
画像は、狛江市岩戸北3丁目の「橋北塚古墳」の所在地を南東から見たところです。
『東京都遺跡地図』には、狛江市の遺跡番号25番に登録されている古墳です。
この橋北塚古墳は、我が『古墳なう』でも過去に一度掲載しました。
数年前までは、この場所にはかなり改変された墳丘が残存しており、周辺は宅地化が進んでいる中、この場所だけが深い竹藪となっていました。
昭和35年(1960)に行われた狛江古墳群の分布調査において、東西径22m、南北径21m、高さは2.85~3mの墳丘が計測されており、この状況は近年まで大きな変化はなかったようですが、その後、平成27年から28年にかけて調査が行われ、周囲の駐車場も含めた古墳の敷地には保育園が建設され、その園庭として墳丘の一部が現状保存されています。

橋北塚古墳は、確認された周溝から、外径約40m、内径約28m、幅約5mの周溝が取り囲む中にテラスを有する直径約26mの墳丘が存在したと推定されています。
古墳が所在した場所の保育園の塀には、小さな説明板が設置されており、次のように書かれています。
三角塚園庭
三角塚古墳〈橋北塚古墳〉
狛江には、5世紀の半ばから6世紀の半ばにかけて、60〜70基ほどの古墳が
築造されたと考えられ、橋北塚古墳(三角塚古墳)も6世紀前半に築造された古墳
であると考えられています。
この古墳には、墳丘(ふんきゅう)に葺石(ふきいし)はなく、埴輪(はにわ)も
確認されていませんが、平成2年の調査において、古墳を取り巻く周溝(しゅうこう)
の一部が確認されています。墳頂(ふんちょう)付近に円礫(えんれき)が集中して
残されていることが確認され、古墳の主体部は、木棺(もっかん)のまわりを挙大
ほどの丸い石を集めて覆った礫槨(れきかく)であったと考えられています。

墳丘の北側の一部と南側の一部は削平されたようですが、主体部が存在する墳丘の部分が現状保存されているようです。また、保育園の地下には周溝も現状保存されているそうです。
画像は、保育園の塀の奥に見える橋北塚古墳です。
いや、古墳というよりは、墳丘上に生えている草ですね。草。

北東から見た草。
【このブログの過去の関連記事】
http://gogohiderin.blog.fc2.com/blog-entry-120.html(「橋北塚古墳」その1)
<参考文献>
狛江市教育委員会『狛江市の古墳(Ⅰ)』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』
狛江市教育委員会『市内遺跡発掘調査報告書Ⅰ』
狛江市教育委員会『市内遺跡発掘調査報告書Ⅵ』
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- 2019/11/12(火) 23:21:50|
- 狛江市/狛江古墳群(岩戸)
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