
「狛江百塚コンプリート2020」その3。
まず最初の画像は、狛江市中和泉3丁目に所在する「伊豆美神社」です。
狛江(和泉)の総鎮守社であり、祭神は大國魂大神となっています。
この神社の創建は寛平元年(889)九月二十日、府中の六所宮(現在の大國魂神社)の分霊を北谷村字大塚山(現在の水神社付近)に祀り、大國魂大神もしくは六所宮と称して鎮座したものです。
その後、天文十九年(1550)の多摩川の大洪水により境内地が流失したことから同二十一年、現在地に遷座することとなり、明治元年(1868)に社号が伊豆美神社と改称されています。
「狛江古墳群地名表」10番に記載されている「腰掛塚古墳」は、この神社の境内社である「御霊神社」の周辺に存在したとされています。

伊豆美神社の二の鳥居。
注目すべきは、この神社の創建の地とされる字大塚山とは、大塚山と呼ばれる古墳の墳丘上であったといわれています。そして、天文二十一年(1552)に多摩川の大洪水により現在地に遷座した際、仮宮を奉安したのは現在の御霊神社の境内地である「腰掛塚」の墳丘上であったといわれています。
つまりは、六所宮は古墳から古墳へ渡り歩いたといえるわけで、とても興味深い神社でもあります。。。

「腰掛塚古墳」の跡地が、現在の御霊神社の場所で本当にで間違いないのか、以前より少々疑問に感じていて、御霊神社の周囲をもう一度見ておきたいとい思っていました。また、新型コロナウイルスによる緊急事態宣言も解除され、伊豆美神社の御朱印が再開されているということをネットで確認していましたので、伊豆美神社を参拝をして御朱印をいただきに行こうとも考えていました。
それで、一ヶ月ほど前に思い立って狛江市内を散策しました。
木の葉が散り始める秋頃からが、古墳の見学には最適な時期になりますからね。
まして、近年の狛江は急速に開発が進み、残存する古墳の景観も日々変貌を遂げています。
よく晴れた青空の映える日に、ゆっくりと狛江市内を散策することができました。

境内の立て札には「御霊神社は、当御祭神が腰を掛けた御腰掛塚です。神社改築の際一時奉安した由緒ある場所です。境内にある二十一個の御石をなで、体の痛い処をさすると、病が治るとされて居る有名な場所です。」と書かれています。
さっそく、御霊神社に向かいます。

御霊神社横に建てられている「御霊神社碑」です。
この碑文にも腰掛塚について記されています。
御 霊 神 社 碑
此の地は、古くから腰掛塚と称し、伊豆美神社の御祭神を多摩川の洪水により旧社地である大塚山(現在の水神社付近)から現社地に遷宮した際、仮宮を奉安した所とされる意義深い所である。
1960年頃までに残存した形は、径15メートル程の起状があり塚の形態を残していた。又、此の地は往古御霊大神を鎮斎した、御霊神社跡地とも記されている。此の由緒に基づきここに御霊神社を再建する事にした。
尚、参道の両端に配置した二十一個の石は、山王二十一社(山王一実神道)を祭った事から始まり、毎年七月二十一日は「御石祭り」と称し古式に則り祭典が行われていたと言う。この日は大変賑わったと伝えられている。
参詣の人々等はこれらの御石をなで、その手で病におかされた所を撫で癒したと伝えられている。此の様に様々な歴史を辿り今に至っている。
今ここに其の形態は変わったが往古を甦らせ神霊を奉斎し鎮座す。
平成九年七月二十一日 伊豆美神社

