出典:国土地理院ウェブサイト(https://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=1178051&isDetail=true) 画像は、国土地理院ウェブサイトより公開されている、昭和22年に米軍により撮影された、調布市入間町1丁目周辺の空中写真です。
とりあえず、終戦後のこの地域はまだ農村だったんだなあとしみじみ思います。
今でもわずかながらの農地が残されている地域ではありますが、この時代はほとんど畑しかありませんね。
なぜこの画像を取り上げたかというと、中央に塚ではないかとも考えられる影が見えるのです。
そしてさらには、画像の右端にも塚ではないかという形状の影が見られます。
一体なんだろう。。。
出典:国土地理院ウェブサイト(https://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=430009&isDetail=true) 同じく国土地理院ウェブサイトより公開されている、昭和38年に国土地理院により撮影された、調布市入間町1丁目周辺の空中写真です。
1枚目の画像から16年が経過して、少しづつ民家が増えていますね。
中央の塚も右端の塚も、まだ健在です。
出典:国土地理院ウェブサイト(https://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=999335&isDetail=true) 今度は、昭和50年(1975)に国土地理院により撮影された、同地域の空中写真です。
さらに22年が経過して、かなり宅地化が進んでいる様子が伺えます。
中央の塚が残されているのかどうかは少々わかりにくいのですが、少なくとも塚の場所に建物は建てられていないようです。右端の塚は、残されているのかどうかよくわかりません。。。

画像は、最新のGoogleマップの同地域の画像です。
右端の塚らしき地形は無くなってしまったようなのですが、中央の塚はまだ残されているように見えます。
さて、現在どうなっているのか、いよいよ現地を訪れた時の画像です。

画像が、空中写真の中央に見えていた塚の様子です。
現在は入間地域福祉センターの駐車場の北西角に所在します。
この塚、人為的に造られた何か由来のある塚なのか、図書館等で調べても最後までわかりませんでした。
(わからなかったから今まで公開しなかったわけなのですが。。。)
福祉センターの単なる築山なのかもしれませんし、農地だった頃の残土の山であった可能性も考えられます。
逆に、福祉センターの建設の際にも壊さずに残した、とも言えるかもしれませんし。。。
特に説明板の類も見当たらないようです。
一体なんの塚なんだろう。。。
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- 2020/03/24(火) 20:57:17|
- 調布市/その他の古墳・塚
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| コメント:2
群馬の場合は富士塚は少ないので、大抵は円墳ですが、こちらの地方だと少し事情が違うかも知れませんね。
それにしても、はっきりと古墳と分かる場所が無理やり開発されたり、このように理由がよく分からなくても保存されてるところは面白いです。運不運というべきか、不条理なのか!?
- 2020/03/27(金) 12:39:56 |
- URL |
- 形名 #-
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形名さま、こんばんは。
東京はアレですね。考古学がまだ成熟していない明治から昭和の時代にすごいスピードで開発が進んだので、ほとんど調査が行われないまま消えてしまったのですよね。
周辺に住む人は移住してきた人が多いので、地域に伝わる言い伝え等は,元から住んでいる地主さん以外は知らないという人が多いのです。。。
残されるのは「運」ですかね。。。
- 2020/03/27(金) 21:52:37 |
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- ご〜ご〜ひでりん #G67hs.TE
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