FC2ブログ

古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

「田子山富士塚」ー国指定重要有形民俗文化財ー その2

志木市「田子山富士塚」2-1
 今回はタイムリーな探訪記録ということで、志木市本町2丁目所在の「田子山富士塚」、その2です。

 私が最初にこの敷島神社を訪れた日は仏滅で、富士塚は閉山日で富士塚の登拝もできず、御朱印もいただくことができませんでした。
 その直後には新型コロナウイルスによる緊急事態宣言も発令され、富士塚の再訪はしばらくは無理かなと諦めていました。この『古墳なう』でも地上から収めた写真のみで更新したのですが、最近になって登山が再開されていることをネットで知ってからいてもたってもいられなくなり、よく晴れた大安の日に「今日がチャンスだ!」と思い立ち、再訪しました。

 今年3月には、国の重要有形民俗文化財に指定されたばかりの富士塚です。

 無事に再開されてよかったです。。。


志木市「田子山富士塚」2-2

 田子山富士の雄姿。
 秋晴れの空が映える、素晴らしき光景です。。。

 高さは約9m、麓の円周は約125mと、とにかくデカイです!


志木市「田子山富士塚」2-3

 敷島神社でお参りをすませてから、いよいよ田子山富士に登拝します。

 「本日は開山日です。」の立て札が立てられています。
 前回は「本日は閉山日です。」の立て札が睨みをきかせていましたからね。


志木市「田子山富士塚」2-4

 右は琴比羅神社で、富士塚築造以前から存在したといわれる神社です。
 左は浅間下社で、「逆修の板碑」を御神体として明治2年の田子山富士着工時に建てられた神社です。

 この間を抜けて登山道に向かいます。


志木市「田子山富士塚」2-5

 浅間下社の御神体である「逆修の板碑」です。

 田子山富士塚は、もともと「田子山塚」と呼ばれる古墳を流用して造られたといわれています。この古墳の上には、南北朝時代初めの暦応3年(1340)に旅の僧である十瀧房承海(じゅうりゅうぼうじょうかい)が富士山入定に先立ち、逆修の板碑を建立したといわれています。

 江戸時代の地誌類を確認すると「田子山塚」と表記された塚の上に石碑が建てられている様子を確認することができますが、この石碑が逆修の板碑であった可能性は十分に考えられるところです。。。


志木市「田子山富士塚」2-6

 その後、引又宿で醤油醸造業を営んでいたという熱心な富士信仰の信者であった高須庄吉が、あるときに「田子山に行きなさい」という夢のお告げにしたがい、富士信仰の先輩である宮岡卯八と田子山に向かってみると、そこで1枚の板碑を発見します。
 この板碑こそが、十瀧房承海が建立したという逆修の板碑であり、泥にまみれた板碑を洗って刻まれた文字を読んでみると、富士山に関わることが書かれていることがわかり、感激した庄吉はここに富士塚を築くことを決意したといわれています。

 日本中が混乱していた明治維新の時期である明治2年10月、高須庄吉は天下太平を祈願して富士塚築造に着工します。全て人力による作業を経て明治5年6月、ついに富士塚は完成します。


志木市「田子山富士塚」2-7

 ようやく登山路の入口です。


志木市「田子山富士塚」2-8

 登山口の右側には屋根棟と門扉が展示されています。
 もとは経ケ嶽門付玉垣の入口部分にあった屋根棟と門扉で、麓に落下していたものだそうです。


志木市「田子山富士塚」2-9

 さらに進みます。

 「田子山」の名称の由来について、日本武尊が東征の帰路にここに立ち寄って富士山を遥拝し、田子の浦に似た景色だと言ったことから「田子山」と呼ばれるようになったという説。古墳の墳丘上から見た新河岸川を通る船の風景が駿河の田子の浦に似ていたからという説。田畑で働く農夫(田子)に、この塚の上から法螺貝や板を叩いて合図をしたことから田子山と呼ばれるようになったという説等、諸説あるようですが、定説はないようです。


志木市「田子山富士塚」2-10

 ここが一合目です。
 この一合目には合目石が見られますが、残念ながら失われた合目石もあるということでした。。。


志木市「田子山富士塚」2-11

 二合目。

 実際の富士山は、江戸時代まで女人禁制で頂上までの登山は許されず、二合目の御室浅間神社までしか登れなかったそうです。明治5年(1872)の政令により女人禁制は廃止されました。

 中央の奥に見えるのが「御室浅間神社」の碑です。


志木市「田子山富士塚」2-12

 三合目。

 この田子山富士塚の所在する「敷島神社」は明治41年5月、もともとあった浅間神社と、志木地区にあった村山稲荷、星野稲荷、水神社が合祀されてできました。つまり、田子山富士塚が造られた当時には敷島神社はなかったということになります。
 あ、そうなんだ?とちょとびっくりしますね。笑。


