西東京市内の庚申塔シリーズ、いよいよ今回が最終回です!

まずは、柳沢2丁目19番地に所在する青面金剛庚申塔です。
元々は、青梅街道に面した旧上保谷100番地に立っていたそうですが、青梅街道の拡張により昭和45年(1970)2月に現在地の小祠に安置され、柳沢睦会(商店街)の管理のもと初牛祭りが盛大に行われているそうです。

お堂の扉は施錠されていたため、隙間から必死で中を覗きました。笑。
当日は見落としてしまったのですが、祠の中にはもう1基、小青面金剛像が付置されていたそうです。。。

画像は、柳沢1丁目5番地に所在する庚申塔です。

庚申塔は、現在の伏見稲荷通り沿いの小さなお堂の中に安置されています。
この場所はあまり目立たないので、通りを歩いていると気が付かずに通り過ぎてしまいそうです。
(実際に私は一度通り過ぎて周囲を一周。裏側からお堂を見つけました。笑。)

庚申塔は、現在の伏見稲荷通り沿いの小さなお堂の中に安置されています。
上柳沢一帯で庚申信仰が盛んであった江戸時代に、個人「頓覚清心信士」を供養したという、類例の少ない塔碑です。

画像は、保谷町3丁目8番地に所在の青面金剛庚申塔です。
市道353号線に拡張した旧道と富士街道(道者街道)との交差点の西北隅に安置されています。
ちなみに個人的には、やっぱり庚申塔はこうした分かれ道にあって欲しいですよね。
恋愛で二股はいかんですが、庚申塔は二股に限ります(おやじ)。。。

お堂の内部の様子。
右側が庚申塔で、左側は大乗妙典供養塔です。
庚申塔の造立は宝永六年七月吉日で、邪鬼と三猿を踏む三面の青面金剛立像です。



中町3丁目1番地に所在する面金剛庚申塔です。
開発が進み、閑静な住宅街となった地域の一角に、静かに祀られています。

旧保谷市域では、上柳沢の庚申塔と並び立つ秀逸な庚申塔であるとされています。
下手に弓と矢を持つ像容が特色です。。。

西東京市の庚申塔シリーズ、最後は、泉町2丁目3番地に所在する青面金剛庚申像です。
現在の「榎ノ木通り」と「関道」が交差する北方、如意輪寺の旧山門から南下する道と、上宿から東南に向かう旧道が鋭角に交差する北側に、小祠の中に安置されています。
ここは江戸時代には高札場とされていた場所であり、上保谷村の中心であったそうです。

二鶏三猿を刻んだ台石の上にうずくまる邪鬼を踏まえたという青面金剛の全身像で、造立年次と作者が伴っている数少ない例であるそうです。
この日の探訪は「路傍の庚申塔」をテーマに行いました。
古墳が存在しない西東京市をじっくり巡ることができたのは、私にとっては大きな楽しみでしたが、例えば向台町6丁目の持宝院など、お寺に移されたような庚申塔を廻らなかったのは今後の課題かも。。。
色々な場所の庚申塔を散策しましたので、いずれまた機会を見て、紹介できればと思っています。。。
<参考文献>
保谷市教育委員会『保谷の石仏と石塔 一』
保谷市教育委員会『保谷の石仏と石塔 二』
人気ブログランキングへ

