
「平山遺跡」は、日野台地の南側に南北500m、東西約2kmの範囲で広がっています。この西半部に50×70mの範囲に5基の古墳の存在が確認されており、「西平山古墳群」と呼ばれています。「平山遺跡」の範囲内で視覚的に捉えられる唯一の遺構で、いずれも墳丘は削平されているものの積石塚の主体部の石材が集積された状態で露出しています。
画像は、日野市西平山にある「西平山古墳群 3号墳」を南東から見たところです。『東京都遺跡地図』には日野市の遺跡番号48-3番に登録されている古墳です。
この3号墳は未調査であるため詳細はわからないのですが、多摩地区所在古墳確認調査により行われた平成5年度の分布調査で確認されています。この調査結果が掲載されている『多摩地区所在古墳確認調査報告書』には墳丘について「盛り土は流出。石室の石積が高まりとして残っている。」とあり、主体部については「未調査。畑の中に、石室に使用されたと思われる河原石と小礫が楕円形の積石塚状に積まれている。河原石は人頭大からそれ以上のものが多く、それらは主として外側に積まれ、小礫などは内側に多く積まれている。南北の径約7m、東西の径約3m、高さ1mである。」と書かれています。表面観察したところでは、古墳の状況に大きな変化はないようです。

地元の人にお聞きしたところでは、2〜4号墳を含むこの一帯は相続税の物納により現在は国有地となっているそうです。更地となった一帯は草ボウボウになっていたのですが、最近ボヤ騒ぎなどもあり、現在は草木が生えないようにシートで覆っているそうです。3号墳と4号墳の所在地のみ石積みが露出しているとい状況ですが、これが逆に古墳の部分のみ草ボウボウになっているという状況になってしまっています。覆土は存在せず石積みのみが残されている状況かと思っていましたが、こんなに草が生えてしまうのですね。植物恐るべし。。。

画像は、シートで覆われる以前の3号墳です。この石積みの内部を見てみたいものです。
<参考文献>
日野市史編さん委員会『日野市史 史料集 考古資料編』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』
人気ブログランキングへ
- 2016/04/04(月) 02:25:15|
- 日野市/西平山古墳群
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0