前回に引き続き、今回も「西東京市内の庚申塔」、その2です。

画像は、向台町4丁目13番地に所在する庚申塔です。
一応、当日自転車で巡った順番通りに紹介していますが、この日はかなり朝早く出発したので、この場所でまだ午前10時頃と順調です。しかも、折りたたみ式でなく口径の大きな自転車で来ていますので、スピードが出ることもあって絶好調です。笑。

この庚申塔は、現在の向台中央通りと市役所通りが交差する「市民公園前」交差点のやや北東寄りに安置されています。
旧田無市内には13基の庚申塔があり、年代不明のものを除くと元禄までの江戸前期のものが4基、中期が8基で、後期のものはないそうです。
この庚申塔は寛保3年ですので、江戸中期の造塔ということになるようです。

庚申塔は、笠付型(85×38×24)の青面金剛像です。



5ヶ所目。
芝久保町1丁目13番に所在する庚申塔です。
なんと!この庚申塔は銭湯の敷地内に所在するのですが、銭湯の名称はなんと「庚申湯」!
庚申塔が名称の由来となっているのです!
これまで「庚申荘」等、アパートの名称では見たことがありますが、「庚申湯」はちょっと感動ですよね。笑。
しかも!すでに画像の右端にちらりと見えていますが、この庚申塔は塚の上に祀られています。
この塚に出会えたことで、この日は勝ったも同然!

塚の様子です。
あとで調べてみたところでは、この場所は南側からなだらかなスロープが石神井川まで続く丘であったそうで、路面の高さまで切り崩して更地にしたために庚申塔だけがそのまま残ったということのようです。
まあ経緯はどうあれ、西東京市内では数少ない「庚申塚」ということになります。

庚申塔の様子です。
地元の人に大切に祀られている様子がうかがえます。
笠付型の青面金剛像で「宝永三丙戌歳九月吉日」と刻まれています。
私が上京した頃の東京にはまだお風呂のないアパートがたくさんあり、銭湯にはとってもお世話になりました。
ひとっ風呂浴びていきたい気持ちもありましたが、まだ午前中。
あきめて、次の場所へ向かいます。



田無町6丁目1番に所在する「南芝久保庚申塔」です。
旧田無市の府中道沿い、現在のシチズン時計本社ビルの南側に所在する庚申塔でで、昭和57年には西東京市の文化財第十七号として指定されています。

庚申塔の様子です。
お堂の横には西東京市による説明板が設置されており、次のように書かれています。
西東京市指定文化財第十七号
南芝久保庚申塔
延亨二年(一七四五)建立
この庚申塔は、延享二年(一七四五)に田無村南芝久保の三
十八人講中によって建立されました。
破風形笠の上に宝珠を戴き、正面には六臂(六本の腕)の青
面金剛像が両脚下に二匹の邪鬼を踏まえ、瑞雲、日輪、月輪、
雌雄の鶏などを配し、六臂には、弓、矢、宝剣、矛、輪宝を持
っています。
この庚申塔の特徴は、左の第一手で俗に「ショケラ」と呼ば
れる女人の髪の毛を握っていることですが、これが何者である
のか、定説はありません。また、このような像がある庚申塔は、
この地域ではほかに例がありません。
功臣信仰は、中国の道教にある「庚申(かのえさる)の夜、
眠っていると三尸(三匹)の虫が人の体から抜け出して昇天し、
天帝にその人の行いを報告し、天帝は罪過を判定してその人の
寿命を縮める」という話が、仏教や神道と結びついたものです。
青面金剛が本尊になったのは、仏教の陀羅尼経大青面金剛呪
法に虫除けの法があるということと結びついたものと言われて
います。また「かのえさる」のサルと神道の猿田彦神が結びつ
き、三猿に発展し、庚申塔に描かれるようになりました。
猿田彦は、道案内の神で、道を守り、旅人の安全を守るとい
う信仰があります。
昭和五十七年四月
西東京市教育委員会掲示以下、次号に続く。。。
<参考文献>
多田治昭『田無市の庚申塔』
田無市教育委員会『田無市の文化財 第1集』
田無市教育委員会『田無市の文化財 第3集』
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- 2020/06/29(月) 19:32:12|
- 東京の庚申塔
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| コメント:2
torikera様、こんばんは。
盛り上がっているところ、良いです。笑。
どうしてこうなっちゃったのかはよくわかりません。。。
- 2020/07/02(木) 03:27:09 |
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- ご〜ご〜ひでりん #G67hs.TE
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