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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

「港区No.26遺跡(西向観音山古墳)」

港区「西向観音山古墳」1

 今回は、港区芝公園4丁目の芝増上寺境内に所在したとされる「西向観音山古墳」の探訪の記録です。

 実は、この場所を散策してからかなり時間が経過してしまっていました。
 撮影した画像の日付を確認すると、なんと2013年の8月でした。
 こういうの、よくあるんですよね、実は。。。
 『古墳なう』の「なう」は看板に偽りじゃんかよ〜と反省しつつ、見学した当時の記憶を掘り起こしながら紹介しようと思います。
 
 かつて芝増上寺本堂の背後(北側)には高さ28m程の小山があり、この頂部にあった小堂に等身大の石造観音像が立てられていたことからこの小山は「観音山」と呼ばれていました。また、この観音像が西を向いていたことから「西向観音」と呼ばれ、この小山は「西向観音山古墳」と呼ばれていたそうです。『東京都遺跡地図』には「隠滅」の青いマークで記されていますが、港区の遺跡番号26番の古墳として登録されています。

 画像は、この西向観音山古墳の跡地周辺を、西北西側の上空から見たところです。


港区「西向観音山古墳」8
出典:国土地理院ウェブサイト(https://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=1179077&isDetail=true)

 画像は、国土地理院ウェブサイトより公開されている、昭和22年に米軍により撮影された西向観音山古墳所在地の空中写真です。わかりやすいように跡地周辺を切り取っています。
 画像の中央に見えるのが西向観音山古墳で、円形というより方形らしき形状の墳丘が見られます。

 ちなみにこの地点を古地図で確認すると、明治14年のフランス式彩色地図ではかなり大きな塚状の高まりが確認できますし、明治17年の『五千分一東京図』に描かれている等高線を見ると、円墳ではなく前方後円墳の残骸なのではないかとも思えるような、南側に前方部らしき高まりが伸びた不思議な形状が見られます。
 1枚目のは東京タワーの展望台から撮影したものですが、もしもこの古墳が円墳、もしくは方墳であるとすれば、画像左側に墓地のあたりが墳丘であったと思われますが、前方後円墳と仮定するならば、墓地のあたりが後円部で、右側に伸びた駐車場のあたりが前方部だったのではないかと考えられます。


港区「西向観音山古墳」2

 画像は、昭和33年に発刊された『郷土史東京』に掲載されている、往時の西向観音山古墳です。
 昭和27年(1952)の秋に、南側から撮影されたというものです。

 この観音山は、大正12年(1923)の関東大震災の後に一部が取り崩されており、戦後はかなり荒れ果てていたといわれています。確かに、墳丘上に植栽が施されている昭和22年の空中写真と比べると、昭和27年の写真に見える墳丘の状態は荒れているようにも見えます。

 この古墳について、昭和2年に発刊された『上代の東京と其周囲』に記述が見られます。
 この書籍には、鳥居龍蔵氏により大正5年(1916)に行われた東京都内にある古墳の巡回調査の記録が記載されているのですが、この際に鳥居氏は芝丸山古墳とともにこの西向観音山古墳も訪れており、次のように記されています。

 (前略)それから尚ほ其の丸山と云はれる瓢箪形の古墳の下の處で貝殻の存在を調査し、それから尚ほ丘陵の上に登つて行つて、西向き觀音の頂上に登つた。此の上にも一つの古墳が殘つて居る。其の古墳は丸塚であつて、私は其の古墳の周圍に埴輪圓筒の立つて居るのを發見したから、それを掘出した。此の西向き觀音のある所は、一つの高い丘である。此の上に登ると、一面に品川旧字は灣を見晴らすのであつて、非常に眺望の宜い丘である。
 此の丘の下に增上寺が設けられて居る。此の增上寺のある土地と西向き觀音の丘陵と尚ほ埴輪の出た所の古墳一小群の所在地とは、多少離れて居るけれども、其の間には昔は尚ほ古墳が點々存在して居つたものと思はれる。これは增上寺を初めて建てた當時に、其の境内になる所の丘陵を崩した爲め、其の丘陵と共に其處に存在して居つた古墳も無くなつたのであらうと思ふ。兎に角此等を綜合して見ても、芝の公園の丘陵は、原史時代の古墳群をなして居る所であつて、昔の荒墓と稱すべき所である。扨て此處に出た埴輪及び其の埴輪人形の風俗、それから古墳から出た所の遺物等の上から見ると、埴輪を其の周囲に立てた所の古墳であつて、相當古いものであると見られるのである。(『上代の東京と其周囲』64~65ページ)