志木市「田子山富士塚」2-13

 四合目。

 富士塚は田子山富士保存会により整備されているそうです。
 開山日には、保存会の方の詳しい解説を聞くことができます。

 塚の表面には、暖かくなると当然ながら雑草が生えるわけですが、これを根っこごと引き抜いてしまうと盛り土が流出してしまうことから、すべて刈り取っているのだそうです。

 保存会の方々のご苦労が偲ばれます。。。


志木市「田子山富士塚」2-14

 五合目。

 この田子山富士の体積は、約2400立法メートルあるそうです。

 元々の古墳に積み増した盛り土がどこから運ばれたのかは謎であったようですが、東に隣接するマンションの建設の際に行われた発掘調査により土を削り取ったと考えられる鋤や鍬の跡が見つかり、ここから取った土で塚が盛られたと考えられています。

 すぐお隣だったんですね。


志木市「田子山富士塚」2-15

 六合目。

 大正12年(1923)の関東大震災では被害が発生して、修復工事が行われたそうです。
 また、平成23年3月11日の東日本大震災でもやはり石造物の転倒や登山道の崩落が進み、平成27年、28年の2年度にわたって修復工事が行われ、平成28年7月の山開きから入山が可能になりました。

 かなり急勾配の大きな富士塚ですからね。
 無理もないかもしれません。。。


志木市「田子山富士塚」2-16

 七合目。
 以前登拝したことのある、練馬区の「大泉富士」にビジュアルが似ているなあと感じていましたが、同じ「丸吉講」による築造なのだそうです。。。


志木市「田子山富士塚」2-17

 八合目。

 頂上に近づくにつれ、急勾配になってきます。

 足元に気を付けないと。。。


志木市「田子山富士塚」2-18

 九合目。

 ようやく山頂が見えてきました!


志木市「田子山富士塚」2-19

 山頂に祀られている浅間社石祠(奥宮)です。

 祠の中には「木花開耶姫命」と彫られており、台石には「丸吉講」のマークが彫られています。


志木市「田子山富士塚」2-20

 山頂の様子。
 意外と広さはない印象です。

 私は少々腰の調子が良くなかったので、真剣な感じでした。笑。


志木市「田子山富士塚」2-21

 御朱印は、敷島神社のものと田子山富士塚のものと二種類いただきました。.゚+.(・∀・)゚+.
 画像は敷島神社のものです。


志木市「田子山富士塚」2-22

 画像が田子山富士の御朱印です。.゚+.(・∀・)゚+.


 私は、この富士塚の元となった「田子山塚」は高い確率で古墳であると睨んでいますが、真相は調査の進展を待たなければなりません。

 入山可能日などの情報は、田子山富士保存会のホームページで確認できます。
 せっかく訪れるなら是非とも登拝したいところですし、入山可能日には志木市商工会が田子山富士塚の麓に
『田子山富士 観光案内所』を出店しており、御朱印のほか富士山グッズやガイドブックなども販売しています。

 また、保存会の方の解説を聞くことができるのも入山可能日に限られています。
 ちなみに私は、近隣の田子山御嶽神社の塚で周溝が検出されて古墳であることが確認されている!という情報を保存会の方にお聞きして知ることができました。(ありがとうございました。感謝です。)

 大安の、できれば晴天の日がお薦めですね。

<参考文献>
田子山富士保存会『田子山富士のナゾ【歴史編】』
田子山富士保存会『田子山富士のナゾ【お宝編】』
田子山富士保存会『田子山富士のナゾ【パワースポット編】』


人気ブログランキングへ
  1. 2020/11/21(土) 23:53:17|
  2. 埼玉県の古墳・塚
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
<<「狛江百塚コンプリート2020」その1 | ホーム | 「田子山御嶽神社の古墳」>>

コメント

こんばんは!

今日は大安でしたので、行ってきました(笑)
3度目の正直で、初めて山頂に立つことが出来ました!
しかし、ギリギリ3時だったので、片づけて閉まるところを入れてもらいました(;^ω^)
山頂から下りてきたら、栃木から見に来たという方が入て、こちらも頼んで入れてもらっていました(笑)
実はその前に御嶽神社を訪問して、こちらの道に迷って遅くなってしまいました。
その後、志木市郷土資料館へ飛んで行って、こちらも閉まる前に、富士塚展を見ることが出来ました。
忙しかったぁ(◎_◎;)
  1. 2020/11/23(月) 00:00:23 |
  2. URL |
  3. torikera #frK3hhYY
  4. [ 編集 ]

torikeraさま、こんにちは。

ついに行かれたのですね!
私は先週の午前中に再訪しました。

雲ひとつない晴天でしたし、おそらく景観も良く、絶好の富士塚日和だったのではないかと思います。

志木市郷土資料館の富士塚展は今日まででしたよね。
充実の1日でいいですね!
  1. 2020/11/23(月) 15:23:19 |
  2. URL |
  3. ご〜ご〜ひでりん #G67hs.TE
  4. [ 編集 ]

