
今回は、甲州街道の四里目にあたる、杉並区下高井戸1丁目に所在したとされる「下高井戸一里塚」です。
この一里塚は、すでに塚は削平されて消滅、石碑や標柱なども残されていないようですが、甲州街道沿いの歩道に杉並区教育委員会による説明板が設置されています。
甲州道中一里塚跡
江戸時代、五街道のひとつであった甲州道中
(街道)は、江戸日本橋を起点として、内藤新宿、
高井戸、府中、八王子、甲府を経て上諏訪に至
り、つぎの下諏訪で中山道に合するようになっ
ていました。
この街道を利用した諸大名は、信州高嶋藩、
同高遠藩、同飯田藩の三藩でした。また甲府に
は、江戸幕府の甲府勤番がおり、幕府諸役人の
往来もありました。
この場所の前方、高速道路下に、日本橋から
数えて四里目(約十六キロメートル)を示す
「一里塚」がありました。
当時の旅人はこの「一里塚」を見て、道程を
知り、駄賃などの支払いをしました。
塚は五間(約九メートル)四方、高さ一丈(約
三メートル)を基準として土を盛り上げて築き、
榎が植えてありました。
昭和五十四年四月一日
杉並区教育委員会

説明板から察するに、画像のあたりに一里塚が(少なくとも2基のうちの1基が)存在したのではないかと思われますが、所在地は現在の甲州街道のど真ん中で、さらには首都高速4号新宿線の高架が走っており、一里塚の痕跡はまったくないようです。
大阪の方で、立体交差の高架の下に、崩されずに残されている古墳の写真をネットで見たことがあるのですけどね。
なかなか難しいですよね。。。
<参考文献>
現地説明版
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- 2019/10/10(木) 00:03:02|
- 一里塚
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