
今回は、上郷古墳群中Ⅰ支群に属する古墳を紹介しようと思います。
画像は、この支群の中で唯一残存する古墳とされる「しらみ塚古墳(上郷4号墳)」です。
この古墳は、『上三川町史 資料編 原始・古代・中世』の分布調査により確認された古墳で、当時は円墳と考えられていました。しかしその後、平成3年11月に行われた発掘調査により、全長36.5mの帆立貝形前方後円墳であることが確認されています。
埋葬施設については不明であるようですが、円筒埴輪や形象埴輪が採集されているようです。
この古墳が残されているのかよくわからなかったのですが、少なくとも古墳の北側、後円部の先端は残されているのではないかと考えて見学に行きました。
画像は、このあたりかなと想定した場所で見つけたそれらしき高まりです。
かなりな藪の中なので全体の形状ははっきりと認識できず、かなり近寄って撮影した写真です。
果たしてこれがしらみ塚古墳の残存部分であるかどうか、確信は持てません。。。
『上三川町の古墳Ⅰ』に掲載されている「一覧表」でも湮滅とは書かれていないので、これがしらみ塚古墳なのかなーとは思っていますが、はっきり言って自信なし!

Ⅰ支群に属する古墳は、しらみ塚古墳以外はすべて消滅しています。
画像は、25号古墳から27号古墳までの3基の古墳の跡地の様子で、発掘調査で周溝が検出されたことにより、その存在が確認されたという場所です。
T字路となる、道路がぶつかった画像中央のあたりが25号古墳の所在地で、規模は直径22.8mの円墳で、横穴式石室が確認されています。画像左の26号古墳は11.6m×12.4mの方墳、画像中央奥の27号墳は14m×11mの方墳です。
さらには、しらみ塚古墳と26号古墳の間からも方形の溝が検出されており、これも古墳の周溝である可能性が指摘されているようです。
かなり多くの古墳が密集する古墳群であった可能性が伺えます。。。

画像の手前あたりが「23号古墳(権現塚古墳)」、右奥あたりが「22号古墳」の跡地です。両古墳ともに農地として開墾されており、痕跡は見られません。

画像は「24号古墳」の跡地周辺の様子です。
やはり痕跡はまったく見られません。。。

23号古墳の跡地近くにあった石造物。
帰宅してから、古墳と関係があったかな?とも思いましたが、詳細は不明です。。。
<参考文献>
上三川町『上三川町史 資料編 原始・古代・中世』
上三川町教育委員会『上三川町の古墳Ⅰ』
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- 2021/01/25(月) 18:13:54|
- 上三川町の古墳・塚
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