
ぐんま古墳カード、その11。
今回は、太田市内ケ島町に所在する「太田天神山古墳」です。
ここまでカード化された古墳の中でもっとも大きな古墳、そして東日本でももっとも大きな古墳です。
別名男体山とも呼ばれるこの太田天神山古墳の規模は、墳丘長が210m、後円部直径120m、後円部の高さ16.8m、前方部前端幅126m、同高さ12mという、巨大前方後円墳です。
これほど大きな古墳が市街地にあると、全貌を捉える写真を撮ることはなかなか難しいのですが、この古墳の南側に東武鉄道の線路を渡る大きな陸橋があり、そこから古墳の全貌を捉えることができました。٩(๑❛ᴗ❛๑)۶ ヤッタ~!
古墳時代の群馬県が豊かな土地であったことを知ることができる、素晴らしい古墳です!

墳丘南側のくびれ部のあたりには鳥居が建てられており、その横には太田市教育委員会による説明板が設置されています。
周囲には二重の周堀が巡らされ、墓域は長さ364m、幅288mに及びます。
墳丘は三段築造で、表面には渡良瀬川系の河原石による葺石が存在します。

くびれ部にある神社。
訪れた日にご近所にお住まいの旦那さまにお聞きしたのですが、戦時中に行われた米軍機による空襲の際、太田市街地を狙って落とされた爆弾が強い風に流されて、天神山古墳の周辺にまで到達したそうです。
墳丘上が少々ボコボコしているのはこの爆弾によるものかもしれないそうですが、戦争をすると(特に負けると)遺跡や文化財もみんな壊されてしまうし、やっぱり戦争はいかんですよ。。。

後円部から前方部を見たところです。
太田天神山古墳の被葬者は後円部の中心部の直下に埋葬されているといわれ、かつては後円部頂部から前方部に向かって下ったあたりに大きな石棺の破片が見られたのですが、これは江戸時代に掘り出された石棺が転げ落ちたもので、現在は保護のために埋められているそうです。
元文三年1783に作成された絵図によると、長さが3メートル近い長持形石棺で、これは5世紀の畿内の最有力前方後円墳に限って採用された石棺形式で、ヤマト王権の有力者層の石棺であるとされています。

右奥が前方部、左手前が後円部です。

太田天神山古墳のぐんま古墳カードは、太田市世良田町の「新田荘歴史資料館」にて配布されています。
新田荘遺跡を構成する、隣接する「長楽寺」「東照宮」の貴重な文化財をはじめとして、古墳や埴輪などの資料も保管、展示されています。

撮影が禁止だったことから内部の写真はありませんが、古墳時代の展示も多く見られました。
資料館前には「新田義貞公之像」が建てられています。

「長楽寺遺跡」からは、発掘調査により古墳時代の住居跡30軒のほか、古墳5基が確認されています。
このうち1号墳は直径約18メートルの円墳で、墳丘が失われていたために高さは不明ですが、全周する周溝と遺骸が埋葬された石槨が検出されています。
新田荘歴史資料館の建物の前に、石槨の原位置が記されています。

これが「太田天神山古墳」のぐんま古墳カード!
この巨大古墳の内堀が宅地化されずに残されているのが素晴らしいですが、後円部の先端が前橋館林線の道路によって削られているのは残念なところですね。
道路、少しぐらいカーブしていてもいいじゃん?とも思いますが、地元で暮らしたらそうもいかないですよね。きっと。。。
<参考文献>
上毛新聞社『群馬の古墳物語〈上巻〉』
現地説明板
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- 2020/10/16(金) 19:17:21|
- ぐんま古墳カード
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| コメント:2
こんばんは!いや~これはビックリです。素晴らしい前方後円墳ですね。驚きました。実に大きくて立派です。
しかし、やっぱり古墳削らずに道を曲げるべきですよ。(笑)
何考えているんでしょう(;^ω^)
- 2020/10/17(土) 19:28:02 |
- URL |
- torikera #frK3hhYY
- [ 編集 ]
torikeraさま、こんばんは!
いや、ほんとに!
今からでも道の方を曲げてほしいです!
高崎市や前橋市と比べると予算がないのでしょうか。。。
- 2020/10/18(日) 01:24:04 |
- URL |
- ご〜ご〜ひでりん #G67hs.TE
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