
ぐんま古墳カード その3。
今回は、高崎市八幡町に所在する「観音塚古墳」です。
この古墳は、現状の墳丘長が105メートルという大型前方後円墳です。
前方部の幅や高さが後円部を凌ぐという前方後円墳末期の特徴が見られ、前方部は4段、後円部は3段の構造であると考えられています。墳丘の周囲では周堀が確認されているようですが、二重であるのか一重であるのかはわかっていないようです。
築造は6世紀末から7世紀初めと推定されています。。。

後円部南に開口するのが、両袖式の横穴式石室です。
米軍による本土空襲が激しさを増してきた、第二次世界大戦末期の昭和20年(1945)3月、地元の人たちはこの観音塚古墳の大墳丘が防空壕の設置の格好の場所であると考え、後円部の横から掘削を始めたところ、未盗掘の巨大な横穴式石室に突き当たります。石室入口の閉塞構造を取り除くと、この地域一帯を支配していた大王が埋葬された当時のままの、豪華な副葬品が現れました。この大発見に遭遇した地元の人たちは、かけら一片までをすべて取り上げて丁寧に保管していたそうです。
この多量の副葬品は一括して国重要文化財に指定されており、銅承台付蓋碗や刀装具、透彫のある杏葉などは、日本の後期古墳出土品の中でも名品として知られているそうです。
考古学が成熟する以前の古墳の出土品はその多くが散逸していると思われる中、命を守るための防空壕の必要性が迫る中でのこのエピソードは、群馬の県民性を物語る素敵なエピソードだと思います。。。

通常は、観音塚考古資料館で懐中電灯をお借りして石室内部を見学できることができるのですが、今は新型コロナウイルス感染症の拡大防止のため、一時的に中止となっているようです。

ここからは、以前に来訪した時の古い写真です。
奥側の天井石が最大のもので、縦約4.7メートル、横約3.5メートル、厚さは約1.5メートルで、重さは30トンと推定されています。そして、石材の総重量は400トンを優に超えると考えられています。

石室内部から入口方向を見たところです。
石室内で地震に遭遇して万一天井石が崩れ落ちたらきっと痛いですよねえ。。。(いやきっと死ぬだろ)。。。

後円部から前方部を見たところ。
雑談ですけどね。
カードの配布が8月スタートなのはおそらく、子供達の夏休みに合わせてのことだと思うのですが、実際に古墳を巡っているのは大人たちではないかとも思えるし。
近年の夏の暑さはハンパじゃないし、何より古墳の見学は木の葉が落ちる冬が望ましいし、配布開始を冬にするとか、いい方法があればいいなあ。。。

前方部から後円部を見たところです。

この八幡台地においては3基の大型前方後円墳が確認されており、平塚古墳→八幡二子塚古墳→観音塚古墳の順に築造されたと推定されています。
そして、この3基の前方後円墳のちょうど真ん中あたりに「観音塚考古資料館」があります。
観音塚古墳の出土品はここで見ることができます。
もちろん古墳カードもここで引き換え。
ちなみにここに来るのは4回目。
群馬県民でもないのに、ヒマなんでしょうかね、私は。。。

資料館の敷地内には「八幡遺跡20号墳」が移築されて復元されています。八幡団地造成に伴い調査が行われた23基の古墳のうちの1基で、直径約12メートルの円墳であるそうです。

さ。これが「観音塚古墳」のぐんま古墳カードです!
やっぱり石室がピックアップされています。
墳丘全体を捉える写真を撮るのはちょっと難しいですしね。
いい感じです!
<参考文献>
上毛新聞社『群馬の古墳物語〈下巻〉』
現地説明板
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- 2020/10/01(木) 04:21:02|
- ぐんま古墳カード
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| コメント:2
命が危ないかも知れないのに、丁寧に保管していたというお話しとても素敵ですね。そういう素敵なところが色んな人に伝わると良いですね。古墳と共に。
- 2020/10/01(木) 21:50:35 |
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