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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

東京都北区 「富士塚古墳」その2

北区「富士塚古墳」2-1

 前回の「鵜の木一丁目15番古墳」に引き続き、今回も東京の古墳をテーマにお届けします。
 今回は久しぶりに、北区中十条2丁目に所在する「富士塚古墳」を取り上げようと思います。

 この場所は、「十条富士塚」の名称で、富士塚として北区の有形民俗文化財にも指定されています。
 『東京都遺跡地図』には、北区の遺跡番号20番の「古墳」として登録されています。

 富士塚の目の前には旧岩槻街道が走っていますが、この道路の整備が進み、この十条富士塚も現在再整備が行われています。この十条富士は、元々存在した古墳を流用する形で築造された富士塚であるといわれてきましたが、すでに発掘調査は始まっており、真相が解明されようとしています。

 ちなみに私が初めてこの塚を訪れたのは2011年で、翌2012年にこの『古墳なう』にて初めて探訪の記録を公開しましたが、この再整備を機にあらためてこの「富士塚古墳」を取り上げてみようと思います。


 というわけで、最初の写真は往時の富士塚古墳です。

 富士塚の前を走る旧岩槻街道は京浜東北線の西側を並行して走っていて、赤羽から富士塚のある東十条、そして王子へと抜ける幹線道路でもあり、また地元の人にとっては生活道路でもあるのかな?という印象の道路でした。

 歩道もほとんどないようなかなり道幅の狭い道路でしたが、当時は富士塚の前だけにブロック塀があり、境内地が歩道っぽくなっていました。


北区「富士塚古墳」2-2

 富士塚の前を走る「旧岩槻街道」は、江戸時代には「日光御成道」と呼ばれ、歴代将軍が徳川家康を祀る日光東照宮に参拝して、年忌法要を営むための道であったそうです。
 また、城下町である岩槻(埼玉県)と江戸とを結ぶ街道でもあったことから「岩槻街道」とも呼ばれました。

 本郷追分(現在の文京区)で中山道と分かれ、北区を横断して、岩渕から川口へは荒川を船で渡りますが、将軍の通行の時には荒川に仮橋が架けられ、この渡り初めを岩淵の子供達が行なったといわれています。

 将軍の通行の際には、将軍に直接供奉する者だけで2000人を越え、沿道の村々ではこれらの荷物を運ぶための大量の人馬を負担させられたそうです。(すごいですね。。。)


北区「富士塚古墳」2-3

 この塚は中腹から上は切り立った形に土盛りされています。
 画像のように、鳥居を潜るとかなり急勾配の直線的な石造りの階段があり、頂上に登れるようになっています。

 私が訪れた時にはすでに、富士塚の頂上まで直線的に登る石段が設けられていましたが、この登山路は一般的な富士塚の築造様式ではなく、本来は正面に「く」の字状か、若しくは電光状に設けるのが一般的で、これは実物の富士山を模しているのだそうです。

 実際にこの十条富士にも、築造当初は正面から向かって右下から左上に斜めに上る登山道があり、人々は登山路を登って頂上から富士山を遥拝したと推定されています。

 この階段の横に、北区教育委員会による説明板が設置されていました。

北区指定有形民俗文化財
  十条冨士塚
北区中十条2―14―18
 十条冨士塚は、十条地域の人々が、江戸時代以来、冨士
信仰にもとづく祭儀を行って来た場です。
 現在も、これを信仰対象として毎年6月30日・7月1
日に十条冨士神社伊藤元講が、大祭を主催し、参詣者は、
頂上の石祠を参拝するに先だち線香を焚きますが、これは
冨士講の信仰習俗の特徴のひとつです。
 塚には、伊藤元講などの建てた石造物が、30数基あり
ます。 銘文によれば遅くとも、天保11年(1840)10月
には冨士塚として利用されていたと推定されます。
 これらのうち、鳥居や頂上の石祠など16基は明治14
年(1881)に造立されています。この年は、冨士講中興
の祖といわれた食行身禄、本名伊藤伊兵衛の150回忌に当
りました、石造物の中に「冨士山遥拝所再建記念碑」もあ
るので、この年、伊藤元講を中心に、塚の整備が行われ、
その記念に建てたのが、これらと思われ ます。
 形状は、古墳と推定される塚に、実際の富士山を模すよ
うに溶岩を配し、半円球の塚の頂上を平坦に削って、富士
山の神体の分霊を祀る石祠を置き、中腹にも、富士山の五
合目近くの小御岳神社の石祠を置いています。また、石段
の左右には登山路の跡も残されており、人々が登頂して富
士山を遥拝し、講の祭儀を行うために造られたことが知ら
れます。
平成4年3月
                   北区教育委員会