港区「西向観音山古墳」3

 観音山の跡地を南から見たところです。
 地上で観察すると、これが古墳の名残であるのかは不明であるものの、跡地周辺がわずかに小高くなっている様子が見られます。画像の左手前を前方部、右奥を後円部と仮定すると、道路が右にカーブするあたりがくびれ部ではないかなどと妄想してしまうのですが、何ともいえませんね。
 もし西向観音山古墳が前方後円墳であれば、南方に隣接して存在する「芝丸山古墳」の同程度の規模はあるのではないかとも思われ、長軸100m以上の大きな古墳ではなかったかと妄想してしまいますが、いかがでしょうか。。。


港区「西向観音山古墳」4

 さて、画像は、増上寺境内の現在の「西向観音像」です。
 現在は、立派なお堂に祀られています。
 この観音像には言い伝えが残されており、どの方向に向けても一夜のうちに西に向いてしまうことから「西向観音」と呼ばれることになったようです。また、この観音像はかつては奥州街道の一里塚の像であるとも言い伝えられているようです。少なくとも江戸時代以前には古墳は存在していたようです。
 現地説明版には「西向観音は、現在三康図書館のある場所にあった観音山に西に向けて安置されていたもので、現在の正則中学校あたりにあった地蔵山に東向きに安置された四菩薩像とともにその間を通る街道を見下ろす形をとっていました。(後略)」とあり、この観音山について書かれています。


港区「西向観音山古墳」5

 昭和33年に発行された『郷土史東京』にもこの古墳についての記述が見られ、別所光一氏著「芝西向観音山古墳にあつた古墳」の中でこの古墳の埋葬施設についてふれられています。

 坂田諸遠著『野辺廼夕露』自筆草稿本は、全部十三冊あつて、別に音韻順の索引が一冊ついている。かつて筆者が記憶にとどめた芝増上寺境内古墳の記事はその第五冊の終りに書かれているのが発見された。最初には芝丸山古墳の記事と見取図があり、あとの方に西向観音古墳について次のような記事が出ていた。「一小堂あり同境内最高の岡なり。石像の一仏西向といへり……これは明治二十五年(一八九二)寺中普譜の為に穿して五尺或は幅三尺乃至二尺の平石一枚を得たり 又同形長三尺幅尺余の板石をも掘出せり 古墳石棺の側西の位置にあり 石室浜石にして他より運送せしものなるは明也 丸山を古墳なりとせば西向も亦古墳なるべしといへり 二墳共にいつの世いづれの人の古墳なりや知るに所由なし」と、このように述べている。もつとも、この西向観音山古墳の記事だけは初遠の実地見学ではなく、後藤という人から聞いた話をノートしたのであつた。同書の他の墓碑などの記述からくらべると、この記述は粗略なものだが、いずれにしろこの記事によって、ここから発掘されたものが長い板石と短い板石からなつていることから考えて、おそらく組合式石棺の一部、あるいはそれに類似の石槨の一部……であつたのではあるまいかと思われる。この点、丸山古墳周辺に点在する数基の小円墳が、内部の壁として丸石を積み、天井に数枚の石を置いたのとは、西向観音古墳からは丸石の出土が無かつたことからみて対照的である。(『郷土史東京』16~17ページ)

 実は、現地を訪れて最も気になったのが、西向観音のお堂の北側に建てられている、画像に見える大きな石です。
 『郷土史東京』の記事にあるように、西向観音山古墳からは組合式石棺の一部、あるいはそれに類似の石槨の一部と考えられる長い板石と短い板石が発掘されたといわれていますが、まさか、その出土した石材の一部が西向観音と一緒に移されてこの場所に祀られているのでは?と妄想したくなる、とても気になる存在です。
 この石については、この増上寺や、港区の郷土資料館などで尋ねてみたりもしたのですが、今のところ詳細は不明なままです。う~ん、石室材ではないかと思うんだけどな~。

 観音山の南方に残存する「芝丸山古墳」をかつて調査したという坪井正五郎氏もこの観音山を古墳であると考えていたようですし、周囲から鳥居龍造により円筒埴輪が掘り出されていることや、組合式石棺の一部と思われる「浜石」が掘り出されていることから推測すると、この「観音山」が古墳であった可能性はかなり高いのかもしれません。


