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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

「三千人塚(石仏塚)」 ー東京都指定史跡ー

「三千人塚(石仏塚)」ー東京都指定史跡ー1

 画像は、府中市矢崎町2丁目に所在する「三千人塚」を南西から見たところです。
 多くの伝承が残されているこの三千人塚は、府中市の遺跡番号11番に登録されており、昭和25年には東京都の旧跡に指定。その後、平成17年には東京都の史跡に指定されています。


「三千人塚(石仏塚)」ー東京都指定史跡ー2

 「三千人塚」は、元弘3年(1333)の分倍河原の合戦で亡くなった三千人の戦死者を埋葬した墳墓であるという伝承が残されており、江戸時代の地誌類にも取り上げられるなど古くから知られていたようです。
 『武蔵名勝図会』には「分倍古戦場」の項に「分倍野は府中駅より南にて、地は府中に属して小名とす。古え数度の合戦ありし処ゆえ、田の中に塚多し」とあり、「読史余論には、廿一日には立川原合戦とあり廿二日は分倍合戦と記す。按ずるにいまの立川柴崎あたりに古戦場もなく、古塚などもなし。又、河原も戦場とする地形ならず。いま本宿村の南裏に古塚あり。かの地を立川原と記されたるべし。」とも書かれています。
 また、この場所は国府時代からの古い刑場のあったところで牢場とも呼ばれていました。この周囲を耕すことはもちろん、塚上にある榎の枝一本でも切ると必ず祟られると言い伝えられており、明治末年頃までは誰も周辺を耕作する者もなく、かなり荒廃していたようです。(ちなみに昭和20年代にも、道路工事のために塚の西側の地ならしを始めた際にその場に居合わせた関係者が卒倒したという話が残されているようです。)

 しかしその後、昭和30年(1955)に地元の郷土史家らが中心となって塚の西側を中心に発掘調査を行い、鎌倉時代から南北朝時代の蔵骨器(火葬骨を納めた骨壺)4個が発見されています。また平成17年(2005)に行われた学術調査により、塚の東側から石にお経の文字を写した「礫石経」が大量に出土しています。これらの、3cmから10cmほどの大きさの礫に書き写された文字は非常に上手な字もあればただ字を真似て書き写したようなものもあり、たくさんの人がお経を書き写したことがわかっています。一緒に出土した陶磁器の破片から、これらの礫石経の年代は江戸時代末期頃と考えられています。


「三千人塚(石仏塚)」ー東京都指定史跡ー3

 画像は北東から見た「三千人塚」です。

 過去の2度の発掘調査により、三千人塚はこれまでいわれてきた分倍河原の合戦の戦死者を祀った塚であるという伝承とは関係がなく、鎌倉時代から室町時代の地元の有力者一族による小さな石積みのお墓が点在していたところが江戸時代に信仰の対象となり、礫石経を用いた石を積んで新たな塚を築いて、今日まで地元の文化財として保存されてきたものであることがわかっています。
 では、真の三千人塚はどこにあったのかということになりますが、猿渡盛厚氏が著書『武蔵府中物語』の中で興味深い地元の古老の証言を紹介しています。同書には「去る明治33、4年頃、馬場大門欅並木の中間の府道工事の際、道路面が凹くて盛土をする必要があって、その土砂を採取するため、此の辺に塚を破壊して土砂を搬んでいって地均ししたのであるが、其の時一つの塚からは、多数の人骨が出て始末に困つたことを覚えていると語られたが、其の咄氏によつて思ふに、それが眞の三千人塚であつたのだろふ。されば田村永年が描いた松並木中にあつたのが眞の三千人塚であつたことが判る。」と書かれています。
 田村永年が描いたという松並木中の塚の正確な所在地はわからなかったのですが、分倍河原の合戦ほどの大きな合戦であれば、1基のみならず数多くの塚が存在したのかもしれませんし、今後の調査により真相が判明してくるのかどうか、とても興味深いところです。。。


「三千人塚(石仏塚)」ー東京都指定史跡ー4

 『東京都遺跡地図』には、径15m、高さ1.5mの規模とされているのですが、それよりは若干小さく感じられるようにも思います。
 敷地内には東京都教育委員会により説明板が設置されており、次のように書かれています。

東京都指定史跡
 三 千 人 塚
       所在地 府中市矢崎町二丁目二十一番二号
       指 定 平成十七年二月二十二日

 三千人塚は、江戸時代の地誌「武蔵名勝図絵」などにも
紹介されている由緒ある塚です。塚の上には、多摩地区最
古となる康元元年(一二五六)の板碑が建ててあり、「板
碑の立つ塚」として、昔から注目されてきました。
 昭和三十年に地元の郷土史家により、この塚の西側が発
掘調査され、鎌倉時代から南北朝時代の蔵骨器(四個)が
出土しています。
 平成十七年に学術調査を行ったところ、塚の東側から、
石にお経の文字を写した「礫石経」が大量に出土しました。
この調査により、現存の塚の高まりは、元弘三年(一三三
三)の分倍河原の合戦で亡くなった三千人の戦死者を埋葬
したという伝承とは関係がなく、江戸時代に造られたもの
であることがわかりました。
 三千人塚は、鎌倉時代から室町時代の在地の有力者一族
による小さな塚(墓)の点在した場所が、江戸時代には信
仰の対象となり、地元の文化財として今日まで大切にされ
てきたといえます
 平成十八年三月一日
                  東京都教育委員会



