
前回に引き続き、宇都宮市所在の塚山古墳群その3、ということで、今回は、塚山古墳群の3号墳である「塚山南古墳」です。
この古墳は、周溝を含めた総長70.6m、墳丘長58.0m、後円部の高さ6.8mの、二段築成の帆立貝形前方後円墳で、塚山西古墳と同様に古墳の周囲を馬蹄形の周堀が全周しています。
画像の右側が前方部、左側が後円部です。
埴輪は、墳頂部と墳丘第一平坦面に立てられていたと考えられており、円筒埴輪、形象埴輪(人物、馬、鹿、家)が確認されています。5世紀末から6世紀初めごろに築造されたと推定されているようです。
現地に設置されている標柱には、「この古墳は、前方部を南に向けて築かれた帆立貝式前方後円墳である。墳丘の表面を覆う葺石は確認されていない。古墳の周りをめぐる周溝の中から、埴輪や土器が沢山出土している。周溝は、塚山西古墳を避けるように掘られているので、この古墳は塚山西古墳の後に築かれたことがわかる。」と書かれています。

春の塚山南古墳。
青々とした若葉がキラキラ光っています。
古墳の写真を撮るには、葉が落ちて墳形がはっきり見える真冬が理想だとは思っていますが、春の古墳もなかなか美しいです。。。
地元の人は、この塚山西古墳と塚山南古墳が並列する光景を指して「きんたま塚」と呼んだそうです。
個人的には、長く「兵庫塚」と呼ばれて親しまれてきた古墳の名称を、わざわざ「塚山」などという平凡な名称に変更する必要があったのかよ?と疑問に思っていましたが、この名称の存在を知ってしまいましたのでね。
うん。きんたま塚古墳群。
いい響きじゃあないですか。笑。。。
この塚山南古墳と、前回取り上げた塚山西古墳の間に宇都宮環状道路が通っているわけですが。
実はよくよく調べてみると、西古墳の前方部(造出し)と南古墳の一部はすでに削られていて、そこに道路用のトンネルを造り、その上に破壊した前方部を復元してあるのだそうです。
つまりは保存でもなんでもない。。。
ぜんっぜん意味ないじゃん?
当初は、両古墳をまたぐように架橋する予定もあったそうなのですが、これはのちに却下され、当時行われる予定であった「栃木国体」用の道路として、道路が優先されたそうです。
我が地元ながら、栃木らしいよ…と言ってしまえばそれまでですが、再来年にはまた、42年ぶりに栃木国体が行われるということですよね。
同じようなことが繰り返されませんように。。。

後円部上から前方部を見たところ。
次回の「塚山古墳群最終回」に続く。。。
<参考文献>
早乙女覺『姿川村史』
栃木県教育委員会『塚山古墳群』
宇都宮市教育委員会文化課『塚山西古墳 塚山南古墳』
前澤輝政『栃木の文化財』
現地説明版
人気ブログランキングへ
- 2020/09/05(土) 19:53:14|
- 宇都宮市の古墳・塚
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0