港区「西向観音山古墳」6

 画像は、荒川区東尾久6丁目にある「下尾久石尊」です。
 この石尊様は房州石であると考えられており、古墳の石材の一部である可能性が指摘されているものです。
 西向観音に建てられている石とそっくりだと思いませんか。。。

【このブログの過去の関連記事】
http://gogohiderin.blog.fc2.com/blog-entry-242.html

港区「西向観音山古墳」7

 西向観音像です。
 高さ七尺余のこの観音像は元弘の年に作られたといわれており、また北条時頼が諸国巡りでこの地に泊まった際にこの像を作り、辻堂を建てたともいわれています。

<参考文献>
鳥居龍蔵「東京市内の古墳調査巡回の記」『上代の東京と其周囲』
別所光一「芝西向観音山にあつた古墳」『郷土史東京 第三巻 第二号』
東京都教育委員会『都心部の遺跡』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』


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  1. 2020/04/17(金) 21:32:59|
  2. 港区の古墳・塚
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コメント

こんばんは、あんけんです。
自分も日本の考古学リソースのデジタル化さんの専用ページを読んで以来前方後円墳じゃないのかなぁと、ずっと思ってました。
マウンド南側の基壇は大震災後空襲時まで在った本堂の跡だと思いますが、地震の後で調査もせずに前方部状の南の張り出しを削ってたら今でも周囲の地中に遺物が残ってるんじゃないかなぁとか考えてしまいます。
http://www.amy.hi-ho.ne.jp/mizuy/arc/kofun/siba-kan-non-yama.htm

遠い微かな記憶では現ページにリニューアルされる以前は更に北側の愛宕山も考証されてたと思ったのですが・・・。
  1. 2020/04/19(日) 18:53:48 |
  2. URL |
  3. あんけん #pysVlb7U
  4. [ 編集 ]

あんけんさま、こんばんは。

「日本の考古学リソースのデジタル化」さんのHPは私も見ました。また明治17年の『五千分一東京図』も見ました。
現地を訪れると、前方部の方向にも高まりが残されていますし、ひょっとしたら古墳の基底部は残存しているのではないかとも思います。
「西向観音山古墳」と「芝丸山古墳」という2基の前方後円墳が並んでいて、その周囲に円墳が群集する、かなり大きな古墳群だったのでしょうね。

西向観音の石材と思える房州石らしき石は、本当に石材だったのではないかと思いたくなりますが、真相がわからなかったのが残念です。
  1. 2020/04/19(日) 20:52:21 |
  2. URL |
  3. ご〜ご〜ひでりん #G67hs.TE
  4. [ 編集 ]

芝丸山は標高図で見ても前方後円墳ですが、観音山のほうも同型なんですね。この地域の古墳は古いものが多いので興味深いです。もし前期古墳で前方後方墳なら、なお面白いのですが。標高図で見ると四角に見えないこともないです。ひでりんさんが国土地理院の5mメッシュ標高データをダウンロードして画像化してくれると嬉しいのですが!それと、どんな出土物があったのか知りたいですね。
  1. 2020/04/22(水) 17:52:29 |
  2. URL |
  3. 形名 #-
  4. [ 編集 ]

形名さま、こんばんは。

私が見た明治17年の『五千分一東京図』とは、どこかでカラーコピーしたものだったのですが、ちょっと前に引っ越しをした際に紛失、また、『都心部の遺跡』にも、古墳の所在地を抜粋した古地図が掲載されているのですが、この『都心部の遺跡』も書籍自体が見当たらなくなっています。(捨ててしまうわけはないのですが、すみません。。。)

この古墳は、もう少し深追いすれば、さらに資料が出てきたり、また真相を知る方にお話を聞けたりしたのではないかと思うのですが、現状、調査の継続が厳しくなったことから、とりあえずわかったことだけを書いて公開しました。
私の前方後円墳説の根拠は、明治17年の『五千分一東京図』の地形のみですが、この地図は「日本の考古学リソースのデジタル化」というHPの中でも見られます。
このHPでも、この古墳の前方後円墳説をとっています。

http://www.amy.hi-ho.ne.jp/mizuy/arc/kofun/siba-kan-non-yama.htm

コロナウィルスは終息の気配を見せませんが、くれぐれもご自愛くださいませ。。。
  1. 2020/04/24(金) 01:49:05 |
  2. URL |
  3. ご〜ご〜ひでりん #G67hs.TE
  4. [ 編集 ]

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