
画像は、板橋区小豆沢4丁目に所在したとされる「善右衛門首塚」の推定地を南から見たところです。画像中央の電柱の前の路上が、かつて善右衛門の首塚が存在した推定地です。塚はすでに消滅しており、言い伝えとしてのみ残されている伝説の塚です。『東京都遺跡地図』にも未登録となっています。
この「善右衛門首塚」について、昭和7年発行の『志村郷土誌』には次のように書かれています。
「善右衛門の首塚 漁藍塚から数間東方に離れて一叢の薮がある。瓦礫陶片等磊々としている。之が首塚と言伝える所であって、鍬鎌を加えたり一歩でも此の地に入るようなことがあれば、直に覿面の怪知があるということで、古来幾人となく開墾を試みたが皆其の災厄に遭って、目的を達する事が出来なかったということである。この善右衛門と云うのは、小豆沢村の名主で、当時領主、地頭より「小物成」と云ってキビ豆類の小物にまで課税され、非常に苦しみつゝあった村民を救わんとして、前野村の市衛門と共に直訴したゝめ遂に斬罪に処せられたのである。村民は之を聞き知り恰も慈父を失った様な思いでその首を請いうけ、此の塚に葬ったのであった。其の後時かわり星移りて此の尊き犠牲者もいつとはなしに一般からは忘れられようとしているが、つい近年迄何れの人かは知れぬが時折この塚をたずねては香花を手向けていたという。恐らく善右衛門を刑に処した地頭の後裔の者ではなかろうか。」(『志村郷土誌』147~148ページ)
昭和7年頃に区画整理が行われるまでは塚は残されていたそうで、数本の太い木と篠竹が生えており、祟りがあると恐れられていたので誰も入る者はいなかったそうです。

残念ながらこの「善右衛門の首塚」は取り壊されて跡形もありませんが、この塚の上に立てられていたといわれる庚申塔が、板橋区小豆沢4丁目にある龍福寺(小豆沢観音塚古墳のある小豆沢神社の隣)に残されています。龍福寺の門を入ると右手に庚申塔等が集められた塚があり、この中に首塚の庚申塔も保存されています。このお寺は、通称「板碑寺」と呼ばれるほどの多くの板碑を保存しているお寺として有名で、かつては二十余基の板碑がありましたが、空襲でその多くが破損して現在では7基が残るだけだとなっているそうです。。。

画像が、「善右衛門の首塚」に立てられていた庚申塔です。
<参考文献>
志村『志村郷土誌』
板橋史談会『改訂版 いたばし郷土史辞典』
板橋区教育委員会『まち博ガイドブック(志村坂上・中台・蓮根・舟渡・前野)』
板橋史談会『板橋史談 第66号』
板橋史談会『板橋史談 第247号』
板橋区教育委員会『文化財シリーズ第81集 いたばしの地名』
現地説明版
- 2013/09/26(木) 01:18:26|
- 板橋区/志村古墳群
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