
さて、最近ちょっと私の妄想が先走り気味でしたが、今回はれっきとした塚の跡地で、画像は北区西ケ原4丁目の「道音塚(どういんづか)」の所在地とされる場所です。
『新修 北区史』の44ページに「西ヶ原560番地」という旧番地での住所が記載されていたことから、おおよその所在地を推定することができました。
少々地形が変わっているのですが、かつてのこの場所は分かれ道の三角地のような形状を呈しており、この三角地が塚の跡地であるならば画像のマンションのあたりが跡地であるか、そうでなければ画像の左奥のあたりが跡地となるかもしれません。
『東京府北豊島郡誌』には、「【道音塚】瀧の川西ヶ原境にあり名義詳ならず 此塚今も存す」と書かれており、同書が発行された大正7年にはまだ塚は残されていたようなのですが、残念ながら現在は塚の痕跡はまったくなく、性格な所在地を突き止めることはできませんでした。

画像は「道音坂」と呼ばれる坂です。
道音塚が名称の由来となっています。

坂の途中には、平成6年に設置されたという、北区教育委員会による標柱が設置されています。
道音坂
道音坂は、西ヶ原4-29-1地先から滝野川1-32-6地先まで続く坂道で、旧西ヶ原・滝野川の村境に沿った坂道でした。明治時代の「東京府村誌」に「坂名ハ道音塚アルニ由ル」とあり、江戸時代の地誌には西ヶ原村内「滝野川境ニアリ」と塚について記されています。道は浅草道と呼ばれ、本郷と上野の二つの台地を結ぶ道で、中世は鎌倉街道だったと伝えられる古道です。
学術的な調査が行われた記録はなく、塚が消滅してしまった現在となっては塚の性格は不明で、由来なども詳しくはわかりませんでした。
ただし、往時には少なくとも塚はかつてはかなり知られた存在であり、その名称は現代にも語り継がれているようです。
<参考文献>
名著出版『東京府北豊島郡誌』
東京都北区役所『新修 北区史』
現地説明板
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- 2021/04/20(火) 23:08:34|
- 北区/その他の古墳・塚
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