前回に引き続き、今回も志木市の「大塚古墳群とその周辺」、その4です。
今回は、正確な所在地を突き止めることができなかった、正体不明な塚を中心に取り上げようと思います。
『古墳なう』お得意の、跡地と称した街の風景写真が続くかも。。。

最初の塚は、『志木市史 原始・古代資料編』253ページ掲載の「志木地区の古墳・塚分布図」で4番に登録されている「クビ塚」です。
柏の城で捕まった武士を首を切って埋めたところだと伝わるようですが、現地を散策したところでは塚の痕跡はまったくみられず、残念ながらクビ塚は消滅してしまっているようです。
現在は保育園となっているその周辺あたりが所在地となるようなのですが、正確な所在地はわかりません。
出典:国土地理院ウェブサイト(https://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=194706&isDetail=true) 画像は、国土地理院ウェブサイトより公開されている、昭和23年3月4日に米軍により撮影された「クビ塚」周辺の空中写真です。わかりやすいように周辺を切り取っています。
当時のこの場所は一面に広がる農地という状況ですが、その中にあぜ道から南西方向に伸びる小道があり、さらにその先に小さな黒い影が見えます。
この影の位置は『志木市史 原始・古代資料編』の「志木地区の古墳・塚分布図」で推定地としている地点とほぼ一致しているように感じます。
もちろん、画像の影はぼんやりしていてどんな形状であるか判断はできませんし、何より周辺の地形が大きく変わりすぎていて正確な位置を特定するには至らなかったのですが、私はこれが、最後に残るクビ塚の痕跡ではないかと推定しました。。。

保育園のすぐ西方に墓地があり、ちょっと怪しいと感じてしまいました(笑)。
ひょっとしたらクビ塚に建てられていた石碑が移されている、というような可能性もあるかもしれないのですが、真相は不明です。。。

「志木地区の古墳・塚分布図」で8番に登録されている周辺です。
かつては白山神社があったところで、『志木宿全図』の地割から推定して塚状の高まりが存在したのではないかと推定されている地点です。
写真は、この区画の中で画像の道路だけが突き当たりになっていて、ひょっとしたらかつての参道の痕跡ではないかと妄想して撮影したものなのですが、まったく根拠はありません。笑。
白山神社の正確な跡地を突き止めることはできませんでした。

幸町4丁目所在の「久保百衣観音堂」です。
一見すると普通の民家かな?という印象なのですが、境内には祠が祀られており、土で盛られた塚の上に石碑が建てられている光景が視界に入り、立ち寄ってみました。

境内に入って右手の塚。
「榮嶽霊神」と刻まれた霊神碑が建てられています。
ということは、霊神塚ということになるのかな?

反対側にも小さな塚。
中央が「浅間大神」で、周囲には「熊野社」や「金刀比羅大神」といった多くの石碑が建てられているようです。。。

一番気になったのがこの塚状地形。
まるで民家のような観音堂の背後、西側にある塚で、ちょっと写真は祠に寄りすぎて高まりとなっているのがわかりにくいかもしれませんが、塚の上には祠が祀られており、やはり多くの石造物が建てられています。

ちょっと角度を変えてみたところ。
高まりとなっている様子がわかります。

さらに背後から見たところ。
古墳とは関係がなかったかな〜というところですが、盛土フェチの私としてはワクワクする観音堂でした。+゚。*(*´∀`*)*。゚+

画像は、柏町4丁目6番地あたり、「ひさご塚」と呼ばれる塚が所在したとされる周辺です。
その名称の通り、前方後円墳だったのではないかともいわれている塚ですが、残念ながら塚の痕跡はまったく認められないようです。。。

ちょっと気になった祠。
前方後円墳上に祀られていたという可能性はないものか?
出典:国土地理院ウェブサイト(https://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=222633&isDetail=true) 最後におまけ。
前回取り上げた「休塚」と呼ばれる塚のところで、空中写真の「コバケ」という墓場のさらに北側に大きな塚らしき影が見られる、という話題にふれましたが、実はちゃんとこの場所も訪ねてみました。
画像は、国土地理院ウェブサイトより公開されている、昭和23年1月8日に米軍により撮影された空中写真です。わかりやすいように周辺を切り取っています。
おそらく撮影されたのは早朝と考えられ、この場所が木立となっている様子がはっきりと見て取れるのですが、地形自体が塚状に盛り上がっているようにも感じられます。
『志木市史 原始・古代資料編』の「志木地区の古墳・塚分布図」にはこの場所の塚の存在については何も書かれていないのですが、やはり気になってしまって、志木市内の散策の際に見学に立ち寄ってみました。\(^o^)/

なんと!木立の場所は墓地でした!
空中写真に見られる木立の面積よりは、現在の墓地の面積のほうが広く感じられるのですが、この敷地の中に古墳が存在したのでしょうか。。。

興味深いのは、墓地の一角に古くからあると考えられる石造物が立ち並んでおり、この場所が周囲よりも一段高くなっています。
古地図を見ても、塚を示すマークは記されていないのですが、少なくともこの場所になんらかの塚が存在した可能性を感じてしまいます。
残念ながら真相に迫ることはできなかったのですが、志木市の塚に関してはいずれもう少し深追いしてみたいと思っています。
真相が判明した際には追記しようと思います!
<参考文献>
志木市『志木市史 原始・古代資料編』
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- 2020/11/17(火) 23:57:30|
- 埼玉県の古墳・塚
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