
画像は、宇都宮市下砥上町に所在するに所在する「下砥上愛宕塚古墳」です。
姿川左岸の低丘陵上に立地しており、下砥上中通り沿いの西側の畑中に残る古墳です。残存する古墳の形状から現状は円墳であると考えられており、墳丘上には下砥上の鎮守である砥上神社が祀られています。
『宇都宮の遺跡』や『宇都宮市遺跡分布地図』によると、この古墳は「下砥上古墳群」には属さない単独の古墳として扱われており、下砥上愛宕塚古墳は宇都宮市の遺跡番号185番に、3基の古墳で形成される「下砥上古墳群」は同187番に、別々に登録されています。
ただし、この愛宕塚古墳も下砥上古墳群に属するものとして書かれている文献もあり、このあたりの真相はよくわかりませんでしたが、4基ともに同じ姿川左岸の台地縁辺部に並ぶように存在しています。
では早速、古墳を見学してみましょう。

まずは神社に参拝しましょう。
この愛宕塚古墳の墳丘上には「砥上神社」が鎮座しています。
「愛宕塚」が名称ですので愛宕神社が祀られているのかと思いきや、墳丘上に祀られているのは「砥上神社」で、不思議なことに古墳名と神社名が一致していません。
これをあとで調べてみて色々わかってきました。
『栃木県神社誌』によると、元々は「星宮神社」と称する神社であったようですが、明治2年4月に、当時行われた神仏分離により砥上神社と改称されています。星宮神社は虚空蔵菩薩を祀っていましたが、神仏分離の際に「仏」としての姿を拭い去る、という理由で岩析根析神を祭神として併せて砥上神社と改称したということです。(当時のこの神仏分離という企画は、少々無理があったように感じますね。。。)
この砥上神社は往古の十神を祭祀した十社のうちの下の宮で、神域は愛宕塚の西側の姿川寄りの水田の中に位していたといわれ、その後、明治44年12月に愛宕塚上に移転して、そこにあった愛宕神社に合祀して砥上神社と呼称するようになりました。
地元の砥上自治会には、明治44年の姿川村長宛の合併許可願い書が残されているそうですが、この許可願いには愛宕塚古墳のあるところが風致上優秀で、かつ旧来の星宮神社からも距離が近く集落からあまり離れていなかったことが書かれているそうです。
私はあまり詳しくはありませんが、愛宕塚古墳の築造された場所が風致上優秀であるという記述はとても興味深いです。。。

南東から見た古墳の様子です。
墳丘はかなり良好に残されているように感じられます。
規模は直径約25m、高さ5mで、埴輪や葺石当の外部施設は確認されていないようです。
墳丘南面に横穴式石室が開口しており、内部を見学することができます。

神社の拝殿を南から見たところ。
古墳はこの背後にあります。

墳丘の様子。

墳丘の裾のあたりには、姿川地区まちづくり協議会による説明板が建てられています。
この古墳を最初に訪れた時に、「石室内部に人が暮らしていた痕跡がある」みたいなことが書かれている説明板を見た記憶があります。(ただし、当時は写真を撮っておかなかったらしく、記録が残っていなくてちょっと曖昧です。)
仕事もなく住む家もなくなってしまった際に一時的に古墳の石室内で暮らすというのは、とりあえず目先の雨風はしのげるかもしれないのでなかなか悪くないアイデアであるようにも思います。
ただ、夏は虫がすごいだろうし(いろいろヤバいのが侵入してきそう)、梅雨時や秋の台風シーズンには水が流れ込んでくることもあるかもしれないし、家賃はかからないなりに大変ですよね。
うーむ。石室かあ。。。

墳頂部の様子。
直径約5mほどの平坦地となっており、お堂が建てられています。

画像に見える、拝殿と古墳の間のわずかな隙間を入っていくと、石室が開口しています。
石室の見学がメインイベントですからね。
早速見学しましょう!

ここが入り口。
石室は墳丘の下から三分の一ほどの位置に開口しており、すでに巨大な天井石が見えています。
木製の扉が設置されていますが、施錠されている様子はなく、内部は見学できるようです。
狭い入り口が落ち葉で埋没しているようですが、突入します。

石室内部の様子です。
説明板によると、石室は玄室と羨道からなり、切石積みの両袖型の横穴式石室で全長は4.95m、玄室は長さ3.65m、幅1.85m、高さ1.9mの大きさです。
奥壁は大きな凝灰岩の切石一枚を用い、両側の壁は二段積みの大きな切石を用いています。
実は、この石室内でカメラのフラッシュが機能せず、「あれ?フラッシュはどうやったっけ?」ということになりました。
カメラの設定を変えるために明かりが欲しくなってスマホのライトをつけようとしたのですが、これもやり方がすぐに思い出せず、「あれ?スマホのライトはどうやったっけ?」となりました。
無理やり入った狭い石室の暗闇の中で独りだったので、かなり焦りましたが、どうも石室内で暮らすのは私には無理かもしれません。。。

天井石は二枚の切石で覆われています。
羨道は長さ1.3m、両側の壁はやや小さい凝灰岩の切石を2~3段に積んでいます。
<参考文献>
早乙女覺『姿川村史』
塙 静夫『日曜散歩 うつのみやの歴史再発見』
宇都宮市教育委員会『宇都宮の遺跡』
宇都宮市教育委員会『宇都宮市遺跡分布地図』
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- 2021/03/08(月) 18:07:51|
- 宇都宮市の古墳・塚
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| コメント:2
こんばんは!
石室での生活、ちょっと憧れますが?!遠慮しておきます(笑)
入口の写真を見ると、見学ですら少し躊躇しますが、
よくぞ入られた!!尊敬します(^^;)
- 2021/03/08(月) 23:11:24 |
- URL |
- torikera #frK3hhYY
- [ 編集 ]
torikeraさま、こんばんは!
最近体が硬くなってきましたし、腹も出ているので狭い石室に入るのは大変です。
最近ギックリ腰をやっているので、あまり無理はしないようにしています。笑。
- 2021/03/09(火) 00:42:30 |
- URL |
- ご〜ご〜ひでりん #G67hs.TE
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