
今回は「茂原古墳群」の第3回、「茂原権現山古墳群」です。
栃木県の遺跡番号4310番、宇都宮市の遺跡番号240番に登録されているこの古墳群は、前方後方墳1基と円墳1基という2基の古墳で構成されています。田川の沖積低地から比高3mの、独立丘陵上の南端部に位置する古墳です。
このうち、「茂原権現山古墳」は昭和56年に調査が行われており、前方部を東に向けて築かれた、全長約63mの前方後方墳であることがわかっています。茂原古墳群中の3基の前方後方墳のうち最も大きな古墳です。
画像は、この茂原権現山古墳を東から見たところです。

画像は、茂原権現山古墳の前方部を東から見たところです。
墳丘の東側は宅地や畑地により削られており、かなり急勾配な崖状になっています。墳丘西側は山林となっていることから墳丘は原形をとどめていると思われますが、この山林はかなりな藪になっていて墳丘の全貌を把握するのは困難な状況です。
後方部の頂部には祠が祀られており、この前方部の側から参道が伸びていてお参りすることができますので、早速登ってみましょう。

前方部の様子です。
画像右側が削られて崖状になっている墳丘東側で、左側が山林となっている墳丘西側です。
後方部の幅は約35m、高さ6.5m、前方部の幅は約20m、高さは3.5mで、墳丘の周囲を取り巻く周湟の幅は、原形をとどめている西側で約15〜20mであるそうです。埴輪や葺石などの外部施設はみられず、また時期を決定するような遺物の出土がなかったようですが、墳形や墳丘の状況から3基の前方後方墳中最も新しい時期の築造と推定されており、「大日塚古墳」→「愛宕塚古墳」→「権現山古墳」の順に築造されたと考えられています。

前方部から後方部を見たところ。
参道をつくるために切り通し状に掘りくぼめられています。

後方部の頂部の様子です。
雷電様と権現様の二社の小石祠が祀られています。
昔は木の鳥居が建っていて祭礼なども行われていたそうです。
この権現塚と大日塚は兄弟の神様だといわれており、祭礼は同じ日に行い、毎朝神官が大日塚を拝んだあと権現塚の雷電さまに詣でたそうです。
その参道はまっすぐに続いていて、道にはいつもしめ飾りが飾られていたそうで、現在はこの参道も中断されて道も半分しかいませんが、昔はこの道は神主さんしか通れなかったそうです。

後方部から北側を見下ろしたところ。
かなり高さが残されています。

北側から後方部を見たところです。
この権現塚には、塚にまつわる不思議な話が伝えられています。
ある日のこと、どこの誰ともわからぬ者たちが真夜中にこの権現塚を訪れ、盗掘して一儲けしようと試みたそうです。もう少しで埋葬施設に手が届こうというその時、急に雷雲が垂れ込めてきて稲光とともに大嵐となりました。
この嵐に恐れ戦きながらも男たちは盗掘を続け、ようやく石棺らしきところに手がかかったその時、”ピカッ、ズシーン”とものすごい雷が権現塚の杉の木に落ちて、火柱とともに杉の大木は真っ二つに割れたそうです。
盗掘していた男たちは黒焦げになって焼死しており、集まった村人たちがみてもどこの誰だかまったくわからなかっらそうです。
村人たちの間では、古墳の権現さまがお怒りになったのだということになり、神様の御心を鎮める意味から雷電様を祀り、権現様の御祭礼時併せてお祭りをした、という伝説が残っているそうです。

茂原権現山古墳群のもう1基、「御領山古墳」です。
権現山古墳の北東側にあり、古墳の東側の路上から見ることができます。
もう少し近づいてみましょう。。。

御領山古墳を西から見たところです。
原形をよくとどめていると思われる古墳で、規模は長径22m、短径18m、高さは約2.5mのやや楕円形気味の形状を呈しています。墳形は、方墳の可能性も考えられるものの、円墳の可能性が高いと考えられています。
ボーリング調査により墳丘部に石室と思われるものが存在することが確認されています。
<参考文献>
宇都宮市教育委員会『茂原古墳群』
宇都宮市教育委員会『宇都宮市遺跡分布地図』
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- 2021/02/15(月) 23:27:44|
- 宇都宮市の古墳・塚
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| コメント:2
torikeraさま、こんばんは!
この茂原地区に3基の前方後方墳が並んで造営されている事実はとても興味深いです。調査の進展が楽しみです。
- 2021/02/24(水) 00:30:44 |
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- ご〜ご〜ひでりん #G67hs.TE
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