
前回に引き続き、今回も北区中十条2丁目に所在する「富士塚古墳」の探訪の記録です。
この古墳は、地元の人には今もなお「十条のお冨士さん」と呼ばれて親しまれている富士塚です。
年に一度、6月30日と7月1日がお山開きで、両日に行われる「十条富士大祭」ではこの地域一帯が他に類を見ないほどの盛り上がりを見せます。
画像は、平成30年(2018)6月30日の例祭の様子です。
かなり木が茂って富士塚の全貌は少々見え難くなっていますが、木立の場所が富士塚です。

露店をめぐる前に、まずは参拝します。
普段は特に並ぶことなく参拝できるのですが、この日ばかりはものすごい人出でした。
うん、今なら完全に三密ですやね。。。

昨年はぜひとも富士神社の御朱印を拝受したいと考えていましたが、残念ながら新型コロナウイルス感染拡大防止のために例祭自体が中止となってしまいました。
富士塚の再整備が終わり、コロナ禍が過ぎ去った後にもう一度この賑わいに参加したいなあと思っていますが、いつの日になるのでしょうね。。。
丸参伊藤同行は現在も存続しており、富士登山や毎月の「拝み」も行なっているそうです。この毎年一回の例祭も、この講が中心となって執行されているそうです。
例祭当日は、富士塚の登り口の脇に仮屋が造られて(画像左側)、仮屋の中に先達、講元、世話人が詰めているそうです。

正面の石段を登り、頂上の平坦地に石祠が安置されているのですが、この石祠の台石に「元和二年(1616)」の紀年銘があり、富士塚の築造をこの年にしたり、富士講の創設をこの年にしたりしているようです。
少なくとのこの400年前に塚が存在したという事実はとても興味深いです。
この塚の近接地では3基の円墳の跡が確認されており、この十条富士塚も含めて「十条台古墳群」と呼ばれています。
立地的にこの十条富士が古墳である可能性は高いのではないかと思われますが、その真相ももうすぐ判明するはずです。。。
この富士神社は、熊野より勧請された王子神社(王子権現)の境外社で、神事には王子神社から神主がやってくるそうです。
頂上の石祠には現在は判読不能となっていますが、かつては正面中央に「富士神社」、向かって右脇に「第六天」、左脇に「稲荷神社」と刻まれていたそうです。
私が訪れた日には、富士講の講員の方が法螺貝を吹いていました。
生法螺貝、この日に初めて見ました。。。

富士塚頂上の様子です。
この石祠(本殿)に拝礼すると、富士山に登拝したのと同じ利益があるとされています。例祭の期間中、この石祠の横の容器を富士山火口に見立ててお焚きあげが行われています。

十条富士からJR埼京線の十条駅まで延々と屋台が続き、これを楽しみに、地元の人のみならず遠方からも大勢の人が来るそうです。(かくいう私もそのうちの一人というわけですね。笑。)
コロナ禍に巻き込まれた現代からはもはや想像もできませんが、なんとか乗り越えて取り戻したい光景ですな、これは。
みんな楽しそう。。。

屋台の道の真ん中へんなんか、コレです。。。
今年は例祭を行うのはまだ厳しいかもしれませんよね。
オリンピックは行うつもりらしいけれど、ホンマかいな。。。
いやとにかく、絶やしちゃいけない日本の素晴らしき風景です。
以下、次回の「富士塚古墳 その4」に続く。
【このブログの過去の関連記事】
http://gogohiderin.blog.fc2.com/blog-entry-67.html(2012/10/16「富士塚古墳」)
http://gogohiderin.blog.fc2.com/blog-entry-1287.html(2021/03/22「富士塚古墳 その2」)
<参考文献>
(財)日本常民文化研究所『富士講と富士塚 ー東京・神奈川ー』
大塚初重/監修 祥伝社新書『東京の古墳を歩くーヴィジュアル版』
有坂蓉子『ご近所富士山の「謎」』
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- 2021/03/23(火) 23:51:21|
- 北区/十条台古墳群
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ここの御朱印は、お山開き限定で頂けるものなんですよね。。わたしも狙っていたのですが、気付いた時にはコロナ禍で残念です。。
でも、ひでりんさんの写真で雰囲気を味わえて楽しい気持ちになりました。
続きも楽しみにしています。
- 2021/03/24(水) 20:54:21 |
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- 紅一点 #-
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紅一点様、こんばんは。
例祭は今年も厳しいだろうなあと感じる今日この頃です。
- 2021/03/26(金) 23:35:01 |
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- ご〜ご〜ひでりん #G67hs.TE
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