北区「富士塚古墳」2-4

 階段の途中で、南側を見たところです。
 画像の平坦地が、かつての登山路の痕跡であると思われます。

 富士講により築造された富士塚らしく、塚上には富士講による石造物が30基以上も建てられており、表面には富士山の黒ボク石(溶岩)が配されています。ただし、これは積み上げて全山を覆う形ではなく、要所要所に配されていました。


北区「富士塚古墳」2-5

 階段の途中で北側を見たところ。
 南側の登山路から続いています。

 実際の富士山同様に、五合目付近に小御岳神社の分霊が祀られており、頂上は平坦にして富士山の御神体を祀る石祠が祀られていました。


北区「富士塚古墳」2-6

 こーんな感じで、石室の石材かなあ?と思えるような石が露出していたりもしたのですが、真相は不明です。


北区「富士塚古墳」2-7

 頂上の様子です。

 思えば近年は、311の大震災以降も大きな揺れの地震が続いていますし、ひょっとしたら富士塚の崩落の危険もあったかもしれません。
 このタイミングで再整備が行われることは必然であったのかもしれませんね。。。


北区「富士塚古墳」2-8

 古来、噴煙を上げていた頃の富士山は、火を司る霊山として人々の信仰をあつめていたそうです。
 江戸時代には富士山への参拝を通じた富士信仰は盛んになり、関東地方を中心に庶民の慣習的な信仰団体である「富士講」が結成されて富士山を参拝するようになりました。

 やがて、富士山に登拝できない長旅が困難な人々や入山を禁止されていた女性のために各地に富士塚が築造され、大流行しました。

 この十条富士塚もそのような富士塚のひとつで、江戸時代以降、富士信仰に基づく祭儀を行ってきた場所なのだそうです。


北区「富士塚古墳」2-9

 頂上から東側を見下ろしてみたところ。
 かなり高さがあるのがわかります。


北区「富士塚古墳」2-10

 階段はもう一箇所、塚の南側に下山路がありました。


北区「富士塚古墳」2-11

 最後は、北から見た富士塚古墳です。

 富士塚の周辺は個人の商店などが多く、例えば富士塚の隣はタバコも売っている文房具屋さんでしたし、畳屋さんなどもありました。また周辺を散策すると、古くから続く地主さんかな?とも思えるような立派な民家も残されていて、昭和の風情が残るノスタルジーを感じさせる街並みでした。

 現在の旧岩槻街道は道路拡張のための用地買収も終わり、発掘調査が終了次第、新しい街並みへと変貌するものと思われます。
 ちょっと寂しい気もしますが、これも時の流れなのかな、とも思います。

 以下、次号の「富士塚古墳 その3」へ続く。。。
 
【このブログの過去の関連記事】
http://gogohiderin.blog.fc2.com/blog-entry-67.html(2012/10/16「富士塚古墳」)

<参考文献>
東京都北区役所『新修 北区史』
東京都北区教育委員会『十条富士講調査報告書』
(財)日本常民文化研究所『富士講と富士塚 ー東京・神奈川ー』
大塚初重/監修 祥伝社新書『東京の古墳を歩くーヴィジュアル版』
有坂蓉子『ご近所富士山の「謎」』
現地説明板


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  1. 2021/03/22(月) 22:32:18|
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