
画像は、北区中十条3丁目に所在する「八雲神社」です。
この神社は、現在の環七通りと旧岩槻街道が交差する「北区中十条三丁目」交差点の南西角に立地します。神社の境内が周囲よりもかなり小高くなっているので、ひょっとしたら塚の跡地なのではないかと、以前散策した時から気になっていました。
この周辺も旧岩槻街道の拡張工事が行われているので、いずれは十条富士塚と同様に境内が縮小されてしまうのか、それとも移転することになるのかわかりませんが、十条富士塚の見学のついでにこの八雲神社も参拝しておこうと思っていました。

北東から見たところ。
この神社の境内だけがかなり小高くなっていますよね?
位置的に十条台の台地縁辺部にあたり、古墳跡の可能性も十分に考えられるぜ!と妄想していましたが、古墳じゃないのかな。。。

境内の南側は用地買収が進んで更地となっており、境内が高くなった様子が観察できます。

境内の様子です。
祭神は建速須佐之男尊で、寛政八年六月の創建と伝えられてる神社です。
毎年7月15日が祭日で、かつては境内に樹齢三百余年を重ねた老杉があり、古くから天王の一本杉と呼ばれたそうです。

社殿の様子。

社殿横に設置された「八雲神社略由緒記」です。
八雲神社略由緒記
八雲神社は近世には、真言宗智山派無量山龍谷院西音寺持ちであった。江戸時代、文化文政期編纂の「新編武蔵風土記稿」に「牛頭天王社 西音寺持」とある。その後、王子神社の末社として旧宿町(中十条二、三、四丁目辺り)の村持ちの神社となったが、現在は「八雲講」組織の管理運営により祭礼が執り行われている。太平洋戦争以前は環状七号線の真ん中辺りにあったが、昭和十六・七年頃現在の地に遷座となる。社地提供の高木家が代々講元を務める。
八雲神社は、牛頭天王・須佐之男尊を祭神とする祇園信仰の神社で、総本社は京都の八坂神社である。社名は、須佐之男尊が詠んだ歌「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を」に因む。江戸時代までは牛頭天王社と称していたが、明治期の神仏分離令により現社名となる。この地でも昭和十四年以前は、テンノウサマ(天王様)として庶民の崇敬を集めていた。牛頭天王とは、日本の神仏習合における神様であり、元々はインドの祇園精舎の守護神であると言われている。疫病除け、病気平癒、また内緒で賽銭をあげると縁が結ばれる縁結びの御利益あり。昔は諸願成就の丑三つ詣りが盛んに行われていた。北区岩淵町にも日光御成道第一の宿場、岩淵宿鎮守社の八雲神社がある。
講中一同

略由緒記からすると、戦前までは神社は現在の環七通りの真ん中あたりにあったようです。
この略由緒記に掲載されている江戸時代の絵図を見ると、旧鎮座地が塚状に高くなっているようにも見えます。
この塚状地形が古墳であった可能性も十分に感じられますが、跡地は環七通りのど真ん中であり、真相を知るすべは残されていません。
もちろん旧鎮座地も現在地も両方古墳の跡地であるという可能性も考えられます。
逆に、すべてが私の妄想である可能性も高いかもしれません。。。

境内南側の様子。
旧岩槻街道の拡張後はどうなってしまうんですかね。
ちょっと心配。。。
<参考文献>
東京都北区役所『北区史』
八雲神社『八雲神社略由緒記』
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- 2021/04/17(土) 21:24:47|
- 北区/その他の古墳・塚
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| コメント:2
こんばんは!
こちらも交差点の角にあるのに、その存在には全く気付いていなかった。というかいつも環七を車で走行しているので止まれないですからね(笑)
牛頭天王イラストがインパクトありですねっ!!(*^_^*)
- 2021/04/19(月) 00:26:08 |
- URL |
- torikera #frK3hhYY
- [ 編集 ]
torikeraさま、こんばんは!
環七を車で走っていると歩道橋の影に隠れてしまって、神社の存在は認識しにくいかもしれませんね。
それにしてもこの周辺の神社は、小さな神社でも由緒書きや説明板が充実していて、一見さんに優しいです。。。
- 2021/04/19(月) 02:29:32 |
- URL |
- ご〜ご〜ひでりん #G67hs.TE
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