
「多摩ニュータウンNo.313遺跡1号横穴墓」は、1997年に多摩ニュータウンの区画整理に伴う調査により発見された横穴墓です。横穴墓は複数で発見されるパターンが多いのですが、この古墳は1基のみ単独で発見されたそうです。
町田市の遺跡番号126番の横穴墓で、現在は町田市小山ヶ丘の三ツ目山公園の東部に、実際に発掘された石を使用して築造されたレプリカが公開されています。

墓室に通じる前庭部は都内で最大規模となる、長さ19m、幅4m、高さ3.3m以上と推定されています。さらに前庭部の奥壁から両側壁に長さ4.2m、幅3.8m、高さ3.4mにわたって河原石を石垣状に積み上げており、これも全国的に数少ない例だそうです。羨門(玄室への入口)は柱状に切り出した凝灰岩を組み合わせてつくられていて、板石と河原石で塞がれていたそうです。墓室は長さ7.0m、幅3.1m、高さ2.3mで、中は3つに区画されていたそうです。
どうせなら墓室も再現して見学できたら良かったなあなどと、勝手なことを言ってみたりします。

町田市には「南多摩窯跡群」という八王子や多摩、日野、稲城市にまたがる須恵器の一大生産地があったそうですが、この古墳から出土した須恵器は「湖西窯跡群」という浜名湖付近で生産されたものだそうです。つまり、南多摩窯跡群が操業する以前に湖西窯跡群で生産された須恵器ということになります。おそらく当時、この一帯を支配した有力者の墓なのでしょう。
現地には、町田市公園緑地課による説明板が設置されています。

最寄りの京王相模原線多摩境駅近くには、縄文時代のストーンサークルである「田端環状積石遺構」(東京都指定史跡)というなかなか興味深い遺跡があります。かつては遺跡を発見当時のまま公開されていたそうですが、現在は保存のために埋め戻されてレプリカで公開されています。
町田市教育委員会による説明板がなぜか3カ所にも設置されていたので、根拠なく一番詳しそうな解説を紹介してみます。
田端遺跡
縄文時代中期から晩期(約4500~2800年前)にかけての集落、墓地、祭祀遺跡で、周辺の田端東遺跡(南東に隣接)、多摩ニュータウンNo.246遺跡(現小山白山公園)などとともに広域の遺跡群を構成している。
竪穴住居跡が多数発見された中期には、周辺を含めて推定で約150軒が分布し、主に住居域として使用された。後期には、南北22m×東西10mの範囲に集団墓地が形成され、50基以上の墓壙が存在すると考えられる。墓地上に構築された後期から晩期の環状積石遺構は、周辺に居住する集団が死と再生に関する祭祀を行った場と想定され、当時の精神文化をうかがう上で貴重な遺構である。
南西に見える丹沢山地、富士山の眺望は、遺跡の選地に関連すると考えられ、冬至には蛭ヶ岳山頂に沈む夕陽を観測できる。この景観と都指定史跡を保護するため整備が実施された。現在、環状積石遺構1基、周石墓7基、土壙墓30基、組石6基、竪穴居住跡9軒、配石遺構2基が盛土保存され、環状積石遺構上に同位置には、昭和43年発掘時の様子に復元された複製が展示されている。
平成17年3月31日 建設
町田市教育委員会
<参考文献>
町田市教育委員会『発掘された町田の遺跡』
十菱駿武『多摩の歴史遺産を歩く』
現地説明版
- 2013/05/21(火) 02:01:46|
- 町田市の古墳・塚
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こんにちは。
横穴墓は不気味なイメージでしたが、今度訪れてみたいと思いました。ここは遺跡見学としては映えそうな所ですね。
- 2013/05/21(火) 10:08:28 |
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- 紅一点 #-
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紅一点さん、こんにちは。
ここはかなり大きな公園として整備されているので見学はしやすいと思います。
ただし周辺は意外となんにもないので、車で移動できたら良いかもしれませんね。。。
- 2013/05/23(木) 02:00:31 |
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- ご〜ご〜ひでりん #hzwp2T5Q
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