画像は、狛江市中和泉1丁目所在の「駄倉塚古墳」を北東から見たところです。
『東京都遺跡地図』には44番の古墳として登録されています。
この古墳は、以前にも一度取り上げていますが、今年の6月頃、「松原東稲荷塚古墳」と「飯田塚古墳」の現況を見学に行った際にこの古墳にも立ち寄りましたので、最新画像ということであらためて紹介しようと思います。
この駄倉塚古墳は、平成5年(1993)の発掘調査により周溝が確認され、直径40m前後の円墳であると推定されています。周溝からは円筒埴輪が出土しており、5世紀後半の築造と推定されています。
6月半ばの写真ですので、かなり緑豊かな古墳となっていますね。。。
駄倉塚古墳は、小田急線狛江駅から徒歩約2分ほどという駅前古墳で、墳丘の南側には隣接して大きなビルが建てられており、今思うとよく残されたものだと感心してしまいます。
この記事を書いていて気がついたのですが、そういえば説明板が見当たらなかったなあと。ひょっとしてビルの内側とかにあったのかな。。。
かつては、この古墳のすぐ横に六郷用水が流れていて、「駄倉橋」という橋が架かっていたそうです。古墳の南側、バス通り沿いの歩道にい「だくらはし」と刻まれた親柱が残されています。
駄 倉 橋 跡
六郷用水に架かる駄倉橋がここにありました。
駄倉橋は、何度か掛け替えられましたが、明治42年
に造られた橋はアーチ橋で、「めがね橋」と呼ばれ人々
に親しまれました。
六郷用水は、慶長2年(1597)から16年かけて徳川
家康の命により代官小泉次大夫末次によって造られた
灌漑用水路で、多摩川の五本松上流辺りから取り入れ
大田区まで全長約23kmに及びます。
この辺りの六郷用水は、昭和40年に埋め立てられ、
同時に駄倉橋も道路下に埋め立てられました。
「だくらはし」と刻まれた親柱がその名残をとどめて
います。
【このブログの過去の関連記事】
http://gogohiderin.blog.fc2.com/blog-entry-61.html(2012/09/28 「駄倉塚古墳」)
<参考文献>
狛江市教育委員会『狛江市文化財調査報告書 第16集 狛江市埋蔵文化財調査概報Ⅱ』
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- 2019/09/12(木) 23:35:51|
- 狛江市/狛江古墳群(和泉)
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