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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

「狛江百塚コンプリート2020」その1

 狛江市は、全国でも2番目に小さな市ということですが、かつては「狛江百塚」と呼ばれるほどの古墳の密集地域で、現在も都内屈指の残存数を誇ります。

 わたし自身、これまでに狛江市内の古墳の探訪を繰り返す中で、散策するとまた新たな疑問が湧き、そしてその疑問を解消するために調べてみてまた散策する、という状況で何度も狛江市に足を運ぶこととなり、結果、多くの未確認の古墳を掘り起こすことにもつながりました。
 逆に、正体不明のまま調べ中という疑惑の場所も少なからず存在したのですが、近年の狛江市内は開発が進んで景観が大きく変わっている状況もあり、一度あらためてここで狛江古墳群をまとめておこうと思い立ちました。
 名付けて「狛江百塚コンプリート2020」o(*^▽^*)o~♪


 昭和10年(1935)に狛江村発刊の『狛江村誌』の著者であり、鳥居龍蔵氏の「武蔵野会」にも属していたという地元狛江市の郷土史家、石井正義氏は、昭和初年度に「狛江百塚は墳陵の一にして、此地国造国司の墳墓なり。九十九塚とも車塚とも云う。其の数多く故に百塚と呼称す」として『狛江百塚の記』という手書きの草稿をまとめています。そしてさらに子息である石井千城氏が昭和33年に補訂して、『狛江百塚』としてまとめられています。
 その後、昭和35年にこの石井千城氏の協力のもと、当時の狛江町教育委員会により狛江古墳群の分布調査が行われ、この際に作成された「狛江古墳群地名表」には137基の古墳が記されています。
 当時、学術的な調査が行われた古墳の存在はほとんどなく、この地名表には後世の塚や自然地形が誤認されたというものも含まれているようなのです。また所在地の記載がなく、今となっては確認が不可能な古墳も少なくないのですが、私はこの「狛江古墳群地名表」に所在地が記載されている120箇所については『狛江村土地宝典』や当時の空中写真により所在地を推定しました。

 今回は、この120箇所の古墳のすべてを網羅しつつ、その後の発掘調査により存在が確認された古墳などもまじえながら、進行しようと思います。(過去に取り上げた古墳も含まれますが、その後に判明したこともありますので、それは今回で修正していこうと思います。)


1「狛江百塚コンプリート2020」1〜2 長者塚と宗超庵

 最初の写真は、通し番号1番の「長者塚古墳」と2番の「宗超庵古墳」の所在地と想定される周辺の様子です。「狛江古墳群地名表」には2基ともに「和泉19番地」と記載されていいる古墳で、調査当時にはすでに削平されていたとされており、ピンポイントに正確な所在地は不明です。

 私が最初に入手した古地図では19番地が未掲載で、山谷庚申塔の並びの北西側が20番地、南東側が18番地となっていました。したがって、以前、2018年1月15日の回で取り上げた際は、山谷庚申塔の境内地周辺が19番地である可能性が高いと想定してこの場所を掲載しました。しかし、その後『狛江村土地宝典』で確認することにより、庚申塔に隣接する北西側が19番地であることを確認しました。


2「狛江百塚コンプリート2020」1〜2 長者塚と宗超庵

 「山谷庚申塔」の様子です。
 かつての千町耕地を見下ろす崖沿いで、根川のハケの清水が涌く場所でもあり、なんらかの塚が存在した可能性は十分に考えられるのですが、この2基の塚が古墳であったか否か、塚の性格はわからないままです。また、中和泉4丁目には「宝超庵」という寺院の跡があり、塚となにか関連があるのではないかとも考えられているようですが、これも真相は不明です。
 ちなみに画像手前の道路は品川道で、この道路の拡張により境内地が削られており、少々狭くなったそうです。
 想像するに、庚申塔の背後である北西側に2基の古墳(塚?)が並ぶように存在しており、庚申塔はその裾に建てられている、というような景観を想像してしまいますが、周辺は宅地化が進み、痕跡はまったく見られません。。。

【このブログの過去の関連記事】
http://gogohiderin.blog.fc2.com/blog-entry-840.html


3「狛江百塚コンプリート2020」1〜2 長者塚と宗超庵

 平成五年(1993)に講中により銅板葺きのお堂が建てられており、庚申塔は右側の大型のものが宝永元年(1704)に、左側のものが文化元年(1804)に建立されたいずれも青面金剛像です。
 かなり保存状態の良い庚申塔です。。。


