「西岡49号墳」と「西岡51号墳」

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「西岡49号墳」と「西岡51号墳」

 「西岡49号墳」、「西岡51号墳」は、大田区田園調布本町に所在したとされる古墳です。
 『東京都遺跡地図』には西岡49号墳が大田区の遺跡番号50番、西岡51号墳が52番の古墳(円墳)として登録されています。

 この2基の古墳は既に消滅しており、現在は見ることが出来ません。1930年代当時、大田区立郷土博物館の館長を努める西岡秀雄氏により行われた荏原台古墳群の分布調査により把握されています。この調査報告が掲載されている「荏原台地に於ける先史及び原始時代の遺跡遺物」『考古学雑誌 第26巻 第5号』には次のように紹介されています。

第四十九號古墳
(所在位置)舊地名 東京都荏原郡東調布町大字下沼部
      新地名 東京市大森區田園調布二丁目
(型式)圓型墳
(現況其の他)封土の一部は破壊されたが未だに其の原形を失はず、墳上には稲荷神社がある。高さ二•五米。土器片を採集したことがあるが未發のものである。

第五十一號古墳
(所在位置)舊地名 東京都荏原郡東調布町大字下沼部
      新地名 東京市大森區田園調布二丁目一〇一〇細川氏所有地
(型式)圓型墳
(現況其の他)以前畑中にあつたが、現在は全く原形を留めない。土人の話によれば大正十年頃切り崩しの時、石棺及び直刀を出土したと云ふが詳細不明である。高さ約二米。(『考古学雑誌 第26巻 第5号』56~57ページ)

 その後の昭和11年に東京府により発行された『東京府史跡名勝天然記念物調査報告所 第十三冊』には、51号墳についてのその後の記述が見られます。

 圓墳卽ち西岡第五一號墳は、寫眞の示すが如く極めて小規模のもので、現在多少表面が削平せられて、最初の形を失つてゐるとしても、其の高さは二米を過ぎることはなからうし、徑は十五米内外、古墳としては問題にならないものであらうが、前述した地下横穴式石室古墳のあつたところと接して居るし、かつその古墳の規模と似てゐるので、或はこれにも地下横穴式石室が築營されてゐるかも知れない。(『東京府史跡名勝天然記念物調査報告所 第十三冊』14ページ)

 おそらく、昭和初期には台地縁辺部に49号墳と51号墳という2基の小円墳があり、そこから一段高い場所に盟主墳である50号墳が所在する、という状況だったのでしょうか?
 田園調布古墳群は、かなり多くの古墳が密集して存在した第古墳群であったと思われるのですが、発掘調査はあまり進んでいない状況で、詳細がわからないのは残念なところです。それだけに、西岡秀雄氏の調査の記録はとても貴重な存在です。。。

<参考文献>
西岡秀雄「荏原台地に於ける先史及び原始時代の遺跡遺物」『考古学雑誌 第26巻 第5号』
東京府「東京府下の古墳」『東京府史跡名勝天然記念物調査報告所 第十三冊』
東京都教育委員会『都心部の遺跡』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』


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