
「平山遺跡」は、日野台地の南側に南北500m、東西約2kmの範囲で広がっています。この西半部に50×70mの範囲に5基の古墳の存在が確認されており、「西平山古墳群」と呼ばれています。「平山遺跡」の範囲内で視覚的に捉えられる唯一の遺構で、いずれも墳丘は削平されているものの積石塚の主体部の石材が集積された状態で露出しています。
「西平山古墳群 2号墳」は日野市西平山3丁目に所在する古墳で、『東京都遺跡地図』には日野市の遺跡番号48-2番の古墳として登録されています。昭和58年(1983)8月~10月に日野市遺跡調査会により行われた平山遺跡13次調査により確認されており、当時すでに墳丘は削平されて存在しなかったものの周溝の3分の1ほどが検出されています。内径約17mの周囲を幅2.8m~3.6mの周溝が巡る円墳であると推定されています。主体部については未調査であるため内容不明ですが、調査当時、石室の塚石みの一部と推定される40~50cmの河原石と小礫が1m程の範囲に存在していたようです。現在は古墳の跡地にシートで覆われており、これらの石材を見ることはできません。覆土内より坏が1点出土しており、この遺物と規模からkの2号墳は6世紀中葉の築造と推定されています。
画像は西平山2号墳の跡地を北東から見たところです。手前のアスファルトの部分から杭が打たれた奥のあたりが古墳の跡地にあたると思われます。敷地の多くはシートで覆われていて観察することはできませんが、墳丘らしきマウンドは残されていないようです。

画像は、明治時代の地租改正の時に作られたとされる「字限図」で見る「西平山古墳群」のようすです。古墳群を形成する5基の塚すべてが描かれていますので、恐らくこの時期には2号墳の墳丘も残されていたのではないでしょうか。。。
<参考文献>
日野市史編さん委員会『日野市史 史料集 考古資料編』
日野市遺跡調査会『平山遺跡 -第13次調査-』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』
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- 2016/04/03(日) 12:45:07|
- 日野市/西平山古墳群
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