4「狛江百塚コンプリート2020」栁久保稲荷神社

 山谷庚申塔から北に200メートルほど。
 「栁久保稲荷神社」をお参りしました。

 京都の伏見稲荷を勧請して創建された神社で、祭神は稲田姫大神、商売繁盛、五穀豊穣を司る大神です。度重なる多摩川の大洪水により諸記録とともに社殿流失し、台地である現在地に遷座、社名も「栁久保」と改められたそうです。
 おそらくは「稲荷前」という小字名はこの神社が由来でしょうか。。。

 山谷に住む旧家筋のほぼすべてがこの氏子家で、山谷の鎮守神のような存在として信心されてきたそうです。またこの稲荷の氏子集団(稲荷講中)は山谷の庚申講中と重なっているそうで、とても興味深いところです。


5「狛江百塚コンプリート2020」栁久保稲荷神社

 境内の様子です。
 古墳や塚とは特に関係はなかったかも。。。


6「狛江百塚コンプリート2020」3 無名古墳

 「狛江古墳群地名表」3番の「無名古墳」の所在地周辺の様子。
 旧番地で「和泉127番地」に所在したとされる古墳です。

 慈恵医大の敷地内で、このあたりかなと”あたり”をつけて行った場所がちょうど建物と建物の間を区切る木立となっていて、ひょっとしたら何か痕跡が残っているのではないかとドキドキしました。笑。
 敷地の外から観察した限りでは、古墳らしき高まりは見られないようです。。。


7「狛江百塚コンプリート2020」4 丸塚古墳

 画像は、「狛江古墳群地名表」4番の「丸塚古墳」の所在地周辺の様子です。
 旧番地で「和泉157番地」に所在したとされる古墳です。
 現在の都営狛江団地の22号棟あたりが跡地と想定されますがー、痕跡はまったくみられません。
 「狛江古墳群地名表」では円墳とされていますが、発掘調査が行われることなく消滅しており、真相はわかりません。


8「狛江百塚コンプリート2020」5 金堀塚

 画像は、「狛江古墳群地名表」5番の「金堀塚古墳」の所在地周辺の様子です。
 旧番地で「和泉177番地」に所在したとされる古墳です。

 この古墳は、2015年1月5日の回で一度取り上げていますので、詳しくはそちらを参照していただきたいですが、周辺地域の「藤塚」の地名の由来となった塚で、元々は古墳であったといわれています。「富士塚」もしくは「藤塚」と呼ばれていたようですが、富士信仰との関係については明らかになっていないようです。

 存在はかなり古くから知られていたと考えられ、江戸時代の地誌類にも多くの記述が見られます。
 『武蔵名勝図会』には
 「富士塚 古名は金堀塚といふ。其謂れしれねど、思ふに此塚の辺より金など掘出したることなともあるべし。同村内小名原といふ所にあり、廻り四拾間余、高さ1丈余李なり。近来浅間を祀るゆへに富士塚と唱ふ。此外は是より形小き塚三四あり。」
 とあり、また『新編武蔵風土記稿』には
「金堀塚 小名原ニアリ、一ニ富士塚ト云ハ、近キ頃浅間ヲ祭レルユヘナリト、周径十間許高サ一丈余、金堀ノ明義ハシラス」
 と記されています。

 塚は学術的な調査は行われることなく破壊されており、塚の性格などについては詳細はわからないようです。
 
 昭和7~8年頃に取り壊されて国際電気通信の敷地となり、その後は都営狛江団地の敷地となり、現在の47号棟あたりが跡地であるといわれています。

【このブログの過去の関連記事】
http://gogohiderin.blog.fc2.com/blog-entry-285.htm


9「狛江百塚コンプリート2020」6 丸塚古墳

 画像は、「狛江古墳群地名表」6番の「丸塚古墳」の跡地周辺の様子です。
 旧番地の「和泉235番地」に所在したとされる古墳で、現在の狛江市立緑野小学校(当時の狛江第二小学校)にあたりますが、発掘調査が行われることなく消滅しており、塚の性格など詳細は不明です。。。

【このブログの過去の関連記事】
http://gogohiderin.blog.fc2.com/blog-entry-269.html

<参考文献>
塩澤栄八郎『東京府北多摩郡狛江村土地宝典』
狛江市教育委員会『狛江市の古墳(Ⅰ)』
狛江市農業協同組合史編纂委員会『狛江市農業協同組合史』
狛江市『新狛江市史民俗調査報告書6 和泉の民俗』


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  1. 2020/11/23(月) 19:20:36|
  2. 狛江市/その他の古墳・塚
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