ここが御霊神社です。
この場所が周囲よりもわずかに一段高くなっているので、この高まりがかつて存在した古墳の名残で、やはりここが腰掛塚の跡地なのかなあと考えていました。
しかしその後、戦後の空中写真などで確認したところでは、現在の御霊神社の境内よりも少々東側にずれたあたりが古墳の跡地ではないかなと感じていました。
出典:国土地理院ウェブサイト(https://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=193395&isDetail=true)
画像は、国土地理院ウェブサイトより公開されている、昭和23年3月29日に米軍により撮影された腰掛塚古墳跡地の空中写真です。わかりやすいように跡地周辺を切り取っています。
画像の右下に見えるのが兜塚古墳で、左上の木立は伊豆美神社です。
兜塚と伊豆美神社の間に小さな円形の影が確認できるのですが、おそらくこれが腰掛塚古墳であると考えられます。(ちなみに『狛江市農業協同組合史』の64ページには、昭和42年に撮影されたという腰掛塚古墳の写真が掲載されていますが、おそらくは高さ1m程度の、人が腰掛けるのにちょうど良いのではないかと思われる腰掛塚古墳の墳丘が、伊豆美神社の老松を背景に写っています。)
この空中写真を参考にすると、現在の御霊神社の東側か南東側あたりが腰掛塚古墳の所在地なのではないかと想定されますが、真相は今後の調査の進展を待たなければなりませんね。。。

画像の左側、フェンスに囲まれて高くなった場所が御霊神社です。
おそらく、腰掛塚古墳は右隅の脚立のあたりか、その周辺に所在したものと思われますが、残念ながらその痕跡は残されていないようです。

御霊神社境内の様子です。
最近刊行された『新狛江市史民俗調査報告書6 和泉の民俗』によると、腰掛塚の地所は伊豆美神社の所有地の飛び地となっていましたが、隣接する農地所有者との間で土地の交換分合がなされ、11坪ほどの土地が伊豆美神社の新たな地続きの境内地となり、そこに社伝に基づいて御霊神社が祀られることになった、ということであるようです。
現在の御霊神社の境内地と実際の腰掛塚古墳の跡地がズレていると感じていたのは、そういうことであったようですね。。。
御霊神社の参道両側には21個の御石(自然石)が並べて置かれていますが、これはかつて腰掛塚古墳の墳丘上に散らばっていた石を模したものであるそうです。
21個の石は、天台密教にゆかりの深い山王一実神道にもとづく山王二十一社をあらわしており、古くは毎年七月二十一日に古式にのっとって祭典もなされていて「御石祭り」と呼ばれていたそうです。祭典は大変賑い、参拝者らはその際に御石を手で撫でて、その手で身体の悪い部位をさすると病が平癒するといわれていたと伝えられています。

御霊神社の祠です。

伊豆美神社の鳥居の西側に「中和泉樹林地」という保存された一角があるのですが、この敷地内にも「まさか古墳の残骸ではなかろうな?」と思える地形がみられます。
狛江市内を歩いていると、こうした高まりがすべて古墳に見えてしまって困りものなのですが、でもそれで何基もの忘れられた古墳を再発見することができたわけだし、何かの役には立っているということで自分を納得させています。笑。

ついにいただきました。伊豆美神社の御朱印です。.゚+.(・∀・)゚+.
<参考文献>
塩澤栄八郎『東京府北多摩郡狛江村土地宝典』
狛江市教育委員会『狛江市の古墳(Ⅰ)』
狛江市農業協同組合史編纂委員会『狛江市農業協同組合史』
狛江市『新狛江市史民俗調査報告書6 和泉の民俗』
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- 2020/11/26(木) 23:57:11|
- 狛江市/その他の古墳・塚
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| コメント:2
そうです!!
「まさか古墳?」「まさか古墳の残骸?」その疑問が発見につながります(笑)
キット、そう思います。
- 2020/11/28(土) 17:00:35 |
- URL |
- torikera #frK3hhYY
- [ 編集 ]
torikeraさま、こんばんは。
コメントありがとうございます!
狛江シリーズはまだ1〜2箇所、未発見古墳が出てきます。
楽しみにお待ちくださいませ。笑。
- 2020/11/30(月) 18:00:51 |
- URL |
- ご〜ご〜ひでりん #G67hs.TE
- [ 編集 ]