「三千人塚(石仏塚)」ー東京都指定史跡ー5

 塚上の、多摩地区最古という康元元年(1256)の板碑です。
 

「三千人塚(石仏塚)」ー東京都指定史跡ー6 

 宮町3丁目の「ふるさと府中歴史館」には、三千人塚から出土したという礫石経が展示されています。
 江戸時代後期のもので、「佛」「法」「濁」「是」「却」など法華経の文字が石に角が記されています。


「分倍河原古戦場碑」

 三千人塚から西に800mほどでしょうか。分梅町2丁目の新田川緑道には「分倍河原古戦場碑」が建てられており、「分倍河原古戦場」は東京都の旧跡に指定されています。
 東京都教育委員会により設置された説明板には次のように書かれています。

東京都指定旧跡
   分倍河原古戦場
        所在地 府中市分梅町二ー五九
        指 定 大正八年十月
 文永(一二七四)、弘安(一二八一)の役を経験
した頃、北条執権政治は根底からゆるぎ御家人救
済の方法として徳政令を発布したが、これがか
えって政権破滅の速度を速めた。元弘三年(一三
三三)五月、新田義貞は執権北条高時を鎌倉に攻
めるため、上野、武蔵、越後の兵を率いて上野国
新田庄から一路南下し、所沢地方の小手指ヶ原で
北条方の副将長崎高重、桜田貞国を破り(五月十
一日)、さらに久米川の戦で優位に立った。北条
方は分倍に陣を敷き、北条泰家を総帥として新田
勢を迎撃した。新田勢は敗れて所沢方面に逃れた
が、この時、武蔵国分寺は新田勢のために焼失さ
せられたという。その夜(五月十五日)、新田勢に
三浦義勝をはじめ相模の豪族が多く協力し、十六
日未明再び分倍の北条勢を急襲し、これを破って
一路鎌倉を攻め二十二日に鎌倉幕府は滅亡した。
平成十年三月 建設
              東京都教育委員会



「新田義貞公之像」

 JR南武線と京王線が交わる分倍河原駅南東側のロータリーには「新田義貞公之像」が。
 国府が置かれたというこの地域の歴史上最も大きな出来事は、やっぱり分倍河原の合戦なのかなあと、つくづく感じてしまいます。

 「新田義貞公之像」南側の歩道には石碑が建てられており、次のように刻まれています。

 この像は、新田義貞と北条泰家の軍勢が鎌倉幕府の興亡をかけて火花を散らし
た分倍河原合戦 を題材に、武士の情熱と夢をモチーフとして制作したものである。
 元弘三年(一三三三)五月八日、上州生品神社(群馬県新田町)の社前で鎌倉
討幕の旗を上げた新田義貞は、越後・甲斐・信濃の同族軍等を糾合、翌九日には
利根川を渡って武蔵国へ入り、千寿王(後の足利義詮)と合流し一路鎌倉を目指
して南下した。一方、幕府軍は入間川で新田軍を阻止するため北上、同月十一日、
両軍は小手指原(所沢市)で遭遇し合戦となった。合戦の勝敗は容易に決しない
まま十二日の久米川の合戦につづき新田軍有利の中で、幕府軍は陣立てのため急
ぎ府中の分倍河原まで退いた。
 同月十五日未明、新田軍は多摩川突破を目指して武蔵国府中を攻め分倍河原に
おいて大いに戦ったが、泰家率いる幕府軍の逆襲にあって大敗を喫し、掘兼(狭
山市)まで敗走した。この時、新田軍の手によって武蔵国分寺の伽藍は灰燼に帰
してしまったといわれている。その夜、掘兼まで後退した焦燥の義貞のもとに相
模の三浦義勝らが相模の国人衆を引き連れて参陣した。幕府の本拠地である相模
の国人衆の加勢に意を強くした義貞は、翌十六日の未明に怒涛の如く分倍河原を
急襲、前日の勝利におごり油断していた幕府軍は、武具を整える間もなく総崩れ
となり、鎌倉の最後の防御線である多摩川は一気に破られ分倍河原合戦は新田軍
の大勝利に終わった。多摩川を越えて鎌倉に進撃した新田軍は、鎌倉で激しい市
街戦を展開し、終に百四十年余り続いた鎌倉幕府を滅亡させたのである。
 こうした史実を通して市民の郷土史への理解を深めるとともに、これを後世に
伝えるため、日本の中世史上重要な意義を持つ分倍河原合戦ゆかりのモニュメン
トを制作し、この地に設置するものである。
 制作は、我が国彫刻界の重鎭で文化功労者・日本芸術院会員の富永直樹先生、
題字は、府中市長吉野和男の揮毫による。
 この「新田義貞公之像」が永くふるさと府中の歴史を伝え、市民の心に生きつ
づけることを願うものである。
     昭和六十三年五月
                                府中市



 分倍河原合戦に関連する塚は府中市内に数多く存在しますが、この「三千人塚」が経石塚で、「耳塚」や「首塚」は古墳、「胴塚」の所在はわからなくなっているようですし、真の三千人塚がどこかに存在するとなれば、とても気になります。(もちろん、宅地化によって消滅している可能性も高いわけですが。。。)
 まだ未発掘らしき押立町の「亀井塚」や、谷保の「御岳塚」あたりが発掘されると、何が出てくるんだろう。。。
 
<参考文献>
猿渡盛厚『武蔵府中物語』
府中市教育委員会『府中市内旧名調査報告書 道・坂・塚・川・堰・橋の名前』
府中市郷土の森博物館『あるむぜお 74号』
現地説明版


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