
「西岡第19号古墳」は、大田区田園調布5丁目に所在したといわれる古墳です。『東京都遺跡地図』には大田区の遺跡番号8番の古墳として登録されています。
この周辺は、世田谷区尾山台から野毛にかけての古墳群が「野毛古墳群」、大田区田園調布一帯の古墳群が「田園調布古墳群」と呼ばれ、合わせて「荏原(台)古墳群」と総称されています。西岡第19号古墳は田園調布古墳群の最北西に位置しており、舌状台地の突端に築造されています。以前はこの古墳は円墳であると考えられてきましたが、昭和57年度から59年度にかけて行われた東京都心部遺跡分布調査における昭和初期の地形図の再検討により、昭和7年の「玉川村全図」に前方後円墳の形状が確認され、現在では全長約60mの前方後円墳ではないかと考えられています。学術的な調査が行われていないため詳細のわからない古墳ですが、直刀の出土が伝えられているようです。
『都心部の遺跡』にはこの古墳について「文献67(「荏原台地に於ける先史及び原始時代の遺跡遺物」『考古学雑誌 第26巻 第5号』)では円墳で高さ2m、土木工事により消滅とされているが前方後円墳の可能性が高い。現在、人家が4軒墳丘上にあり古墳と気づきにくい。墳丘は上部が削平されているが下部が残る。」と書かれています。
画像は、西岡第19号古墳の所在地の南西部を南東から見たところです。写真ではわかり難いのですが、奥の方はさらに一段高くなっていて、確かに墳丘の基底部が残されているように感じます。この場所は以前は宅地となっていたようですが、訪れたときは建物はなく更地になっていました。
出典:国土地理院ウェブサイト(http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=232615&isDetail=true) 画像は、国土地理院ウェブサイトより公開されている、昭和22年(1947)10月30日に米軍により撮影された西岡19号墳跡地のようすです。わかりやすいように跡地周辺を切り取っています。画像の中央に前方後円墳らしき形状が見られ、ひょっとして古墳の周溝ではないかとも考えられる、弧を描く円形の影を見ることが出来ます。この画像から察すると、北東に後円部、南西に前方部という前方後円墳ではないかと推測できます。従って、1枚目の画像は前方部を南東から見たという状況になると思われます。あくまで素人考えですので真相はわかりませんが、今後の調査の進展が楽しみな古墳ではないでしょうか。。。
<参考文献>
西岡秀雄「荏原台地に於ける先史及び原始時代の遺跡遺物」『考古学雑誌 第26巻 第5号』
東京都教育委員会『都心部の遺跡』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
大田区大田西地域行政センターまちなみ整備課『大田区古墳ガイドブック―多摩川に流れる古代のロマン』
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- 2017/05/07(日) 00:08:47|
- 大田区/田園調布古墳群
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