- 2020/07/05(日) 23:10:56|
- 神社巡りと蕎麦屋探訪
-
| トラックバック:0
-
| コメント:12
ご~ご~ひでりん様
いつも楽しくブログを拝見しております。
今回のシリーズでは西東京市の庚申塔を興味深く拝見しました。秀作ぞろいですね。特に最後の丸彫りの青面金剛はどっしりとした構えで、なかなかの存在感です。
ところで、西東京市に古墳が無いということを初めて知りました。古代、西東京エリアには人々が生活していなかのでしょか?それとも権力者不在のエリアだったのでしょうか?興味深いエリアですね。
- 2020/07/07(火) 22:52:28 |
- URL |
- 路傍学会長 #-
- [ 編集 ]
こんばんは。
庚申塔は「二股に限る」という。「庚申二股説」?に賛同します(笑)
どうも二股大根を思い出していました。
この手の石仏は、街道や道端でみんなが道に迷わないようにお役に立ちたいという、想いも表しているように感じますね。
- 2020/07/07(火) 23:05:06 |
- URL |
- torikera #frK3hhYY
- [ 編集 ]
ViVid Mr.Kさま、こんばんは。
いつもご訪問ありがとうございます。
東京に残された庚申塔やお地蔵さま、お稲荷さまはどこも綺麗な花が生けられていて、地元の人に大切に祀られています。私はそんな東京の街が好きです。。。
- 2020/07/08(水) 03:01:52 |
- URL |
- ご〜ご〜ひでりん #G67hs.TE
- [ 編集 ]
路傍学会長さま、こんばんは。
西東京市から狭山丘陵の周辺市域にかけては、少なくとも古墳を築造するような豪族の存在はなかったようです。
多摩地域で古墳が集中しているのは、多摩川とその支流であるようです。。。
- 2020/07/08(水) 03:06:48 |
- URL |
- ご〜ご〜ひでりん #G67hs.TE
- [ 編集 ]
torikeraさま、こんばんは!
すみません。おやじギャグでした。笑。
庚申塔の多くは道標もかねているようですが、それがまた愛おしいです。
- 2020/07/08(水) 03:10:52 |
- URL |
- ご〜ご〜ひでりん #G67hs.TE
- [ 編集 ]
こんにちは。
説明が丁寧で、いつも感心しながら拝見しています。
今回は私の地元西東京ということで、ご紹介いただきありがとうございます。
さて、柳沢2丁目の正面金剛庚申塔ですが、左側に小さな庚申塔がありました。私も1年ほど前に見に行ったら、なんと裏側に大きな穴があけられており、小庚申塔が無くなってました。ショケラを持ったかわいいやつだったのですが・・・。もしかして盗まれた? 写真にも写っている左下の穴から・・・😢 もう一つ、本町3丁目の庚申塔ですが、左側の道が旧道、右側の道は戦中に中島飛行機の社宅のためにできた新道です。という訳で、正確には左の旧道と写真手前で左右に走る富士街道(ふじ大山道)との角に立っていたものです。残念ながら角度的には90度ぐらいなので、分かれ道という感じではなかったのかな😊
榎の木の庚申様は、空襲により腕が3本ほど吹き飛ばされた傷痍庚申様なんです。泣
- 2020/07/22(水) 00:38:48 |
- URL |
- たきしーた #-
- [ 編集 ]
たきしーた様、こんばんは。
お堂の中に小さな穴が空いていることは気がついていましたが、なんの穴だろうと不思議に思っていました。まさかお堂に穴を開けてまでして庚申塔を盗むとは、いかなる理由があるのか想像もつきません。。。
榎の木の庚申様はそうだったのですね。
実はめぐった当日は、お話をお聞かせいただいた「軽便鉄道跡」のトンネルや、模擬原子爆弾の着弾・爆発地である「しじゅうから第二公園」も見学に行きました。
戦争遺跡をテーマに掘り下げて散策しても面白いかもしれませんね。
私は、直角に交わる交差点よりも、二股に分かれるY字路に建てられている庚申塔がツボで、しかもそこが小高く塚になっていると、たまらなく愛おしく思えてしまいます。
今は、この理由探し、という感じかもしれません。笑。
- 2020/07/22(水) 17:30:46 |
- URL |
- ご〜ご〜ひでりん #G67hs.TE
- [ 編集 ]
たきしーた様
なんと!こんなに大きな塚が残されている場所があったのですね!今、検索して、とりあえず場所は突き止めました。笑。
祠の内部は見えませんが、やはり庚申塔でしょうか?
古墳が存在しないとされる、多摩川から離れた多摩地域をあまり深追いできなかったので、まだまだ未知なる塚が数多く存在することは理解はしていましたが、ちょっと悔しいです。ああ、もどかしや。。。
- 2020/07/24(金) 04:15:24 |
- URL |
- ご〜ご〜ひでりん #G67hs.TE
- [ 編集 ]
たきしーたさま、こんばんは。
やはり庚申塔だったのですね!
いや、素晴らしい庚申塚です。。。
都内で見に行きたい場所が増えてきてしまってウズウズしているのですが、私の身体にコロナウィルスが入るのはちょっと怖さがあって、散策するには至っていません。
動きにくい世の中になりましたね。。。
- 2020/07/26(日) 21:21:39 |
- URL |
- ご〜ご〜ひでりん #G67hs.TE
- [ 編集 ]