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://gogohiderin.blog.fc2.com/tb.php/1232-50f0f734
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

カテゴリ

足立区/伊興古墳群 (10)
足立区/その他の古墳・塚 (19)
葛飾区/立石古墳群 (3)
葛飾区/その他の古墳・塚 (9)
江戸川区の古墳・塚 (0)
板橋区/志村古墳群 (10)
板橋区/その他の古墳・塚 (36)
北区/赤羽台古墳群 (2)
北区/十条台古墳群 (2)
北区/飛鳥山古墳群 (8)
北区/田端西台通古墳群 (1)
北区/その他の古墳・塚 (13)
荒川区/尾久 微高地 (4)
荒川区/町屋-三河島 微高地 (19)
荒川区/南千住 微高地 (3)
荒川区/日暮里 台地上 (2)
台東区/上野台古墳群 (5)
台東区/その他の古墳・塚 (7)
墨田区の古墳・塚 (4)
練馬区の古墳・塚 (21)
豊島区の古墳・塚 (4)
文京区の古墳・塚 (10)
杉並区の古墳・塚 (17)
中野区の古墳・塚 (19)
新宿区の古墳・塚 (18)
千代田区の古墳・塚 (8)
目黒区の古墳・塚 (11)
渋谷区の古墳・塚 (22)
港区の古墳・塚 (10)
品川区/品川大井古墳群 (7)
品川区/その他の塚 (16)
大田区/田園調布古墳群 (40)
大田区/鵜の木久が原古墳群 (11)
大田区/その他の古墳・塚 (54)
世田谷区/野毛古墳群 (24)
世田谷区/殿山古墳群 (10)
世田谷区/大蔵古墳群 (1)
世田谷区/砧中学校古墳群 (3)
世田谷区/喜多見古墳群 (16)
世田谷区/砧古墳群その他 (8)
世田谷区/その他の古墳・塚 (17)
武蔵野市の古墳・塚 (3)
三鷹市の古墳・塚 (8)
狛江市/狛江古墳群(和泉) (34)
狛江市/狛江古墳群(岩戸) (13)
狛江市/狛江古墳群(猪方) (29)
狛江市/その他の古墳・塚 (24)
調布市/国領南古墳群 (2)
調布市/下布田古墳群 (16)
調布市/上布田古墳群 (7)
調布市/下石原古墳群 (2)
調布市/飛田給古墳群 (17)
調布市/その他の古墳・塚 (13)
府中市/武蔵府中熊野神社古墳 (2)
府中市/白糸台古墳群 (15)
府中市/高倉古墳群 (33)
府中市/御嶽塚古墳群 (19)
府中市/その他の古墳・塚 (17)
国立市/下谷保古墳群 (12)
国立市/青柳古墳群 (3)
国立市/その他の古墳・塚 (10)
立川市の古墳・塚 (14)
稲城市の古墳・塚 (12)
多摩市/和田古墳群 (15)
多摩市/その他の古墳・塚 (7)
日野市/平山古墳群 (7)
日野市/西平山古墳群 (5)
日野市/七ッ塚古墳群 (9)
日野市/万蔵院台古墳群 (4)
日野市/その他の古墳・塚 (11)
町田市の古墳・塚 (25)
八王子市の古墳・塚 (37)
昭島市の古墳・塚 (12)
あきる野市/森山古墳群 (3)
あきる野市/草花古墳群 (14)
あきる野市/御堂上古墳群 (4)
あきる野市/瀬戸岡古墳群 (7)
あきる野市/牛沼古墳群 (3)
あきる野市/その他の古墳・塚 (16)
日の出町の古墳・塚 (2)
青梅市の古墳・塚 (16)
西東京市•東久留米市の塚 (7)
小金井市•国分寺市の塚 (7)
東村山市•東大和市の塚 (10)
武蔵村山市•瑞穂町の塚 (17)
川崎市の古墳・塚 (52)
横浜市の古墳・塚 (11)
相模原市の古墳・塚 (14)
宇都宮市の古墳・塚 (21)
鹿沼市の古墳・塚 (0)
壬生町の古墳・塚 (5)
上三川町の古墳・塚 (4)
下野市の古墳・塚 (0)
小山市の古墳・塚 (0)
栃木市の古墳・塚 (0)
真岡市の古墳・塚 (0)
那須町•大田原市•那珂川町 (8)
埼玉県の古墳・塚 (13)
千葉県の古墳・塚 (1)
群馬県の古墳・塚 (8)
ぐんま古墳カード (12)
茨城県の古墳・塚 (5)
長野県の古墳・塚 (6)
福島県の古墳・塚 (3)
東京の一里塚 (22)
東京の庚申塔 (5)
未分類 (12)

最新記事

最新コメント

検索フォーム

リンク

このブログをリンクに追加する

QRコード

QR