
「経塚下古墳」は、昭島市宮沢町の拝島段丘上縁辺部に位置する古墳で、昭和51年(1976)7月~8月にかけて行われた「経塚下遺跡」の調査により発見された古墳です。『東京都遺跡地図』には、昭島市の遺跡番号46番に登録されている古墳です。
この古墳は、墳丘はすでに削平されていたものの、築造当時には封土があったのではないかと考えられているようです。周溝が検出されなかったことから、規模については不明とされています。
長径2.1m、幅40~60cmとかなり小形の竪穴式石室が検出されており、河原石積みで胴張りの形状は周辺の浄土古墳などと同様の終末期古墳でされています。側壁近くからは鉄鏃や刀子などが発見されており、この出土した五角形の鉄鏃から、古墳は7世紀後半に築造されたと推定されているようです。
画像は、経塚下古墳の跡地周辺の様子です。残念ながら古墳の痕跡は何も見当たらないようです。

古墳が所在する拝島段丘から、多摩川の沖積低地を見下ろしたところ。
新奥多摩街道が切り通しとなっていて、かなり高低差があるのがわかります。
多摩川中流域左岸の、昭島から調布あたりにかけての古墳の分布は、まるで崖から何十メートル以内というふうに、取り決めでもあったかのように段丘縁辺部に集中しています。そして、狛江市内に入ると、このルールの適用外であるかのように広域に古墳が分布するわけですが、これはとても興味深いです。。。

昭島市郷土資料室で公開されていた、発掘当時の経塚下古墳の石室の様子です。

道路工事によって消滅する運命にあったこの古墳の石室は、「浄土古墳」の史跡公園内に移築・保存されています。画像が、経塚下古墳の石室が保存されている場所です。つまりは、この史跡公園内に「浄土1号墳」、「同4号墳」、「経塚下古墳」の3基の古墳の石室が保存されているということになります。

おそらくは、この経塚下古墳の説明板が設置されていたのではないかと推測されますが、残されているのは骨組みのみで、説明板自体は崩壊してしまったようです。
<参考文献>
東京都昭島市経塚下遺跡調査会『経塚下遺跡』
昭島市教育委員会『考古学からみた昭島市』
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- 2019/12/06(金) 23:14:41|
- 昭島市の古墳・塚
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