帆立貝型前方後円墳かもしれませんが)。

接写。
こうして近寄ってみると、古墳の大きさが感じられますね。
私は、こうした古墳公園が大好きで、野毛大塚古墳なんかは心の底から落ち着くのですが、この兜塚の公園にもゆっくりと腰を下ろせるベンチがあるといいなあと思っているというたわ言。。。

墳頂部の様子です。
さすがにある程度の広さがありますね。

墳頂部には三角点の標石が置かれています。
確か、ここが狛江市内で最も高い場所だとお聞きした記憶があるのですが、ちょっと記憶がおぼろげになってきています。。。

墳頂部から北側を見下ろしてみたところです。
かなり高さがあるのがわかります。
周溝の痕跡らしき形状が見られます。

公園を出て、南西角から見た兜塚古墳の墳丘です。

南東から見たところ。
この素晴らしき古墳が、後世に残されることを祈ります。。。
<参考文献>
狛江市教育委員会『狛江市の古墳(Ⅰ)』
狛江市教育委員会『狛江市の古墳(Ⅱ)』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』
多摩地域史研究会『多摩川流域の古墳』
狛江市教育委員会『兜塚古墳発掘調査報告書』
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- 2019/09/09(月) 00:34:53|
- 狛江市/狛江古墳群(和泉)
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