今回紹介するのは、宇都宮市幕田町に所在する「幕田星宮神社古墳」です。
東武宇都宮線沿線には、車窓から見ることができる古墳が数多く存在します。東武宇都宮駅に向かって安塚駅を出発すると、ほんの2分ほどで西側ののどかな田園風景の中にポツリとこんもりとした森が見えてきます。葉が落ちた冬であれば、この森の木々の合間から大きな塚状の高まりを見ることができます。
宇都宮市の遺跡番号398番、栃木県の遺跡番号4181番に登録されている古墳です。
個人的には、かなり以前から「こりゃ絶対に古墳だョ」と確信していました。
しかし、これだけ大きな墳丘が目立つ場所に残されてるにも関わらず、当時頼りにしていた宇都宮市教育委員会より発行の『宇都宮の遺跡』にはこの地点になんの登録もなく、「おかしいなあ?古墳じゃないのかな?」とずっと真相がわからないままでした。
しかしその後、平成29年(2017)に発行された『宇都宮市遺跡分布地図』にこの塚が記載されているのを確認して、ようやくこの高まりが古墳であること知ることができました。
ただし、この分布地図には、備考欄に「円墳」と書かれているのみで、過去に何らかの調査が行われているのか、また古墳の規模や出土した遺物、埋葬施設、埴輪や葺石の有無といった古墳に関係する情報は皆無で、古墳に関する詳細は今のところまったくわかりません。
また、この古墳は田園の中にポコっと1基のみが存在していて現状は単独墳という趣きではありますが、実は周囲にも開墾により消滅した古墳が地表下に隠れているのではないか、などと妄想すると止まらなります。
墳丘には石段が設けられており、頂部に祀られている星宮神社を参拝することができます。
墳丘上に祀られている星宮神社の社殿です。
主祭神は磐裂神・根裂神で、嘉祥年間(848〜851)に宇都宮氏の一族である横田越中守頼業が郷内守護のため、星宮と称して祭田を寄進したといわれています。武田勝頼の宇都宮城攻略や戊辰戦争の大垣藩士滞陣など、幾多の戦火を蒙り、残念ながら古文書等は焼失。
郷名は元々は蒔田であったそうですが、収穫時期に祭田に幕を張り神楽神事を斎行したことから,幕田と改称したことが伝えられています。
北西から見た幕田星宮神社古墳です。
周囲を歩いてみたところでは、墳丘は南北に若干長くなっているようです。
形状からして(根拠なく)、前方後円墳か帆立貝式前方後円墳の可能性もあるのかな?と感じました。
『栃木県の神社』というHPによると、『角川地名大事典』に「星宮神社には前方後円墳がある」と書かれているそうです。この「星宮神社」が幕田の星宮神社であるか否かはよくわからないようですが、この古墳に関する文献が限られている中、とても興味深い記述です。。。
北東から見た幕田星宮神社古墳です。
思えば東武宇都宮線は、沿線にかなり多くの古墳が見えますね。
この幕田星宮神社古墳の他に「坂下3号墳」や「亀塚古墳」も見えるし(かろうじて)、安塚の「十日塚古墳」、壬生の「愛宕塚古墳」もバッチリ見えるし。。。
古墳の南西側にも小さな塚が1基あり、頂部には石碑が建てられています。(ちなみに、手前の猿田彦大神の石碑もわずかな高まりの上に祀られています。笑。)
これは古墳ではないのかな。。。
北東から見た塚の様子。
真夏に訪れるとこーんな感じ。
青々と稲穂が茂る田園の中にぽっかりと神社の杜が浮かんでいます。
ここは、ひょっとしたら古墳跡なんじゃないかなあと睨んだ場所。
あやしい。。。
同じ幕田町内で見かけた塚状地形。
塚上には祠が祀られています。
塚跡ではないかと考えられる、個人の墓地となっている一角。
小さな塚がまだ残されています。。。
残存する塚の様子。
いや、塚を見かけていちいち立ち止まっていたらキリがないんですけどね。
古墳ではなくて、ただ高まりが好きなだけなのかな。。。
<参考文献>
宇都宮市教育委員会『宇都宮の遺跡』
栃木県神社庁『栃木県神社名鑑』
宇都宮市教育委員会『宇都宮市遺跡分布地図』
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- 2021/02/22(月) 23:02:44|
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